石膏



 少年時代はいつ終わったのだろうか、とふと思う時が幾度かあって、しかし結論はその度ばらばらだった。父が死んだ時? 軍を率いることになった時? それとも初めて人を殺めたあの初陣の日の時?
 そもそも、子供だとか大人だとかそういう定義の存在そのものが何か曖昧な感触であるような気がした。子供だから、とか大人だから、だとかいうのは言い訳だ。
 不出来な逃避ツールに過ぎない。
 今の自分はもう子供扱いされることはない。逞しい体つきに二十歳を超えた年を鑑みれば、それはまあ当然のことではある。
 けれどいつの瞬間から大人扱いされるようになったかはあまり覚えていなかった。少なくとも、ある日を境に急に態度が変わるとかそういったことはなかったから。
 でもこの感情に名前を付けたのがいつなのかは、それなりにはっきりとクリアな感触を伴って記憶していた。



◇◆◇◆◇



 気が付けば、視線で追っていた。
 雪華石膏みたいに真っ白な素肌や長い黒髪、細い指先、滑らかな足。
 自分にだけは健気な視線を見せる、紅い瞳。唇と頬。
 時折はっとしてしまって、それから「何をやっているんだ」と自省した。そこは戦場のど真ん中であったり、書類が山積みの職務デスクの前であったりしたからだ。
 ぼおっとしている暇などない。
 けれどもどうしてそうしてしまうのかはあまり判然としていなかった。ふと気付くと見ている。それが然程不自然なことだとは思っていなかったのだ。
 自分にしか懐かなかった小さな魔導師を気にかけるのは、至極当然のことだったから。
 もう何年も。



「患いかぁ? アイク坊や」
「……患い? 風邪はひいていないが」
「ケッ、無自覚かよ……。見てる方が痛たまれねぇ。なんとかしろよ、チラチラチラチラしやがって集中出来ねえ」
「すまん、意味がわからん」
「……ハッ。とことんお子ちゃまだよなぁ坊やは。ま、今のではっきりはしたぜ。お前のは麻疹だな」
「はしか?」
「そうだよ。下手すると一生治んねえかもな」



 だからある日シノンとかわした会話の意味もまるでわからなかった。
 患い、だの麻疹、だの。
 別に率直な揶揄だったから、気付いてしまえばあとは――赤くなるばかりだったけど。
 ばればれだったのか単にシノンが聡かったのか。
 出来れば後者であることを願う。



 それでも、気付かされる日というのは来るもので。
 セネリオが自分に向ける視線がいくらかの意味を持っていて、時折それが特殊なものであったことに気が付いたのはデイン国王アシュナードとの決戦がいよいよ迫った頃のことだった。
 いい加減我慢が出来なくなり、夜になって天幕の外で問い詰めた。
 何にそんなに塞ぎ込んでいるのか。
 どうしてもそれは俺に話せないことなのか――と。
 それを問うのは二度目のことだ。
 俊遵して目を泳がせ、ややあってセネリオは口を開いた。


「僕は……恐らく、【印付き】なんです」
「あなたに嫌われてしまったら……もはや僕は、生きてはいけないから……」
「だから……あなただけは僕にとって特別になったんです……」


 健気にすがる様はいじらしく。
 嫌悪を恐れ、居場所を求める姿は消え入りそうに儚く。
 その時になって初めて違和感を覚えた。

 果たしてこれは思慕の一言で片付けてもよいものなのだろうかと。



◇◆◇◆◇



「気付くのが遅いな、少年」
「そ、そうか……」
「ああ、遅い。遅いとも。少なくとも私がこの軍に参加した頃には既にそうだった」
「……そう、か。俺は……気付いてやれなかったんだな……必要とされていることに。大切に思われていることに」
「……その顔。どういう"大切"か理解していないな? まあ……いずれは気付くことか。俺が口を挟むのは芸のない節介だな」
「?」
「いや、気にするな。……恐らくは、もう幾年も前からそうなのだろう。それが当たり前で、おまえは気付く機会を失っていた。つまりそういう話だろう?」
「あ、ああ……そうだな。きっとそうなんだろうな」
 覚束ない生返事で、アイクはソーンバルケに返答をした。にわかにソーンバルケの眉が動く。どことなく面白がっているようだった。
「若い。若いな。私にもそういう頃があったものだ……老いてからでは取り戻せないものも多い」
「年寄り染みたことを言うな。まあ、あんたにとっては俺なんぞほんの若造か」
「剣士としてはともかくとしてもな」
 だがまあ、若人はそれでいいなぞとのたまってソーンバルケはアイクの肩に手を置く。暗に頑張れよ、と言っているその手の平にアイクは顔をしかめて振り払った。
 何か意味もなく不愉快だった。



◇◆◇◆◇



「はい、アイク。僕はいつまでもあなたの傍に……」
「……セネリオ」
 恍惚とした表情。崇拝の入り交じった、行き過ぎた思慕と情愛の表情。
 それでもって己を見上げ、見つめる参謀にアイクは密かに眉を寄せた。これは、当たり前? いつもの、ことで良いのか?
「あ……。どうかされましたか? その、不快でしたのなら……」
「いや、不快じゃあない。だから別に謝らなくていい」
 アイクの表情の変化を敏感に感じ取り、顔を曇らせたセネリオに機先を制してストップをかけるとアイクは彼の薄く上気した頬を撫でた。触ると、きゅうと目を瞑る。小動物みたいだ、と思う。
 よくなついたちいさな獣。
「アイク……」
 ありがとうございます、とはにかんで応える彼は堪らなく愛らしかった。愛玩動物が与えるような、柔和な印象。
 けれどセネリオの本質はそんなものではないし、アイクが求めるものもそんなものではない。セネリオはもっと鋭利な爪を持った獰猛な獣だ。怒り、牙を剥いた彼の冷徹な表情をアイクは知っている。
 そしてこの柔らかい表情、恍惚の眼差しを向けるのは自分にだけだということも、知っている。
 自分にだけ笑いかけて。自分にだけ甘えるような仕草を見せて。
 自分にだけは、無防備な姿を晒す。

 そしてそれが異常だということも――アイクは薄々知って、いる。

 けれども。
「あっ、アイク?!」
「……悪い。もう少しだけこのまま……」
 アイクはそれが嬉しくてたまらなかった。彼が自分だけを愛してくれているような気がして愛しくて愛しくてたまらなかった。
 けれど時折、ちりちりと心が痛む。
 背徳心、罪悪、慰謝。そういったものから来る負の感情。
(ああ……多分、いつか俺は、)
 このちいさく美しい軍師を、汚してしまう――



◇◆◇◆◇



 雪が降っている。粉雪がぱらぱらと降り、大地をうっすらと白に染めてゆく。
 何度目かの冬だった。セネリオと出会ってから、何度目かの。
 傭兵団の砦はすっかり冬支度を終えて数ヶ月は籠っていられるだけの食料を蓄えていたが、かといって冬の間をずっと砦内で過ごすのかというと別にそうではない。雪をかいて道を作り、依頼は通常通りこなしていく。
 ただ、季節柄大規模な依頼は少なく(大概が修繕依頼やらでシノンの愚痴が増える季節でもある、)砦にいつもより多く人がいることも確かだった。
「また、この季節が巡ってきたんですね」
「……ああ。いやに感傷的だな。おまえは冬が嫌いだったか?」
 そんな記憶はないんだが、と不思議がるアイクにセネリオはいえ、と短く否定の言葉を返して書類を捲った。
「別にそういうわけでは。ただ、一日中屋内に籠っている日が増えますし、窓の外を覗いても一面真っ白なものですから。ふとものわびしくなってしまうんです」
「ふうん……俺にはよくわからん」
「それでいいんですよ」
 感傷的に物思いに耽っているあなたを見た日には大雪どころか天変地異でも済まなそうです――だなんて言って、セネリオははにかんだ。言い方に多少むっとしなくもないが、それ以上に可愛らしい。
 ……いつからだろう、可愛いと思うことに抵抗を覚えなくなったのは。
 やっぱり、先の大戦で印つきとやらの話を聞き出したあたりでか。
 自分だけを特別だと言い切って求めてきてくれたあの日。
 心を許して泣き付いてきたあの日――
(……いかん)
 ふるふると首を振って、理性の活性を促す。セネリオは自分の軍師だ。しかし軍師であるだけでものではない。求められないのならば……求めてはならない。
(なんなんだろうな、このはっきりしない感触は)
 もやもやしてべたりとまとわりつき、くすぐったい感触。
 自分だけに見せる笑顔が可愛い。それを閉じ込めてしまいたいと小さく主張する自分と、皆に知らせてやりたいと鼻高々に言う自分。
 仄かな独占欲と高慢な親心。
「俺は……」
「? どうかしましたか、アイク」
「お前の何になりたいんだろうな」
「……随分とまたわかりきったことを訊くんですね」
 アイクの台詞に、セネリオは即座に言葉を返した。
「あなたは、僕の絶対です。あなただけが僕の永遠です。それだけですよ。僕の世界に神はあなたしかいませんから」
「それはちょっと大袈裟すぎやしないか?」
「いいえ?」
 アイクが顔をしかめたことに気付いていないのか、まったく意に介さずセネリオの言葉は続く。
「僕は、あなたになら、」


「何をされても――」





つづかない(爆)



いつもアイ←セネなのでたまにはアイ→セネでもいいかなと思ったら最終的にアイ→←セネになっていたという非常に情けないお話
しかも収集つかなくなってたというオチまでついていた……
個人的にアイクはセネリオに教授してもらうまでまじで何も知らない「キス=白身魚認識」レベルの人間だと思っているのですが、まあたまにはそうじゃないアイクさんでもいいかな、とか。とか。
言い訳。
あとシノンさんが好きです。シノンさんは一番そういうの鋭くて、セネリオがアイクをどういうふうに見ているのかとか真っ先に気付いていそうなイメージがあります。
多分原因は蒼炎18章のシノンとセネリオの戦闘会話のせいじゃないかと思うのですが……

シノン「これはこれは…すっかり一人前の兵士気取りか?
    貧相なお前は、頭を使うのが仕事なんだから…前線なんかにゃ出てこねえでアイクの後ろに隠れてろよ
    なあ、セネリオ?」

これは、ねえ……? 多分気付いてたんじゃないですかね……?
あとソンケル先生がウザイのはそういう認識だからですサーセン。

このあとアイクは何かを悟ってセネリオが色々とアレな事態に陥りそして二人旅に出るんじゃないかと思う。何でもないですごめんなさい
あとタイトルに深い意味はなかったりします。