THE NEVERENDING STORY

01:きみとぼくのとても長い夏

※オフ本のサンプル
※全八話構成のうちの一話
※多大な捏造と独自解釈を含む。遊馬=ヌメロン設定。その他諸々。
※ベクターメイン遊馬多めのオールキャラもどき。ベク遊というほどCP描写はなく他キャラも多いけれど基本的にベクターの話。ややベク遊ベク大丈夫な方向け。
※巻頭ピンナップ他イラストの波吉さんがとても頑張ってくださいました……ありがとうございます……





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 中学二年生の夏休み。それは俺にとって、一生、多分死んでも忘れることの出来ない夏だ。いつもみたいに蝉がうるさくて、蒸し暑く、日差しが眩しかった。けれどそれだけでは済まされなくて、その夏は、もっと違う意味で――眩しくて、眩しくて。
 アストラルがいなくなって、代わりにベクターが俺の家に転がり込んできて、真月零として学校に通い出して。他の七皇達もみんな学校に通って、そうして俺達は次の季節を迎えた。アストラルのいない世界はだけどそれでも確かに回っていて、夏が過ぎたら秋がやってきてそうすると冬が訪れ、春に至りまた夏に戻る。
 俺と小鳥とか、真月、アリトは中学二年に進級してシャークとか璃緒とギラグは三年生になり、ミザエルとドルベは高等部に進学した。みんなそれぞれに道を探して手探りの中で前へ進んで行っている。その間、アストラル界を訪れる機会がいくらかあったけれど俺達の世界そのものは平穏で、とりたてて慌てるような出来事はなかった。俺達は平穏無事な世界で幸せに生きていた。起きて、学校行って、遊んで、帰って、寝て。そんな感じで、何百日を過ごした。
 そのままきっと何も起こることなく毎日が続いていくと俺達は信じていたんだ。だってこの世界は、アストラルが願った世界なんだから。イレギュラーはもうないって、無意識に無根拠に盲信してたんだ。
 だけど、そんなことがあるはずがない。
 何も起こらない世界は、そのままずっとが永遠になってしまうような世界は、死んでいるのと同じなんだって俺は二年の夏にもう一度思い知ることになる。
「ベクターが目を覚まさないの」
 俺の家の、俺の部屋のベッドサイドに立っていた。蒸し暑さに耐えかねて窓が開け放たれているぶん蝉の鳴き声が余計にうるさい。ミンミン、ミンミン、真夏のアブラゼミたちはたった七日間しかない命を生きるために輪唱する。俺はベッドの上に横たわったままぴくりともまぶたを動かさないベクターをじっと黙って見ていた。見ていることしか最初は出来なかった。どうしたらいいんだろう。どうしたら。
 だってこいつは、昨日まで確かに俺と一緒に朝起きてラジオ体操に行って、夏休みの宿題をしたりなんかして、今日はそうだ、二人で午後から水族館にでも出かけようって約束をしていたはずなのに……
「遊馬が下で明里さんの手伝いをしている間、私、この部屋の掃除をしていたの。それで掃除機かけても何も言わないからおかしいなとは思ったのよね。お布団干そうと思って、それで手を伸ばしたら、……気付いちゃって」
 小鳥が俺に告げた言葉はぞっとするぐらい重たかった。寝たふりとか、ドッキリとかだったらどれだけ良かっただろう。アストラル、俺、頭が固まっちゃったよ。今目の前で何が起きているのか、正確に把握出来る気がまるでしないんだ。
「変なのよ。名前を呼んでも揺すっても、……まるで死んでいるみたいに」
 一応、脈はあるから生きてるけどね。小鳥が付け足した言葉は俺の耳から耳の間をすうっと通り抜けてどこかへ行ってしまう。こいつを置いて行かないし、もう二度と一人にしないって俺はあの時確かに声に出して誓ったんだ。それなのに、どうしてこいつは、今俺の目の前で急に意識不明の重態になんかなってるんだろう。
 きっかけはどこにも思い当たらない。俺は怖くなって眠り姫みたいに穏やかに目を閉じているベクターの手を握った。死体の冷たさはなかったけれど、代わりに、生者の温もりらしき温度もない。
 それは丁度真夏の大気でぬるくなったぬいぐるみの手の温度によく似ていた。


◇◆◇◆◇


「――おうじ、……皇子!!」
 ぐらぐらと肩口を掴まれて派手に揺り動かされる気配を感じてベクターははっとして目を覚ました。耳慣れない呼称に顔を顰める。皇子? それは、ベクターがかつてどこぞの王国の王位継承者として人間をやっていた頃の、あれか?
「やっと見つけた。執務室にいないから、ほうぼう探して……あ、いけない。もう、皇子じゃなくて皇なんだっけ。ごめん、見逃して」
(ハァ……?こいつ、一体何言って……)
「とにかく一度戻ってください。大臣達が大わらわなんだ。もう戴冠式も済んだし、あとは国民達への挨拶をしなきゃ。国民も新しい皇を心待ちにしてるんです。さぼってる場合じゃないですよ」
(おかしい。こいつにこんな難しい話が理解出来るはずがない)
「ああ、すまない。しかし誰も他にいないのだから……その堅苦しい言葉遣いはやめてくれといつも言っているだろう?」
(――?!)
 意に添わず、勝手に口が動く。意図と違う言葉を吐く。そのまま意識とは無関係に手が彼の指を繋ぎ止めた。どういうことだ。ベクターは意識と乖離した自身の身体の動きに困惑する。じゃあこれは夢でも見ているということなのか? しかしそれにしては、驚くほどはっきりと大気の匂いや温度を肌に感じるし、視点は完全にこの皇子の肉体に収まっている。それはまるでコックピッドの中からオートパイロットで動いているロボットの様子を眺めさせられているかのような奇妙さだ。
「いや、だって。もう即位したんだしけじめは必要だ……です」
「無理はしなくていいよ。きみは私の乳兄弟だ。特別親しいのは当然のことだよ」
「ベクター、でも」
「そして私の最も信頼に足る部下だ。さあ、それでは行くとしよう。大臣達にあまり心労をかけてはいけないから……」
 オートパイロットのロボットは少年を促して部屋の外へと出て行く。これはどういうことだ? 一体何がどうなっている? ベクターは混乱を抑えることが出来そうになかった。それは焦燥へと姿を変え、明らかな狼狽として彼の自意識を揺るがす。
 この後この皇子と呼ばれたいつかの自分がどこへ行って何を成し、その結果どういう結末を招くのかベクターは知っている。過去の自分は戴冠式を行った後、国民に宣誓をし――私は争いを好みません、というあ虫酸が走るような例の演説だ――そうしてそれを知り激怒した父親に襲いかかられ、後は、転がり落ちる。そればかりだ。
 食い違っているのはベクターを呼びに来た少年の存在だった。あんなやつは過去の記憶の中には存在しない。存在しちゃいけない。だってあれは。あの姿は。ここにあるべきではないはずのものなのに。
「ユウマ」
 そのあり得ない名を皇子は親しげに呼ぶ。
 手を取り、愛おしげに、慈愛をその瞳の中にどろどろに溶かして。
「今日のきみはいつもよりだいぶそそっかしいね」
「いつものことだよ」
「そうかな? ……うん。そうかもしれないね。なんとなく……そんな気がしたんだ。言葉を憚らないのであれば、浮かれているというふうですらあったから」
「そりゃあ浮かれるよ。だってそうだろ? これからようやく、ベクターが望んだ平和な国を作っていけるんだ」
(違う……)
「俺はその手助けが出来るのが、すごく嬉しい」
(こんな歴史が。あったはずがない)
「じゃ、行こうぜ。国民が心待ちにしてるって言っただろ? あ、敬語、この先はつける……ますから」
「そうだね。けじめは必要だ」
 ユウマ、と呼ばれた少年にそう微笑みかけてから皇子は背後の壁に釣り下げられた巨大な肖像画に振り返った。青く長い髪をまとめた美しい女性の肖像画だ。ベクターの母のものだった。彼は母親の肖像画に一礼し、無言で祈りを捧げ、そうしてようやく少年と共に部屋の外へと出て行った。
 それに合わせて視点が移動する。広々とした廊下を歩き、王宮前広場を一望出来るバルコニーへとまっすぐに進む。
 そこには既に彼の母親が待っていて、「さあ、皆があなたを心待ちにしていますよ」と皇子を促した。ユウマは――従者としての立場からか、バルコニーには出ずに一歩下がり皇子を護衛出来るぐらいの位置で立ち止まって手を振り、見送る。
 バルコニーへ正装に身を固めたベクター皇子が躍り出るのと同時に、あふれんばかりの歓声で広場が埋め尽くされる。平和の象徴、この国の新しい皇。そう言って、民は口々に新しい皇を祝福している。
(なんなんだよこれは……)
 これは、ベクターの記憶する通りの光景。この後皇子は「国民の皆さん――」そうだ。演説を開始する。既にローマ帝国との和平を締結した後で、その報告を兼ねてこれからの国の指針を国民達に説明するのだ。
「我が国は長い間いがみ合いと争いに身を浸して来ました。侵攻と略奪ばかりを繰り返し、その結果何を生んだのか、それさえ殆ど考えられてこなかったのです。それはこの国の成り立ちを考えればある程度は致し方ないことなのかもしれませんが、しかし、私はそれをいつまでも続けるべきではないと考えます」
 われんばかりの期待の声達。中には黄色い歓声さえ混じっている。その全ての期待にベクター皇子は応え、笑顔で手を振り、期待に胸を膨らませて頬を紅潮させる。
 演説は終わらない。皇子の母は、ただ、微笑んでその行く末を見守っている。
「国土と資源を持ち、この国は今こそ国としての円熟期を迎える必要があります。これ以上の侵略は、国にとって真に有意義なものであるとは思いません。私達は次に、各国と手を取り合って前へ進むことを考えるべきでしょう。私は争いを好みません。私達は既に、必要以上の血を流しました。言葉で道を切り開いていけると私は信じています。――これをご覧ください」
 ベクター皇子が書簡を取り出し、大きく広げ掲げて見せた。そこに書いてある文章など、国民達はろくに理解など出来ない。しかしこの皇子が私達に差し出すのだ、それはきっと素晴らしいものに違いない、という期待が熱っぽさを伴ってバルコニーに集まってきているのを内からそれを眺めさせられている「ベクター」の意識は感じ取っていた。なんて重圧だ。ベクターは思い出す。この頃には、国民の支持率は一部の狂信的シンパを除けば殆どが若く美しく聡明で、健な皇子に集中していた。
 侵略主義に支えられて成長したこの王国は、暴虐を正義とする父王のワンマン政治によって最初期の発展を見た。彼は荒くれ者どもを引き連れ、幾度も侵略と略奪を繰り返した。ベクターの母となった妻たる女でさえ、あの男は一国を滅ぼし強制的に従える形で亡国の姫君を強引に嫁がせたのだ。そのことは、ベクター皇子は狂気にふれるまで知らなかったが……。
 度重なる戦争で国土と民はすっかり疲弊しきっていった。それを、嫁いで何かの覚悟を決めたらしいベクター皇子の母、つまり王妃が何とか取り仕切ってぎりぎり存続させていたのだ。そうだ。ベクターは今はっきりと自らがかつて生まれた国の姿を思い出していた。あの国は、母国は、ああいうことになって滅ぶまで、王の暴力的恐怖と王妃のカリスマで成立していた。
(なんて女だよ……)
 その中で、王妃は自らの息子をまんまとあのように育て上げた。それはある意味で自身を無理矢理奪った男への復讐だったのかもしれない。あの頃の皇子は疑うことを知らなかったから、母は父を愛していると信じきっていたけれど。
(そうだ)
 ベクター皇子は、母親を愛していた。そして父親も等しく敬愛した。だから、これから起こることを思うと、ちくりと胸が痛むような気がした。
「かのローマ帝国との和平条約締結を宣言する書簡です。私の友人でもあるローマの現皇帝は我が国との友好関係の存続を望み、喜んでこの条約に署名をしてくださりました。ご理解いただけたでしょうか? 人は、国は、一滴の血を流すことなく、こうして未来へ共に歩んでゆくことが出来るのです――」
 わあっ、と熱狂的な歓声で国中が満たされたかのようだった。
 国民達はこの国の新たな王の誕生を祝い、狂ったように王の名を叫んだ。演説が終わり、今や王となった彼が退出した後も熱狂は冷めやらず、興奮で充ち満ちている。だがそれもすぐに終わることをベクターは知っている。
 何故なら。この後、すぐに。
「ベクター、よくやりました。さあ、これから忙しくなりますよ。母はあなたの働きに、大いに期待しています」
「はい、母上。お身体は冷えておりませんか。一度部屋に戻りましょう。ユウマ、母上を」
「仰せつかりました」
「あ……そうです、母上。母上のお誕生日、もうすぐでしたよね。その日を、きっと楽しみに待っていてくださいね。私は母上に、少しでも恩返しがしたいのです」
「まあ。わたくしは、あなたがこの先この国を立派に導いてくだされば、それで十分に幸せですよ。でも、そうね、とても楽しみにしているわ……」
「……はい!」
 和やかな会話。希望と期待に満ちあふれ、未来を夢見ている。絶望も恐怖も憎悪も悲劇も知らない彼ら。目を覆いたい衝動に襲われたが、しかし、ベクターの意識を乗せたまま彼は歩みを止めはしない。
 母親を連れて皇子が従者と共に歩いて行く。目指すのはベクターの自室だ。そこに男が一人待ち構えていることをこの時誰も知らない。そしてその部屋で何が様変わりしてしまうのかも……
 ベクターは固唾を飲んだ。分かっていても、それはもう彼にとってあまり愉快な出来事ではなかった。
「……父上?! どうされたのですか。お身体に障ります。どうか、お休みくださいませ」
 扉の向こうに立っていたのは今は最早「先王」となったベクター皇子の父だった。鼻息を荒くし、顔は怒りで真っ赤に染まっている。身体の具合が良くなったのだという報告は主治医の誰からも来ていなかったし、彼が怒りでのみその身体を突き動かしていたのだということを今のベクターにはよく理解出来ていた。遊馬に負けたベクターの憤怒と同じだ。怒りだ。怒りが全てだった。
「たわけが! よくもぬけぬけとそのようなことを言いおる。身体に障る? 貴様自身の邪魔だという意味か。この愚息が」
「ち、父上?」
「和平条約を結んだ? なんとばかげたことを。今ひとつ……もう一歩で、我が国は……我が国は!! まだ、覇道を突き進むことが出来たというのに……!!」
「父上、何卒落ち着いてくださいませ。私にも深い考えがあるのです。父上、どうか……」
「黙れッ!!」
 ゲホッ、ゴホッ、と父王は酷く咳き込んだ。現代でいう結核あたりの、不治の病に罹患しているこの男はもう長くないどころか、寿命は恐らく既に尽きていた。それを怒りで補い、無理矢理に肉体を動かしている。この狂った男をそれでも愛している息子は近寄ろうとするが、「寄るなッ穢らわしい!!」一喝されその場で怯み立ち尽くす。
「たわけ……たわけが!!」
「しかし父上! 私はもう、民が戦で死んでいくのを見ていられません」
「ええい忌々しい。何が平和の象徴だ。貴様など、呪いの子に違いないわ!!」
「父上……」
 男は怒り狂った鬼気迫る表情のまま、息子に迫って行く。後ずさった息子が腰に下げている剣を奪い取ると、そのまま振りかぶった。ベクター皇子には、それを避けたり防御しようとする意思は見られない。
 するはずもないのだ。まさか実の父がそのような、息子を殺害するという暴挙に及ぼうなどと、彼は思ってもみなかったから。
(……あんま見たくねえな……)
 この後のことは手に取るように、最も忌々しい記憶としてベクターの現在の心の中に深く刻み込まれている。ベクターの人格をこのように構築し直した元凶となる記憶。父親の凶刃から息子を庇おうとして母親が死に、そうして直後に父親も寿命が尽きて死んでしまう。そしてドン・サウザンドが現れ……
「……あ?」
 しかしそのようにはならなかった。腹部の尋常ではない痛みがベクターの意識を襲う。何故だ? 何がどうなっている? 今、何が起こった――?
 鈍い衝撃に押し倒されるように身体が後ろから床へ向かって傾いていった。「ベクター皇子は父親に刺された」のだということを理解するのに数秒を用意した。母親が口を両手のひらで覆い、絶句して倒れた息子を見ている。父王は再び剣を振りかざした。その研ぎ澄まされた金属の切っ先は迷いなく少年の心臓へと向けられ、

 そしてベクター皇子の意識はそこで途切れた。


◇◆◇◆◇


 息が荒い。ぜえぜえと発作のように不規則な呼吸を繰り返し、俺はだらだらと大量に汗を垂れ流して顔を上げた。
「なんだよこれ……」
「ゆ、遊馬? どうしたの……?」
「わかんねえ。わかんねえ、けど」
 ベクターの手を握って意識を集中させていると、まるで流れ込んでくるみたいに鮮明な映像が流れてきて、俺はそれを外側からぼんやりと見ていた。ベクターの過去の記憶だ、ってことはすぐわかった。ちょっとだけ見たことがあったから。あの、シャークとベクターのデュエルの時にジャッジ・バスターがアンブラルを攻撃して垣間見えた「ベクターの前世の真実」ってやつだ。
 だけど俺が思っていたものと、それは少し食い違っていた。あの時見た記憶では確かベクターは母親に庇われて生き延びて、その後ドンに暗示をかけられて……そうして、戦争を引き起こしたはずだ。
「ベクターは今、戦ってるんだ……」
「……どういうこと?」
「上手く説明出来ねえんだけど……夢を見てるっていうか、そんな感じかなあ? 原因は分かんねえけど、あいつは今一人で、自分の過去と戦ってる……ような気がする」
 皇の鍵のペンダントをぎゅうと握りしめた。そこにはアストラルはもういないけれど、こうすると勇気を貰えるような気がしたから。もし本当にベクターが戦っているんだとしたら、俺はそこへ行かなきゃいけない。記憶の中には、どうしてだろう、俺の姿もあったからだ。そこでは俺はベクターの従者だったらしい。だけどそんな話、ベクターは一度もしたことがなかった。
 つまり今ベクターが見ていたものは、何かがおかしいんだ。こっちが本当にあったことなのか、それともこれは誰かが作って見せている嘘なのか、それは俺にはわからない。だったら、どうにかしてそれを確かめないといけないはずだ。
「ベクターは、今前世の夢みたいなものを見てる」
「そうなの? なんで急に……最近、そんな話してた?」
「いや、全然。今日は水族館に一緒に行こうとかそんな話しかしてなかったよ。だから俺は原因を突き止めたい。全然何も意味わかんないけど、一つだけ言えるのは、ベクターは今きっと苦しんでるってことだ……」
 深い眠りに就いているベクターの呼吸は浅い。そして、額に皺を寄せて冷や汗を垂らしている。握る手に力を込めた。そうだ。俺はこいつと、約束をした。
「友達が苦しんでいる時は、やっぱさ、どうにかしてやりたいよ」
 もう絶対一人になんかしないし、俺がお前を守ってやるって、あの時確かに俺はそう言ったんだ。
「遊馬……」
「小鳥、ごめん」
 だから俺はそうやって小鳥に謝った。小鳥がえっ? ってびっくりした顔になる。何で謝られたのか、わかんないっていうそういう顔だ。
 だけどきっとこの後小鳥はすっごく怒るだろう。そういう予感があって、俺は先にごめんって言う。ちょっとずるいかなとは思う。だから全部終わったら、もう一回謝るつもりだ。
「帰って来たら、どれだけ怒ってもいいから」
「ちょっと、遊馬?! あなた一体何をするつもりなの?!」
「だって、友達を助けるのに理由なんか要らないんだ」
 ベクターの手を両手で握り締めて、たった一つ、強く念じる。多分ベクターの意識は、あの記憶の中にいたベクター皇子の中に閉じ込められているんだろう。だったら俺も、あの俺と同じ姿形をしているらしい少年の中に入っていくことが出来るんじゃないだろうか。それが出来たら、何かもっと違う働きかけが出来るという根拠のない自信に後押しされてもう一度願う。
(俺をベクターのところへ連れて行って)
 そうすると、何かが俺の身体の奥深くに触れるような感触がして、ふっと意識が遠のいていくのが分かった。まぶたが重みに耐えかねて自然に落ちていく。遠くで、小鳥の叫び声がしている。
(あれ……?)
 小鳥の声も聞こえなくなって、現実が遠くなっていく最中、誰かが笑っている姿が見えたような気がした。ひび割れた石柱に囲まれた花畑の真ん中で、花を摘み、微笑んでいる誰か。誰だろう? 知っている人間のはずなのに、名前がまるで思い出せないのだ。
「ようこそ」
 誰かがそう言った。それっきり、もうその誰かも、石柱も、花畑も、どこにも見えなくなった。


 そうして俺達は、そこから長いような短いような、不思議な眠りに就くことになる。その中で俺達は何度も少しずつ違う歴史を繰り返す。俺達が忘れて目を背けていたこと、まだ、何もわかっていないのになかったことにしていたこと。遙か遠い昔の七皇達の過去の話。そういったことが明らかになっていくことを、その時になるまで俺達はまだ全然、知るはずもなかったんだ。
「THE NEVERENDING STORY」‐Copyright (c)倉田翠.