B:ずっと遠い未来まで
※前世の王子二人、さわやかよはじゅ
『君には言っておきたいことがあるんだよ。そう……勿論僕の王子のことでさ。――わかるだろ? 何を言わんとしているのか』
「え? いや、さあ……さっぱりわかんないけど」
『はあ?! バッカなんじゃないの?!』
「そんなに詰め寄られてもさ、困るんだけど……」
どうどう、と猛獣を宥める手付きでヨハンはユベルを押し止めようと試みた。ユベルはいかにも憤慨していますといった様子であまり聞き分けがよくなさそうだ。翼がバサバサと煩い。ごくありふれた人間の体だった頃から髪の毛を逆立てて怒るような少年だったが、こうなるともう手の付けようがない。
「だって心当たりがないんだ。俺はジューダイとは綺麗な友愛を保っていたいと思っているし、だから彼とは剣術の訓練もしない。武術の手合わせは向こうから誘われた時だけ。出来るだけ傷付けないようにしているつもりだ。ジューダイが好きだから。ジューダイにも、好きでいて貰いたいから。……嫌われるのを怖がってる。でもそれだけだ。どうしてユベル、君がそんなに湯気を立てているのかはまるでわからない」
『君は基本的に頭の造りはいいんだろうけど、本当に愚かだよね。だからそれが! 気に入らないんだ僕は。なんだいそんな、まるで壊れ物を手にしてるみたいな扱いは。……女と接しているみたいな! 下心が見え透いてるんだよ!!』
「……へ?」
『なんでそんな、きょとんとしてるんだよ』
「いや……だって」
ぽかんとした阿呆面(基本的に自分を偽って美しく見せているヨハンはそんな間抜け顔はしないが、例外的にジューダイとその従者のユベルにだけは隠そうとしない)でヨハンがあー、とかえー、だとか唸っている。その様子からして本当にまるっきり、当人には心当たりがなかったようだった。しまいには指を折って自らの行動を振り返り出す始末だ。
出会った時ヨハンとジューダイは共に五つを数える幼子だった。二人とも周囲から「大変かわいらしい」「愛らしいお姿で」「まるでお人形さんのようですね」などと言われていることに幼いながらに反抗を覚えていて、そういう理由もあって二人はすぐに意気投合した。ただ今でこそ言えることだが、その当時の二人は世辞とかでなく本当にそう言われても仕方のない容姿をしていたのだ。記憶の中の男児二人はくりくりした大きな瞳と、栄養のゆき届いたふっくらした頬、適度な白さの滑らかな肌、上等な美しい衣服――そんな調子で今のヨハンを見返してきている。
しかし子供は成長していつか大人になる。今のヨハンはどう見積もっても女児には見えないだろう。鍛えた肉体はがっちりとしており、非常に逞しい印象だ。ジューダイだって成長した。身長は低いし、声も少しばかり高い。実戦に出ないため目立った戦傷もなく肌は生娘のように美しいが――
「……んん?」
そこまで考えて首を傾げた。なんだか妙な特徴ばかり挙げている気がする。だがそれでもジューダイは良き友、心を許せる親友だ。まさかそんなユベルの言うようなことはない。彼は歴とした度量の広い男で、そしていずれ隣国の王となる人物だ。昔一緒に風呂に入った時二人でした誓いを覚えている。
『ヨハン、僕は親友である君と、君が王として治める国と共に平和と繁栄を築いていきたい、そう思ってる』
『勿論俺もさ。必要以上の涙が流れないように。……そうしてみせる』
『ああ』
非常に美しい友愛の思い出だ。ヨハンはあの頃の純粋で切々とした気持ちを思い出して身震いした。邪なものなどどこにもない。
「というわけだユベル。やましいことなんか一切ないぜ」
『それはっ! 君が自分に都合の良い形で記憶を再生しているからなんだよ!!』
「はいはいどうどう」
『僕は馬じゃない! 暴れ牛でもない! そういう宥め方をするんじゃないよ!!』
ムキー! となるユベルにまたどうどうと言うと今度は怒られた。まったく難儀というか思い込んだら一直線な奴だ。こんなのと四六時中一緒だったらどこかで疲れが溜まってしまいそうなものだとヨハンは考えたがジューダイにはそのそぶりすらない。見上げた男だ。ジューダイは本当に器が大きい。
「ということがあったんだよ」
「はは。そりゃ、ユベルだけじゃなく君もちょっと悪いよ」
「……そうかな?」
「そうだ」
ことのあらましを手短に聞かせるとジューダイはくすくす微笑んでヨハンにその柔らかな手のひらで触れた。傷もこぶもない美しい手のひらだ。ただ、指に出来た小さなペンだこが彼の勤勉性を象徴しているようだった。
ヨハンの私室に設えられた必要以上に大きなベッドの上に二人で座り込んで、時折小さな子供のように飛び跳ねる。この童心に返っているような時間が好きで、ジューダイがこちらに滞在している間は暇を見付けてはこうして並んで他愛のない話をする。ユベルはいつも渋い顔で睨んでくるが、ジューダイがいる手前あまり大声は出せないらしい。
「ユベルの言い分にも一理あるかなって。だって君、一個忘れてることがあるもの。それがユベルにとっては流せない程に大事なことだったんだよ」
「え……なんだろ」
「君が僕の言葉に『ああ』って頷いた後のことさ。覚えてない?」
「ちょっと待ってくれ」
もう一度先の記憶を手繰り寄せた。幼い自分は十代に頷き、それから――
「……なるほどそういうことか」
「うん。僕は気にしてないけどユベルは気になって仕方ないんだろうね」
「だろうなあ。俺も気にしてないけど」
『僕は嫌なの! もうものすごく、反吐が出るぐらいに、喉笛を噛み千切りたい衝動に襲われるぐらい、嫌なの!』
ユベルがとうとう溜まりかねてヨハンにかみついてくる。ヨハンは今度ばかりは自らの非を認めておこうと考えて彼女を宥めようとせず甘んじた。なんだか、すごく爪や翼が痛い気がするが気のせいだ。精霊であるユベルは物理干渉が出来ない。
記憶の中で幼いヨハンは、幼いジューダイの頬にキスをしていたのだ。子供同士の約束で子供同士の親愛の証に他ならない、他意のないそれでもユベルには許し難い出来事でありそして屈辱であろう。そういえばその直後に扉が開きかけ、すぐにばたんと閉じる音がしたような気がする。あれがユベルだったのだろうか。
「君って本当に面白いよね。僕は、君のそういうところが好きだし、君はすぐに自分を卑下するけれどもそういうところを君らしく愛おしいとそう思うよ」
ジューダイが春風のようにふわふわ微笑みながら言う。その横顔になんだかびっくりしてしまって、そしてふと思う。
今、彼の頬にあの時のようにキスをしたらきっと子供の思い出ではすまないのだろう。だからヨハンはジューダイの小指を小指で取って、約束の仕草をした。
「じゃ、このことは俺とジューダイと、ユベルだけの秘密にしよう。今まで通りに。父上に知られたら大笑いされそうだからね」
「そうだね。僕の父上も大笑いしそうだ」
指と指を絡めて至近距離で顔をあわせると、なんだか「ちがうもの」であるようだったけど、でも、それでも二人は「親友」なのだ。
ずっと先の遠い未来まで。
「Deadend World」-Copyright(c) 倉田翠
<2012.07.09>