キャプテン・ルサンチマンの憂鬱
「あっ」
「えっ?」
ヘッドホンが壊れた。救出した直斗の回復を待ちながらダンジョンに籠もってシャドウから素材を集めて回っているその最中でのことだ。りせのサポートで弱点のわかってる相手だったし、力量的にも気負う必要のない相手で気が抜けていたのかもしれない。
シャドウの攻撃が俺のヘッドホンに直撃し、派手に弾け飛ぶことこそなかったけれど、ケーブルがブチッと千切れとんだのが俺の目に映る。ポケットに突っ込んだウォークマンから流れていたテンション上げ用の音楽がブツリと鳴り止んで聞こえなくなった。やべえ。どうしよう。これ、お気に入りの奴だったのに。
「ちょっと、花村! 何ぼさっとしてんの!」
千枝の喝が飛んできて、それを受けてかちょっと離れた位置で隙を窺っていた俺の相棒がこっちへ向かってくる。それで、あーやべーマジで壊れちゃったの? とか頭の中ぐるぐるしてる俺の代わりに悠はシャドウを斬り飛ばし、戦闘を一端終了させた。相ッ変わらず惚れ惚れするような無駄のない動きってやつ。
でも今日はもう、その相棒の華麗な動きに見とれていられるような気分じゃなかった。
「お疲れ悠センパイ! ……ね、花村センパイ、どうしたの? 急に立ち止まっちゃって。何かあった?」
「そーよ。あいつ花村がガル撃てばすぐ倒せたよ?」
「りせ、千枝、仕方ないよ。陽介、さっきシャドウにヘッドホン壊されちゃったんだ」
「え。あ……ほんとだ。コードが断線しちゃってる」
「わー……それは……。花村、そのヘッドホン大分お気に入りだったよね。鳴上君、それってなんとか出来ないの?」
「いや、流石に俺もここまで酷い状態のリペアはちょっと。コード付け替えタイプじゃなくて一体化してる奴だし、買い換えた方が早いよ」
悠の冷静なコメント。コードもイヤホンジャックに近い部分が断線したんならともかく、どっちかというとヘッドホンに近い位置でブッチリ逝ってしまっている。うんまあ、これは俺も無理だと思う。買いに行くしかないなあ、と諦めを覚えつつなんだかそれに乗り気にもなれなくて俺は盛大に溜め息を吐いた。それを聞いて悠はフフッ、とか笑っている。
「あんだよ相棒。笑うことはないだろ」
「いや。陽介、子供みたいな顔してるから」
「子供ぉ?! クマじゃあるまいし!!」
「拗ねるなって。とにかく、陽介はヘッドホンマンだからなるべく早く買いに行った方がいいよな。今……六時か。今日はダンジョンはここまでで切り上げて、そのまま音響のコーナーにでも寄るか?」
俺の抗議はサラッと流してあっという間に話題を進められる。ここでこれ以上それに言及しても仕方ないと思ったので俺は反論を引っ込めて他の奴らの反応を待った。六時っていうと、丁度微妙な時間で総菜とか生鮮食品のフロアは混み合ってるけど家電フロアは人は殆ど居ない。八時だったらさっさと帰ってふて寝したかもしれないけど、まあまだ六時ならなあという感じだ。
りせがひいふうみいと指折り数えて何かを確認している。雨の日限定シャドウからドロップした素材のカウントをしているんだと思う。そもそもそれが今日俺達がジュネスに集まった目的だったのだ。
数え終わったりせはにこりと満面の笑顔になって、「大丈夫、オッケーだよ!」と悠の方をしっかり向いて言った。
「うん、それでいいと思うよ。素材は十分溜まったと思うし。雪子センパイ、千枝センパイもそれでいい?」
「鳴上君がそう言うのなら、そうしよっか」
「そうだね。ヘッドホンない花村とかあたしも落ち着かないし。……花村はそれでいい? それとも今日はもう疲れたから帰る?」
「んー……。一応在庫見るだけな。ウチのオーディオコーナーそんな広くねえしすぐ終わるよ」
「じゃあクマが案内するクマー!」
「クマははしゃぐな!」
クマの頭を押さえつけたら、まあまあ、と宥めるように俺が悠に頭を撫でられてしまう。いや、ちょっと待て、確かに俺は誠に残念なことに相棒よりも幾らか背が小さいんだけど、だからってそれはどうなんだ。
いつにも増して子供扱いされているような気がしてむっとしたけど和気藹々と話をしている他の奴らを見てるとここでそれを口に出すのが憚られて、俺は仕方なくその不満と疑問を喉の奥に呑み込んだ。
元々俺のこのオレンジ色のヘッドホンは、この町に越してくる前に都会で誕生日に買って貰ったものだった。十五歳の誕生日、だから買ってから二年目か。買い換えるのに早すぎるってこともないけどかなり気に入ってるモデルだったから俺としてはもう少し長く保って欲しいところだったわけだ。
誕生日だからと頼み込んで、それなりにちょっといい奴を。その分大事に扱っていたつもりだし愛着もあった。それがまさかこんな形で無残に散り、別れを告げる事になるとは。
「ヨースケのとおんなじの、やっぱり見つからんクマね〜」
「や、だってあれ最近買ったワケじゃないっしょ? もう違うモデルになってるのかも。それにここ田舎だし……」
「そうッスね、そもそも都会に比べると品揃えはどうしても偏っちまいますしね」
「お前ら寄ってたかってジュネスの品揃えが悪いみたいに言うのやめろよ」
確かに都会と比べたら悪いかもしれないけど、この町の中で見たらこれでもダントツなんだ。
二〇種類ぐらいのヘッドホンをざっと見終わって、やっぱ気に入るのがないなと腕を組んで唸る俺の隣で悠が真剣に一つ一つの品定めをしている。時折ちらりと俺の方を見てくるのは、ヘッドホンのカラーリングと俺を見比べているからなんだろう。他意はないんだと思う。多分……。
それでもやっぱり全てを見終わるのにそれほど時間は掛からなかったようで、ヘッドホンの隣のイヤホンコーナーに手を伸ばし、今度は俺の方を見ずに自分の耳に掛けたりし始める。オーソドックスで安価なインナーイヤー型を手にとっては戻し、カナル型も戻し、最後に耳掛け型を手に取った。シルバーと黒のツートーン。イザナギみたいなやつ。
「お前もイヤホン買うのか?」
「どうしようかな。ちょっと考えてるんだ。今持ってるのはプレイヤーに付属で付いてきたインナーイヤー型なんだけどあれってすごく硬いだろ。陽介がいつもヘッドホンしてるの、少しいいなと思っていて……俺もヘッドホンにしようかと思ったんだけど、あんまりピンとこなくて」
陽介にピンとくるのもここにはなかったけれど。悠がはにかむ。なんかこいつの笑顔って時々女子みたいだよな。整って隙がないというか、いや、別にそれは悠が作り笑いをしてるとかそういう意味じゃないんだけど……。
「じゃあついでに一緒に買おうぜ。イヤホンがいいならイヤホンにするといいと思うけど、ヘッドホンも検討してるならそれぞれの良いとこ悪いとこ教えてやるし」
「そうだな。陽介は、そのあたり詳しそうだから。任せるよ」
「おう。まっかせとけ!」
「頼もしいな。陽介の太鼓判が付いてると思うと安心出来るよ」
ずらずら並んでいるイヤホンの群れの中に視聴用サンプルを掛け直して相棒は改めて俺の方に向き直る。じゃあ、いいか、と確認を取るような声。俺がそうだな、もうここは出ていいな、って返すと違うそうじゃないって首を振る。
「明日、日曜だけど用事は?」
「明日? ないと思うけど……何で?」
「善は急げって言うじゃないか。用事がないんなら、丁度良いかな。沖奈に行こう。あそこなら、色々見るとこあるだろ?」
「――二人で?」
その時、俺はどうしてそんなことを口走ってしまったのか、正直なところ自分でもよく分からない。だけどここで二人で行くって、二人きりで出かけるってことを確認しておきたかった。別に二人で出かけたことがないわけでもないし(むしろ、割としょっちゅうのような気さえする)、特捜隊のみんなと出かけるのが嫌いなワケじゃないけど、俺はその時二人で沖奈に行きたかったんだと思う。
二人で、悠に俺のヘッドホンを選んで貰って、そうして俺が悠のイヤホンを選んで、お前の選んでくれたヘッドホン調子良いぜとかそういう話をしたい気分だった。
「当然、二人だ」
悠は当たり前みたいにそう返してくれる。内心でガッツポーズ。じゃあ明日、バイクでガソスタの前な! と約束して、それぞれ自分の趣味でイヤホンなりを選び始めていた他の奴らに、俺達はもう用が済んだってことを伝えてクマを回収する。
その日俺は、なんとなく解散の流れになって帰路に着く仲間達を見送ると夕飯の買い出しをするためにジュネスに残った悠にクマと二人で暇つぶしがてら着いていって、そのままなんだかワクワクが収まらない状態で布団を被り、ダンジョン籠もりの疲れもあってかあっという間にすやすやと意識を手放してしまったのだった。
◇◆◇◆◇
日曜日は問題なくよく晴れて、短いドライブを楽しんでいるうちにあっという間に冲奈市に到着した。ブティックやら映画館、喫茶店などが並ぶ駅前の大通りを二人で並んで散策している。クマはどうしたんだ? と聞かれたから仕事させてる、と答えるとむしろよくお前が抜けてこられたな、と今更驚いたような顔をされた。
「わざわざ俺のためにシフトに穴空けさせちゃったりしてない?」
「元々オフだったんだよ。だからこれ幸いってな。で、どうする? とりあえず通りの向こうの電気屋?」
この県唯一の大手家電量販店の名前を挙げると、そうだねまずはそこかな、と小首を傾げた。本当、嫌になるぐらい、いちいち全ての動作が様になるっていうか。でもそれが自然体で、あーくそかっこいいなとか内心でぶつぶつ。真似出来ない。真似したいわけでもないし。鳴上悠がやるからいいのだ。花村陽介が鳴上悠を真似したってしょうがない。なれるわけじゃない。
道すがら、悠は「しばらくは効率よくシャドウのドロップアイテムを集める方法を確立していきたい」という話を唐突に始めて、ああそれで雨の日狙いで集まってたのか、と相槌を打つ。そもそも八十稲羽はド田舎なんで、雨が降ってしまうと極端に出来ることが少なくなってしまうのでそっちかなと俺なんかは単純に思っていた。
夏休みの間に鍛えておいたことが功を奏したのか、白鐘直斗の救出にはあまり手間取ることはなかった。そうすると(そりゃ、まだ事件は終わってないけど)やっぱ安心感があるし、その間色々備えも出来る。俺達は同じ日にプレイし始めたロールプレイング・ゲームの攻略法を相談し合う男子高校生みたいな顔で話をする。雪子姫の城、あそこのシャドウ、昔はあんなに強く感じたのにな、とか。熱気立つ大浴場のシャドウは未だに苦手なの多いよな、とか。秘密結社改造ラボのシャドウは流石に手強いし容赦ないよな、とか……
相棒は何故か俺にヘッドホンの話を振らない。俺も話に興じているのが楽しいので、ヘッドホンの事は口に出す機会がなかった。そのまま俺達は家電量販店の入り口前に辿り着いてしまって、特に確かめ合うこともなく二人でオーディオコーナーに向かってエスカレーターに乗った。
「陽介は、オレンジ色が好きなの」
流石にジュネスとは品揃えが桁違いで、音響にまるまるワンフロアを割いているだけはあってもの凄い数の商品がずらりと俺達の眼前に広がっている。俺がなんとなく掴み取ったディスプレイ用ヘッドホンを見て悠が尋ねた。悠の手には、シルバーのシンプルなヘッドホン。
「前のヘッドホンもオレンジだった。眼鏡もオレンジフレームだし。まあ、あれはクマが作ったものだけど」
「ん? あー、まあ、好きかって言われるとそうかもなあ。なんか困ったらオレンジ色の買ってる気がするし……俺地毛明るいじゃん? このぐらいの色が丁度いいんだ。オレンジって元気溌剌って感じするし」
「栄養ドリンクみたいな理由だな」
「いーじゃん! じゃあ悠はどうなんだよ。好きな色」
「うん、そうだな……黒とか銀は、好きだよ。イザナギがああいう色なのは、俺のそういう深層心理も関係してるのかなとか少し思った」
銀色のヘッドホンを棚に戻して一言。確かに。こいつは落ち着いてシックな色というか、派手じゃない渋い色を滅茶苦茶綺麗に決めてくる。
銀色の次に悠が手に取ったのは、真っ赤なヘッドホンとちょっと意匠の変わった迷彩柄のヘッドホン。「こういうのは? ジライヤみたいなやつ」と差し出される。「あんまイメージじゃねえんだよなあ」と言うと「そう言うとは思ったけど、まあ一応、当ててみて」と促されたので耳の横に当てた。
「やっぱあんま似合わないな」
すると速攻、笑顔でそんな一言。じゃあなんで勧めたんだよって言いたくなったけど、聞く前に答えを教えてくれた。
「今の話を聞いて、多分今日陽介が買うのはオレンジのヘッドホンなんだろうなって思ったんだけど、折角だし色んな陽介が見てみたかったから。何でも似合う陽介も見てみたかったけど、やっぱり、お前はそういう感じだな」
「へいへい。何でも似合う鳴上様と違ってジュネスのがっかり王子は範囲が限られてんの」
「うん。だからやっぱり俺はオレンジが一番よく似合う花村陽介がいいよ」
「……うん?」
「選ぶ時苦労するし」
あれ? なんか、うん? って思ってまじまじと相棒の顔色を窺ったけれど、既に意識は次のヘッドホンに向かっているらしく俺の方を見ていなかった。俺が何か首捻ってるのにも、気付いてないらしい。「じゃあ陽介はこれかな。こっちも捨て難いかな」とか言いながら次々にヘッドホンを物色している。
そうこうしているうちに、同系色という理由で選ばれたらしい赤いヘッドホンも棚に戻り、入れ替わりにメーカーとデザインの違うオレンジ色のヘッドホンが四つほど差し出される。
「どれがいい?」
その声が、指輪を一つ買ってやるから選んでくれよ、みたいな調子に何故か俺には聞こえた。
「四択なの?」
「俺としてはね。オレンジ色の、もう二つぐらいあるけど。陽介が付けるならこの四つかなって」
「鳴上先生チョイス?」
「あ、ちょっとニュアンスが違うかな。陽介が付けてると俺が嬉しいやつ四つ」
まだ悩むならフィフティーン・フィフティーンしてやろうか、と尋ねられたのでひらひら手を振って四つのヘッドホンを見比べた。悠の言い直した言葉が微妙に引っ掛かって気になったけど、後で聞いた方がいいのかなって。いや、でも、別にそんなにおかしくないか。俺だって俺が気に入って選んだやつを……例えば、耳掛けのシンプルなメタリックブラックのイヤホンとか……普段使いで愛用してくれたらやっぱ嬉しいし。そんなもんかな。
そういえば値段はどうなの、って確かめたらこれが結構ばらつきがあって、左から三千円、五千円、六千円、一万円、らしかった。一万。割とキツイけど前のも確かそのぐらいの値段だったし、戦闘中ずっと掛けてるから出来るだけ音質とかは良い方が嬉しい。でもやっぱキツイ。高校生の悲しいお小遣い事情。
うんうん唸ってると、幾らか俺が出そうか、と悠の天の一声みたいな助言が降ってくる。そうえいばこいつ、バイト三つだか四つだか掛け持ちしてるんだった。ダンジョンでシャドウを倒して手に入るお金なんかも悠預かりだ。でも悠はそれで一人豪遊するってことは全くなく、大抵だいだらで俺達の装備に変えるかペルソナを強化することに使っている。
何でそんなにバイトを掛け持ちしてるのか、一回聞いたことがあったんだ。何でだったっけ。そう、確か、俺が週にどのくらいジュネスのシフトが入ってるのか、最近忙しい? と聞かれてその返しに俺が聞いた。悠は? って。
すると悠はとても悲しそうな、憂いを帯びた表情で、「ペルソナ、すごく高いんだ。世の中銭だなって痛感してる……」と悲壮そうに教えてくれた。俺はその時、鳴上悠というこの男に「世の中銭だな」という酷くシビアでリアルな言葉を言わせてしまうこの世界を恨んだ。そんなこともあったんだっけ。
「だから値段じゃなくて形とか、機能とかで納得するのを選んだ方がいいと思う。そういうのこだわりどころだろ? 陽介にとっては」
「まあな。よくご存じで」
「陽介のことは、多分大体わかるよ」
「得意げな顔で言われるとなんかちょっと恥ずかしいな」
「そうかな」
そうかなとか言ってるけど、その俺の本心もきっと悠は分かっているんだろう。それがやっぱり悔しいなって、思う。鳴上悠には花村陽介のことが大体分かってるのかもしれないけど、多分花村陽介はその半分も鳴上悠のことを知らないのだ。
好きな色も今日知ったし、好きな食べ物、これも実はよくわからないし。確実なのは誕生日と血液型と、電話番号とメールアドレス、このぐらいだ。俺達の間にはものすごい情報アドバンテージの開きが出来ていて、その分俺はどんどん悠にリードされて、置いてって行かれているようで、そのうちどんどん頭の中がぐるぐるしていってしまって、そこで俺はそのことを考えるのを止めてしまった。
何で悔しいんだろう? ってことを考え始めたら、普通の顔をしていられる自信が俺にはなかったからだ。
「じゃあこれにしようかな」
「一番高いやつ?」
「そういう言い方されるとめげる! 一番音質がいいやつって言って!」
「オッケー、一番音質がいいやつ、な。やっぱりヘッドホンマンとして、音には一家言あるのか」
「俺戦闘中割と良くイヤホン付けてるじゃん」
「うん」
「なんでかっていうと、それでテンション上げてるからなんだけど。好きな音楽入れたりさ。そうするとやっぱ、良い感じにサラウンドかけてくれるのとかがいいじゃん」
「そうか。ついでに聞くけど、何の音楽聴いてるの」
そうかやっぱりこだわりがあるんだなって頷いて、俺が選ばなかった残りの三つを棚に戻しながらさり気なく聴いてくる。俺はちょっと悩んで、
「ミスターチルドレン」
って返した。すると悠はぷっと吹き出して、すごい楽しそうに笑う。
「なんだよ笑うことはねえだろー」
「ごめんごめん。すごい陽介っぽいなあって思って」
俺も好きだよ、ミスチル。そう言って一万円のヘッドホンを俺の手に持たせ、「きっとよく似合うよ」とはにかんだ。ヘッドホンが? それともミスチルが? クラシックや洋楽の似合いそうな男にそう尋ねると、悠は「両方」とさらっと言ってのけて「じゃあ次は俺のイヤホンも見てよ」と俺をヘッドホンコーナーと隣接しているイヤホンのコーナーに引っ張っていったのだった。
◇◆◇◆◇
オレンジ色のヘッドホンを握った陽介の手を引いて、イヤホンが整列してぶら下がっている棚の前に立つ。陽介がオレンジ色が好きで、ミスターチルドレンの曲とかも割と好きらしい、ということは今日初めて知った。それが、きっとなんでもないことなんだろうけどすごく嬉しくて俺は無意識に口角がつり上がっているのを慌てて自覚して引っ込める。
俺は――鳴上悠は、多分、陽介が思っている程は花村陽介の事を知らないんだと思う。花村陽介が知っている鳴上悠のこと、ときっと同じぐらいで。なのに陽介は結構な頻度で俺に悔しそうな顔をする。
例えば俺は陽介が身長一七五センチで、六月二十二日生まれの蟹座だってことを知っている。だけど今日聞くまで好きな色も好きなアーティストも確信を持ってこれだって知らなかった。そんなもんだ。
だから「陽介のことは大体わかる」っていうのは半分ぐらい見栄で、後は本音だけど、それぐらい陽介の事を知っていられたらっていう俺の願望みたいなものだった。俺は出来るならもっと陽介のことを知って行きたいし、陽介が望むなら、俺のことも、知ってくれたらいいな、と思う。
色々なことを、陽介には話せないと思っていたことがあった。陽介の前ではかっこいい鳴上悠でいたかった頃。かっこいい自分を見せていたかったんだということは、陽介とボコボコになるまで河原で殴り合ってその時初めて思った。不格好な俺達は、それでもお互いを見て、別にちっともださいとか恥ずかしいとか、思わないんだってその時知った。
「ま、簡単に言えばヘッドホンの方が音が綺麗に聴こえやすいし、外部の音をシャットする性能に優れてるんだ。これはもう形状の問題なんだけど。あと、音漏れもしづらい。で、デメリットだけど……音楽が良く聞こえる分やっぱ外の世界の音は聞き取りづらくなる。これはもう仕方ないよな。ただ音質に限った話なら、カナル式イヤホンにちゃえば後は値段で性能が変わっていくだけで、別にヘッドホンの方が絶対的に優れてるってことはねえよ」
陽介の講義に頷きながらさてどれにしようかな、と息を吐いた。「鳴上はあんまりヘッドホンって感じはしないよな」と前に――五月ぐらいだった気がする。まだ俺達が名字で呼び合っていた頃だ。話の流れだったし、ぼそっと言われたことだったからもう陽介は覚えてないだろうけど――言われたから、俺は買うならイヤホンかなって思っていた。ヘッドホン、俺にはちょっとごついようなそんな気もしていた。
どれがいい、と尋ねると陽介は真剣に唸り出す。二分ぐらいうんうん唸っていたので俺はそれをじっと見ていた。俺のためにこれだけ真剣に陽介が悩んでくれていると思うと少しこそばゆい。
「ううんとだな……インナーイヤーとカナルは付けてる見た目はそんなに変わらないけど耳掛けは全然違うから、まずはどっちがいいかだと思うんだけど」
「陽介はどっちがいいと思うんだ?」
「種類の多さならそりゃインナーイヤーかカナルだよ。やっぱこっちが楽だし、主流だし。耳掛けはどうしても数が少ないんだ。こいつはイヤホンとヘッドホンの中間みたいなやつで、いいとこ取りの反面中途半端で、ま、ちょっと人を選ぶ節があるんだよな。まあでも、俺が考えるに」
陽介の手がもったいぶるように耳掛け式イヤホンがぶら下がっている場所に伸びていって、その中から一つだけを掴み取って俺の方へ手渡してくる。プラスチックの奴より色が重たくて、良い意味で重厚な感じだ。俺が黒と銀が好きかなとさっき言ったことを考慮しているのかもしれない。そのイヤホンは、なんというか、俺のイザナギによく似ていた。
「悠が付けて絵になるのは耳掛けだなー。このメタリックブラックのやつとか、どうよ?」
「それは俺がこれを付けてると陽介が嬉しいっていうこと?」
「う、うんまあ、そうとも言う」
スパンと看破してやろうと思って鎌を掛けるように聞くと少し恥ずかしそうにぽりぽり額を掻いてそう答えてくれる。満更でもなさそうにはにかんでいて、こういうのを何と言うのだったか。いじらしい、とか、か。
「じゃあ耳掛け式にしよう。陽介が言うならそれがいい」
「そうかな……」
「そうだよ」
色はこれがいいの? と尋ねるとこくりと頷く。じゃあこれにする、と受け取ったイヤホンを握ってレジへ向かおうとすると何故か慌てたような顔になって俺の手を引いた。
「どうしたんだ」陽介の顔色を窺うと、口をぱくぱくさせている。
「どうしたって、お前、少しは他のと悩んだりしないのか」
「いや、全然」
「だってほら、他にまだもう少しあるしさ……悠にはメーカーにこだわりは……ないか。よく音が聞こえればいいって感じだよな。その点で言えば確かにメーカーはそんなに関係ないけど耳掛けの中でもフォルムにいくらか差が出てきて」
「いいよ。俺は陽介が選んだのがいい」
引かれた手を逆に引き返して、そこで固まってしまった陽介をずるずるレジへと引っ張っていく。
「陽介」
流石にちょっと重いかなと思って声を掛けるとなんだか俯いていた。
「陽介」
ので、もう一度名前を呼ぶ。そうしてようやく陽介は顔を上げると、こっぱずかしいラブロマンスを目の前で見せられたかのような、純情な顔色をして、「ゆ、ゆうぅ……」とか情けない声を出す。
丸まった子犬が泣きそうにしているみたいで、何もしていないはずなのにすごい悪いことをしてしまった気分だ。
「お、俺はお前がそう言ってくれるの確かに嬉しいよ。お前が俺のヘッドホンを選んでくれたのも、俺の選んだイヤホンがいいって言ってくれるのも。だ、だけどそれってなんかさ」
「うん。何?」
「……まるでお前のこと、束縛したいみたい、って、思っちゃっ、て」
しどろもどろになってそこまで言い切ると、さくらんぼのような色だった顔がトマト並に真っ赤になった。しゅうしゅう湯気が上がってきそうなぐらいに熱そうな色に染まっている。それで思ったまま素直に「陽介、トマトみたいだな」って言うと「お、俺は真面目な話してんの!」と泣きそうな声で言われてあっしまったとか思う。
「俺も真面目に話してるよ」
「それはわかるけど!」
「うん。だから陽介はそのヘッドホンを俺が選んだんだってことをなんとなく、たまに、一年に一度ぐらいでもいいから考えてくれたらいいなって思ったんだ」
「悠が、俺のを」
「そう。それで俺は、使う度にこれは陽介が選んだイヤホンだって思って、耳に掛ける。そういうふうに出来たらいいかなって。離れてても陽介が俺の耳に掛かってるみたいだから」
畳み掛けるように敢えてにっこりと微笑みかけ(自慢じゃないけど、俺は笑顔には幾分かの自信がある)て更にダメ押しのために肩に手を置くと、とうとう陽介は小刻みに震えながら「お、おまえってやつは」と口ごもった。
その後、「タラシめ……」という観念した声。右手で小さくガッツポーズして見せると目敏く気が付いて「やっぱり確信犯じゃねえか!」と小さな叫び声を上げる。
「お前って本当にいい性格してるよ」
「そうかな」
「そうだ。そうに決まってる。俺が言うんだぜ。俺はお前のこと、結構、知ってるんだからな」
「そうだな。かなりすごく、陽介は俺のことを知ってる」
「……そうかな?」
「そうだよ。だってお前は俺の相棒だろ?」
「…………。――そーだよ!」
すると突然手を振り払われた。
途中までいい感じだったような気がするのに、何故かあっという間に機嫌が急降下して顔色なんかもう赤くも青くもない。普通の肌色。いや、でもどっちかというと赤に近いかもしれない。怒ってるっていう意味で。
レジに無言で向かいながら俺は首を傾げた。
なあ陽介、お前、なんでそんなにむくれてるんだ。
◇◆◇◆◇
喫茶店「シャガール」名物だという悠お勧めの「フェロモン珈琲」を飲みながらなんかよくわかんないけどフェロモンが高まったような気分になりながら俺はでもやっぱりちょっと不機嫌だった。何だろう。すごく俺の中でさっきの何でもない一言が引っ掛かっている。
『お前は俺の相棒だろ?』
実際そうだ。それで合ってる。俺達は親友(だと俺は思っている)で、だけどそれ以上の関わりとして、「相棒」という言葉で表せる間柄にある。なのに何でこんな、鉛玉で頭をぶん殴られたような気分になっているんだろう。何もおかしなことはないし、俺にも悠にも落ち度はないはずなのに。
俺達が向かい合うテーブルの上には二人分のヘッドホンとイヤホンが入っている家電量販店のビニール袋があって、それをテーブルの上に出したはいいものの二人ともそれに手を付けられずにいた。どっちからその話題に触れていいのか……ていうか、これ開けていいのか? ってとこから二人でじりじりにじり寄るように窺い合っている。
まんじりともしない雰囲気。俺はこういうのが一番苦手で、だからこう、ムードメーカーみたいな役割を買って出るような性格に育ったっていうのに、まさか親友とこんな空気の中黙り込むことがあるとは思っていなかった。
いや、親友だからこそ、なのかもしれない。
「……なあ」
「……何」
「悠……鳴上悠」
「どうした花村陽介」
「俺お前とこういうのやだよ」
沈黙を破っておもむろにビニール袋に手を伸ばす。その中からメタリックブラックのイヤホンを取り出して悠に投げ、俺自身はオレンジ色のヘッドホンを手に取る。お互いにまだ、プラスチックのケースに入ったままの新品のイヤホンとヘッドホン。俺が選んだ悠の新しいイヤホンと悠が選んだ俺の新しいヘッドホン。それを、思い切りばりばり封を剥がして開ける。
「何でお前とこんな気まずい感じにならなきゃなんねえの」
「……それは、俺が陽介に聞きたい。どうしてさっき俺の手を振り払ったの」
「どうしてって」
どうしてって。それは……なんか、急にガッカリしてしまったからで。多分俺は何かもう少し違う言葉を期待していたんだろうけど、いや、どうなんだろう? とにかく悠があまりにも普段通りの、「俺達特捜隊のみんなは仲間だから」と言うのと同じように、特別なのかもしれないけどそれほどでもないっていうか、そんな感じの声色をしていたから……なんだと、思う。
開封したばかりのヘッドホンをぼすりと身に着けて、ウォークマンにコードを繋いだ。流石に値が張っただけあって、音質は申し分なく、昨日まで現役だった元のやつにひけを取らない。
悠もイヤホンを取り出して少し苦労しながら(あの型は、初めて耳に付ける時確かに少し戸惑いやすい)耳に掛け、ウォークマンに繋いだ。
「俺の思ってる『相棒』と、悠の言う『相棒』が、違う言葉みたいに聞こえたんだ」
殆ど独り言だった。独白に近い。懺悔ではないけれど。急に空気を悪くしてしまったのは俺だったし、どうしてと聞かれたら、それを答えなきゃいけないような気がして、俺は素直にそう吐いた。
「俺は相棒って、友達よりも上? って言うとなんか変なのかもしんねえけど……もーちょっと特別なもんだと思っててさ。なのに悠がすごいふつうに『相棒』って言ったから。なんか……俺だけ一人で勘違いして舞い上がってるみてえな、そういう……惨めな気分になって」
「うん」
「勝手に盛り上がってた分一瞬で冷めたみたいになった」
俺の言葉を悠は相槌だけで遮らずに聞いてくれる。俺が黙り込むと、悠はイヤホンを耳から外して、突如身を乗り出すと俺のヘッドホンにするりと手を伸ばして引き摺り降ろした。予想していなかった出来事に「へっ?」とか間の抜けた声が漏れる。
悠はヘッドホンを綺麗に俺の肩に掛けると、それで身体を引っ込めてソファに座り直した。頭が上手く追い付かなくて目を白黒させていると、んー、と一つ唸ってから自分のイヤホンを肩に掛け直して、
「ヘッドホンは、拒絶の証だって」
そして唐突にそんなことを言った。
「拒絶の証。話しかけて欲しくないから……余計な関わりを持ちたくないから……耳にふたをする」
「……え」
「っていう話を、昔聞いたんだ。その時俺はなるほどそういう考え方もあるかなって思って、自分の世界に引きこもりたいっていうのはままある欲求だな、とだけ自分の中で結論づけた。俺にもあったし。触れて欲しくないとか……必要以上の、深い関わりは持たなくていい、持ちたくない、っていつも大体心のどこかで思ってた。俺はしょっちゅう転校繰り返すタイプだし。あっちこっちに深い繋がりは、持つだけ無駄だって……いつか、薄まってしまうのならば」
それなら、そんなものはいっそなくてもいいかな。悠の目はどこも笑っていない。無駄? 必要ない? ――無意味? 言葉達が俺の頭の中を駆け巡って濁流になり、そしてブラック・ホールに呑み込まれるようにして消えていった。深い繋がりが怖い。いつかは消えてしまうものだから――
夏の日に覗き見た「鳴上悠」の深層意識。それがぶり返す。
「「だけど、」」
気が付けば俺達は同じ言葉を同じタイミングでまるで初めから示し合わせていたかにようにぴたりと重ねて口にしていたのだった。
「あ、」
「あ……」
俺が悠のイヤホンに手を伸ばしたと思った時には悠も俺のヘッドホンに手を伸ばしていて、新品つるつる、ぴかぴかの本体にお互いの指を這わせていた。逃したくないから両腕を掴もうとする代わりに、俺達は俺達自身が選び合った機械に指をかけている。
「だいじょうぶだよ」
悠が言った。
「陽介が言いたいことはわかってる。『そんなことはない』、だろ? 俺も今はそうとも限らないって思ってる。そうでなきゃ陽介に俺の選んだヘッドホンをして欲しいとも思わないし、ましてや、俺のイヤホンを選んで欲しいなんて絶対に思わない。俺が身に着け続けるってことは、これを持っている限り俺は陽介を忘れられないっていうのと同意義だ。逆に言えば……俺は陽介を忘れたくないからイヤホンを選んで貰ったし、俺がヘッドホンを選んだのは」
「俺に忘れられたくないから?」
「そういうこと」
ヘッドホンを撫でていた悠の指がヘッドホンを掴み取って、ずるりと持ち上げ、俺の頭に付け直す。その指で悠はイヤホンを自分の耳に掛け直すとお互いのウォークマンに繋がっているケーブルを引き抜いて、俺のケーブルを悠のウォークマンに、悠のケーブルを俺のウォークマンに繋げた。再生されていた音楽が切り替わる。入れ替わって、エクスチェンジして、たったそれだけなのにまるで世界が変わったみたいな衝撃が俺を襲った。
「無意味なんかじゃないんだ」
ウォークマンで何度も何度も繰り返し聞いてきたお気に入りのJ−ポップの代わりに、耳慣れない洋楽が俺の耳の中へ入り込んでくる。鳴上悠の選んだ音楽が、鳴上悠の選んだヘッドホンを通して俺の中へ流れてくる。悠が普段見ている視界の一部を覗き見しているみたいでなんだか少しおかしな感覚だ。だけどそう感じたのは悠の方も同じみたいで、
「なんかちょっと変な感じするな」
と困ったみたいに、だけど嬉しそうに笑った。
「陽介って普段こういうの聴いてるんだ」
「お前、やっぱこういうの聴くんだ」
「うん。向こうに住んでたこともあるし、割と馴染みあるから」
「俺はさっぱりだな。真面目に聴いたの、殆ど初めてかもしれない」
「You'll let me hold your hand……I'll let me hold your hand……I wanna hold your hand.」男性ボーカルが軽快に歌い上げていく。流暢すぎて正直上手くは聞き取れなかった。俺の英語の成績は言うまでもないけど惨憺たるものだ。
ただ、まったく聞き覚えのないものでもなくて、いつかどこかの街角で流れていたような、そんな懐かしい感じのする歌だった。鼻歌で合わせると、悠が俺の言わんとすることを察したのかウォークマンの画面をこちらに見せてくれる。ディスプレイに表示された曲名は「I want to hold your hand」。アーティストは「THE BEATLES」。
「『君のその手を握っていいですか』、って曲だよ」
いい? って尋ねてくる。嫌だよと言う理由も義理もないので頷いた。俺達の手の大きさは、身長が高い分やっぱり悠の方が俺より僅かに大きく広く、だけど不思議と敗北感とかそういうものは感じなかった。
「陽介はさ、陽介の言う『相棒』と、俺の言う『相棒』が、違うものみたいだって言っただろ」
「うん。言った」
「それは半分正解で、半分不正解だ」
「……どゆ意味?」
「俺にとって『相棒』っていうのは、すごく特別な意味を持つ言葉だ。だけど、特別なんだけど、それを陽介に向けて言うのはすごく自然で当たり前なことで、特に身構えることじゃない。今更意識しなくても陽介は特別だよ。……陽介は?」
「お、俺は……」
「陽介にとって、俺と、『相棒』って、何?」
悠の目がまっすぐに俺を見ている。
「おれは」
世界中の時が止まってしまったみたいに、それからの出来事はものすごいスローモーションで俺を襲ってきた。
もたつく唇をゆっくり、ゆっくりと動かして一つずつ音を口にしていく。俺は。俺にとって、「鳴上悠」は。
同級生、都会からの転校生同士、一番最初に秘密を共有した仲間、ペルソナ使い。特別捜査隊のリーダーで、文武両道、カリスマも男気も寛容さも根気もあらゆるパラメータがカンストしてんじゃねえのってぐらいパーフェクトなやつで、俺には敵わないってずっと感じてた。だけどそれでも、完璧に見えても、やはり鳴上悠は「人間」で。俺と同じ歳の等身大の高校生で。普通に悩むし怖いこともあるし出来ないこともあって。
普通に、当たり前に、俺のそばにいてくれる。
「俺にとってお前は鳴上悠だ」
「そうだな。俺にとって、お前が花村陽介なのと同じで」
「そう。それで、鳴上悠は、俺の親友」
「それも同じ。花村陽介は俺にとって親友だ。……それで?」
悠は遠慮も容赦もなく言い淀む俺にその先を促す。背景、ヘッドホンの中では相変わらずビートルズが流れていて、今は丁度「Say you don't need no diamond ring and I'll be satisfied……Tell me that you want the kind of thing that money just can't buy」と(多分)ポール・マッカートニーが歌っているところだった。――「愛は金では買えない」。
「俺は悠を特別な一人の『相棒』だと思ってる」
「ふむ」
「替えは利かないし。何かの代替品でもない。鳴上悠は鳴上悠で、そうでしかなくて、ええと……」
「ええと?」
「ええと……その、だな……今、俺が、一番よく考えて、出来ればそれと同じであって欲しい、相手なんだと、思う」
「――そうか」
悠の指先が俺の指先を掴んだ。
繋ぎ合わされた指先から、悠の指先の温度が伝わってきて、いつもの倍以上に大きく心臓の鼓動がどくどく聞こえてくるようだった。俺が生きてる人間で、高校二年生なのと全く寸分も違わず、悠も高校二年生の男子として地に足を付けて生きてるんだってことが脈を通じて伝わってくる。そうして鼓動を繋げているとそれがものすごく「特別」なことのようで、嬉しいけど、反面やっぱり気恥ずかしい。
俺からまんまと答えを引きずり出すことに成功した悠は、どうやらそれが望んだ通りのものだったのか、そうでもなかったのか、まあまあだったのか、どうなのかは知らないけれどご満悦と言った表情で俺のウォークマンが流している音楽に合わせてハミングをしている。ミスチルの「しるし」の出だし。何だろう。急に不安になった。
聞かなきゃ。俺も悠に同じ事を問いただす権利があるはずだってそんな気分になってきて、悠と繋げたままの手を逃すまいと握り返す。悠が驚いたように俺の顔を見た。きっと今俺は必死な顔をしてるんだろうなってそんなことをぼんやりと思う。
それでも構わなかった。
別に、そんなの、今更だ。
「……それで、お前はどうなんだよ、悠」
「俺?」
「お前以外にいないだろ。俺だけ答えるのは不公平だぜ『相棒』」
含みを持たせて聞いてやる。俺達の指先は相変わらず繋がったままで、ヘッドホンとイヤホンから伸びるコードはテーブルの上で交差してお互いのウォークマンに刺さり、お互いの世界の一端を耳から流し込んでいる真っ最中だ。
知りたい? と悠の声。知りたい、と答えを返すとじゃあ教えてあげる、と悪戯っ子みたいな声で言う。
「俺も、夏ぐらいからずっと陽介のことばっかり考えてる」
悠が俺を握る力が、ほんの少しだけ強くなったようなそんな気がした。