あなたのことが好きでした。 プラトニック・ラブ 昔、今より少し昔。 青髪の少年は森の中でゆき倒れていた黒髪の子供を見付けた。 「細くて汚れて今にも死んでしまいそうだった」その子供を憐れんだのかそれとも驚いたのか――とにかく少年は子供に手を差し伸べ、食料を差し出した。 子供にとって久方ぶりの食料。 子供は警戒してじいっとその手を見つめていたが、やがて貪るようにそれを喰らった。 呆気に取られた少年は子供に家へ来ればもっと食べ物があると言ったが、子供は頷かず。 ならば明日また、食べ物を持ってここへ来ようと言うと、たっぷり時間をかけてからようやく頷いた。 翌日子供は恐怖を抑えて村まで出てきたが、約束をしたはずの少年の姿はどこにも見当たらなかった。 代わりに子供を出迎えたのは、散乱する夥しい死体の群れだった。 昔、今よりほんの少し昔の話。 ◇◆◇◆◇ 教会に一人の子供がいた。 透き通った黒髪に、アラバスタのごとく白い肌。額の印に、きつい眼差しの紅い双貌。 子供の名前はセネリオという。 それは数年前に転がりこんできた彼に、教会の神父が与えた「記号」だった。 「セネリオ」 「はい」 神父に呼ばれ、声を返す。呼ばれたら、応える。それもまた、この数年でセネリオが覚えた「当たり前」の一つだ。 流れ着いた頃のセネリオは物事、常識というものをろくに持っていなかった。そこにある置物に等しい存在であったセネリオに、「人間らしさ」というものは何一つ必要なかったからだ。 恨み言を聞かされることはあっても、声をかけられることはなかった。 魔道の知識を詰め込まれることはあっても、何かを与えられることはなかった。 ただただ受動的に何かをされるだけのセネリオに、人としての存在など無きに等しかった。 教会で拾われてから、セネリオは様々なことを教えられて覚えた。 感受性。喋ること。自ら動くことで可能になる、様々なこと。 生きるために必要なこと。 額の印を、魔道の才を見込んだ精霊があちらから交わした「精霊の護符」だと考えた教会はセネリオに期待し、一般に必要とされる事柄以上のものも教えた。 教養を深めるための学術書や、魔導書、戦術指南書。それらには難しい内容のものが多かったが、セネリオは飲み込みが早く何でもすぐにこなせるようになった。 その度、神父はセネリオを褒めた。シスター達も揃ってセネリオを褒めた。 けれどセネリオは何を褒められても、笑わなかった。笑うということを知らなかった。 教会の人々はセネリオの境遇からそれをやむなきことと捉え、特にそれを注意したりはしなかった。 そしてセネリオは笑わないまま大きくなった。 笑顔の作り方を知らぬまま、旅に出た。 ◇◆◇◆◇ テリウス大陸の左上に位置する、ベオクの国クリミア。 穏健派で知られる国王ラモンが治める国はそこそこに治安もよく、気候も悪くなく、国民は安穏と日々の平穏を享受していた。 平和ボケした国民たちは少なからずセネリオに苛立ちを覚えさせたが、セネリオとてもうそこまで子供ではない。だからといってそれを表に出すことはせずにじっと耐えていた。 セネリオが教会を出て旅に出たのは、幼い頃出会った少年を探すためだ。 少年と出会ったのは、セネリオがまだ四つだった頃。今から八年も前のことだ。 しかも、たった一度言葉をかけてもらっただけ。向こうは多分、自分のことなんか覚えてやいないだろう。 でもそれでもいいのだ。セネリオは少年のことを覚えているから。 あの眼差しと声音は、忘れようもない。 八年の月日の中でどれだけ姿形が変わっていようと、見付け出す自信がセネリオにはあった。 セネリオはあてどなく王国を歩き回り、少年を探し求めた。知略に長け魔導にも明るかったため寝食に困ることはない。ただ、目的の彼だけが見つからぬまま数年が過ぎた。 探して、探して、日雇いの策士や風魔導師として日々をしのぎ続ける。ひもじく思うことはないけれど、常に何かに飢えている日々だった。 そして無為にも思える数年の後に、セネリオは大きな幸運を手にした。 「……恨みを買った覚えはないんですがね」 ヘマをしたかな、と内心溜め息を吐きつつセネリオは顔を険しくする。バンデットが四人、シーフが三人。どいつもこいつも柄が悪く、まともなクチの人間には見えない。 「すました顔なんざしちゃってよぉ嬢ちゃん……タダで済むとは思っちゃいねえだろうなぁ、ああん?」 「ウチのシマの奴らに妙な知恵を付けたのはアンタだろう? 調べはついてるんだぜ」 (……殆ど逆恨みじゃないですか) セネリオは辟易して目を細めた。状況は最悪だ。ぐるりと円陣で囲まれているために虚をついて抜け出すのは難しい。 どう考えてもこちらが不利だ。 (かといって無抵抗というのはあまりにも馬鹿馬鹿しい。……やれるだけはやりますか) 一頻り思考を巡らせるとセネリオはトルネードの書に手をかけて、口を開いた。 「あの程度の策ではまるあなた方の程度が知れている、それだけの話ではないですか? それと、僕は男です。"嬢ちゃん"ではない」 「言わせておけばつけあが……」 「トルネード!!」 予想通り、激昂してこちらへ向かってきた男たちに向けて、トルネードを放つ。しかしそれは所詮、時間稼ぎに過ぎないことをセネリオは理解していた。運が良ければクリティカルで一網打尽に出来るが、通常は精々三人ぐらいが限度だ。 後は天に任せるしかない。 そして天はセネリオに味方した。 「何をしているの――?!」 倒しきれなかった四人に一斉に襲いかかられ、ある種の覚悟を決めたセネリオだったが、何故かその身には何も起こらなかった。 慌てて視線を泳がせ見たのは、次々とやられていく男たちの姿。 (……?!) 男たちを凪ぎ払っていたのは単騎のパラディンナイトだった。無双と言いたい強さだが、どうも女性であるらしい。 (……助かった?) 安堵からか、張り詰めていた糸が切れるようにへたりこむ。どさりという音に気付いたのか、男たちをのし終えたその女性は馬を降り、セネリオの方に歩み寄ってきた。 「大丈夫だった? 怪我とかは……裂傷で血が少し出てるわね。よければうちの砦へ来てくれないかしら。神官がいるから、治してあげられると思うわ」 「あ、あの……」 セネリオが戸惑ったような声を出すと女性はくすりと悪戯っぽく笑う。 「まあ、あなたがなんと言おうと最後は連れて帰るのだけども、ね。あなたはまだ小さな子供なんだから大人の好意には甘えなきゃ駄目よ?」 「……はあ…………あの、お名前は?」 「私? ティアマトよ。グレイル傭兵団の副長をしています」 半ば呆気にとられながらセネリオが口にしたその質問に、女性はそう答えた。 ◇◆◇◆◇ あの後、気を失ってしまったのだろうか。セネリオが目覚めて目にしたものは見知らぬ天井だった。トルネードを放った時に作った傷は癒えている。あの程度でこの負傷――やはり自分は、まだ弱い子供にすぎないのだと痛感させられる。 むくりと上半身を起こし、きょろきょろと室内を見回しているとティアマトがトレイを持ってやって来た。 「おはよう、調子はどうかしら?」 「概ね良好です。暴漢から救ってくださったこと、心遣い、治療、感謝します」 「あら……しっかりしてるのね。うちのアイクにも見習わせたいわ」 そんなふうにぼやきながら、食事をセットしてセネリオに渡す。どうぞ、と言われて少し考えたが、やはり空腹には耐え難くセネリオはスプーンを取った。 ティアマトという女性に悪意があるとは思えなかった。セネリオは、悪意というものに非常に敏感なのだ。 「……その。何故僕を助けてくださったんですか?」 「明らかに向こうに非があるように見えたからよ。それでなくともあなたは子供だったし――困っている人は助けなきゃ。うちの傭兵団で一番大事なことよ。そうそう」 セネリオからしてみればお人好しすぎる理由を述べてから、ティアマトは思い出したようにぽんと手を打つ。何やら予感がして、セネリオはこっそり身構えた。 「あなた、ご家族とかは?」 「ありません。僕は孤児です」 「それなら、うちの傭兵団に入らないかしら」 「……え?」 何か言われるだろうとは思っていたが、あまりにも予想外の申し出だったのでセネリオはびっくりして固まってしまった。 「なんで急に……」 「……ここ最近、この付近で子供を狙っている盗賊団がある――っていう話を聞いていてね。多分、あなたのことでしょう? ごめんなさいね、少し調べさせてもらったの。……その年でフリーランスの仕事をするのは危ないわ。勿論、あなたの魔術の才能は素晴らしいけれどそれだけでは対処できないこともあるの。さっきみたいにね」 「……それだけですか?」 いぶかしんで露骨に眉をひそめる。しかしティアマトは嫌そうな顔をせず、むしろ思いやるように言葉を続けた。 「あなたが運ばれるのを見たグレイル団長の……ここに住んでる子供二人がね、話をしたらどうしてもって」 「物好きな人たちですね。ですが、僕には探している人が――」 「ここか?!」 セネリオの言葉を遮って、大きな少年の声が室内に届いた。すぐにばたん! と勢いよくドアが開く。 「ダメだよお兄ちゃん、まだティアマトさんがお話してるし……」 「知るか。気になるもんは気になる」 「……ぁ、」 セネリオは少年を一目見て、息を呑んだ。 癖のある青い髪に、意思の強そうな青い瞳。見覚えがある顔立ちだった。忘れるはずもなかった。 あの日見たひとの面影。 セネリオが探していたひと。 見つけた。 半ば放心状態のセネリオに向かって、少年は彼の妹の制止を振り切りどんどんと歩いてくる。ベッドの脇までやって来て覗き込むようにセネリオの顔を見ると、彼は単刀直入に聞いた。 「おまえ、名前は?」 「……セネリオ」 「そうか。セネリオ」 セネリオの名前を呼ぶと、彼は一度言葉を切って深呼吸する。心なしか緊張の色が見える。 「もしおまえが良ければ、俺の軍師になってくれ」 「……」 「初対面でこんなことを言われて驚くかもしれないが、俺は割と本気だ。魔導が使えて頭がよく回るんだと親父たちが話していた。自慢じゃないが俺は頭を使うのが苦手で――よく親父に馬鹿にされる。だから」 少年はセネリオに手を差し伸べた。 あの時のように。 見ず知らずの他人である自分に優しさと存在理由をくれた。 「俺の軍師になってくれ。おまえは、行くあてもなくさ迷ってるには勿体無いと思う。それに年も近そうだし、難しいことを考えないで一緒にいられる。だから……嫌じゃ、なければ」 そもそもセネリオは、ただもう一度あの少年に会いたかっただけだった。 例え向こうが覚えていなくとも、一目会いたい。それだけの思いで数年、その身を危険にさらしながら一人であてどなく歩き回った。 探し物が見付かった今、ひとところに留まらない理由はない。求められた手を振り払うことなんて出来ない。 だからセネリオは、差し伸べられた手に自分の手を置いた。 「あなたが……僕を望んでくれるのなら。僕には断れません。あなたがくれる存在理由をはねのけることは、僕には出来ない」 握り返してきた少年の手はあの時ほど柔らかくはなかった。少し骨張って、男の子らしさが出てきている。 でも暖かさは変わらなかった。その手がくれる温もりはあの頃と丸っきり一緒だった。それが嬉しくて、セネリオは知らず、泣いてしまう 後ろでティアマトが不思議そうに首を傾げていたが、セネリオは気付かなかった。 ◇◆◇◆◇ 「……そういうことだったのか?」 「ええ……まあ。ティアマトが驚いていたっていうのは僕もつい最近本人から聞いたんですが……」 「そりゃあまあ、驚くだろうな。最初はにべもなく断ってるのに急に態度が変わってるんだから」 「……そういうつもりでは、なかったんですよ?」 少しのぼせてしまって、セネリオは湯船から出て縁に腰掛けた。白く細い上半身が露になる。筋肉の少ないその身体は少女めいて見えた。 「ただ、僕はあなたを探していましたから。やっと見付け出した尋ね人に自身を望まれて、断るなんて無理です。そもそも、必要とされることが僕にとっての理由の全てだったんですから」 「……そうか」 セネリオのともすると重すぎるきらいのある言葉に当たり前のように頷き、アイクは組んでいた腕をほどく。剣術に打ち込み鍛えあげられた体は筋肉質で、セネリオとは好対称とも言えるほど差があった。 「ちなみに俺も、あの後ティアマトに言葉のニュアンスがおかしいと注意されたな。"俺の軍師"は表現として変だろうと。まあ確かにそれだと……所有物のようだしな」 「僕は……それでもいい……です、けど」 「?」 「いえ……なんでも。傍に行ってもいいですか」 もぞもぞ動き、再び湯船の中に入ってアイクの隣に座った。それなりに風呂は広いのだが、殆どスペースが余ってしまっている。 「アイク」 上目遣いに名前を呼ぶ。アイクはセネリオの顔を普通に注視して、無言で先を促した。 「僕は、団の軍師ではありますが……それ以上にあなたのものなんです。だから、もしよろしければ……その、」 「なんだ?」 「これからも……僕を必要としてください。あなたの傍に、居場所をください」 「当たり前だろう。俺の隣で、俺の補佐をしてくれるのはおまえだけなんだから」 くしゃくしゃと髪を撫でられて、セネリオは目をつむる。心なしか顔が赤い。アイクはそれに気付くと心配そうにセネリオの顔を覗き込んだ。 「……やっぱりのぼせたんじゃないか? 上がった方が……」 「いえ。もう少しだけ」 「……おまえが大丈夫なのなら、とやかくは言わんが」 「大丈夫です」 大好きなひとの肌に触れているから、もう少し傍で心配されていたいのだ。 我が儘で子供っぽい欲望かもしれないが、それがセネリオの本心。 多分まだプラトニックな、恋のかたち。 Fin(強引に) あとがき 傭兵団のお風呂は大浴場ですよね? 男同士でお風呂なら合法だと思ってます。どうもすみません 私の頭は大変残念な構造になっている 暁拠点会話を見ながら書いた出逢い捏造話。蒼炎時なのでアイクは思い出してませんがね アイクがセネリオを意識し出したのは蒼炎のラストあたりじゃないかと思います。支援A会話あたり。 意識っていうか……あれ? 何だか普通じゃないな? という感じに。 だからまだ、家族に近い思いやり。ポジションは双子の弟ぐらいかな? 私の好きな某双子の兄が弟に接する時のスタンスはちょっとおかしいですからね、普通の兄弟のイメージで あとどうでもいいですが、ティアマト姐さん大好きです |