・オフ本のサンプル
・全七話構成のうちの一話目
・いろいろパラレル
・サンプルにはありませんが、本編中にベクセカ要素(セカンド妊娠・授乳等の描写)が含まれます。
・カップリング傾向はベクセカ(セカンドの姿をした遊馬?)といった感じです。
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九十九遊馬と真月零は双子の兄弟で、二人ぼっちでお屋敷に住んでいる。昔はもう一人か二人その屋敷にいたんだけど、今は二人だ。でもそれで十分満たされているし、それ以上に望むものもない。
二人は名前もばらばらだしちっとも顔は似てないけれど、でもやっぱり双子の兄弟だった。目が紫色の方が兄の遊馬で、赤の方が弟の零。二人とも十歳。今度、十一になる。
二人はいつからこの屋敷に住んでいるのかを覚えていない。
ただ、気が付いた時には屋敷にいたし、それより前のことはわからない。
記憶は途切れ途切れで曖昧で、あんまりあてにはならなかったし、覚えもそんなによくない方だったから二人とも気にしていなかった。
二人は今日何をするかと、明日はこれをしたいということ、そういうことばかりを考えて過ごしていてあまり過ぎたことは顧みようとしない。
そんな二人だけども、たった一つ、過去に教えられた絶対の不文律があって、それだけは決して忘れないように朝起きた時と夜眠る時に確かめ合ったし、守り続けていた。
――「大広間の鏡を、零時に覗き込んではいけない」。
昔はこの屋敷にいた髪の長いひとが教えてくれたその言葉は二人にとっての絶対だった。そのひとは、「もしこれを破ったら二人とも死んでしまうよ」と言ったし、「そんなことをしようものなら、とても苦しい思いをするだろうね」とも言った。
「もし今の暮らしを幸福に思うのならば、この掟だけは守りなさい。だけど、今の暮らしを棄ててしまいたいのならば、鏡を見ることを誰も咎めることなんて出来ないだろう」
髪の長いひとの言葉端はなんとなくもったいぶるふうだったけど、その金色の美しい瞳はちっとも笑ってやいなかったから、遊馬も零も「どうして?」も「なぜ?」も言うことが出来ずにただ振り子人形のように頷くばかりだった。このひとに逆らってはいけないのだと心から二人は信じていた。
いつの間にかそのひとはいなくなってしまって、果たしてそのひとが自分達とどのような関係性を持っていたのか、両親だったのか、それとも兄弟か、多少遠くなっても血族だったのか、もしかしたらただのお手伝いとかだったのか、それすらもはや知ることは出来ないが、とにかくそのひとの言い付けは守らなければならないと遊馬と零は信じた。或いは信仰した。そうすればこの生活は守られるのだと。
何もかもが欠けているけれどあらゆる全てが満たされたこの不完全で歪な幸福が永遠に続くのだという信仰をそのひとに彼らは捧げた。
二人とも、髪の長いひとの名前すら覚えていない。覚えているのは簡単なことだけ。
長い髪はお日様のような色をしていて、金色の目は、暗闇で見るととても恐ろしく同時に安らぎを覚えた、ということだけだ。
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その屋敷は「雪の女王の屋敷」と呼ばれる。または「鏡屋敷」、全てまとめて「雪の女王の鏡の屋敷」。美しいが寒々しい白亜の色に染め抜かれ、屋根は凍り付いた湖のような青色をしている。最も特徴的なのは屋敷の大広間に据えられた巨大な鏡で、金色の精緻な装飾が施されたその鏡を深夜零時に見ると魂を吸われてしまう、という噂がまことしやかに囁かれている。
屋敷には子供が二人住んでいる。子供の他には、愛玩動物のたぐいすらもいない。子供達が学校やらに出かけている間、屋敷は無人の伽藍堂になる。だが、ただの一度も泥棒なんかの被害に遭ったことはないという。
何故か。それもまた噂によるものだ。
――曰く。
その屋敷に立ち入り、屋敷中あらゆる場所に設えられている無数の「鏡」に姿を映された招かれざる客人は、その鏡の中に閉じ込められ、女王の蒐集欲を満たすための《コレクション》にされてしまう、のだという。
屋敷に住んでいない者のコレクションにされてしまうというのも甚だ奇妙な話ではあるが、その近隣の住民達はこの噂話を決して一笑に付すことなく信じていた。というのも、実際に数十年前に屋敷に出向いたきり帰って来なかった男がいたから、らしい。男は肝試しだかでクジ運悪くその屋敷へ行くことになってしまい、それきり、二度と送り出した仲間達の元へ帰ってくることはなかった。失踪者としてしばらくの間は扱われたが数年後、書類上で彼は死亡者の一覧に名を連ねられる運びとなる。
男の仲間達は口々にこう言った。「あの屋敷は雪の女王の棲み家なのさ。あいつは、あの屋敷の中の鏡の欠片に心奪われて、帰ってこなくなったんだ。カイという名前の少年のようにな」。
その上「ではゲルダが連れ戻してくれるのではないか?」と問うた者には彼らはけらけら笑ってこんなことを言う。「馬鹿言うんじゃねえ。あの屋敷の雪の女王から連れ戻せる幼馴染みなんて都合のいい存在があいつに限っていたりするもんか」。
それはそうとして、どうやら《鏡屋敷の雪の女王》というのは畏怖の象徴であるらしく、近隣の住民達はその存在しない偶像をしきりに恐れた。雪の女王に捕まったが最後生きては戻れないだとか、彼女の実験材料にされてしまうだとか、そんな話ばかりが町中に蔓延っていた。しかし不可思議なことに、彼らはその屋敷の住人である双子の兄弟のことは絶対に悪く言わなかった。鏡屋敷を畏れ、敬遠しながらそこで暮らす少年達のことを敬った。
彼らはあの二人の少年が買い出しや学校などで町に降りてくると、「あら、今日も元気ね」「坊主遅刻じゃないのか?」「お夕飯でこれ食べてちょうだい」などと彼らのことをとても好意的に見守った。二人の兄弟は純真純潔そのもので穢れを知らない。無垢な子供達だった。ゆえに、彼ら町の人々のその態度の矛盾を特に気に留めはしなかった。
実際に遊馬と零の兄弟はすこぶるよい子だったし、彼らは物心ついた時にはそういう特別な扱いを受けていたから、それが不自然だと気付く余地もなかったのだろう。
ともかく。
一つ言えるのはこの町の雪の女王の屋敷には無数の鏡があり、そのうちの大広間の鏡だけは誰も零時には見てはならぬと言われ、実際、十数年前に男が一人消えているという事実がある、それだけだ。
子供達は二人ぼっちで屋敷に住んでいるが、広大な屋敷をたった十歳の子供二人で切り盛りしていくのはそう簡単なことではない。しかしそこで手伝いをしてくれる人間のメイドや執事なんかを雇うというわけにもいかなかったので、彼らは精霊達に生活の世話を任せていた。零のお気に入りの《シャイニング・ラビット》がこの屋敷の従事長で、屋敷内の全ての物事を取り仕切っている。身の回りの細かいことは大体《ガガガクラーク》とか、《ガガガカイザー》が。警備とかそういうのは《護封剣の剣士》《ガガガガードナー》みたいな肉体派がやってくれるけど、その中に混じって魔法使いの《ガガガマジシャン》も体術修行をしていたりする。
精霊達は二人と最初からずっと一緒にいて、特に何かを頼んだりするわけでもなく、そういう関係性で関わりを持っているのが当たり前のことだった。彼らは皆自ら遊馬と零のことを守りたがって、世話をしたがった。そういうものだろうと遊馬と零も思っていた。また彼らは、二人の良き話相手でもあった。
『遊馬、今日出かけるんでしょ?』
《ガガガガール》がとんがり帽子をセットし直してもぞもぞしながらまだ暖炉のそばでごろごろしている遊馬にそう話しかける。すると遊馬は急に起き上がってぴんと背を伸ばし、「いっけね!」と素っ頓狂な声を出す。
「忘れてた。待ち合わせ、何時だっけ」
「二時ですよ、遊馬兄さん。あと三時間」
『あ、なんだ。じゃあ結構ヨユーあるね』
「いいえ、ダメです。兄さん準備に時間かかるもの」
それに彼らは几帳面だから、と零が溜め息を吐いた。双子で、一応遊馬の方が兄で零の方が弟ということになっているのだけれども実際の関係性は逆転しているような節がある。遊馬はいつもどこか抜けていて、それを零がしばしばたしなめた。一度、精霊達の誰かが遊馬と零に聞いたことがある。『どっちがお兄ちゃんか弟かで、喧嘩とかしないんだね』。すると零はにこにこ嬉しそうな顔で笑って、「だって遊馬兄さんがお兄さんでしょう? 僕は弟です。それがいいんです」と答えた。「そう、あの髪の長いひとが言いましたので」。
「もう準備始めなきゃ。それにご飯もまだです。ほら、兄さん暖炉の前から動いてくださいよ」
「ええー、寒い、ほんと大広間とか寒すぎるって。まだもうしばらくここにいる」
「しばらくっていつまでですか? 今日の約束の相手、兄さん誰だか覚えてるでしょ」
「う……それは……」
「あのひとたち、気むずかしいとこがあるんです。いいひとなんですけど、そこが、ちょっと……」
『ちょっと?』
「変わってるなぁって」
零は腕組みをして、それこそ気むずかしい顔をしてうんうん頷いている。遊馬は渋々といった風体で立ち上がり、ぱんぱんと足をはらってぐっと背を伸ばした。手首を回すとゴキゴキいう。その音を聞くと、遊馬は「ああ俺って生きてるんだな」と思う。
ガガガガールは珍妙な顔つきで、零に「ちょっと変わってる」と言われた約束相手のことを記憶から手繰り寄せた。年頃は遊馬達と同じで、二人とも端正な顔つきだがちょっとばかり気むずかし屋だ。普段は同じように学校に通って、遊馬や零と机を並べて授業を聞いている。ただ今日は学校が休みの日なので、彼らは「本職」の方を務めているはずだ。
真面目な子達である。ガガガガールは首を捻り唸った。
『うーん、でもさ、キミ達にそう言われるのって、大概だよね』
「そうですか?」
『そうだよ。キミ達ってとってもヘン』
雪の女王の鏡屋敷にたった二人で住んでいる双子の兄弟。名前も顔もまったく似ていない。だけど二人は世界にたった二人の家族で、今日も生き、明日もまた生き続ける。
しかしその中に目的性はなく、ただ定められた運動のように彼らは漫然と「生きている」だけなのだ。少なくとも傍目からはそう見える。死んでいないから生きている。そしてその理由を本人達は知らない。
『でもだからあたし達はキミ達を守りたいって思うの』
ガガガガールが胸に手を当てて言った。精霊達が二人の子供を守るのは古い盟約に則ったものでもあったが、同時に精霊達自身が選び取った決断でもあった。この子供達を庇護するのが精霊の役目だ。
そのためには身の回りの世話もするし、屋敷の手入れも、彼らの親代わりも、護衛も、なんだってするだろう。
精霊達は皆双子を愛している。
『あたしたち、みんなねキミ達のことが大好きなんだ』
「知ってますよ」
「知ってるぜ」
『そっか』
「俺も精霊の皆のこと、好きだよ」
「僕も。感謝してます」
『ふふ。ありがと』
ガガガガールはにこりと笑った。双子の笑顔が守れるのならば、精霊はどんなことにだって荷担するだろう。
たとえ平気な顔をして摂理をねじ曲げることを要求されたとしても、彼らはそれに応える。
『ご飯、大広間に出来てるよ。今朝はね、クラークの自信作。新作料理だって。近頃寒いしね……』
「近頃っていうか、もうずっと寒いですよ」
「それにそんなこと言ってる割にガール寒そうなカッコしてるよな。ノースリ、見てる俺達の方がぶるぶるしてくる」
『特に寒くなってきた、ってこと。あと、あたしの服はしょうがないの。精霊はキミ達と違ってぽいぽい着替えたりとか出来ないのよ』
「不便だよなぁ」
『その代わり汚れとか穢れとか、つかないんだけどね』
「……便利かも」
むう、と考え込んで首を傾げる遊馬を「ほら兄さん早く」と零が急かす。二人で一つの完結した兄弟。「あのふたり」からそっくりそのまま瞳の色だけを入れ替えたみたいな双子の容姿は、その色がある限りこの「雪の女王の鏡屋敷」を維持し、また二人を鏡屋敷に縛り付けるのだ。
それが「髪の長いひと」の定めた約定。あの男が、この屋敷に迷い込んできた時からこうなることは決まりきっていた。
「髪の長いひと」が創った理は彼(或いは、彼女)が姿を消した後もこの鏡屋敷を呑み込む世界を支配し続けている。
ばたばたと階段を駆け下りていって、せわしなく二人がテーブルに着くと待ちかねたように料理が運ばれてくる。タスケルトンがふわふわ浮きながら背中に乗っけていたお盆を、見かねたエクシーズトレジャーが一つ受け持って遊馬の元へと運んでいった。
どうやらクラークの新作料理は遊馬や零の興味をひくことに成功したらしい。二人は一目料理を見ると「美味しそう!」と目を輝かせ、今日初めて会ったクラーク達への朝の挨拶もそぞろに手を合わせると「いただきます!!」の合唱をした。
「すっげーおいしい! クラーク、これ、なんて料理?」
『それはね、えっと、キッシュ。どうかな? 口にあったんなら、良かった』
「おいしいです、クラーク。ふふ、クラークのご飯、お母さんの味みたいですね」
零がクラークににこやかに返事をすると不意に遊馬の顔が曇った。それに目ざとく気がついて、零がえ、とまなじりを下げる。
「……お母さん、か」
「兄さん、ごめんなさい、僕、ヘンなこと言いました……?」
「いや。零はなんも悪くないよ。ただ……俺達母親も父親もいないんだなって改めて思って」
遊馬の口振りは特にそれを嘆いているわけでも悲しんでいるふうでもなく、事務的で淡々としていた。双子に両親がいないのは物心がついた時からずっとのことだから、今更殊勝に感慨を感じられるほどの思い入れもないのは事実だった。
ただ父も母もいない、というそれだけの現実に過ぎないし、いるのなら会ってみたいけど、仮に会えたとしても二人は一体何と言っていいのかわからなくて立ち尽くしてしまうかもしれない。
両親の存在はそれ程希薄だ。
「どーでもいいけど……どんな人達だったんだろうな? 子供を二人も置いていなくなるなんて」
「……わからないです。薄情な人達だったのかもしれないけど、何かやむを得ない事情があったのかも……。ねえ兄さん、それとはちょっと、論点がずれるんですけど」
「おう。なんだ?」
「このお屋敷はどうして雪の女王の鏡屋敷なんでしょう」
零は紅の瞳をいっぱいに見開いて、ふと気にかかったことを尋ねた。遊馬がわかりやすく表情に?マークを浮かべてきょとんとする。
「さあ……そりゃ、雪の女王のお城みたいに、鏡がいっぱいあるからじゃねえの?」
「アンデルセンの雪の女王の城には、決して、鏡がいっぱいあるわけじゃないんです。ただ鏡の破片がカイの心臓に刺さってしまったというだけで、いっぱいあるのは……ヨーロッパのお城ですよ。フランス。ベルサイユ」
「でも、鏡がいっぱいあるから鏡屋敷なんだろ」
「ええ……今日、せっかくですからそのことも聞いてみましょうか……」
「どうだろ。二人が知ってるとも限らねえけど」
「それは、まあ……」
だけど、と腑に落ちない様子で言葉が続く。零は何かを疑っているようだった。その紅玉の色をした瞳が、訝しげに細められ、より濃い赤色を映し出す。血のような緋の色。その色が、遊馬の紫色をじっと見据えた。まるで値踏みして、ものでも探るように。
「ねえ、兄さん」
「……なんだよ」
「もしかして、僕達のお母さんは、雪の女王なんでしょうか?」
しんとした静寂が訪れた。
零の問いに遊馬はすぐには答えられなかった。自分達の出自について、兄弟はこれっぽっちも、露ほども知らない。自分たちがどこから来てどこへ行くのかをまるで知らない。ただ今日を生き、目の前のことに追われて、それで全部忘れていってしまう。
未来のことはわからない。
二人にはそれ以上のことを考える余地など与えられてはいないのだ。
「知らないよ。だって俺達の母さんって、一体誰で、今どこにいるんだ? ――わかんないよ。ちっともさ」
遊馬が首を振った。このちっとも似ていない兄弟が、誰と誰の間から生まれたのか、そもそも本当に親が存在しているのかどうかなんて、さっぱり見当もつきっこない。
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