※オフ本のサンプル
※カイ中心シリアス本です。Xrd Rev2後の時系列で、独自設定と捏造と妄想とオリキャラが含まれます。大雑把にまとめると「カイキスク天使妄想」第二弾みたいな内容になってます。
※本文中に直接的な性描写はありませんが、朝チュン程度のソルカイベッドシーン要素があります。
※サンプルにはソルが出てきませんが、この後はほぼ出ずっぱりです。逆に第二・第三連王とミリアはこのあと終盤までほぼ出ません。













01



 聞いたか、あの、聖皇庁の発表。お茶菓子を口の中に放り込んでレオが言う。カイはもちろん、と頷きお茶のおかわりをレオのカップに注いだ。これでもう三杯目だ。
「神憑きなんて、胡散臭いばかりの話だとは思うけれど」
「それをお前が言うのか、精霊憑きの」
「精霊憑き自体は史実にもまあまあ出てくるだろう。聖騎士団に所属していた歴代の団員にもいたはずだ」
「まあ……ソイツはそうだが」
 レオが曖昧に頷いた。聞くところでは、クリフの先代団長を務めていた男も確か精霊憑きだったという話だ。「だった」などとぼんやりした単語で括られてしまうのは、彼が団長職を拝命した十八の誕生日の次の日、聖戦史上五指に入る悪夢であったバイエルン衝突戦線において、団員達数百名を庇って戦死してしまったためである。その際、ほの白く光る女神の姿をした何かが巨大な盾を作り、団員の多くは救われた。しかし術を行使した本人は「女神アテナの祝福あれ」と言い残してバイエルンの地に眠った――と団の記録にはそう記されている。
 故に彼は女神アテナの祝福を受けた精霊憑きだったのだという。本当のところは、もう誰にもわからない。当時唯一その場に居合わせた人間だったクリフも既に他界してしまったからだ。
「失礼、その精霊憑きというのが、私には今ひとつぴんとこないのだが」
 話も半ばに差し掛かった頃、アップルパイの隣に鎮座した山盛りのプリンにスプーンを突き刺しながら、二人の話を黙って聞いていたダレルが口を開いた。彼の顔には珍しく打算が浮かんでおらず、どうやら本当に精霊憑きのことを詳しく知らないらしい。
 ダレルの顔色を確かめ、レオが素直に謝罪した。
「ああ、すまない。そういえばお前は騎士団の出身じゃなかったな」
「父が家から出してくれなかったかものでね。時折、パトロンの家督を継ぐ者として聖騎士団側に関与することはあったが」
「そういえばお偉方の懇親会にたまに来ていましたよね。私と同じぐらいの子供は珍しかったので、覚えていますよ」
「……初耳だよ。カイ、まさか君に見られていたとは……いやそんなことはどうだっていい。それより精霊憑きとは一体何のことだい?」
 相貌に浮かんだ僅かな動揺をすぐさま引っ込め、ポーカー・フェイスを取り繕ってダレルが改めて訊ねる。心なしかプリンをすくう速度が速くなっていることにレオは気がついたが、敢えて口にはしなかった。優しさというやつだ。
 そんなレオの気遣いに一切気がついた素振りもなく、カイは一つ頷き、説明のために人差し指をぴんと天井へ向けて立てた。
「簡単に言うと、精霊憑きというのは、法術適性の図抜けて高い人間のことだ。特徴として、一定以上の法力を消費する大技を使うと精霊のシルエットが浮かび上がる――なんて言われているが、それ以上のことは分かっていない。あまり研究されていない分野だから」
「ああ、人体実験に関わるからだね」
「ご明察。それに、そもそもの数がとても少ないんだ。何しろ聖戦期は激しい戦いがずっと続いていた。必然、強大な法術使いであった彼らは戦場へ赴き、大半が若くして亡くなっている。満足なサンプリングも出来ないため、恐らくは 突然変異種 ミュータント なんじゃないかという適当な説のまま、百年前から学説も止まっている。はっきりしているのは、聖戦以降に観測されるようになったということぐらいか」
「ではセントエルモやニーゲルと同じようなものかな」
 セントエルモの灯もニーゲルの破砕日も、聖戦が始まり人類が法術を乱用した結果、自然法則のバランスが乱れたために起きる「決済現象」だと学説では語られている。同様に、精霊憑き自体も、何らかの「決済」をするために人の身体に起きる異常現象なのではないかという見方は非常に明快でわかりやすい。
「聖戦の申し子ってことだな。……ところでダレル。そのプリン、俺達の分はないのか」
「申し訳ないが、これで全てなんだよ」
 適当にまとめたレオが頷き、少し間を置いてから訊ねるとダレルが悲しそうに首を振った。それだけこんもりと盛られていればそりゃあソイツで全部使い切ってもおかしくはないが――と思ったものの、レオはそれ以上の追求をしなかった。近頃発覚し始めたことだが、どうやらこの第三連王、プリンというものをほぼジャンキーというレベルで偏愛しているらしいのだ。
 どうも困ってしまいちらりとカイの方を見ると、カイはカイで五杯目の紅茶をダレルのカップに注いでいる。この場にいる三人の中で最も序列が高い第一連王であるはずの彼はしかし、給仕というか、人に紅茶を淹れるのが好きらしく、今日の茶会も一人でそのあたりを切り盛りしていた。もうこのあたり、突っ込もうという方が野暮なのかもしれない。
 レオは全てを諦め、一つだけ咳払いをすると今日の議題へ無理矢理話を戻した。
「しかしまあ、神憑きなあ。精霊憑きでさえ定義が曖昧な存在なのに、何を考えてそんなものを発表したのか……」
「けれど、次期聖皇に最も近しいエドワード=マイルズ枢機卿が直々に国連議会で発言したとなれば、無視出来ないのが現実だ。だからこうして連王を三人集めてまで話し合っているわけで」
「まったくだ。コンクラーベが近いこの次期になって、わざわざそんな荒唐無稽な話を持ち出してくるとはね。……無論、コンクラーベが近いから、なのかもしれないがね」
 呟き、ダレルは憂い顔を深めた。
 アリエルス失脚以来、聖皇庁のトップたる聖皇の役職は空白になっている。その代役を一時的に連王三人の議会で務めてきたのだが、当然、聖皇庁からはそのことにいい顔をされていなかった。権力のバランスが崩れるという言い分は無論のこと、今や実質世界ナンバーワンの大国とは言え、元老院配下の雇われ国王でしかなかったはずのイリュリア連王達が、元老院を超えた権力を有しているはずの聖皇庁に口出ししてくるという構図が、どうも好ましく受け取られなかったようなのだ。
 とはいえ新聖皇の選出には聖皇庁側が定めた厳格なルールを遵守する必要がある。それを理解しているからこそあちらも大きくは言ってこなかったが、はっきり言って現聖皇庁内で最大勢力を誇るマイルズ枢機卿派からはそれは酷い塩対応を受けていた。やっとのことで準備が整ったコンクラーベに際して、連王国側に余計な干渉を受けたくないという意味合いでの牽制を仕掛けてくるのは当然の帰結とも言える。
「何か心当たりが?」
 カイが目を細めると、ダレルが深く頷いた。
「これは、『公正な』情報の遣り取りで知ったことなんだが。どうもマイルズ枢機卿は、自身が聖皇になった暁には件の神憑きの少年を枢機卿に抜擢する腹づもりのようだ」
「それは……いえ、確かに聖皇には枢機卿を任命する権限が与えられてはいるけれど……」
「あまりにも唐突すぎる、と? しかし思い出してもみたまえ、そもそもアリエルス自体がハピヌス二十七世に異例抜擢された存在なのだ。当時のアリエルスは聖皇庁に入庁したばかりの下っ端だった。それを前例に持ち出されてしまうと、説得力のある反論を展開するのはなかなか厳しい」
「……なるほど。今思えば、あれは慈悲なき啓示として何らかの人心操作を行った結果だったのかもしれませんが。晩年の奇行と並んで、ハピヌス二十七世のアリエルス抜擢を問題視する声が、近頃は大きくなってきていますからね」
「言われてみれば、マイルズ枢機卿はアリエルスに蹴落とされて聖皇就任の機を一回逃したことになるのか。……こいつは根が深いかもしれんな……」
 三人は揃ってカップを口に付け、紅茶を含むと、一様に項垂れた。
 これまで聖皇選出は聖皇庁内で完結してきたが、アリエルスのやったことがやったことだけに、今回のコンクラーベには第三者機関として必ず連王国が監視に入るよう国際連合から強く言い含められている。聖皇直属部隊としてのファランクスナイン以外に表向き動員できる兵隊を持っていない聖皇庁としては、イリュリア・アメリカ・中国という三国を統括した武力がイコールになる国際連合と正面切って敵対することは避けたい。だがイリュリアの介入はいけすかない。その結果としての「神憑き」発表だと考えた場合、マイルズ枢機卿の目的がどこにあるのか、慎重に考えねばなるまい。
「で、誰が出る」
 最初にそう切り出したのはレオだった。表情は疲れ切っていた。月ほどに膨れあがった仕事から一時とはいえ堂々と抜け出せたと思えばこれだったので、疲労が色濃いのは致し方がない。
「申し訳ないが、私はマイルズ卿から蛇蝎の如く嫌われているため、交渉の余地があるとは思えないよ」
 次にダレルが澄まし顔で嘯く。交渉スキルはともかく、実力主義というよりは内輪のしがらみで雁字搦めになっている聖皇庁と、公正公平さが行き届きすぎているダレルでは確かに相性が悪すぎる。
「では、私が行く他ないだろうな……」
 仕方なく、最後にカイがくたびれた表情で渋々呟いた。結局この手の交渉ごとを任されるのはいつもカイなので、薄々勘付いてはいたが、気は乗らないのだった。
「カイなら大丈夫だろ。『神憑き』を後進に任命するぐらいだ、華々しい戦歴を持つ『精霊憑き』相手なら、まあ待遇も悪くないんじゃないか」
「残念だがレオ、私は幾度となくマイルズ枢機卿にしょっぱい挨拶をされていてだな……」
「そもそも連王国嫌いの卿と会ったことがあるだけで加点だよカイ。我々との会談にはいつも何かと理由をつけて代理を立てていたのに」
「聖騎士団団長を務めていた頃と、警察機構長官だった頃に何度かね。連王就任以降は会っていない。気が重いのは二人と一緒だ」
 とぼとぼとカイがおかわりの紅茶を自分のカップに注ぐ。カイはもう八杯目ぐらいだ。ストレスのはけ口を紅茶に求めていると言われても、信じられる気がした。こんな案件がいきなり議会で出てくれば、やけ酒ならぬやけ紅茶をカイでもしたくなるのか。
 知りたくなかった事実に気がつき、目を逸らすようにダレルの方を見た。あれほど盛られていたはずのプリンが、そこにはもう一欠片もなかった。みんなストレスに耐えて生きているのだとレオは静かに悟った。
 そういう塩梅で本日の議題について審議し終わり、不定期で開かれている連王三人の茶会はお開きになった。
 ……と思いきや、各々席を立ち片付けを初めてすぐ、思い出したようにダレルがカイを手招きする。
 ティーワゴンにカップやポットを置いていたカイははたと動きを止め、ダレルの方を怪訝な顔で見た。
「何か?」
「ああ。先日、我々の配下にアサシン組織を引き入れただろう」
「ええ。その指揮はダレル、貴方が引き受けていたと記憶していますが」
「無論管理は怠っていない。しかしあちらから直々の指名を受けてしまったのだ。次の報告は私ではなく第一連王、君に上げたいとね」
「……私に? それは別に構いませんが……」
「何の目的で、とは聞かないでくれたまえ。私は何も知らされていない。直接アサシンの者に聞くと良い。顔馴染みだ、とも言っていたからね――」
 ダレルの口ぶりは事務的だ。この男はあまり誠実とは言えない時も多いが、ことカイの身に危険が迫るような事は看過しない。それにアサシンのトップとカイは確かに付き合いが長い。その彼らがわざわざカイを指名してくるのだから、何か「カイにしか話せない」事情があるのか……。
「分かりました。では、執事にスケジュールの調整を伝えておいてください」
 不可解な謎を抱えつつ、カイはダレルの申し出を承諾した。


◇◆◇◆◇


 アサシンからの報告は茶会の三日後、息吐く暇もなくすぐに上がってきた。時間になり、一度執務の手を止めて応接室へ向かう。戸を開けると来客用ソファに既に客人が座り込んでいる。
 黄色い装束に身を包んだアサシンの女は、カイの姿を認めると事務的に一礼した。
 先日の一件で正式にイリュリア連王国への帰属が決まったアサシンには、調査で得た情報を雇い主である連王へ報告する義務がある。しかしこれまで、その報告をカイが受けたことは滅多になかった。アサシンと契約を結び、彼らを引き上げたのは第三連王ダレルだという事実を、カイは重んじていたのである。
 しかし今回はアサシン自らの指名だ。彼らに何らかの心境の変化があったのか、それとも、もっときなくさい事情があるのか……。それらを探る意味合いも含め、カイは旧知の女性に向けるものではなく為政者としてのポーカー・フェイスを選択し、ソファに腰を掛けた。
「お久しぶりです……しかし、驚きました。報告の相手にわざわざ私を指定してくるなんて。今回はどういった案件で? 合理的な駆け引きより、旧知の縁に拠った情のある遣り取りがお望みですか?」
「こんな情報、第三なんかに流せないってだけ。彼が合理主義者であればあるほどね。公正な判断のもと、何に使われるか分からないわ」
「悪用するに足る価値がある情報ということですか」
「そ。でも貴方は逆立ちしても悪用法を思いつけそうにないかなって。アサシンは基本的に第一連王のことを買ってるのよ。一で百を動かしたい時なんか、特にね」
「……お褒めの言葉として受け取っておきましょう」
 浮かべたばかりの柔和な表情がやや崩れかけるのを自覚し、お茶を勧める。女――ミリア=レイジは毒味もせずにカップを口に付けた。どうやら信用はされているらしい。
 カイは一つ息を吸い、次の言葉を選択した。
「ここしばらくはザトーを頭目に据えて活動していると聞きましたが、一緒ではないのですね」
「やめてちょうだい、いつまでもパパと一緒にいる女学生みたいな言い方。彼は今ちょっと忙しいのよ」
「ベーカリーの視察で?」
「そうね。そんなとこ。……本題に入りましょう」
 ちょっとした意趣返しのつもりでそこに言及しただけだったのだが、それだけで大分気が削がれたらしい。ミリアはふるりと首を振ると書類の束を取り出してテーブルに広げ、説明を始めた。
 思っていた通り、彼女の報告は先日枢機卿が発表した「神憑き」についてのものだった。マイルズ枢機卿は神憑きの少年について発表をこそしたものの、その少年は未だ表舞台に姿を晒しておらず、真相は謎に包まれている。あまりにも情報が少ないため、そもそも存在しないのではないかという論も出始めているほどだ。
 そんな彼の正体は、アサシンの力をもってしても掴めなかったらしい。プロフィール欄は殆どがXで埋められており、唯一判明しているのも、「リオン=エイレナイオス」という名前それのみ。
 とはいえ穴あきだらけのプロフィールでは流石に終わらず、報告書類は更に続く。それらをさらさらと読み進める中、引っ掛かる単語あってカイは顔を上げた。
「この、『人造天使計画』というのは」
「そう。それが、第三連王に話を通さなかった理由」
 ミリアが意味深に頷き、整った指先で書類の一点を指し示す。
「まだ調査途中だけれど、私は、人為的に『精霊憑き』を造ろうって実験だと推測してるわ。そしてその成功作が『リオン=エイレナイオス』なんじゃないかってね。で……それらの指揮を執っているのは、エドワード=マイルズ現枢機卿で間違いない」
「それが本当だとすれば、大事になりますよ」
「ならないよう、偽装工作を徹底してる。貴方、彼が支援している孤児院の数を知ってる? ……千五百八十三。ヨーロッパエリアの孤児院でマイルズの息が掛かっていない孤児院を探す方が難しいの。枢機卿として得た私財を殆ど孤児院の支援に充ててるらしいわ。これだけ児童福祉に貢献していれば、マイルズの実際の人柄がどうであれ、聖人として列せられるのは間違いないでしょうね」
 貴方の前で列聖の話なんかするのは皮肉かしら――とミリアが心にもない言葉を零し、肩をすくめた。
 カイはこめかみを押さえて思案を巡らせた。世界中の孤児院に手を伸ばしている男が、どういった条件で生まれてくるのかも分からない「突然変異種」の精霊憑きを人為的に造ろうとしていた。となれば孤児院の子供達を少なくない数実験台にしていたろうことは間違いない。しかしその目的がわからない。自身の後継者を造るためか? まだ聖皇にもなっていないのに?
「……一つ、確認させていただけませんか」
 カイは険しい面持ちで口を開く。そもそも「人造天使計画」という言葉を冠した理由は何なのだろう。信心を集めているとはいえ、建前上一つの宗教を持ち上げないことになっている聖皇庁の枢機卿が、「天使」だなんて。
 何かとても……嫌な予感がする。例えば人の醜きを煮詰めた醜悪の発露のような。倫理にもとる、おぞましいものが潜んでいるのではないか……。
 そんな思いを抱いていることが伝わったのか、応じる側のミリアも僅かに面持ちを堅くした。
「分かる範囲でなら」
「人造天使計画が、精霊憑きを造る実験計画のことだと仮定した上で、です」
「なに」
「マイルズ卿は例の少年を『神憑き』として発表している。精霊憑きではなく……。この二つの違いは、なんなのでしょう」
「残念だけど、正確なところはわからない」
 ミリアが首を振る。しかし彼女はその直後に「でも」と前置きをし、更にページを捲った。
「『精霊憑き』と『神憑き』の条件や差は、最大機密扱いみたいでまったくヒットしなかった。けれど『精霊憑き』と『神憑き』を分類したリストはなんとか手に入ったわ。それがこれよ」
 カイは示されるままにリストへ目をやる。「精霊憑き」の項目には、聖戦史で必ず習うような偉人達の名が記載されていた。カイも歴史書で見知った名前ばかりだ。知らない名前にしても、所属が「聖皇庁」と明記されている。聖皇庁が精霊憑きを囲っていたという話は初めて聞いたが、有り得なくはない。
 問題は「神憑き」の方のリストだ。カイは目を凝らしてそのリストを見た。
 こちらに記載されている名前は二つしかない。一つは無論、「リオン=エイレナイオス」。
 そしてもう一つは……。
「これは……何故……」
 思わずそう口をついて出ていた。あまり感情で顔色が変化しないようになって久しいが、それも、鏡を見たら保てていないのではないかという気がした。
「知らない。書類の偽造はしてないわよ。……聖皇庁は、間違いなく貴方を神憑きとして扱っている。イリュリア第一連王……いいえ、『人類最後の希望』カイ=キスク」
 カイは息を呑み、瞬間、言葉を失ってしまった。ミリアが真っ直ぐにカイの目を見つめたまま、敢えて聖戦時の渾名を口にしたのだ。
 聖戦時、カイを指し示す渾名は不本意ながら無数にあった。「人類最後の希望」もその一つ。けれどそれは、カイにとってあまり楽しい思い出ではない。
「止めてください。私はそんな大それたものではなかったのに」
「けれどこのリストを作成した人間にとっては、それそのものだったようね。報告書類の後半に書いておいたけど、人造天使計画では、何故か比較対象に貴方の名前が頻繁に出てくるのよ。もしかしたら、貴方という『生まれながらの救世主』を超えることを第一目標に掲げた計画の成果が、リオン=エイレナイオスという得体の知れない男の子なんじゃないかしら?」
「……正気の沙汰で行っていることではないのでしょうね」
「天使に魅入られたのかもしれないわね。貴方が小さい頃の噂、私でも覚えてるもの」
「あの、本当に止めてください」
「ともかく、精霊憑きの条件だってよく分かってないのに、神憑きの条件なんてもっとわからないわ。これ以上はなんとかして枢機卿に吐かせるしかないでしょう。思ったよりあの狸ジジイ、手堅いのよ」
 最後の方は、カイを慰めようとしたのかどうか分からないが、ちょっと茶化すふうだった。
 それからしばらく、カイは無言で書類に目を通した。「人造天使計画」についてはミリアが最初にまとめた以上のことは記載されていなかったが、精霊憑きの人為的作成疑惑という大枠が掴めただけでも成果としては大きい。
 次なる問題は、この調査をどこが受け持つかだろう。カイは思案した。組織内部腐敗の調査は警察機構時代にカイも何件か手がけたが、聖皇庁レベルの権威機関相手だと、警察機構に任せるのは難しい。
 となれば、切れるカードの数から言っても、近いうちにマイルズ枢機卿と面会の機会を設ける予定だったカイが動くのが一番効果的ではあるだろう。かといってあまり馬鹿正直に真正面から乗り込んでも、取り合ってもらえるとは思えない。
 カイはちらりとミリアを見る。あまりこういう手段は好まないが、アサシン組織を動かしておいた方が良さそうだ。
「……その顔。まさかと思うけど、この件をどうにかしようって腹づもり?」
 黙ってカイの顔色を伺っていたミリアが、そこで半ば呆れたように声を掛けてくる。カイは生真面目に首を振ってそれに応えた。
「お心遣いは感謝しますが、私は正義に実直でありたい。知ってしまった以上、子供達を人体実験の材料にしているかもしれない案件を放ってはおけません」
「はあ……まあ、貴方ならそう言うわよね。それも分かってて、第一連王を指名したのよ。追加報酬の遣り取りは当事者とした方が早いでしょ」
「流石、話が早い」
「第三は合理的な考えしか持ってないわ。彼なら間違いなく、人造天使計画の要――人為精霊憑き製造のレシピだけなんとか入手するように言って、後は捨て置いたでしょう。実際私もそうするべきだと思うもの。こんな話、ありふれてるの。その中では一際規模が大きい方だと思うけど、これを一つどうにか出来たからって、世界は平和になったりしないのよ」
「それでも、人々が私に望んでいるのはそれさえ捨て置かず、全てに手を差し伸べる私なので」
「難儀な子。……いいわ、成果報酬で手を打ちましょう。それでいいでしょう?」
「ええ、ご厚意感謝します、ミリアさん」
 にこやかな笑みにミリアがこれ見よがしに溜め息を吐く。難儀。ミリアがカイに抱く感情を表す最もシンプルな言葉だ。ミリアが知っている限り、まだ青臭い二十と少しの青年だった頃から、カイはずっと難儀な生き方をしている。ミリアはふと思う。だから聖皇庁は彼を神憑きに分類したのだろうか。それとも、幼い頃から天使なんぞと呼ばれていたから、難儀な生き物になってしまったのだろうか。
 けれどそれを不幸と罵る資格はミリアにはない。教えてやるほどの義理もない。ただ……報酬が出るのなら手伝ってやろうかと思うぐらいの縁は多分ある。
「私の名前、忘れたのかと思ってたわ」
「まさか。記憶力には自信がありますよ」
「知ってる。そういうところも、難儀よね……」
 また大きく溜め息を吐き、ミリアは額に手を当てて少し考え込んだ。
 まだ、一つだけカイに伝えていないことがある。何しろはっきりした確証が取れていない。旧知の縁とは言え、顔見知り程度で、とりわけ親しくもない相手に告げるべき言葉か図りかねている。
 けれどすぐに思索から戻り、顔を上げる。雇い主に多少親切にしたところで罰は当たるまい。
「ねえ、神憑き云々はともかく、貴方が精霊憑きっていうのは、間違いないのよね。私も……見たことあるし」
 思いがけない急な問いに、カイは驚いたように目をしばたかせた。
「え? ええ……」
 精霊に愛されたものはその力を借り受けることがままあり、大量の法力を必要とする術式を用いると、普段は目に見えぬ存在である精霊が可視化されて人々の前にその姿を晒すことがままある。ミリアは聖騎士団の団員ではないが、カイのライジング・フォースを目にする機会が何回かあった。その際、カイが精霊憑きと言われる由縁を見たことがあるのだろう。
 カイが答えると、ミリアは「出来ればいいえと言って欲しかった」みたいな様子で眉間に皺を寄せ、「そう」と渋い顔をする。
「貴方はまあ、その年まで生きてるから平気だと思うけれど。これは忠告。もし精霊の力を乱用しているというのなら、控えた方がいいわ。死にたくないでしょ」
「……どういうことです?」
「今回の調査で精霊憑きについて新しくわかったことが一つだけあるの。……二十歳を超えて生きている精霊憑きは貴方だけなのよ。正式に記録されているものだけでなく、アサシンが調べられる限り、法力が発見されてから古今東西百年の範囲で調査してもね」
「なんですって?」
「そのことが、貴方が『神憑き』に分類されている理由と関係あるのかは分からない。断言出来るのは、それに貴方以外の例外がないこと。……平均して、十五前後かしら。長くても十八かそこらで、全員がよ」
 にわかには信じがたい内容だった。
 精霊憑きは確かに稀少だ。その上長く続いた戦争の最中で大半が命を落としている。だから先に彼女が報告してきたように、精霊憑きを人為的に生み出そうなどということを考える輩が出てくるのだろうとカイは漠然と考えていた。強力な力を意のままに生み出すことが出来ればという、いつの世もなくなることのない愚かな思想。それを禁呪遣いの彼女たちが告げてくることの皮肉は況んや。
 しかし驚くべきは、暗部に身を置いて長いミリアが「二十歳を迎えられた精霊憑きは歴史上カイだけ」と言い切ったことだ。
 これまでカイは、「元々稀少」で「聖戦が続いていたから」「たまたま」早死にしていない精霊憑きは珍しい、というぐらいに考えていた。先日レオと話したように、カイが知る過去の精霊憑き達の死因は全て戦場でのものだったからだ。しかし彼女はそうではないと言う。
 「精霊憑きは精霊憑きであったが故に早死にした可能性が高い」、と言っているのだ。
 それはつまり、彼女が聖戦以外の理由で死んだ精霊憑きを直に知っているということでもある。そして今まではカイという生存ケースと彼女の知る誰かの末期に因果関係を見てはいなかったが、今回改めて情報を精査したことで、二つを結びつけるに足ると判断したのだろう。
「……戦死以外の死因は……判明していますか?」
 言葉は、意図せず小さな声音になっていた。ミリアはそれにただ首を振る。
「聖皇庁の子飼いだった子達は、『衰弱死』扱いになってたわ。栄養も休息も運動も満ち足りた環境で成育されていたのにも関わらずね。生来の虚弱体質であったわけでさえないのよ」
「病死でもなく」
「一つの例外もなく。ただ、魂が弱り、それに伴って肉体も死したとだけ記録されていた」
「……貴方のお知り合いも?」
 恐る恐る尋ねると、ミリアは観念したように「そうよ」と呟く。
「……組織にも一人いたの。まだ私が幼かった頃……水の精霊に愛されてて……綺麗な法術を使う子だった……」
 次第に、ミリアの声が震えていった。しかし後には引けない。カイは恥を忍んで先を促す。
「その方は」
「七つで死んだ。まるで自分に取り憑いていた精霊に看取られたように安らかな顔をしてね。あの時、彼女を検分した組織の科学者達はこう言ったわ……」
 ――やはりだ。
 カイは眩暈がするような思いを抑え、ミリアの相貌に浮かぶものを見た。彼女の中に憎しみと悲しみが去来し、嘆きと拒絶がそれを押し潰す。
 然るに、彼女はきっと、組織の科学者達なんかよりもよっぽど、少女に憑いていた精霊のことを嫌っていた。
「――『かわいそうに。アリスは神様に愛されていたから連れて行かれてしまった』」
 そうしてミリア=レイジは忌々しげに誰かの言葉を口にした。
 カーテンコールの鳴らない喜劇みたいな調子で。


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