※オフ本のサンプル
※遊矢とシンゴ・素良・零児それぞれとの短編一つずつがゆるやかに繋がっているほのぼの短編集。
※短編三本それぞれの冒頭千文字と少し。本ではこれに加えてエピローグが入ります。
「100sec. Kichen Battle!!」
「LOVE IS ORANGE」
「Dimanche」





100sec. Kichen Battle!!






 気まずい。
 それが今シンゴの心情を支配している言葉だった。
 先日、大見栄きって「ジュニアユースで会おう」などと榊遊矢に宣戦布告をしてからまだ三日と経っていない。まだ今はジュニアユースの選抜期間さえ終わってはおらず、シンゴは早くも格好つけた台詞を遊矢に吐いたことを後悔しはじめていた。せめて、もう少し、何か猶予のある感じにしていれば。
 舞網第二中学校では、男女とも家庭科の授業を受ける。が、何故か男女で家庭科のクラスが別れていて――男子が固まって家庭科を習っている時に女子は保健の授業を受けていて、その逆も然りというのが実態なのだが――そうすると一クラス分の生徒では数が少ないので、別のクラスと合同授業になる。
 問題はその合同相手だ。
(なんで、こういう時だけ……)
 今日は滅多にない調理実習の日。合同授業そのものは慣れたことだけれど、今日に限ってはいつもとは勝手が違う。シンゴは調理台の向かい側でエプロンを着けている少年をちらりと見て、やはり気まずくて仕方なくなりすぐに目を逸らした。
(くじ引きの合同班に一緒になってるかなあ……)
 溜め息ばかりが口からついて出る。えっちらおっちらと自分もエプロンの紐を結びながら、こちらに目もくれない遊矢をもう一度だけ見た。眩しさに目が焼かれてしまいそうな錯覚を覚えたので、やっぱりすぐに止めた。


 事の発端はちょっとばかり複雑だ。先日、榊遊矢に手ひどい敗北を喫し、そのうえ卑怯な襲撃を受け(と、沢渡シンゴは今も固く信じている)、シンゴはとうとう決意した。榊遊矢に勝つ。あのストロング石島を倒した榊遊矢は確かに脅威だ。すごく強い。その上ペンデュラム召喚なんてものを使う。でも、倒せない相手じゃない。
 何しろ最近レオ・コーポレーションはペンデュラム召喚の仕組みを解析することに成功したっていう噂だし、そうしたらペンデュラムカードは量産されて遊矢以外の手にも渡るだろう。ペンデュラムこそが遊矢の強さの核だと信じているシンゴにとってこれは朗報だった。誰よりも早くそれを手に入れる。そうしたら、自分と遊矢の実力差はなくなり、真面目に修練を積んだシンゴが勝利する。そういうシナリオがシンゴの頭の中で組み上がるのにそれほど時間は必要なかった。
 そうするとシンゴの中で予測は必然的に確信に変わっていく。もうすぐ自分は榊遊矢に勝てる。勝って遊矢をけちょんけちょんにしてあの雪辱を晴らせるのだ。そうなってくるとそれはもう、用意周到に下準備をして最高にかっこよく勝たなければならない。
 そこでシンゴが手始めに行ったものは何だったか。
 そうだ。宣戦布告である。
「ジュニアユースで会おう」
 そんな下心のもと、超かっこよく捨て台詞を吐いて颯爽と遊矢の前を去った。決まった。滅茶苦茶爽やかに決まった。去り際、背中に注がれる(そのはずだ)遊矢の視線を感じながらふっ……と吐息さえ漏らした。これで下準備は完璧、あとはジュニアユースの舞台であいまみえ、文句の付けようがない勝利をすることで沢渡シンゴの経歴は彩られプライドは守られるのだ。
 そのはずだったのに。
「ええと……まず卵を割って、それから塩コショウと牛乳を適量……適量ってどのくらいなんだろ」
 何故今、シンゴの目の前で榊遊矢は卵を割っているんだろう。



・・・・・・・・・・・・・・



LOVE IS ORANGE


「そういうわけでパフェのタダ券がここに二枚あるんだけど」
「えっ、ホント?! やった〜! 遊矢と一緒でしょ? 行く行く!!」
「って即決か。ま、いいけどさ。これから行くか?」
 適当にかいつまんで事情を説明し、先日沢渡から貰い受けたタダ券を二枚をぴらぴらさせて尋ねると素良は一も二もなく遊矢の申し出に頷き両手を広げて飛び跳ねた。
 ぴょこんと飛び出してきた素良は手早く遊矢の隣をキープすると嬉しそうにスキップしながら、思い出したように「でも柚子はいいの?」と遊矢に聞いてくる。素良は遊矢に妙に懐っこい……というより馴れ馴れしい部分もあるが、柚子のことも含め、ある一定のラインを引いてそこは遵守してくるような素振りが多々見られた。
 遊矢はその質問に黙って首を振る。素良を誘う前に、勿論柚子には声をかけてみたのだ。
「そりゃ、一番最初に柚子に聞いたよ。だけど柚子は、たっぷり五分悩んでから『体重計が怖いからやめておく』だって。女子ってそのへん大変だよな……」
「うん、柚子も多分、それ遊矢には言われたくないと思うけどね。遊矢はさ、ほっそい……っていうかわりとひょろいじゃん。もうちょっと筋肉付けてもいいんじゃないの? 僕としてはいまの細くて華奢な遊矢も好きだけど。デュエルでもなんでも強くなるのに筋肉は必要だよ?」
「うるさいな俺だって一応トレーニングはしてるってば!」
 いつもなら塾へ向かうところを、今日は真逆の方に進路変更して二人でとてとてと歩いて行く。塾を休む旨はパフェを食べることを断念した柚子がちゃんと二人分塾長に伝えてくれるだろう。尤も、ここのところ素良は塾に来ないことが多かったからあまり変わらないかもしれない。
 遊矢と一緒に出たいとかそんなことを言って素良が六連勝の勝ち星を上げにどこかへ行ってしまってからまだ二日とか三日ぐらいしか経っていないけど、素良を捕まえること自体はそんなに難しくはなかった。何しろ素良はしょっちゅう遊矢の家に現れては入り浸っている。榊家にはすっかり馴染み、素良が朝食を食べに来るのが遊矢の母親にとっては当たり前になっているらしく気が付いたら椅子が二つから三つに増えていた。
 家ばかりではなく、ふらりと気が向くと遊矢の中学にもやってきて、校門前で待っていたりする。とにかく神出鬼没だが、普段どこで何をやっているのか、遊矢は素良に把握されているのに素良のことを遊矢はろくに知らない。
 そういえばジュニアユースに出られるということは規定上素良は中学生ということになるのか。しかし、遊矢は素良が学校に通っているところも当然見たことがない。見たところ制服は舞網第一中あたり……っぽいのだけど。
「遊矢って甘い物、好きだっけ? 僕は大好きだけど。あんまり自分から食べてるイメージないからびっくりしちゃったよ」
「好きか嫌いかって言われたら、まあ普通に好きだよ。 母さん、朝からパンケーキ焼いたりしてるし……甘さ控え目のだけど。別に苦手じゃないな」
「ふーん。なんかちょっと、親近感わくなー」
「そうかあ? お前、俺なんかよりはるかに甘党だろ。沢渡の方が趣味合うんじゃないの」
「さわたり? ……あー、あの、冴えないお坊ちゃんね。無理無理、あんなやつ全然興味わかないよ。弱いし。頑張ってるってのは認めてもいいけどね。それより……うん、やめとこ。遊矢にする話じゃないもん」
「えー、なんだよそれ。滅茶苦茶気になるじゃんか」
「内緒。あのね遊矢、世の中には、知らなくていいことってのがいーっぱいあるんだよ」
 素良が思い浮かべたのは、あの「ここではない場所」からの闖入者のことだった。黒いマントの男。素良のスピードに着いてきた戦闘能力、どう考えてもただ者ではない。その上彼は素良に向かって「お前も」と言ったのだ。一目で看破された。ますます、普通じゃない。
 それに素良の見立てが正しければ、恐らく、あの男は遊矢の……
(ま……今はまだ、赤馬零児の調査に集中した方が得策かな……やっとダミーじゃない正規コードに辿り着いたんだから。ほんと、遊矢のそばにいると退屈しなくていいなあ)
「おいなんだよその勿体ぶった言い方……素良?」
「ん? なーに?」
「お前さあ、隠し事するのは勝手だけど、それをほのめかしてそれだけってのは気になるから止めろよ。まったく……ほら、もうすぐ着くぞ」
「んーん、ま、隠し事って言えばそうなんだけど、遊矢にはそのうち話すかもしれないからね。……どこの店? あっち? それともそっち?」
「そっち。ケーキ、結構美味しかったからパフェも美味しいんじゃないかな」
「どうかな。僕のお眼鏡に適う味だといいけど」
 わざとらしく遊矢の腕に飛びつくと、遊矢は「おいおい」と困ったように笑ったが、素良をはねのけることはしなかった。



・・・・・・・・・・・・


Dimanche


「社長、報告したいことが」
「どうした」
「先程一階庭園でこのようなものを……その、保護しました……!」
 それは取り立てて急ぐ用事もなく、穏やかに流れていたある日の午後の出来事だった。
 取り次いだ中島も困惑しているのか、おずおずと差し出してきた「それ」を見て赤馬零児は盛大に顔をしかめた。
 まずもって、それはプラスチックで出来ていた爆弾だとか、そういう無機物の「もの」ではなかった。生き物だ。しかもその辺の捨て猫とか犬とかではない。赤馬の目がおかしくなったわけでなければ、それは人間であるはず。
 その上、
「……まさかと思うがその腕に抱えている物体、『榊遊矢』ではないだろうな」
「我々もまさかと思いました」
「では」
「その……大変元気いっぱいに自己紹介されてしまい……如何いたしましょう……」
 ――推定して、三歳ほどの子供の姿をした、あの榊遊矢の形をしているのだ。
 眼鏡を掛け直して今一度中島が抱えている子供の姿をまじまじと見たが、やはり榊遊矢にしか見えない。三歳ぐらいの遊矢の写真に、丁度今目の前にいる子供と同じ顔かたちをした姿が写っているのを零児は見たことがあった。
 写真の中で遊矢は父親と思しき撮影者に向かってひまわりのような笑顔で大手を振っていたのだが、今はそれとは真逆の不安いっぱいの表情で落ち着かなさそうにあたりをきょろきょろと観察している。頭が痛い。考え込むように目を閉じると、中島がまた「あの……」と小声で伺いを立ててくる。
「社長、実は原因に心当たりがあります」
「私も今丁度同じことを考えていた。ペンデュラム召喚の実験を、今エリア十八でやっていたはずだな」
「はい、その通りです」
「その余波を……通りがかりに彼が受けてしまった可能性が高い。彼は親和性が高いから。それなら説明が付かないこともない……となるとやはり、この子供が正真正銘の榊遊矢ということになるわけか。……彼の今日のスケジュールはどうなっていたかわかるか? 公式戦の予定は?」
「ありません。明日は、ニコ・スマイリーの手引きで一件入っているようですが」
「明日までに元に戻さねばならんな。中島、彼を私に」
 幼児化した遊矢(恐らく)を中島の手から受け取ると、零児は深く息を吐いた。
 先日、榊遊矢とのデュエルで初めて披露した赤馬零児独自のペンデュラムカードは、不具合を起こし零児の認識の甘さを露呈させた。調整は出来うる限り万全に行ってきたつもりだったが、やはり完璧には程遠く、ペンデュラムスケールの認識値が暴走を起こしてしまったのだ。
 しかしその過程でペンデュラム召喚の「秘められたもっと大きな可能性」に気づけたのは僥倖だった。それで、その疑問点に関する実験を先日から段階的に行っていたのだ。
「今日行われていた実験は確か……ペンデュラムスケールの理論値に関するものだったか」
 記憶から情報を引き出してきて反芻する。だぼだぼの(元々彼が着ていた服だろうと思われた)洋服にくるまれた幼い遊矢の胸元には、あのペンデュラムのペンダントが引っ掛かっていた。監視カメラ越しでは何度か目にしていたが、直で見たのは初めてだ。
「これが榊遊勝が息子に与えたペンダント」
 天使の羽が纏わり付いた蒼くよく透き通った水晶。カット面は美しくなめらかで傷痕一つない。丁寧に磨き込まれ、大切に扱われているのがわかる。
「……これが触媒か?」
 そのペンダントを、そっと手にとって掲げた。


| home |