の頃みた未来を



「お兄ちゃん本当に大丈夫? わたしたちが行かなくても――平気?」
「ああ。自分一人の身の安全くらいならなんとかな。俺はむしろミストの方が心配だ。おまえ、ちゃんと家庭を持てるのか」
「お兄ちゃんに言われたくないよ! 女の人からの告白みーんな蹴って見ず知らずの大陸を目指そうっていうんだから!」
「決めてたことだ。テリウスの安寧が確認出来たら他所へ行こうと思ってた。世界は、広いから」
「もう……そんなこと、言って……」
 兄の揺らがない意思に、ミストは急に別れを実感して切なく淋しくなった。今生の別れというわけではないと兄は言うが、目的が目的だ。生きて帰れる保証なんて何処にもない。
「……そっか、お兄ちゃん、行っちゃうんだ」
「……今更だな」
「だって、今の今まで全然実感わかなかったんだもん」
 溜め息を吐き、アイクはミストの肩を抱く。子供をあやすように背中をさすると、ミストはしかめっ面になった。
「いつまでも子供扱いするんだから。ふんだ、お兄ちゃんがいなくなったら大恋愛をして、お兄ちゃんの知らないうちに結婚しちゃうもん。帰ってきてびっくりしても知らないからね」
「ああ。せいぜい驚いてやるよ」
「むううう……」
 今度は膨れっ面になったミストの顔を、少しの間名残惜し気に眺める。くるくる変わるこの妹の顔もしばらくは見納めだ。自分で決めたこととはいえ、アイクにだって感傷がないわけではない。
 だからアイクはミストのほっぺたに軽くお別れのキスをして、すぐに彼女と距離を開けた。
「行ってくる。またその内、帰ってくるからな。――セネリオ、行くぞ」
「はい」
 何故か面白くなさそうな面持ちで現れたセネリオは、しかし主に従順に付き従って長らく暮らしていたホーム……傭兵団の砦をを見渡す。
 それなりに長く住んでいたはずなのだが、セネリオはあまり感慨を感じなかった。
 薄情だと言われればそうなのかもしれないが、セネリオに言わせればそれは単に関心が薄いだけのことである。
 住み慣れた土地でなくとも、アイクの隣ならばあんまり関係がないのだ。ある意味犬の習性に似ていた。
「行ってらっしゃい、二人とも。気を付けてね」
「ありがとうティアマト。身勝手かもしれないが留守を頼む」
「ええ、勿論よ。任せてちょうだい」
 ティアマトが手を振り、アイクもまた振り返す。セネリオは軽く会釈をしてそれに応える。
 前を向いた彼らは、それきり振り返らなかった。



◇◆◇◆◇



「セネリオ、まずは何処へ行けばいい?」
「…………ベグニオンかゴルドアです」
「……おまえ、機嫌悪いな?」
 セネリオの調子に耐えかねて、アイクはそう問うた。さっきからずっと無言だったのだ。必要最低限の返事はするが、それだけなのである。
 確かにセネリオは無口な方だが、アイクに対してはそれなりに饒舌であるのが常だ。
 何が彼の琴線に触れてしまったのか考えて、アイクは出掛けにミストにキスしたことを思い出した。
 幼い頃、母エルナにキスされて眠りに就いていたアイクからしてみれば、家族間のスキンシップとしてのキスはごく当たり前のものだったのである。大きくなるにつれ、ミストは父からのそれを嫌がるようになっていったが(まあ……当たり前と言えば当たり前だ)アイクは別に嫌がられなかったのでそういうものなんだと思っていた。
 ミストはいわゆる「お兄ちゃん子」なんだろうし。
 別に変なことではない――つもりだったのだが、もしかしてセネリオからしたらおかしなことだったのだろうか。
 けれどそれで無愛想になるというのも、なんだか不思議な話だった。
「セネリオ」
「……」
「俺がミストにしたことはそんなにおかしなことだったのか」
「……は?」
「いや、だから。俺の行動がおまえの常識から外れていたから、辟易しているんだろう?」
「え……」
 セネリオはアイクの思いがけない言葉に唖然として、立ち止まった。目の付け所は間違っていないのに結論がおかしい。
 この人の鈍感さもここまでくると暴力的だ。
「別に、アイクの行動がおかしいわけではないのですが。ベオクの習慣としてままあることですし。……ただ」
「ただ、なんだ」
「……そこまで言わせますか……」
 憂鬱そうにそこで言葉を切ると、セネリオは物欲しげにじいっとアイクの顔を見つめた。頬を膨らます子供の表情にも似たそれは、軽い嫉妬の感情。
 単純に言えば焼きもち、だ。
「もしかしてセネリオ」
「そうです。やっとわかってくれましたか」
「腹が減って不機嫌なのか」
「なんでそうなるんですか!」
 セネリオは頭を抱えて怒鳴ってしまった。信じられない。デリカシーがないなんてものじゃない。だから彼女とか出来なかったのだ、この人は。
 何故今の局面で腹が減ったという結論になるのだ。アイクじゃあるまいし!
「僕はもっと繊細な話をしているんですよ! 馬鹿ですかあなたは、馬鹿なんですか! それだから脳筋だと思われたりするんです。僕は――」
「うん。知ってる。焼きもち焼いてるんだよな」
「なっ……え、あ、あなたはっ!!」
 わかっててはぐらかしたんですか、と真っ赤になって抗議するセネリオをアイクはぎゅうと引き寄せて抱き締めた。抵抗はない。セネリオはそれが嬉しいから。
「まさか最初からふざけていたんですか」
「いや。途中でな。いい年して子供っぽい表情をするから」
「う……」
 言葉に詰まって、セネリオは視線をあらぬ方向に泳がせた。アイクにいいように遊ばれていたような気がして虚しいのだが、それ以上に恥ずかしい。
 子供だと思われてしまった気がする。
 心臓が音を立てているのも、密着しているからきっとばればれだ。ああ、恥ずかしい。
「もう……なんとでも……」
「どうした急に……」
 ええいままよ、と諦めたような声を出すとアイクは心配そうな顔をして、腕の中のセネリオの向きをくるりと変える。セネリオはまるで憔悴しているようにアイクの目に映った。
「セネリオ」
「はい」
「宿を取ろう。もう夕方だし」
「はい?」
 突然の申し出にセネリオは目を丸くした。
「え……何故……」
「こんなに心臓の音がうるさい奴をこれ以上歩かせるわけにはいかない。顔が酷く疲れきってるしな」
「それはあなたのせいです」
「いいから。だったらなおのことな」
 セネリオは一応異を唱えてみるが、反論虚しく押し通されてしまった。



◇◆◇◆◇



 あまり広くない室内。
 窓から、月明かり。
 ベッドとソファが一つずつ。
 無理矢理ベッドに寝かしつけられ、セネリオは手持ちぶさたに寝返りを打った。
(あの主人……絶対僕のこと女だと思ってる……)
 ダブルサイズベッドの部屋しか空いてないなんて言っていたが、あの笑顔はどう考えても作為的なそれだ。何がお大事にだ、白々しい。
(アイクも気付かないし)
 部屋に入って一つきりのベッドを確認するなり、「おまえあれで寝ろ」、ときた。いっそ床で寝てやろうかとも思ったが、折角の好意を無為にすることは出来なかった。
(暇だ……)
 アイクは何故か宿に自分を置いて出掛けてしまった。やることはないし、もう本当に寝るしかない。
 仕方なしに、セネリオは目をつむり眠りに落ちていった。



 何か、あったかいものが触れている。ただそれはあたたかなだけでなく、自分を圧迫しているようだった。重苦しい。
「なん……」
 目をこすり、圧迫してくるものを見る。眠気は一秒とたたないうちに綺麗さっぱり消え失せた。
「あっ、アイク!!」
「んー……?」
「んー、じゃないです、起きてください何やってるんですか!」
 通りであたたかいわけだ。信じられないことにアイクはパンツ一丁で隣に寝ていた。野営地ではないから寒さとかはそれで大丈夫かもしれないが、セネリオからすればまったく大丈夫ではない。
「服、せめて服を! っていうか僕床で寝ますから、そうですそれがいい」
 男性なのだから、寝床でパンツ一丁であることはそこまでおかしなことではないのだが。セネリオが駄目なのだ。
 多分このままだとアイクの裸を意識してしまって一晩中寝れない。
 とりあえずベッドから出ようとセネリオは上体を起こそうとするがものすごい力でそれを阻まれた。
「えっと……離してください」
「嫌だ」
「何でですか」
「あったかい」
(寝ぼけてる……)
 セネリオは言い知れない寒気を覚えて顔を青くした。いや確かにアイクが触れているところは熱いぐらいなのだけど。これは寒気だ。
 寝ぼけ眼で自分を見つめているその顔は、子供のような無防備さであるのにも関わらず、セネリオがその瞳から目を逸らすことを許さなかった。怖いような、嬉しいような。なんとも言い難い感覚をも覚える。
(くらくらする)
 アイクに触れられるのは嬉しかった。肌で感じる体温も。耳元近くに感じるくすぐったい吐息も。少し癖の強い髪の毛も。彼の全てを愛している。
 けれどそれは何か間違った感情なのだと、そうセネリオは一線を引いている。敬愛が信愛でなくなってしまうことを恐れている。実際、それはもうそんなものではないのかもしれないけれど。
 それでもセネリオは、いつかラインを越えてその想いがプラトニックではなくなってしまうことを恐れている。
(だって)
 そうなってしまったら、例えこの人であろうとももう自分を大切にはしてくれなくなるだろうから――



「セネリオ」
 アイクが名前を呼ぶ声で、セネリオは現実に引き戻された。はっとして彼の顔を見る。
 その瞳はもう、寝ぼけてなどいなかった。
「セネリオ、おまえ、今何を考えてた?」
「え……」
「いいから言ってみろ。俺はおまえの言葉が聴きたい」
 柔らかく笑って、セネリオの黒髪を撫でながらアイクはそう言った。一見優しげにも聞こえるが、とんでもない――悪魔のような囁き声だ。
 嘘を吐いて濁して、隠して逃げたりしないで吐いてしまえと言っているのだ。
 更に恐ろしいことには、その笑顔に逆らえる気がさらさらしないことである。
 まったく、麻薬か媚薬のようだ。
「その……あなたの、ことです。そのまま眠ってしまわれるようだったら、僕が床で寝ようかと」
「それはもうちょっと前に言ったことだろう。今、考えていたことは」
「それは……」
 続く言葉もなく俯いてしまったセネリオの顔に、アイクは困ったような顔をする。
「俺にも言えないことなのか?」
「あなただから言えないんです!」
「――じゃあ」
 反応を待つのが面倒になって、アイクはセネリオの顔を引き寄せた。
 顔と顔との距離が、縮まる。
「こうしたら話せるようになるか」
 数秒の沈黙が起こり、微かな音が響く。口が自由になって息を吸えることが確認出来ると、セネリオはやや控えめに叫んだ。
 大声で叫ぶ気力など残っていない。
「何を……するんですか……っ、あなたというひとは!」
「何って。俺がしたかったことを」
「ッ?!」
「昼間から不機嫌だったから。今までしないでおいたけど欲求不満なのなら構わないかと思ってな」
 そんなことを言ってから、家族のスキンシップ、だなんて嘯く。嘘つきだ。アイクのスキンシップはほっぺたにであって唇にではない。いくら家族でだって(特にミストは年頃の少女だから)唇にしたら怒るだろう。
「お戯れを」
 それにセネリオは家族になりたいと思ってるわけではないのだ。
 ただ隣にいたいだけなのだ。
 家族の愛情だなんて。
 そんなの、戯言だ。
「確かに僕は家族くらいの距離感の人間かもしれませんけれど、あなたの家族ではありません。あなたの魔導師であり、軍師ではありますが、家族ではないんです。側仕えは出来ても、家族になんてなれない」
「……傭兵団の仲間は皆、俺にとっては家族みたいなもんだがな」
「そんな大雑把で雑多でいっしょくたな"家族"の認識なんて要りません!!」
 さっきは出なかったはずの叫びらしい叫びが、気付けば部屋に響いていた。
 けれどセネリオはそれに気付けない。感情が昂って、口からぽろぽろ零れ出てしまう。
「そんなものなら要らないんです。不要です。僕が欲しいのは温もりであって、ぬるま湯ではない。あなたの愛情であって、あなたの憐れみではない!!」
「そうか」
 激情に任せて口走る言葉を、アイクの声が遮る。
「俺はそういう本音が聴きたかった」
 含むように笑ったアイクに、セネリオはしまったと思いはっとして口を手でおおう。言ってしまった。
 言って、しまった。
 嫌われてしまう、と恐る恐るアイクの顔色を窺う。しかしアイクは嫌そうな表情などまるで見せず、むしろ嬉しそうに笑っているように見えた。
「温もりが欲しいのならこの熱をいくらでもやるよ。愛情が欲しいのなら、もうちょっと素直になって気付け。おまえにだけは、いくらでもあるから」
「……どういう、」
「憐れんだことなんかないさ。生温い感情を向けた覚えもない。こう言っちゃ何だが、おまえが真剣な時は俺だって真剣なんだ。戦事でなくとも」
 戦事で真剣になるのは当たり前のことだから、平穏である時の方が気を遣っているぐらいだ――と言って、アイクはセネリオの背に腕を回した。
「俺は結構、本気でおまえのことを大事にしてるつもりなんだ」
「アイク……」
「だからセネリオがそれだけ俺のことを思ってくれていることは、嬉しい。望むらくは、もう少しおまえが素直になってくれれば、ってとこだな」
「アイク」
 胸に顔を埋めて、顔を隠したままセネリオは呟く。
「僕はあなたの傍にいてもいいんですか」
「当たり前だ。……俺の傍から、離れるな。だからおまえだけは連れて来たんだろうが」
「僕は、あなたに愛されたいと願っても許されますか?」
「いくらでも、望まなくとも愛してる。セネリオ」
「……はい?」
 抱き締める腕の力が強くなったことに気付き、セネリオはふっと顔を上げる。セネリオが望んでいた言葉を紡いだアイクの顔は真面目なものだった。
 だからセネリオは、静かに次の言葉を待つ。



「俺は、おまえのものだよ。だからおまえも、俺のものだ」



 幸福の言葉を、聴ける気がしたから。



◇◆◇◆◇



「……ずっと、夢見ている光景があるんです。あなたの隣で生きて、共に老いて、あなたの腕の中で朽ち果てたい。印付きであると知った時は少し絶望的になりましたよ。よりによって千の時を生きる竜の血が混じっていたんですから」
「……命を粗末にするなよ?」
「やっぱり、あなたはそう言いますよね」
 苦笑するセネリオの表情に一瞬見とれかけて、アイクは余分な思考を断ち切るべく心中で首を振る。
 今セネリオは物凄く真面目な話をしているのだ。後追い心中を考えたと仄めかすなんて相当のことではないか。
「あなたの命には逆らえませんけれど――正直、あなたが死んでなお守れるかはわからないんです。あなたが老いてゆく隣で若いままだなんて尚更。でも、だからこそ夢を見続けている」
 朝日を受けて輝いているセネリオの顔は愛しかった。並の女性よりもよっぽど美しかった。宝石よりもきらきらしていて、いっそ今ここで抱き締めてしまいたい。
 しかし話の腰を折るわけにはいかないので、アイクは曖昧に頷いて先を促す。
「うん。それで?」
「……アイク、あなた何か考えていますね」
 しかし適当な相槌に聞こえたのか、あっさりと看過されてしまった。
「……ああ、すまん。話の腰を折るかと思って……」
「その態度の方が気に入りません。何を考えているんです」
「いや……その。抱き締めてしまいたいと」
 言っているうちに我慢できなくなって、細い華奢な体をかいなに抱いた。
 セネリオが慌てて視線で抗議してくるが、赤らんだ頬が可愛らしくてあまり意味がない。むしろ煽っている。
「人通りがないからまだいいですが、ここは一般の街路ですよ?! もうちょっとですね……」
「すまん。話は後で聞く」
「は?」
「時間はまだたくさんあるんだから」
 旅が続く限り、命が続く限り、時間はあるのだから。
 だから今は抱き締めさせて――とそんな旨のことを途切れ途切れ言うと、セネリオは少し呆気にとられてそれから小さく頷いた。





 傍にいれば、いつか魔法みたいなことがあるかもしれない。
 テリウスを離れて、やがて見知らぬ場所へ出て。様々なことがあるだろうけれど、さした問題にはならないだろう。
 ずうっと馬鹿みたいに思い悩んできた。嫌われたらどうしようとそれだけを危惧して生きていた。
 愛してもらえると思ったことはなかった。

 幼い頃に夢見た、いくつかの未来。
 あの日手を差し伸べてくれた彼の隣にいること。
 少年は満たされることを知らなかった自分に、生まれてはじめての「幸せ」をくれた。
 寄り添うように傍にいたかった。
 誰かに受け入れて貰いたかった。

 それが叶ったから、だからいつか、願いは叶うかもしれない。
 あの頃夢みた未来を願って。
 愛する人の隣で、生きていく。







(無理矢理)Fin




あとがき
すいませんむず痒いです
誰か一思いになじってください
私の頭の中が少女漫画すぎた

セネリオは一人でしょいこんで誤解したまま呑み込んでしまうタイプだと思うんです。一歩引いて影に徹するのが最善だと思ってる。
愛されたいんだけど口に出しては言えない。
今ある些細な幸福を壊してしまうことを恐れている。
愛してるから――遠い。



しかし暁が終わるまで手出しなしって奥手すぎないか
プラトニックじゃなくても、いいんじゃない?(爆)