導きの風U 再来の予感 『まずは旅支度を整えないとね。武器、持ってる?』 「あ……うん。弓とかバクダンとか……」 『十分十分! ちょっと見せてよ』 稽古をつけてくれている師範とかにはゼルダから連絡がいっていたらしく、城内に戻るなり「おじいさんが危篤だって?! 早く行ってやりなさい!」と慌てた形相で言われてしまった。手回しの良さは有り難いが、嘘をついていると思うとなんだか心苦しかった。 おじいさんといえば、ニコにも何か言っておかないとなあ、とリンクはなんとはなしに思う。武器のいくつかはモヨリ村の実家に置いてきているわけだし、どっちにしろ一度モヨリ村まで行かなければいけない。 そこまで考えて、ふと思い当たってリンクは口を開いた。 「……そういえば。僕、あなたのことなんて呼べばいいのかな」 『あ、そっか。今のままじゃ不便だよね。……でもなあ、二人とも名前はリンクだし……」 うーん、と唸り出してしまった風の勇者にリンクはおずおずと手を挙げ、小さな声で申し出る。 「あの、おじいちゃんって呼んでもいい?」 『へ?』 「ゼルダがおじいさまって呼んでたから。なんとなく……」 リンクの申し出に風の勇者はぱちくり目を見開いて、それからぱちぱちと瞬きをすると急に実体化してリンクの肩をガッ、と掴んだ。リンクは何をしくじったのだろうと慌てたが、彼のキラキラした瞳を見てはて? と疑問符を浮かべてしまった。 『イイ! それイイ! すごくイイ!』 「え、ええー……?」 『僕感動しちゃった! おじいちゃんなんて呼ばれたのはじめてだよ。なんか新鮮。うん、それにしよう。――ね、もう一回言ってみて』 「お……おじいちゃん……」 風の勇者の迫力に気圧されながらリンクがそう言うと、風の勇者は再び興奮してリンクに飛び付いてきて、その衝撃でリンクは芝に倒れてしまった。 ◇◆◇◆◇ 「久しぶりに家に戻ってきたと思ったら今度は海に出ると言うとは……」 「うん。向こうの向こうの海に」 リンクの言葉にしょうがないのう、と溜め息を吐きつつもニコは旅支度を手伝ってくれた。バクダン袋や勇者の弓矢、ムチ……と手際よく荷袋に詰めていく。 エビの模様の盾を背にしょって、準備が整ったので出掛けようとニコに声をかけると、彼は意外なものを手に持っていた。 「……ニコじい。それ……」 「"夢幻の剣"じゃ。持ち主だった友人が死んだ後めぐりめぐってここにやって来た。――お前の為に来てくれたのかもしれないね。近頃のお前は本当にあいつにそっくりだ」 『ニコ……』 夢幻の剣とそれを手に持つニコとを交互に見て、風の勇者が呟く。どことなく顔には憂いを帯びていた。 長い年月の憂いだった。 「持っておいき、リンク。あいつもきっと喜ぶ」 「う、うん」 背中に掛けているロコモの剣を鞘ごと外して鞄に詰め、代わりに夢幻の剣を肩から掛ける。どことなく重みを感じる剣だった。 先人を――風の勇者を、感じる剣だった。 「ありがとうニコじい、行ってくる。ちゃんと帰ってくる」 「ああ、行っておいで。じいちゃんは紙芝居を作って待っているよ」 「うん!」 元気よく返事を返すとリンクは駆け出し、一度だけニコを振り返って手を振った。それきりリンクは振り返らなかった。それは未練を断ち切る為にも思えた。 「……お前の伝説もまだ描き続けているんだぞ、リンク……」 リンクの姿が見えなくなった頃。孫の旅出を見守るニコの口からこっそりと、孫ではなくその同行者に向けられた言葉が溢れた。 ◇◆◇◆◇ 「赤獅子の船?」 『そう。僕が使ってた船。この船ただものじゃなくてね、昔は古いハイラルの王が宿ってたんだよ。まあ機能はただの小型帆船だけど』 「おじいちゃんが宿ったりはしないの?」 『……僕はタクトなの。座標を固定してるから動くのは面倒だし』 実体化した風の勇者は手際よく帆を張り武器を設置し、リンクに丁寧に教えて聞かせた。機関士であるリンクは機械の扱いは上手い方だが、何分船と汽車では勝手が違う。 赤獅子の船――せいぜいが二人乗りといった風情の小さな船はしかし、その小ささにそぐわない威厳めいたものを確かに備えていた。朱塗りの船体は使い込まれた年月を感じるものの不思議と汚れてはいない。 『バクダンとブーメラン、弓矢。これがあるとないとでは海上の安全性が違ってくるからね。弓、どのくらい使える?』 「そこそこかなあ……そんなに上手くはないと思う」 弓矢なんて、神殿で手に入れるまで触るのはおろか間近に見たこともなかったのだ。そんなに上手いとは思えない。 リンクの言葉に風の勇者はふうんと頷くと、じゃあしょうがないな、と呟くと弓矢を手に取った。 『弓矢は一番難しいから、船の操作に慣れるまでは僕がやってあげるよ。それよりも先に進まないとね。――乗り出すよ、大海原に!』 言うと彼は風のタクトを手に取り、軽やかに振った。途端、風がざわめき出す。波が揺れ、急に帆が膨らみ、勢いよく船は海を滑り出した。 「風向きが、変わった……」 『今のは風の唄。帆船で航海をする時には欠かせない大事なものだよ。ほら、振ってみて!』 「そ、そんな急に言われても振れないよ!?」 『大丈夫大丈夫。僕が教えてあげるから!』 言うなり風の勇者はタクトをリンクに持たせ、実体化を解くとタクトの中に戻った。リンクはなるほど、と心中で頷く。つまり彼はタクトそのものを操って体に動きを覚えさせるつもりなのだ。 流石は神の楽器のひとつである。 左手できゅっとタクトを握り、その動きに手を任す。上に、左に、右に。タクトは小気味良いリズムを刻み、波を、風を操りメロディを奏でた。 『覚えた?』 「う、うん。多分大丈夫。うえーひだりーみぎーって。こんな感じでしょ?」 『そうそう』 風を受けた帆船は勢いよく海を駆けていく。時々出るシーハットやグヨーグはまずリンクがブーメランを投げ、取りこぼした分を風の勇者が弓矢で仕留める、という手順で倒し航海は順調に続いた。 海に出てからどのくらい経ったろうか。もう数時間は過ぎたかもしれない。そんな頃合いに、急にあたりの様子が変わった。 『海域が変わったんだ。一嵐来るよ』 「僕雨合羽持ってきてないんだけど!!」 『そんなこと気にしてる場合じゃないから!』 風の勇者が言うか、そちらが早かったか。突然進路に巨大な渦が発生し、そこからやはり巨大なイカが現れた。 イカには目玉が多量ついており、そのどれもがギョロギョロとリンクを追っているみたいで非常に気持ち悪い。 『ダイオクタだ。こいつはぼーっとしてたら殺られるよ。バクダン出して!』 「え? 砲台は?」 『いいから出す!』 風の勇者に言われるままにバクダンを袋から出し、そしてリンクは仰天した。前触れなく船の中に砲台が出現していたのだ。 『目玉を狙って撃つ!』 「ハイッ!」 どぱぁん、どぉん、と大きな音を立てて爆弾が発射される。砲台は汽車で王国を駆け巡っていた頃にも扱っているから、目玉に狙いをつけるのは然程難しいことではなかった。むしろ的となる目玉が巨大なので狙い易いぐらいだ。 ひとつ、ふたつ、みっつ……十二個の目玉を潰すとダイオクタは大音量で奇声を上げ、ぼちゃんと海に沈み、そこに人形の何かが現れた。 「お久しぶり……風の勇者。情けない姿をまた晒してしまいましたね……」 『このあたりに異変でも? 大妖精様』 「ええ……貴方がベラムーを討って百年。魔物達が再び勢いを取り戻し始めました……」 『……そうですか』 妖精。その響きにはリンクにも覚えがあった。確か癒しの唄を吹いた時に各地で一度ずつ力を貸してくれた彼女が、自分は妖精だとそう言っていた。 でもその姿は眼前の大妖精とはかけ離れていた。彼女は二対の羽根を生やした、淡い小さな桃色の光だった。対して大妖精は、リンクの倍程もある蒼硝子のような人に似た姿だ。 『ベラムーはあの時滅した。となると最近僕の国に出たあのマラドーとかいう奴が原因かな……』 「お、おじいちゃん、今マラドーって?」 リンクがびっくりして問うと、風の勇者は頷いて険しい顔をする。何事かまだ思案しているようだった。 『多分ね、それの影響で活性化してるんだろうとは思うんだ。――でもおかしいんだよ。絶対それだけじゃないはず』 「ええ……マラドーとやらだけにしては強すぎるように感じます。この強さは……まるでかの魔王……」 『ごめん大妖精様。その先はまだこの子に聞かせたくない』 魔王に続く名を口にしかけた大妖精を制し、風の勇者は静かに言った。教えたくない過去なのだろう、その唇は悔しいやら苦しいやら、哀しいやら――そんなふうに感じられる何かで歪んでいた。 「おじいちゃん?」 『君も僕に連なるから。いつか知らなきゃならない日が来るとは思うけど。今はまだ知らなくていい。そういうことだから』 「う、うん。わかった」 『途中で止めてごめん大妖精様、他に何か異変は?』 「今のところは……特に気になるのはそのぐらいです……。あなたがたの航海の無事を祈って……ちいさな勇者にこれを……」 大妖精がふっと手を翳すと、小振りな蓮の花みたいなものが現れた。どうやらエネルギーの塊のようで、すごく強い力を感じる。 胸に当てられた大妖精の手の中から花が無数の花びらに散って、リンクの体に一目散に向かっていった。花びらはすっとリンクの体に吸い込まれ、そして消えた。 「え? ええ? な、何があったのかよくわかんない……」 「あなたの中にある魔法力を目覚めさせました……。この先使うことも多いでしょう……」 『魔法力二倍だ。多いと何かと便利だよ。矢もいっぱい撃てるし』 何が何だかよくわからず混乱するリンクに風の勇者は優しく微笑みかけた。大丈夫だよ、と言われているみたいだった。 『まあ使う時が来ればわかるって。――大妖精様。他の大妖精様達はどの方角の海域に?』 「はるか南西……かなた北東……そしてこのエリアの最果てに……」 『ありがとう大妖精様。じゃあ行こうか。ちょっと楽しむぐらいの予定だったんだけどどうもそうはいかないみたいだ』 こんなに波がざわめいてるんじゃあね、と風の勇者はひとりごちた。 その表情の険しさはこの後襲い来る恐怖を予見しているかのようだった。 |