導きの風W 海王の危惧



 大妖精の洞窟はかろうじてそのかたちを留めていた。そう言う他ない状況だった。何者かが侵入して荒らしたのはまず間違いない。
『……大妖精、様』
 小さな、ごくごくありふれた妖精の姿に身を落とした大妖精を両手で抱いて風の勇者は辛そうに顔を歪めた。誰がこんな仕打ちをしたのだろう? ガノンかもしれないし、他の何かかもしれないが、確実なのは風の勇者がもっと早くそこに着いていればある程度は阻止できたであろうことだ。彼は悔しそうに歯噛みした。
「おじいちゃん」
『ごめんなさい、大妖精様』
「……風……の……勇者……来て、くださったのですか……」
 か弱く、儚く、か細い声で大妖精が言った。かなり衰弱している。だが、幸いその存在を消滅せしめるほどのダメージは受けていないようだった。
「い、ま……この、うみ、に、」
『無理して喋らないで大妖精様』
 風の勇者は大妖精に左手を翳す。ぽぅ、と明るい光が彼の手から生まれでた。その光は弱った大妖精を包み込む。しばらくして、シャボン玉が拡散するみたいに光が弾けた。
 眩しい光に、反射的に目を瞑ってしまう。慌てて恐る恐る薄く目を開き、そして次の瞬間には驚きのあまり大きく見開いていた。
「すごい……」
『別に、このぐらいは普通だよ』
 誇るふうもなく当たり前に言ってのける風の勇者の台詞をリンクはぶるぶると首を振って否定する。当たり前なんかじゃない、それこそ奇跡みたいな所業だったのだ。
 弱り果てていたはずの大妖精は今、すっかり美しい姿を取り戻していた。そのことに大妖精自身驚いているみたいで、彼女はその威厳に似合わずきょろきょろと自分の姿を見つめている。
「なんと……お礼を言ったらよいか……」
『ううん、お礼はいい。……それよりもさっき言いかけていた話を聞かせて欲しいんだ。ねえ、大妖精様。今この海には何がいるの?』
 単刀直入な彼の言葉に大妖精は頷いた。
「もちろん、お話します……。この海を襲い、私をあの姿に変えたのは――」



◇◆◇◆◇



『なんてことだ』
「……うん」
『まさか本当にべラムーだったなんて!』
「それに、マラドーも。協力するなんて思わなかった。どうしてだろう」
『何か、奴らよりも力のある奴がいて指揮をとっている可能性がある。僕としたことが、その可能性に気付かなかったのは迂闊だった……!』
 赤獅子の船を、呼び込んだ風で飛ばせるだけ飛ばしつつも風の勇者は後悔を続けていた。どこかで止めた方がいいとわかっていても、己の不甲斐なさや無力さを考えると腸が煮えくりかえるようでにっちもさっちもいかないのだ。
「そういえばおじいちゃん、この船何処へ向かっているの? べラムーやらの居場所はまだ見当もついてないのに」
『そいつらにはまだ辿り着けない。今目指しているのはシーワンじいちゃんの家だよ』
「……シーワン?」
『そう。メルカ島に住んでるじいちゃん。まだ島があればだけど』
 含みを持たせた台詞をこぼしつつ、風の勇者は帆を少しずつ調整していた。一刻を争う事態であると彼が判断した為に、今、船の操縦はリンクではなく風の勇者が担当している。
 舵がない小型帆船のメリットは小回りの効く操縦であり、逆にデメリットは装備を積みにくいことだ。赤獅子の船の場合は、魔法の砲台を積むことで後者の条件を緩和している為、乗り手によっては圧倒的な実力を発揮出来る。今が丁度その状態だった。
『そのうち、このぐらいの操縦が出来るようになって欲しいんだけど……とりあえず今はよく見て、覚えて』
「ええ、それはちょっと難しいよ……」
 時折出現する集団のグヨーグや謎のウィズローブなどを、風の勇者は一人で粗方倒してしまっていた。リンクが弓を構えるよりも彼の炎の矢がウィズローブを貫く方が早く、リンクが砲台を出すよりも彼のブーメランがグヨーグを一網打尽にする方が早かった。
 風の勇者の強さはリンクとは桁違いだったのだ。習うより盗めとは言うが、それにしたって難しい話だった。
(……でも、頑張らなきゃ)
 リンクは両手で頬をぺちぺちと叩き自分に渇を入れる。出来ることはそんなに多くない。どんなに難しくても、やらなければならない。
(それに……)

 風の勇者の、あんまりに鋭い眼差し。
 いろんなものを背負ってきたのであろう、その背中……。

(僕もああなりたい)
 赤獅子の船は、止まることなく滑るように海を駆けていく。



◇◆◇◆◇



 二人の心配をよそに、メルカ島はいたってのどかだった。カモメが空を気持ち良さそうに飛び、家々が立ち並ぶ区画では人々が暢気そうに立ち話をしている。
「なんか……心配して損をした、って感じだね……」
『いや、そんなことはないけど。でもなんか拍子抜けだ』
 サクサクと芝を踏み歩き、二人は島の西外れを目指す。橋を渡ると浜に出て、人工物の匂いがしなくなった。浜の白と丘の緑が鮮やかだ。
 その中にぽつんと、一軒だけ民家が建っていた。
『変わらないな』
 風の勇者が呟く。
『百年前のままだ……』
 通い慣れた家に帰るかのように、彼は小さな戸をノックもせずに開け放つ。無遠慮に解き放たれた扉の奥には長い杖をついた老人がいた。髪の毛はてっぺんで結わえられていて、どことなく鯨の潮吹きに似ているようにも見える。
『じいちゃん』
「……恐れていたことが起こってしまったのう」
『うん』
「まだやることがあるのかの、リンク?」
『うん』
 窓の外を向いたままだった老人はそこで初めて入り口へ向き直り、静かに手招きをした。
「入りなさい、二人とも。話は、お茶でも飲みながらゆっくりするとしよう」



◇◆◇◆◇



「ほう、妹さんの筋の。しかしよく似とる。瓜二つとはこのことじゃの」
『でしょ、でしょ。もうすっごくかわいいの! よく見るとアリルに似てるとこもあって……』
 ほっほっほっ、と楽しそうに笑うシーワンに風の勇者が同調する。リンクは恥ずかしいやら何やらで頭がこんがらがってきていた。
 確か、ここにはこの海を荒らす魔物のことを相談に来たのではなかったか。それがどうしてリンクの話になっているのだろう。
 それにかわいいって。面と向かって言われるとやはり何か変な感じがしてならない。
 くすぐったい。
『でも剣はまだまだかなー。もっと色々教えてあげたい』
「ほっほ、厳しいのう」
「あのー……」
 お茶も飲みきってしまって手持ち無沙汰になったリンクは思い切って彼らの会話に割って入った。このまま彼らを放っておいたら何日でも与太話を続けられてしまう気がする。
「ねえ、おじいちゃん、シーワン……さんには確かベラムーとかマラドーのことを聞きに来たんじゃなかったっけ」
 恐る恐るそう言うと、風の勇者は目をしばたかせて口に手を当て、ばつが悪そうにしまった、と声をあげた。
『あー、うん、そうだったそうだった。年を取ると駄目だなー、ついつい本筋からずれちゃう』
「もう、しっかりしてよ」
『ごめんごめん』
 頭を掻きながら謝るとここからようやく本題だ、と気を取り直して風の勇者はタクトを取り出す。彼の依り代である神のタクトはきらきらと輝いていた。
『……そんなわけで、じいちゃん。この海の事情を僕たちに教えて欲しいんだ。僕はずっとこれに眠っていたしこの子はまだ幼い。圧倒的に情報が足りないんだ。このままじゃ動こうにも動けない』
 シーワンははっきりと頷いた。
「良かろう。わしの知っておる限り話す」
 尤もわしとて多少のことを知っているに過ぎぬのだが、と前置きしてシーワンは話を始めた。彼の顔が少し曇る。
 それを見てようやく風の勇者は一つの違和感に気付く。あるべきものが欠けていた。あまりにも自然体で、それまで気付けなかった。

 そういえば、シエラの姿が見えない。

「大妖精が襲われたのは知っておるかな」
『うん。一人助けてきた。襲ったのはベラムーとマラドーの二匹だって、そう言ってた』
「そこまで知っておるならば話は早い。二匹を影で操る黒幕の存在はもう疑っておろう? その、黒幕じゃが……」
 そこでシーワンは言葉を切り、下向きに俯いた。躊躇しているのだろうか、表情が曇る。
 しかし風の勇者は続きを無言で促した。今更知って困ることなどない。むしろ知らない方がいろいろと不都合だ。
 それを見てシーワンは決意をしたのだろう。重い口が開かれる。

「黒幕は……魔王ガノンか、それに準ずる、近い何かなのではないかというのがこの海の精霊の意見じゃ」

 風の勇者は静かに目を閉じた。