君と再会する、


 しくじった、と思った。ライドウは舌打ちをして宙を返る。管を次々に取り出してまるで手品師のように操り、矢継ぎ早に仲魔を入れ替えていく。敵の猛攻は止まらない。対してこちらは消耗していくばかりで、明らかにジリ貧だった。最後にヨシツネを管に戻した頃には、最早これまでかとそんな考えすら脳裏を過る。
『何を諦めておるか、ライドウ!』
 それを見透かしてかゴウトの叱責が飛んだ。はっとして、刀を握る右手を繰る。敵の魔法を相殺して自らを守る受け身一辺倒の戦いをギリギリ繰り広げながらライドウは今一度此度の出来事を反芻した。
 初めは、それほど危険な仕事でもなかったのだ。春先から悪魔の大量発生が頻繁に起こっている、その対処に当たるべしとの仕事をヤタガラスから請け負ってやって来た場所で群れていた悪魔は数十匹のピクシーだった。いくら数が多くとも相手は所詮ピクシーだ。件の人修羅がパートナーとしていた「スーパーピクシー」、メディアラハンやメギドラオンまでもを悠々と操る規格外の彼女ならばともかく、そうそう手こずる相手でもない。その時はすぐに仕事も終わった。
 しかし事態はそこから悪化の一路を辿った。大量発生はピクシーのみに留まらず、そこからハイピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタン、シルフ……と大量発生する悪魔のレベルがどんどんと上昇していったのだ。
 そして原因が掴めないまま一時しのぎに倒し続けてきた結果が今日のこれだった。溜め息の一つぐらい吐きたい。これはいくらなんでも、あんまりだ。
「天使の集団……本当、こんなのどうやって相手取れって言うんだい? 下級のエンジェルなら致し方なし、まあ、ドミニオンぐらいまでは僕だって耐えよう。しかしこれはいくらなんでも酷過ぎる」
『愚痴を言ってもどうにもならん。それより打開策を考えるのだ』
「僕だってそのぐらいはわかってるよ、ゴウト。ただその打開策が容易に思いつかないからこうして情けなくもジリ貧の防戦に持ち込まれているわけで」
 目の前のラファエルを刀と銃撃だけで弾き飛ばして答える。しかし安まる暇はない。すぐに次の天使が――今度はミカエルだ――やって来て、ライドウ目掛けて術式を放とうとしてくる。もう、きりがない。
 サンダルフォン、ミカエル、ラファエル、ウリエル。どれも高位の天使達で、通常群を成して発生したりするものではないしそうそうこの俗世に降りてくる存在でもない。メタトロンがいないことを救いと捉えるべきなのかもしれなかったが、そういう気分でもなかった。
 その上、四体の高位天使に引き連れられて大量のソロネも発生している。その数およそ百数体。とてもではないがライドウ一人の手に負える規模の敵ではない。しかし、今から援軍を呼んでいても間に合わない。
 まさに万策が尽きた状態だった。頼みの綱の仲魔達もソロネを数十体潰したところで全員瀕死ギリギリに追いやられ、現在はダウンしている。手元に無傷で残っているのは一本の、中に何が封じられているかもわからぬ謎の管だけだ。
「……ゴウト、つまらぬことを訊くけれど」
『なんだ。さっさと言え』
「これ、開けても大丈夫なものだろうか」
『知らぬ』
 薄緑に発光する管を示すとゴウトは首を振った。
 この謎の管は、少し前にヤタガラスから「特別支給」されたものだった。これをライドウに渡したヤタガラスの使者は「十四代目帝都守護者であるあなたに縁の深い悪魔が眠る管です。しかし、滅多なことでは開じることまかりなりません。どうしても、あなたが倒れてしまいそうな時に頼ってください。そして、肌身離さぬように」、いつもの感情の読めない声でそう言った。どうにも曰くありげな一品だ。よってライドウは言われた通り常に携行しつつもこれまでただの一度もその管の蓋に指さえ掛けなかったのだ。
「この状況は、使者の言った『どうしても』の事例に相当すると僕は思う」
『であろうな。我もそう思う』
「では、開けても?」
『どうせこのままでは説教部屋だ。やった方がいくらもましであろう』
「その言葉、信用しましたからね」
 ソロネを一匹消し飛ばしてから体勢を立て直し、ライドウは確かめるようにもう一度だけ「開けますよ!」と復唱する。気分は最早やけっぱちだ。薄緑の光を薄く滲ませる管を手に取りええいままよ、と勢いよく蓋を引き抜いた。
 ――果たして現れたのは、確かに、ライドウの窮地を救い得る強力な悪魔で、そしてライドウが知り得る限り最強の悪魔であった。


「なんだよ、苦戦してやがんの」
 「それ」はあーあ、とガッカリしたふうに溜め息を吐くと一息欠伸をした。実にゆるい、気負いのない所作だ。周りを大量の悪魔に囲まれているというのにまるで緊張感がない。ライドウは驚いて思わず体勢を取り崩しへたりと座り込んでしまう。情けないと思うよりも驚愕の方がはるかに勝った。
「ま、原因はボルテクスにあるし、な? つーか閣下のせいだ閣下のせい。だからまあ俺が掃討してやんのはやぶさかでもなかったりするんだうん。しかしそれにしたって酷いやられようじゃんか。俺がちょっと見ない間にお前、なまったんじゃねーの?」
「君は……」
「感動の挨拶は後な。まずはこいつらさっさと片付けちまおう、ぜ!!」
 「それ」が意気揚々と両腕を振り翳し、咆え猛る。光の槍が周囲一帯に吹き荒れ、そして直後「それ」を中核とした地割れが発生した。見覚えのある技だ。かつて隣に立って何度も何度もその技の発動を目にしてきた。懐かしささえ覚える。
 「ジャベリンレイン」から「地母の晩餐」の流れ技。
 「それ」――混沌王「人修羅」が、得意とする戦法だった。
 強烈な連撃により残ったソロネの群れが一瞬にして吹き飛ぶ。あまりにも、強烈。あまりにも、苛烈。あまりにも、圧倒的。あまりにも、優美な絶対暴力。ライドウはこんな時であるというのに口端が僅かににやりと釣り上がるのを止められない。間違いなく言い逃れ用もなく興奮を覚えていた。この光景にワクワクせずにいられるものか!
「あー、流石に一発じゃ大天使クラスは無理かー……次は何撃とうかね。もっぱつ地母ってのもなんか芸がねーし。至高の魔弾でも撃つか? でもあれ隙がちょっと出来るんだよな……」
「ふふ、なまったのは君の方こそ、じゃないかい。至高の魔弾で隙が出来る? 馬鹿言っちゃいけない。それは僕を庇うから、だとか抜かすんじゃないだろうね」
「おお? 言ったな?」
 なんだ見た目より全然元気じゃん、と人修羅がからから笑う。お陰様でね、と返答してライドウは学帽を被り直した。かつてボルテクスなる異界で彼と肩を並べ、或いは背を預け合って戦闘に興じた過去が甦る。そのことを思うと、受けていたダメージなどどこかへ吹き飛ぶようだ。体中が高揚している。
「背中は僕に任せたまえ。君は、至高の魔弾でも螺旋の蛇でもマグマ・アクシスでも好きに撃って撃って撃ちまくるといい。余裕だろう? 護衛対象がなければ君は大暴れが出来る」
「おうともー。んじゃ背中は任せたわ。まあでも、お前体力そう残ってなさそうだし十秒で終わらせてやんよ。だから十秒だけ耐えろ。したらピクシーにメディアラハン頼む余裕も出来るから」
「頼もしいね」
「当ったり前だろ?」
 人修羅は不敵に笑った。ライドウもつられてほくそ笑む。この友と背を合わせている限りに負けることなどない、そういうふうに強く思う。
 人修羅の腕が動く。全体攻撃スキル「死亡遊戯」が一帯に放たれ、人修羅の宣言通りきっかり十秒で残った大天使は吹き飛んだ。



「元気そうで何よりだよ」
「お前は相っ変わらず無茶してんのな……ピクシー、俺にもメディアラハンちょーだい」
「うん。今日のはちょっと無茶だったね。でも僕としても想定外だったんだよ」
「知ってる。なんたって俺直通トンネル開けちゃったぐらいだもんな」
 人修羅有する攻撃スキルによってまっ平らになった野原で、スーパーピクシーのメディアラハンを受けながら人修羅が言った。ライドウが「直通トンネル?」と尋ねると人修羅は「うん」と軽く答える。
「直通トンネル。だからそれ、厳密には管じゃないんだ」
「と言うと?」
「ボルテクスっていうか閣下のとこであくせく働いてる俺直通の非常トンネル兼ホットラインになってる。だからその管に他の悪魔入れようとすんなよ。俺んとこに送られてくるだけだから。……あのさ、この事件さ、実を言うとこっちでやってる戦争が原因なんだ。それで責任取れるようにヤタガラス経由して、それを予めお前んとこに送っといたの。まさかこんなに早く使う羽目になるとは思ってもみなかったけど」
「悪かったね。僕がなまって脆弱になっていたばかりに」
「いやライドウを悪く言ってんじゃねって……お前実は拗ねてる?」
「いや? 別に?」
 白々しく言った後に堪え切れなくてぷっと噴き出してしまう。すると人修羅はようやくライドウの真意を悟ったらしく、「うわあ」という表情でこちらを見つめた。
「あー、なんか、そういうちょっと性根悪い感じのとこ見ると改めてお前と再会したんだなって思うわ」
「うん、僕もだ。君がそうやって嫌そうに嫌そうに顔を顰めてるのを見ると。懐かしいな……一年ぐらいしかまだ経ってないのだけどね」
「こっちじゃ数ヶ月だぜ。……あー、それでだ。説明しなきゃなんないことはいくらかあるんだけど、ま、何はともあれ……」
「うん」
「また会えて嬉しい。遊里」
「こちらこそ。ゆかり」
 お互いの本名を呼び合ってこつんと拳同士をぶつけ合う。そしてどちらからともなく笑い合った。さっきまでライドウは割と真剣に生きるか死ぬかの瀬戸際に立っていたというのに、今はなんだか楽しくて仕方がない。
「短い付き合いになるか、長い付き合いになるかわかんねーけど。これからしばらくの間よろしくな、『帝都十四代目守護者』殿」
「ああ、よろしくお願いするよ『明けの明星の隠し刀』。――それで、ボルテクスの戦争が原因と言うのは一体どういうことなんだい」
 単刀直入に尋ねると人修羅は頭を振って「それはもうちょっと落ち着いたところで話したい」、と申し出る。ゴウトが一通りの治療を終えたピクシーと話を終えたらしく、それに『探偵社まで戻るが良かろう。或いは、名も無き神社あたりでも』と助言を寄越した。