導きの風T 勇者のタクト



 むかしむかし
 とおいむかし……
 世界に悪がはびこりました
 その名をガノン
 砂漠の盗賊王ガノンドロフ
 ガノンはハイラル王を殺し王国を恐怖に陥れました
 しかし七年の時を経て一人の勇者が現れます
 彼の名はリンク、時の勇者です
 勇者リンクは王国の姫ゼルダ姫と協力しガノンドロフを討ち倒しました
 しかし戦いはそれで終わりではなかったのです……
 やがて時の勇者が伝説となった頃
 魔王ガノンは復活しました
 人々は時の勇者の再来を信じましたが
 彼が現れることはありませんでした
 ゼルダ姫の手によって時の扉が封じられていた為です
 そうして世界が魔の手に堕ちきろうとしたその時
 ただ一度の神の猛威が振るわれました
 世界には神の力によってひとときの平和がもたらされましたが
 その代わりに世界は深い深い海の底に沈んでしまいました……

 やがてそれすらも伝説となった頃
 魔王ガノンは三度復活しました
 神の猛威は二度振るわれることなく今度こそ世界は滅ぶかと思われましたが
 そこに新たな勇者が現れました
 風の勇者リンク
 時の勇者リンクの生まれ変わりです
 風の勇者は王家の遺した秘宝風のタクトを使い海を旅し
 見事王女ゼルダとガノンドロフを討ち倒しました
 ガノンドロフは古きハイラルの大地と共に海の奥底へと消え
 世界にはまた平和がもたらされました
 それが本当の平和かどうかはわかりません
 またいつ悪が蘇るかどうかはわかりません
 しかしそれから百年が経った今はまだ
 風の勇者と王女が築き上げた新たなるハイラルは平和を守っています……



◆◇◆◇◆



「リンク」
 ゼルダがそう呼んだ。今の時間リンクは王宮で剣術修行を受けていて、丁度休憩の時間だった。
「少し時間をくださいませんか?」
「うん、いいよ」
 魔王マラドーとの戦いを終え、リンクは機関士の道を目指しつつも剣士としての修行を始めることにした。それはゼルダを側で守ってやりたいという思いからで、またもっと強くなりたいという思いからでもあった。
 元々才があったのか、リンクはめきめきと剣の腕を上げていった。無理もない。誰も――いや、ニコはただ一人知っているのか――知りはしなかったが、彼は遠くとも風の勇者に連なる者なのだ。風の勇者のたった一人の妹の子孫なのだ。
「ゼルダ、今日はどうしたの?」
「ええ。少し見せたいものがあるんです」
「? 見せたいもの……?」
 ゼルダにこんなに砕けた口をきけるのは実のところリンクだけだ。何故かリンクにだけは、誰もそのことについて文句を言わない。それは彼が魔王マラドーを倒し王国の平和を保ったことからでもあるが、何よりも我が儘娘だったゼルダが彼にだけは心を開いていることからであった。
 だから彼らは今、いわば幼なじみのような関係となって日々を過ごしている。ゼルダの父のハイラル王もリンクならばまあいいか、となんとなく考えているようだった。
「ほら、これです。先日おばあさま……私のご先祖にあたるテトラおばあさまの遺品が城で見つかって、その中にあったものなんです」
 ゼルダがリンクに見せたそれは細い棒だった。いや、ただの棒と形容するのは失礼というものだろう。なにせそれこそは風のタクト、かつて風の勇者が用いた風を操る古きハイラル王家の秘宝のひとつなのだから。
「これ……指揮棒だね。タクト……風の、タクト……?」
「――風のタクト? それってかつておじいさまがこのハイラルを築く際に使った……? リンク、何故知っているのですか」
「いつもニコじいが言ってたんだ。親友が風のタクトで世界を救ったんだって……ニコじいは紙芝居を作るのが趣味で、それみたいな形のタクトを絵に描いていたのを覚えてる」
「まあ……リンクのおじいさまが私のおじいさまの親友だったんですか! すごい縁ですね」
「ん……そうだね。これってすごいことだよね」
 ゼルダが興奮して喜ぶのにつられて、リンクも笑った。自分は王家とは縁遠い人間だとずっと思っていたのだが、実はこんなところで繋がりがあったのだ。今自分がゼルダと仲良くしているのにそれが関係あったりするのかなあ、なんてリンクはなんとなく考えたが、流石にそれは突飛すぎるかなと思った。
「でもゼルダ、こんなすごいもの持ってきて大丈夫なの? だって……王国を築いた礎のひとつ、でしょ?」
 貴重度で言えば大地の汽笛に並ぶ、いや凌ぐ筈だ。あの冒険の際にゼルダから預かった大地の汽笛は今はもう王家に返してあって、元通りゼルダの執務室に飾られている。
 今はなき時のオカリナ……所在のわからない時の勇者が用いた神のオカリナともなればその貴重度はもっと計り知れないものになっていただろうが。
「大丈夫ですよ。だって私はゼルダ姫、この国の王女ですもの」
「その自信はどこから来るの……」
「それにリンクもこの国を救った勇者の一人ですよ! 例えるならばそうですね……えーっと……笛の勇者?」
「どっちかというと大地の勇者が良かったなあ僕」
 謎のネーミングセンスを披露したゼルダにリンクは嫌そうな顔で文句を付けると、そおっと彼女の手から風のタクトを受け取った。想像していたよりもずしりと重かった。

『アリ……ル……?』

「へ?」
「リンク? どうしたのですか?」
 急にすっとんきょうな声を上げたリンクに、ゼルダが不思議そうに尋ねた。
「今、声が……」
「声? そんなもの聞こえませんでしたよ?」
 ゼルダが疑わしげにリンクに答えを返す。どうやらリンクにしか聞こえてはいないらしい。こんなにはっきりと聞こえるのに。もしかして風のタクトを持っている人にしか聞こえないのだろうか。

『誰……君……アリルと同じ感じがする……ああ、そっか。アリルの子孫か』

「君こそ誰――?」
 リンクは怖くなってそう声に尋ねた。怖い。得体が知れない。でもその時急にリンクに不思議な確信が生まれた。この人は本当は怖い人じゃない。
 理由はないけど。

『僕……? 僕の名前もね、リンク。君は僕に連なる者だね? うん、やっと生まれてくれたんだ。待ってた甲斐があったかも』
 リンク、と、そう名乗った声はくすくすと嬉しそうに笑って、ふっとタクトから”実体化”した。
『はじめまして、大地の勇者。僕は風の勇者。ずっと君を待ってたよ』
 実体化した彼は、リンクとよく似た姿形だった。



◆◇◆◇◆



『時のオカリナを探してたんだ』
「「時のオカリナ?」」
 口を揃えて疑問符を浮かべた二人に、風の勇者は優しく笑う。
『あ……やっぱり知らない? だよね。僕も結構長い間知らなかったもん』
 そう前置きして、彼は時のオカリナについて語り出した。
 それは、こちらのハイラルでは忘れ去られた歴史の物語。
『時のオカリナはね……ハイラル王家に伝わる神の楽器の中でも最も強い力を持つものなんだ。その笛の音は空間を超越し天候を変え、そしてその名の示す通り時を操ることが出来る』
「時を操る神様のオカリナ……」
『うん、そう。そんな凄い神器なんだけど……行方不明なんだよ。もう数百年』
「数百?!」
 リンクには想像もつかないような長い長い時間。まだ12才の彼からしてみれば、百年前に国を築いた目の前の風の勇者だって大昔の人なのだ。流れが大きく、漠然としすぎている。
「ですがおじいさま、何故おじいさまは時のオカリナを探しているのですか?」
 ゼルダが単刀直入に聞いた。そんな所在のわからないアイテムを探す理由に見当がつかなかったらしい。
 それに対する風の勇者の答えは明快だった。
『単純に言えば興味だよ』
「興味? だけ?」
『うん。何せね、ハイラルの神の楽器――それには魂が宿るんだよ』
「魂が……あ! だからこのタクト……!」
 リンクは風の勇者の話に合点がいき、それで! というふうに手を打った。隣でゼルダも頷く。
 風のタクトに彼が宿っていたように、時のオカリナにもまた誰かの魂が宿っているはずだと彼は考えているのだ。
『時のオカリナをかつて使ったのはずうっと昔の伝承に残ってる、"時の勇者"らしいんだ。会ってみたかったんだけど、生憎僕はこの体でしょ。誰かが風のタクトを動かしてくれないと動けないんだよ』
「それで、僕にタクトを持って旅して欲しいと」
『そういうこと』
 風の勇者はリンクの言葉にニコニコ笑って頷くと、ね、いいでしょ、というふうに手を合わせる。なんだか逆らえない感じだった。
「でも……僕今剣術修行の最中で……城を離れるわけには……」
『そんなの僕が教えられるからいらないよ。――あのね、僕は急がなきゃいけないんだ。とにかく"見付かる"前にこの国を出たい』
「お、おじいさま! リンクを国外に行かせるおつもりなのですか?!」
『? 当たり前でしょ? ここはかつてのハイラルがあった場所じゃないもん。隣の隣ぐらいの海まで戻らなきゃ』
 慌て出すゼルダに、風の勇者は不思議そうに答える。だがリンクはゼルダが慌てる理由にすぐ思い当たり、そしてぽっと胸があったかくなった。
 ゼルダはリンクが国外――つまり、自分の手の届かないところ――に行ってしまうのが嫌なのだ。
 でも。
「わかった。僕、行くよ」
『ん。急に決めたね。本当に大丈夫?』
「うん。もし時のオカリナを見られるのなら、僕だって見てみたいもの。それにゼルダ」
 リンクの言葉にあわあわしているゼルダにリンクはびっと人差し指を突き出し、はっきりと告げる。
「離れちゃうのは寂しいけど。僕の気持ちはゼルダのそばにあるよ。だから心配しないで」
「リンク……」
 頬を赤く染めてしばらくリンクを見つめていたゼルダだったが、やがて「約束ですよ」小さな声で言うとリンクの手を握って、すぐに放すと足早に駆けていってしまった。
 残されたリンクは不思議そうに首を傾げ、その背後で風の勇者が頭を抱えるようにして溜め息を吐いた。