Don't stop my heart!!



「レオン王子、呪いが得意なんだって?」
 思いがけない一言だった。けれど彼にとってはたぶん、何気なくて……さりとて深い意図のないような。ぎょっとした顔で振り返ると、「なんだよそんな顔して」と逆に驚かれてしまう。レオンは「だって」と言いたい気持ちをぐっと堪えると、自室のベッドの上で寛ぎ、脇に積み上がった本の山に手を伸ばしている彼に問いかけた。
「どこでそんな根も葉もない話を」
「うちの、ヒナタが。ええとほら、この前サクラがアクア姉さんが歌姫として立つとかでアミュージアに行っただろ。その時に、護衛で一緒になった君のところのオーディンから聞いたと」
「ああ……オーディンか……まったく、あの馬鹿……」
「なんでも『レオン様に呪われる』だとか。たいそう真に迫っていたので、こりゃあ相当な呪い師だとヒナタが震えていた」
 ヒナタの震え方もなかなか切迫していて面白かった。タクミが気取らない声で言う。レオンは気持ちを落ち着けるために深呼吸をすると、「タクミ王子」咳払いを一つして今一度注意深く、タクミの姿を上から下まで見遣った。
 タクミは今、普段の重たそうな戦装束を脱ぎ捨て、簡素な和服――甚平とか言ったか――を着て足をぷらぷらさせている。すっかり気が緩みきっていて、緊張感などかけらも見受けられない。レオンにじっと見られていることに気がつくと「何か?」と素っ気なく聞いてはくるがそれだけだ。
 それを確かめて、レオンはある一つの考えを巡らせた。呪いの類というのは、気が張り詰めている人間には効き難く、そして気が緩んでいる人間には概して効きやすい。カムイに度々指摘される「悪いことを考えている時の顔」をしてしまわないように努めながらレオンは後ろ手に本を探った。確かこの辺に積んでいたと思うのだが。
「断っておくが僕は別に呪いが得意なわけではないし、今のところ使ったこともない。そんなまどろっこしいことをするより戦場で直接屠った方が早いからな。だが」
「なんだよ」
「……出来ない、とも言わない」
 レオンの目が妖しく光る。タクミと同じく軽装……薄手のルームウェアを一枚羽織っているだけの姿で怪しく笑い声を立てる姿はどうにもアンバランスで、タクミが珍しくレオンに対して引き気味の態度を見せたが気にしたことではない。探り当てた本を手前に取り出し、ページを開いた。レオンが哲学書の他に趣味で収集している稀覯本の一つだ。魔術書、それも「ちょっとした」「軽い」呪いを集めた本。
「ま、待て! あんたその本……おい、ちょっと、今は風神弓持ってな……!」
「久しぶりに君にあんた呼ばわりされたな。南国争奪戦の時以来だ。新鮮な気がするよ」
「別にそんなに久しぶりじゃないだろ! ああもう、だからやめろって……嘘だろ?! 友達に向かって呪いをかけるやつがあるか?!」
「逆だな。僕は君をとても大切に思っている。だから信用してるんだ。君なら許してくれるだろう?」
「ばっ――ばか!!」
 早口の詠唱にタクミの顔が引きつった。凄絶な笑みをさえ浮かべ、レオンは生まれて初めて口にする呪文を淀みなく唱え上げていく。タクミがじりじりと後退していくが、すぐに壁に当たって行き場を無くしてしまった。でも大丈夫だ。そんな嗜虐心をそそりかねない顔で怯えなくたって、いくら何でも親友にそんなに酷い呪いはかけたりしない。
 そういえばこの本はどういう経緯で手に入れたのだったろう。ふと、長い詠唱を紡ぐ傍らでそんなことをぼんやり考えた。レオンの魔術書収集趣味の対象は多岐に渡り、探して探してやっと手に入れた本から偶然見かけてそのまま手に入れたものまで種々様々だ。この本は確か後者だった気がする。街で見かけて……後ろに着いてきていたオーディンが妙にテンションを高くしながら、「レオン様これ! この本は是非購入するべきですよ! 闇より溢れいずる静謐と忘我、有終の美を飾るは仄かな郷愁、零落には早く結実には」……途中で遮ってしまったが、そんなような感じで興奮して入手を勧めてきたのだ。
 面白そうな本だったのでなんとなくレオンも勧められるままに購入し、帰宅した。この本に載っている呪いを使うのはそういえば始めてだ。
(……今更だけどなんか少し不安だな? いやでも、軽度の、ジョークで済ませられるような呪い、この本ぐらいにしかなかったし……)
 そう、気が付いた頃には既に遅かった。魔術に秀でた優秀なレオンの身体は既に初めて使用する呪文を一文字も違わず読み上げ終わっており、巨大な魔方陣が床に映し出される。タクミを中心として――いや、違う。レオンはその事実に気が付いて我が目を疑った。魔方陣はタクミとレオンを中心とし、二人をすっかり包むようにして展開されている。
「まずい……っ?!」
 魔方陣が一際眩しく光り輝き、その直後、爆発音が起こる。火が出たわけでもないのにもくもくと煙がわき上がって二人の姿を覆い隠した。「レオン王子! あとで覚えてろよ!」というタクミの涙声。煙が目に入ってしまい、二人してむせ返る。
「ああ、もう、散々だ……」
 間もなく煙が晴れ、レオンはげほげほと噎せ込みながらそうぼやいた。そしてそこではたと動きを止める。身体中に酷い違和感があるのだ。自分で発したはずの声が、思ったよりも随分と高い。まるで変声期を迎える前の子供のように。
 そしてじっと手を見、ぺたぺたと頬を叩いて、もの凄い勢いで頭をぐるりと回すとタクミを凝視した。
「……まさか」
 思った通りだ。固まりそうになった思考回路をなんとか動かしながら、だらだらと冷や汗が流れ落ちていくのを感じ取る。目をぐるぐるに回して床に倒れてしまっているタクミのそばに出来るだけ早く駆け寄ると、肩を掴み取ってぐらぐらと揺らした。一瞬呆けた表情を晒した後、すぐにタクミは剣幕を取り戻して「レオン王子!」レオンの手を払おうとする。だけど出来ない。伸ばされ掛けた手は宙で止まり、タクミは上から下まで三往復分もじろじろとレオンの姿を凝視すると、ぶるぶると身体を震わせて恐る恐る尋ねた。
「あんた……身体、縮んで、ないか……?」
「多分ね……それに君もだ、タクミ王子。声が……妙に高くないか。それにご丁寧に衣服は元のままだし……そうだ、向こうに鏡がある。……見るか?」
「あ、ああ……」
 互いに身体を離し、ぶかぶかの布地を両手でなんとか身体に巻き付けて鏡の前へ移動した。ベッドサイドから鏡までの距離が普段の倍ぐらいに感じる。心臓のあたりから、手足隅々までに行き渡っていく不安を生唾と共に呑み込んだ。
 そうして祈るような心持ちで覗き込んだ鏡に映り込んでいるのは、やはり幼くあどけない顔をした二人の幼児だ。タクミとレオンは互いに鏡に映る子供の片一方に見覚えがあった。当たり前だ。十何年も昔に、鏡の中で見ていた自分の姿じゃないか。
「これがあんたのかけた呪いか、レオン王子」
 タクミの声は既に震えを通り越して色が抜け落ち、逆に冷静に聞こえた。
「僕まで小さくなる予定じゃなかった」
「ということは最初から僕は縮めるつもりだったんだな?!」
「でもすぐに元に戻せるように解呪も用意してあったんだ。そんな顔で見ないでくれ、頼む、本当だって! だけど!!」
「だけど、何だよ」
「こ……この身体じゃ魔力が足りなくてそれも出来ない!!」
「なんでだよ!!」
 レオンの懺悔じみた告白にタクミの表情が一層蒼白になる。身長が僅か一〇〇センチほどに落ち込んでしまっているために遠目には微笑ましい光景に見えなくもないが、本人達は必死だ。まずこんな姿を誰か……臣下やきょうだい達に見られたらたまったものではない。ここは暗夜王城だからリョウマやヒノカ、サクラなんかはいないが……レオンは血の気が失せていくのを克明に感じた。マークスに知られたらと思うだけで眉間に皺が寄る。
「僕達こんな身体でどうすればいいんだ。これじゃ武器も持てないし。大体レオン王子、人に呪いをかけるなら失敗するなよ」
「そんな予定はなかったんだ。僕にも一体どうしてこうなったのかわからない。本当になんで……」
「それは簡単な理由によるものよ。『人を呪わば穴二つ』、と昔から言うでしょう」
「ああ、それで…………――って、アクア姉さん?!」
 聞こえてくるはずのない第三者の声音に驚き振り返ってみれば、いつも通り真意の読めない憂いた表情をしたアクアがレオンの自室に堂々と侵入して立っている。タクミの驚きにいや増してレオンの驚きは大きかった。あのカミラでさえ入る時はノックをしてくれるのに。
「アクア姉さんがなんで僕の部屋に入ってきてるんだよ! それってプライバシーの侵害じゃないのか?!」
 レオンの必死の叫びをアクアが取り合う素振りはない。彼女はレオンをひょいと抱き上げると、じたばた暴れるのをどうどうと宥めながら更に彼女の背後から現れた男に受け渡す。
「カムイ。この子たち、どうしようかしら……」
「うーん、そうだね……僕達じゃ手に負えなさそうだし、まずマークス兄さんとカミラ姉さんに話してみるよ。洋服だけでもどうにかしないと」
「ちょっと、カムイ兄さんまで?! なんでそんなタイミングよく……!」
 現れたカムイは性急に疑問を投げかけられているのを流し、好き勝手なことを言いながらアクアから受け取って幼くなった二人を抱き上げてしまう。大体何故ここにカムイとアクアが? 急な出来事の連続で、レオンとタクミの頭はもういっぱいいっぱいだった。レオンは自室に鍵を掛けていたはずだし、そもそも二人とも新しく地上に再建した透魔王国の統治で忙しいはずなのに――
 そんな疑問を知ってか知らずか、アクアがその答えはすぐに教えてくれた。
「私たち、マークス王に用事があったの。白夜にはこの後に行くつもりだから……あなたたちは知らなかったのね。それから、ドアはカムイが壊して開けたわ。ごめんなさい。だけどもの凄い爆発音がしたものだから……」
「それで急いで来たんだ。そうしたら二人とも小さくなっててびっくりだよ。でも……ごめん、こんなこと本当は言うべきじゃないんだろうけど、二人が僕の両腕に収まっているの、不思議だけどちょっぴり嬉しい感じがするな」
「「カムイ兄さん……」」
 その上カムイが満面の笑みでそんなことを言うので、レオンもタクミも難しいことを考えるのをぱっと放棄して大人しく兄の細腕の中に収まってしまう。カムイの笑顔というものは、二人の弟にとっては何にも代えられない部分が多々あるものなのだ。
 それにカムイとは離れて育ったタクミは元より、幽閉されていた故に滅多に会いに来られなかったレオンにとってもカムイに抱き上げられるというのは初めての体験だった。それが無性に嬉しくって、どうしようもなく、この人の腕の中にいると他のことがすっと遠ざかって行くような心地になってしまうのだ。


◇◆◇◆◇


「タクミ王子。この度の出来事は我が弟レオンの失態だ。私からもよく言って聞かせよう。どうか容赦願いたい」
「いえ、あの。僕は別にこの件でレオンが嫌いになったとか、もの凄い怒っているとかそういうわけでは。ただ、その……」
「なんだ?」
「僕達を膝に乗せるのは……勘弁して頂けないでしょうか……?」
 カムイに抱き上げられて真っ先に連れて行かれたのは、今や暗夜王国の若き国王となったマークスのいる書斎だった。玉座の間でなかったことにややほっとしたが、それも束の間。あれよあれよという間に「カムイ、私に二人を貸してくれないか」「マークス兄さんに? いいけれど、なぜ」「膝に乗せたい」……このような会話が行われ、今は二人揃って仲良くマークスの膝の上だ。
「マークス兄さん……タクミ王子も辞していることだし、その、僕達見た目こそこうなってしまったものの中身はいつものままだから……」
「どんな姿であろうと私の愛するきょうだいであることに変わりはない」
「僕は一応白夜の人間なので……」
「リョウマ王とは既に杯を交わした仲、同じようなものだ」
「そっ、それ初耳なんだけど?!」
 確かにそれは義兄弟の契りとして白夜に伝わる儀式の一つではあるが、随分古風というか……まさか二人の間でそんなことがあったなんて思いもよらなかった。それに、杯を交わしたということはまさかマークス王子は和装をしたのか? どうでもいいといえばいいが、タクミもレオンも同時にその可能性に思い至り、気になってしまう。何故そんなおもしろ……素晴らしい瞬間に彼らは弟を呼んでくれなかったのだ。
「タクミ王子はそうでもないかもしれないが、私達暗夜のきょうだいは実母同士の権力争いが著しく……幼い頃はあまりきょうだい達で過ごすこともままならなかった。恥ずかしいことだが、私はこのぐらいの年頃のレオンとは数回話した程度の関わりしかないのだ。共に遊ぶなどとても考えられなかった。だからこそ、今はきょうだい達に私の持てる情を全て注ぐぐらいのつもりで接しているが……レオンを抱き上げ膝に乗せるのは、実を言うと私の幼い頃の一つの夢だった」
「えっ……そうだったんだ……ごめん、僕マークス兄さんにはコンプレックス剥き出しでむしろ避けてたりして……」
「欲を言えばカムイにもそうしてやりたい……」
「マークス王……わかりました、リョウマ兄さんと杯の誓いを交わしたのであれば……僕はカムイ兄さんの代わりにはなれないけど」
「では高い高いをしてもいいか」
 マークスの目は至って真剣だ。しかし二人が纏っているのは未だ元の体躯に合わせた寝間着のまま。こんな状態でそんなことをされれば、素っ裸になってしまうことはまず間違いない。必死の形相で二人して首を横に振り、拒否の意を示すとマークスは非常にわかりやすく落ち込み、まなじりを下げた。しゅん……という音が聞こえて来そうなぐらいの落ち込み方だ。こんなに意気消沈しているマークスを見るのはカムイが暗夜に戻って来なかったあの日以来だとレオンは思った。
 せめて落ち込むマークスを励まそうと二人は小さな身体を彼の膝の上で懸命に伸ばし、ぺたぺたとマークスを撫でる。するとマークスは少し癒されたような顔つきになり、その最中、書斎の戸がノックと共に開く。
「あら……マークスお兄様、頼まれていたものは、ここに。レオンもタクミ王子もとっても可愛らしいわ……お姉ちゃん、抱っこしたくなっちゃう」
「げっ……カミラ姉さん服持ってくるの早いな! 城下まで買いに出てるならもう幾らか掛かると踏んでたのに!」
「ひどいわ、お姉ちゃん、かわいい弟達のために急いで戻って来たのよ? お兄様のたまの望みぐらい叶えさせてあげてちょうだいな。高い高いがしたいなんて……とても優しくて素朴な願いだわ。それに早かったのには理由があるの。城下まで出ていないのよ」
「カミラ王女、今の話聞いていたんですか?! というより僕はあなたの弟ではないのですが!」
「そう……でも、私のかわいいカムイの弟なのでしょう? それなら、私にとっても弟同然。そしてこれはカムイがそのぐらいの年頃に着ていたお洋服。きっと二人ともよく似合うわ……」
 想像より早いカミラの帰還にぎゃあぎゃあ言っていたレオンとタクミだが、「カムイが着ていた服」というワードに耳がぴくりと動いてそれっきり口答えがなくなって大人しくなる。緩んだ顔つきからは、言葉を発しておらずとも「まあカムイ兄さんの服なら……」というようなことを考えているであろうことが筒抜けだった。カミラが着せ替えようとしてくるのを男の最後の矜持を振り絞って辞退し、カムイに頼んで少し遠くへカミラをやってもらう。マークスが代わりに着替えさせようとしてくるのは、同じ男同士であることもあって甘んじるに至った。
 それにしてもなんというほのぼのした笑顔だ。レオンの上着のボタンを掛けているマークスの顔色を窺ってタクミは胸中で独りごちる。これがあの、かつて白夜では悪鬼だの悪魔の手先だの心なき第一王子だのと影で噂されていた男か。実際に戦場で相見えた時既に、この人はただ頑固で一途なだけで、情を重んじ戦局を見るに長けた人間で、立場さえ違えば……ということは薄々感じていたが、しかしこんなに弟馬鹿だとは流石に知らなかった。最近、ますますリョウマと似通ってきている気がする。リョウマがマークスと親交を深めたのはごく普通で当たり前の事なのだろう。タクミとレオンがそうしたのと、何も変わらずに。
「さあ、次はタクミ王子の番だ。洋服はあまり慣れないだろうが、この大きさの和服は生憎持ち合わせがない。我慢してくれ」
「い……いいえ。レオン王子の服を借りたことが何度かあるので、着慣れないという程では。あの、でもボタンぐらい自分で……」
「タクミ王子、諦めてくれ。僕だって兄さんにボタンを掛けて貰ってたの今見ただろう」
 言い返す言葉もない。マークスにされるがままに着せられ、シャツの上に赤いリボンタイをきっちりと結ばれる。レオンは揃いのシャツに青いリボンタイ。「カムイのリボンは、黒だったのだけども」と着替え終わったのを見計らって戻って来たカミラが呟いた。「あなたたちならこの色が似合うと思ったのよ」。
「お、お揃い……初めての経験かもしれない……」
「そうか、タクミ王子はリョウマ王とはそういう服はあまり?」
「ああ。好みが少しずれていたというのもあるし、完全に同じ意匠の服ということはなかった」
「実は僕もだ。いつもどこかしら異なっていて……何か数奇なものを感じるな……う、うわっ?!」
 感慨に浸りかけていたレオンの身体がふわりと宙に浮き上がる。有言実行の長兄に抱き上げられたのだ。そのままマークスの頭上高くに持ち上げられ、レオンの身体が跳ねた。タクミは頭を一生懸命伸ばして友が空高く跳ねている姿を見る。なんだか少し身体がそわそわしてきて……見ていると、無性に自分もやって貰いたくなってくるような気さえしてくるのだ。これもレオンの呪いの力なのだろうか? だとすれば末恐ろしい呪いだ。早く解いてしまいたい。
「お兄様だけずるいわ、次は私にも抱っこさせてちょうだいね……?」
「勿論だ。きょうだいを思う気持ちは、カミラも同じだからな」
「ふふ……おいでなさい、レオン。お姉ちゃんの胸の中に来ていいのよ?」
「カミラ姉さんッ!!」
 カミラが羨ましそうに呟くと、レオンがカミラにそっと受け渡されて次はタクミがマークスに持ち上げられる。レオンはカミラの胸に押し当てられてもごもごとしていたが、動けば動くほどどつぼにはまることに気が付いたのか、いっそ清々しいまでに抵抗を止めた。タクミも、マークスがしたいように上げられたり下げられたりしている。
 もう、ここまで来るともう何がおかしくて何が正しいのかわからない。いいのか? 自分達は栄誉と責ある両国の第二王子で……というか今自分達を抱き上げたり抱き締めたりしているのは暗夜王国の現王と第一王女のはずでは……
「あっ、お兄ちゃーん! なんだかレオンお兄ちゃんの従者さん達が慌てて探してたから、二人とも連れてきちゃった!」
 混迷を極め始めた思考を真っ二つに遮る勢いで、ノックさえなくドアを開けて暗夜の末姫が入ってくる。レオンが事態を呑み込んで「おい待て!」と制止する暇もなかった。そのまま、混乱しているレオンとタクミを置き去りにして執務室にオーディンとレオンが駆けてくる。決して広くはない執務室にこれだけの人数が押し入ってくることがかつてあっただろうか。多分、ない。
「見たな! オーディン、ゼロ……お前達見たな?!」
「レオン様ーッ!! ああ……なんとお可愛らし……おいたわしい姿に。カムイ様から聞きました、それもこれもあの時俺が無責任に怪しい魔術書を勧めたりなんかするから! このオーディン、レオン様が一生そのサイズのまま元に戻らなくても側でお仕え致します!」
「やれやれ……レオン様がイイ姿になってると聞いて来てみれば……これじゃあ鳴かせる気にもなりませんな。俺は別にこの姿のままでも構わないというか、逆にそそるところもあるんですが……レオン様は一刻も早く元の身体を愉しみたいんでしょう……?」
 臣下二人の言葉を受けて胸に去来する様々な感情をぐっと呑み込み、レオンが選択したのは努めていつも通りに振る舞うことだった。この二人に対して慌てふためくのは得策ではないと本能が告げている。というか既に情けない姿を見られてしまい……これは末永くネタにされること請け合いだ。これ以上二人に餌を与えたら目も当てられない未来が待っているに違いない。
「あ……当たり前だ。タクミ王子とも話したがこれでは武器一つまともに持てない。僕は嫌だぞ、臣下に守られるばかりとか」
「僕だって願い下げだ。こんな身体じゃチェスや将棋ぐらいしか出来そうにない」
「そういうわけで、僕達はさっさとこの呪いを解きたい。おいオーディン、お前も魔術師なんだから、どうにか出来ないのか」
 これ以上ゼロにおちょくられる前に、とオーディンに話を振ると間髪入れず首を横に振って否定される。これにはレオンも流石に驚き、「なんでそんなすぐに諦めるんだ」と少し強い語調で問い詰めてしまった。
「お前それでも僕の臣下か」
「ええ、だって無理なものは無理ですよレオン様。いくら俺が類い稀なる漆黒のオーディンだと言ってもレオン様は更に高貴なる闇の継承者」
「オーディン、翻訳しろ」
「つまりゼロ向けに翻訳すると術者の能力差の関係で、レオン様のかけた呪いが俺に解ける可能性は低いんです。万が一俺が試して失敗したら、次は幼児化ぐらいじゃ済まない可能性もありますし、やめておいた方がいいと思います」
「使えないと言いたいところだが、この国で二番目に優秀な魔術師は概ねお前だからな。確かにそれは一理ある」
「おいレオン王子、それで納得してしまっていいのか?! それじゃつまり僕達はこのままずっと元に戻れないかもしれないってことだろ?!」
「僕だって納得したいわけじゃない! だが……」
 タクミが「勘弁してくれ」と身体中で訴えてレオンの袖をぎゅっと掴んでくるが、オーディンの言い分は至極尤もでとても正しい。こうなると、効力切れで――何せレオンの魔力は今著しく後退しているわけだし――自然に呪いが解けるのを待つのが一番の策だ。とはいえ戻る保証があるわけでもない。
 そんな二人の焦りを見抜いたのか、ゼロが顎に手を当ててレオンに目配せをすると口を開いた。
「ふむ……では、お悩みのレオン様に一つだけ、俺から進言出来ることがありますぜ」
「なんだ? 言ってみろ」
 溺れる王子二人は藁でも掴みたい。どこか楽しんでいるふうにも見受けられるゼロの態度に思うところがないわけでもなかったが、レオンは言葉の先を促した。するとゼロは更に楽しげに口端を歪める。こいつ絶対この状況を楽しんでる。タクミが胡乱な眼差しをしたが、口を開いて文句を口にするまでは、レオンに阻まれて出来ない。
「ご命令とあらば。……古来より、呪いを解く方法というのは決まってるもんです。暗夜のお伽噺でも……白夜のお伽噺でも相場は同じだ」
「……。つまり?」
「王子様のキスですよ。とびきりアツく、激しい口づけです」
 そうしてゼロは、この上なく胡散臭い笑顔でそう言い放った。
 レオンの顔が引きつり、タクミの顔が固まる。確かに、王子様のキスで呪いが解けるお伽噺は暗夜にも白夜にもある。レオンもタクミも幼い頃そういう絵本を何冊か読んでもらった。でも、と二人は思うのだ。絵本では呪いの対象っていつもお姫様じゃないか。
 この場合、呪いをかけたのもかけられたのも王子なんだぞ。意地の悪い魔法使いの老婆だっていないのに、こいつは何を言っているんだ? ――そう思うが、ニコニコしているゼロに言い返す気力もわいてこない。
 ゼロの顔を覗き見たオーディンが「ゼロ、妙に気持ち悪い顔をしているな」と冷静にぼやくのを視界の端に捉えながら、二人は徐々に絶望的な心地になってきて心細さに幼い手と手を取り合った。
 けれどその言葉はどうしてだか、二人の脳裏にこびり付いて消えようとしないのだ。


◇◆◇◆◇


 結局夜になっても事態に進展は見られず、二人は再びカムイの腕に包まれて寝室へやって来る運びとなった。北の塔に残っていたカムイの自室だ。カムイが「レオンとタクミと一緒に川の字になって寝たい!」と主張したのをアクアもマークスもカミラもエリーゼも快諾し(ここに至ると、もう誰か止めてくれという思いさえ抱く元気がなかった)、揺られるままに連れられてきてしまったのだ。
 カムイが透魔王として即位してからいくらか立ったが、白夜王城にミコトが残していたように、暗夜王城のカムイの部屋もマークスやきょうだい達の意向で彼が暮らしていた頃のまま残されている。そのためベッドのサイズがやや小さめだったが、縮みに縮んだこの体躯ならば、三人で同衾もまあ不可能ではない。
「まさかこの年になってカムイ兄さんと一緒に寝ることになるとはね……」
「僕もカムイ兄さんと一緒に寝る機会がまた訪れるとは思いもよらなかったよ」
「……タクミ王子。君、カムイ兄さんと寝たことあるの」
「あまり記憶にはないが、まだカムイ兄さんが白夜王城にいた頃に……きょうだい五人で畳の上に昼寝、とかしていたらしいとユキムラが」
「へえ〜……ふうん……そうなんだ……」
「おい、レオン王子。子供の話だぞ。子供の、僕なんか四歳とか三歳とかだぞ」
「僕は一度もないのになあ……」
 この部屋の主であるカムイはというと、今は塔を出て王城の方に湯浴みをしに出払ってしまっている。なので、カムイのベッドの上に転がっているのはレオンとタクミのみだ。二人は身体が小さくなった騒動で疲れ切ったことを理由に、夕食と湯浴みを辞退して部屋に残ったのだった。
 レオンが含みを持たせた声色でタクミに迫り、上から覆い被さる。仰向けに寝っ転がったタクミの上にレオンが被さっている構図は元の体躯でやらかせば大変な事案になりかねないものだが、今の姿では幼子が戯れて……というより、喧嘩をしている姿にしか見えなかった。タクミが負けじとレオンを押しのけ、今度は自分が乗っかる。まるで猫がじゃれているようだった。
「……暗夜のきょうだいが複雑な家庭事情のもと育てられたってのは今日マークス王からも聞いたし、前ガロン王の話を聞くに大変だったんだろうというのも察することは出来る。だがレオン王子……」
「だが、なんだ?」
「その、こういうやり方はどうかと思う、重いし! 僕は今すごくか弱い身体なんだからな?!」
「か弱いのは僕も一緒だ。ふうん、しかしそうか、子供の頃にきょうだい皆で昼寝ね……」
「……?」
「羨ましいよ」
 乗っかりかえしたと思いきやすぐにまた上に乗られたタクミが両手足をばたつかせて抗議するも、レオンは涼しい顔だ。そして上に乗っかったまま、彼はじっとタクミの瞳を見つめてきていた。羨望の色を隠そうともしていないその眼に、タクミが僅かにたじろぐ。
「レオン王子」
「……なんてね。いや、わかってるよ、君にこんな当たり方したって仕方ないってことは。君だって幼くして父君を喪っているのにね。でも……僕は、カムイ兄さんと同じ国で暮らしてはいたけれど、大事なときにずっとそばにいてやることも出来なくて……それが悔しいんだ。今でも」
「僕だって……素直になれなくて、ちゃんと役に立って支えられていたかどうか……今回だって暗夜王族の皆の手を患わせてばかりで」
「まあそれは元を正せば僕のせいだけど」
「そうだな。……そうだな?! いやまあ、だから」
「いいよ。言いたいこと、大体わかる」
 レオンの目は、タクミを逃すまいとするかのように強い視線をずっと向けてきている。揃いの洋服を着たままでそうしていると、某かの錯覚に陥ってしまいそうだった。二人はずっと遠い国で生まれ育って、血のつながりもまったくなくて……だけど同じように、カムイを兄と慕っていて。今は強い絆で繋がっている。
 本当のきょうだいじゃない。どこも、ちっとも。だけど今日マークスやカミラにされたことを思い返すと……そういうふうに、感じてしまいそうになる。
「……あの話、本当だと思うか?」
 タクミが密やかな声で尋ねた。レオンは首を振る。決めかねていた。試してみるのに、まだもう少しだけ、勇気が必要な気がしていた。
「ゼロの言ったことだろう?」
「そうだ。……どう思う?」
「正直、カムイ兄さんなら減るものでもないしやってみたらいい、とか言うと思った」
「ああ……」
 確かにあの兄なら言いかねない。かわいい顔をして時々とんでもないことを言うのだ。白夜も暗夜も選べない、とか言い出した時にそれはお互い嫌と言うほど思い知った。
 左手をベッドに押しつけて身体を支えたまま、右手でレオンがタクミの髪を梳く。柔らかく、ふわふわして、小さな指先。この指先が自分を冗談交じりに呪ったのだと分かっていても、タクミはレオンを嫌いにならない。なれないのだ。初めて出来た友達で……一番色々な話が合って、そして二人とも同じようにきょうだいを愛している。
 唯一無二の存在にきっともうなってしまっている。 
「こわいんだ」
「……僕もだ」
「もしあの話が嘘でも本当でも」
「わかるよ」
「どうしたらいいのかな」
「……やってみるか?」
「いや、でも……」
 怖いのは、この関係が変わってしまうかもしれないこと。兄二人が盟友の誓いをしていると知ったせいもある。
 レオンは少なくとも、タクミのことを軽い冗談としてちょっぴり呪ってみても、笑って許して貰えるぐらいに親しいと思っていて、信じていた。タクミの方も、レオンがそう考えていたであろうことが分かっているから彼を糾弾する気には全然なれない。カムイが二人を引き合わせるまではそんな相手が出来ると思ってみたこともなくて、どうにも、不可思議な感じだ。
 すごく曖昧な境界線の上に立っているような気がしている。ここでもし転んでしまったら。転んだ先に何があるかわからない。モラトリアムに包まれて、この先へ進むことを、拒んでいる。
「レオン王子」
「なんだい、タクミ王子」
「僕は。……僕は……」
「うん」
「上手く決心が、つかない……」
 タクミが拳を握りしめて、絞り出すようにそう言った。レオンも難しい顔をしてそれを受け止める。このまま時間が止まってしまったら、むしろ一番、良かったのかも知れない。けれど時は待たない。万物が流転するが如く、事態は二人の心を置き去りにしてでも前へ進んで行く。それを証明するように、部屋の扉が突如音を立てて解き放たれた。
「――ごめんね、すっかり遅くなっちゃった。二人とももう寝てるかな?」
「かっ――カムイ兄さん?!」
「あ、ちょ、レオン王子体勢が……嘘だろ?!」
 部屋の空気を引き裂くかのように勢いよく帰ってきたのはカムイだ。それに驚いて、レオンがバランスを取り崩した。そのまま勢いづいてレオンの身体がタクミの身体へと落ちる。胸が当たり、二色のリボンがもつれ、顔が顔とぶつかる。
 情緒も何もない音がして、レオンの唇が何か柔らかいものにぶち当たった。途端、重なり合った二人を中心として魔方陣が出現する。レオンとタクミにとっては見覚えのあるものだった。二人の身体を縮めた、あの魔方陣だ。
「えっ? あれ? 二人ともどうしたの?! 大丈夫?!」
 魔方陣が発動すると同時に白い煙がもくもくと発生し、部屋じゅうに立ちこめた。カムイがげほげほと咳き込みながらも煙をかき分けてベッドの方に寄ってくる。煙は間もなく晴れ上がり、カムイの眼前にその全貌を明らかにした。
 ベッドの上に寝そべっていたのは、カムイが部屋を出る前に寝かしつけるように降ろした幼子二人ではなかった。戦場で幾度も頼りにし、時に背中を預け時に守り守られた頼りがいのある二人の弟だ。少年から青年へと移り変わる成長途上の身体で、しっかりと鍛え上げられている。タクミの長い髪が、結い紐を失ってベッドに広がり落ちていた。その上にレオンが覆い被さり、二人とも泣きそうな顔でカムイをじっとりと見上げてきている。
「あ……ごめん。なんか僕、帰ってくる間が悪かったのかな。……ってあれ? もしかして二人とも元に戻ったの? いつの間に?」
「か……カムイ兄さんの、ばか! ばか!!」
「言っておくけど何もなかったから!! 何も!! 変な誤解されてる気がするけど、何もなかった!!」
「え……あ、そうなんだ。なんか……ごめんね、本当。それで……ええと…………僕どうしたらいいかな。今日、僕床で寝ようか?」
「そんなことより、僕達の服、取ってきて欲しいな?!」
 錯乱したのかとんでもないことを言い始めたカムイに懇願するようにレオンが叫んだ。二人は今、白くなめらかな素肌を殆ど惜しげもなく晒して重なり合った状態なのだ。どうも弾みで口と口がくっついてしまい、本当に呪いが解けてしまったらしい。身体の急速な成長に洋服はついてこられず、破けて悲惨なことになってしまっていた。皮膚と皮膚が触れ合ってこすれる。一刻も早く身体に合った服が欲しい。
「わ、わかった。二人ともそこで待ってて! すぐ……本当にすぐ、取ってくるから!」
 涙声の請願を受けて、かあっと顔を赤くしたカムイが、酷く慌てた様子で入ってきたばかりの扉をくぐり抜けて廊下に消えていく。再び部屋に二人きりになったのを確かめて、レオンは無茶な体勢で振り返っていた首の角度を元に戻し、非常にいたたまれない顔をしているタクミに視線を戻した。きっと今自分も彼と同じ顔をしている。だけど一体今、何をどうしたらいいのだ? 下手に身体を動かすことも出来ず、二人で言葉少なに固まるばかりだった。やってしまった。何を――なんだか、もう、色々。
「……どうして」
 そう口を突いて先に零したのは一体どちらだったか。
 わかったのは、ついさっきまでしていた小難しい仮定の数々に一つの結論が出たということだけだ。こんなことが起こったというのに、レオンもタクミも全然お互いを嫌いになれなくって、それと同時に、二人の気持ちがほんの少し、前へ向かっていこうとしているのかもしれない……という。