アスタ・ラ・ビスタ・ベイビー!/シンデレラは眠らない



『――お手をどうぞ、お姫さま☆』
 出会った時の衝撃を今でも覚えている。なんでかって言うと、「こいつ何言ってるんだ?」ってものすごく腹が立ったから。俺は確かに見た目が綺麗な自信があるし、それこそ小さい頃はお人形さんみたいねとかわいがられてきた過去もあるけど、成長した今となっては、「お姫さま」なんて呼ばれるような理由はひとつもなかったからだ。
 なのになんであの時素直に手を取ってしまったんだろう。
 ぱしんと手をはね除けて、「何失礼なこと言ってるわけ? チョ〜うざぁい! 二度と俺の前に姿を見せないで」ぐらいのことを言ったってよかったのだ。だけどそうしなかった。差し出された手のひらを取らないという選択肢はその時俺の中に存在してなくて、ここで逃したらもう永遠に出会えないかもしれなかったから、俺はその手を取ったのだ。
『わははっ! 手、あったかい……♪ うん、いいないいな! おまえとなら、世界のずっとずっと果てまで行けそうな気がする……!』
『はあ、どうも。で……あんた誰?』
『ああ! そういや自己紹介がまだだったな。おれは月永レオ。おまえは? なんて名前? あ、待って、言わないで、妄想して当ててみせるから〜……』
『瀬名泉』
『ああ〜っ!? 言われちゃった! 妄想が霧散していくッ、でも……うん、すごくきれいな名前だ。きっとその名前は、おれの妄想の中からだけじゃ出てこなかった!』
 おまえの世界をおれに見せて、とあいつは言った。自分の世界に足りないものを集めて補ってもっともっとたくさんの曲を作りたいから。そのためにこの手を取ってほしいと願われた。一緒に行こう、きっと世界のどこまでへも、二人なら飛んで行けるよ。
『さあ一緒に行こう、カンパネルラ! どこまでも行ける切符を持って、銀河鉄道よりもずっと最果てへ。ワクワクする音楽を奏でよう……!』
 あの日握り締めた手の熱さを、きっといつまでも忘れない。
 俺のことを未来へ連れて行ってくれた手を、何度も離されて、それでも懸命に掴み取ろうとして、今ようやくそこに戻って来た柔らかくて確かな指先を、今度こそもう離さない。
「ほら。この手を取ってあんたもさっさとステージに来なよねぇ?」
 手を伸ばす。今度は俺から、あんたへ。はあ、なんて間抜け面してるの。いい気味。本当、胸がすかっとする。いつもいつもしてやられてばかりだったから、たまには……そう、全てが綺麗に片付こうとしている今なら、こんな番狂わせも悪くはない。
「何だよ、も〜!」
 予想外の出来事に狐につまされたような顔をして、でもそれからすぐ、両目をキラキラ輝かせ……れおくんが差し出された俺の手を取る。お揃いのデザインをした手袋越しに、指先同士が絡まり、熱が伝播した。
 まったく、手と手を合わせて「しあわせ」とか最初に言い出したやつは、いったいぜんたいどこのどいつなんだろう。馬鹿なんじゃないのかなあ、だけど確かに、幸せってそのぐらい簡単でいいかげんで素晴らしいものなのだ。
「おまえに手を差し出されたら取らないわけにはいかないだろ〜? どうすんだこのステージ! どうなっても知らんからな! まったく……♪」
 れおくんが笑う。俺の一番大好きな、とびきり無邪気で明るくて、世界中すべてが楽しいって顔をして。
 ああ、うきうきする。楽しい夜にしようよ、みんなで。一緒に歌って踊ろう、この夜だけは勝負ごとなんかかなぐり捨てて、生き馬の目を抜くことさえも全部放り棄てて、夢と幸せと魔法をふりまく、素敵なパーティにしよう。
「俺が連れてってあげる、一夜限りの熱狂の中へ。今ここで俺は騎士じゃないし、あんたも王さまじゃない。夢のような夜にしよう? 二人でならどこまでもどこまでも一緒に行けるよ」
 さあ、舞台へ。足を踏み締め、マイクを手に持ち、スポットライトと歓声を浴びて。そこに喜びの国がある。世界の一番最果てには幸せの国があって、歌って踊って騒いで愉しみ、そして最後は愛しあって眠りに就くのだ。再び来たる朝のために。
「うん! ライブだ、歌おう! 力の限り、愛を込めてっ☆ ただの月永レオとただの瀬名泉で。他の肩書きなんか何も要らない、ジャンクフードに理屈がないのとおんなじ!」
 俺を連れてってお姫さま、とマイクが拾えないぐらい小さな声であいつが言った。ちょっと悪い子になろう、アバンギャルドな夜の街を駆け抜けて、愛の逃避行をしよう。俺は同じくマイクが拾わないぐらい小さな声であいつに答えを返す。
 ガラスの靴はまだ返さないよ、れおくん。


◇◆◇◆◇


 ダイナーでのライブが終わり、店内を貸し切っての打ち上げが行われた。山盛りのジャンクフードにコカコーラを差し出され、一瞬躊躇したけど、周りの空気を確かめてから今日ばかりは無礼講とポテトフライに手を伸ばした。まあ、うん。食べた分は絞ればいいんだし。かさくんは運動している以上に食べるからお肉が付きやすいだけだし。……いや正直、油ものばかりだからニキビとか出来そうで……気にはなるんだけど。
「セナ〜、これもうまいぞ、食え食え」
「ちょっとぉ……あんた、はしゃぎすぎ。そんなに焦らなくてもこれだけあればなくなったりしないよ」
「えー、だっておいしいって思ったらすぐ食べてほしいし。あ、おれこのピクルス要らないからあげる!」
「文脈が繋がってない! 意味わかんないんだけどお!」
 つまみ出されたピクルスを受け取って喉の奥に放り込み、代わりに食べてやった。それを見たなずにゃんが、「泉ちん、お母さんみたいだな〜」とか呟く。なるほどこの子も嫌いな食べ物をお母さんが食べてくれていたおうちの子か。夢ノ咲のアイドルは何故かその手の家庭出身の子が多いのだ。
「なずにゃんもさあ、苦手な食べ物だからって、いつまでも親に渡すのはよくないよ」
「んにゃっ、もうしてないし! 昔を思い出して言っただけ!」
「ならいいんだけど。好き嫌いしてると身長伸びないしねえ」
「うるさ〜い! いいんだよ、おれはありのままのに〜ちゃんで等身大のに〜ちゃんなの。あと成長期はまだ来るし」
「はいはい、そういうことにしといてあげる」
 ハンバーガーを口いっぱいに頬張るなずにゃんは、頬袋に山ほどひまわりの種を詰め込んでいるハムスターによく似ていた。そんななずにゃんがピクルスをせこせこ抜いているれおくんと二人並んで談笑していると、なんだか本当に保護者みたいな気分がしてきて、よくない。
「それより……ライブ、成功してよかったよね」
「うんうん! 今日のライブはすっごい楽しかったな! 泉ちんもレオちんも、ほっぺた赤くなるまで歌っててさ〜、珍しいもの見ちゃった。ほら、普段のふたり……っていうか『Knights』って、エレガントでクール、みたいなイメージが先行してるだろ? だからこんなふうになるまで歌ってるふたりは久しぶりに見た!」
「まあ、そりゃあね。ぶっ倒れるまで全力でライブ〜みたいなのは、それこそ俺たち『Knights』より『流星隊』とかの領分でしょ。熱血ミラクル奇想天外〜って」
「あははっ、言い得て妙だな。千秋ちんは、ほんとにぶっ倒れないと止まってくれない〜って、いつだったか奏汰ちんが困ってたしな」
「守沢かあ……あいつも大概困ったやつだよねえ、うちの王さまぐらい」
 まあ守沢千秋は理由もなく失踪したりしないので、困ったとか手がかかるのベクトルがほぼ正反対なんだけど。
 ……そんなことを考えたせいだろうか。急に不安になってきて、俺は左手をテーブルの下へ降ろすと、うろうろとれおくんの手を探った。食べてる最中に手が降りるのはお行儀が悪いんだけど、れおくんの手が片方下に降りているので、仕方なかったのだ。
 ほどなくして、手袋をつけっぱなしの左手が見つかる。それにそっと手を伸ばすと、テーブルに遮られて見えているわけでもないのに、れおくんの方が気がついて握り返してくれた。
「ん〜? セナ、どうした? お手を拝借?」
「ううん。ご飯中に手を下げるのはよくないよってだけ」
「わはは〜。そんなこと言ったらセナだって今お行儀悪いことになるじゃん」
「あんたを引っ張り上げるために仕方なくだよ」
 れおくんの手をぽんとテーブルの上に引っ張り上げる。俺の手に掴まれて、もぞもぞ動いている。
「ねえ、あんたさあ、昔なんで俺に『お手をどうぞお姫さま』とか言ったの?」
 その意外としっかりした手のひらを見ていると不意にそのことが気に掛かって、つい、訊ねてしまっていた。
「へ? なんのこと? いつの話? あ、さっきの?」
「ずっと昔の……。あんたは覚えてないかもしれないけど、俺とあんたが初めて会った時にね、あんたそう言って俺に手を差し出したんだよ。まあ、チョ〜失礼! って感じだったけど。ねえなんで?」
「初めて会った時? ……あ〜、うん、なんとなく思い出したような。あの裏庭でボイトレしてたセナを見つけた日のことかなあ……?」
「あー、多分そう」
「うん。それなら、実はちゃんと理由があるんだよな」
 れおくんの手がふわりと開かれ、泉の手を離れる。「ねえセナあの時みたいにして」小さな声であいつが耳打ちした。れおくんが右手の平を差し出す。俺はそれに、ぽすりと右手を乗せる。
「ほら。こういうこと」
 その様子を見て、満足そうにれおくんが笑った。
「……いや、どういうこと?」
「うーんと。二度とない出会いに感謝して声を掛けるなら、エスコートの言葉はこれかなって思ったんだ。だからこれは、おれとおまえの出会いは運命だ、直感した! ……って意味」
「へ……?」
「で、実際おれたちの出会いは運命だったし。おれの直感って結構よく当たるんだ、知ってるだろ?」
 おれがセナのことだいたい知ってるのと同じぐらい、もうセナはおれのこと知ってるもんな。れおくんが宣う。ねえそれどの口で言ってるの。あんたは俺のことを全部は知らないし、おれだってあんたのこときっとまだ何にも知らない。だけどこんなにも、「そうかもね」って言いたくなるのは、きっと卒業を控えて涙もろい季節のせいだ。
「ふはは〜、手と手をあわせて、幸せ〜。な〜む〜♪」
「レオちん、横からごめんだけど、それ仏壇のCMりゃぞっ。いい話っぽい内容に続けて言う内容かにゃあ?」
「ちょっとなずにゃん、お口とけてる」
「うにゃ、シェイク飲みすぎりゃ! ……ぷは。んと、つまりさあレオちん、レオちんはずっと一緒に来てくださいって意味で、泉ちんに『お手をどうぞ』って言った。そういうこと? 今の話はさ」
 見かねたのか、ミルクシェイクをすすっていたなずにゃんが、口を挟んでくる。なずにゃんがまとめた内容に、れおくんが「そうそう、そんな感じ!」と調子よく笑っていた。
「ふーん、それじゃ『Knights』がパフォーマンスで『お姫さまたち』〜って呼ぶのも、そういう意味なの?」
「確か? あれ決めたの、おれだっけ? セナだっけ?」
「あんただよ。まだくまくんもなるくんもいなかった頃に。ああでも確かに、言ってたかな……俺たちのライブに来てくれるお客さんには、一期一会の運命の出会いをしてほしいから〜みたいなこと……」
「なるほどな〜。『Knights』ってお洒落だな、そういうとこ」
 記憶の糸を手繰って辿々しく捕捉をいれると、ふんふんとなずにゃんが頷いた。お洒落……お洒落なのかなあ? 駄洒落ばっかりの天祥院に比べたら、まあ、しゃれっ気が残ってるほうかもしれないけど。れおくんは存外博識だけど、でも洒脱と言うよりは、純朴が近しい生き物だ。なんというかKnightsはわりと行き当たりばったりなのである。そもそも俺たちが騎士になったのも、既に王も女王も取られたあとで、歩兵か騎士かみたいな二択だったからで……。
「ふふん、今セナが何考えてるか当てていい? 『別に最初からお洒落だと思って決めたわけじゃないんだけど』とか、そんな感じだろ」
 そんな俺の思考を遮るように、れおくんが口を開く。れおくんはくるりと振り向いて俺の顔を見ると、悪戯っぽい笑みを浮かべた。ポテトフライの油がついた指先で、つうと俺の唇をなぞる。シンデレラの夢と魔法が解けないでと願っている少女のように柔らかく、それでいてコケティッシュに、目を細めて俺の耳元へ口を寄せる。
「だけどそれさえも全部全部運命なんだとしたら、それってすごく、どうしようもなくって最低で最悪で……最高じゃないか?」
 アスタ・ラ・ビスタ・ベイビー! ――それじゃ地獄で、また今度。
 れおくんがけらけら笑いながらそう囁いた。偶然に出会って運命で繋がった俺たちは、天国で出会い、地獄までずるずる堕落し、そして今は、再び這い上がって地上で息を吸っている。天国の騎士、地獄の王さま、そして地上を生きるただの月永レオと瀬名泉。出会った頃俺たちは王と騎士ではなく、ただの運命その1と運命その2だった。何者でもない俺たちは惹かれ合った。あんたは手を伸ばさなきゃと思い、俺は手を掴まなきゃと思った。
 全部偶然の連続だ。運命って待ってはくれない。
「運命だ! って思ってセナに手伸ばして、セナはその時おれのことなんか何にも知らなかったはずなのに、その手を取ってくれて。だからおれは、セナに手を差し出されたら、取らないわけにはいかない。あの奇術師、考えたな〜。おれを舞台に上げる方法を熟知してるっ。おれは運命に逆らえないから。だってそれはセナのかたちをしているから――」
 そういうわけで、お手をどうぞお姫さま。月永レオが、屈託のない笑みで手を差し出してくる。こんな話をされて、すぐに手を取ったら、多分負けだ。なのにさっさと握り締めてあげちゃうのは、惚れた弱みというやつなのかもしれない。
「あんたがもし俺のこと女の子扱いしてそう言ったんだったら、今この瞬間、全部の縁切ってたよ」
 呟くと、握り締めた手の熱さが少し高まった。
「んん、それは困る。でも、大丈夫だ。セナは格好いいよ、おれの自慢の騎士だもん、騎士じゃなくても……おれの運命は王子さまの手を取って走り出すタイプのお姫さまだし!」
「そこ、もうちょっとなんかなかったわけ?」
「ごめんな! 言葉を尽くすのは難解だっ、音で表した方がずっと明瞭! ナズもそう思うだろ? これから音楽を世界の共通言語にしようっ……♪」
「う〜ん、おれは日本語がいいなあ。他の言葉は、まだちょっと不自由だし。てか泉ちん、えらいな〜。れおちんのこと毎日相手にして、今度ワールドツアーもやるんだろ? ほんと、二人ならどこにでも行っちゃいそう。まあでも泉ちんがついてるなら、大丈夫か」
 今日のライブでも、泉ちんがうまくリードして、れおちんの動きをまとめてたもんな。なずにゃんがしみじみと呟く。ナイトキラーズの動きを掌握して利用し、合同ライブに仕立て上げる……その方策は実のところ日々樹が斎宮から習った戦術らしいんだけど、こと俺とれおくんの間に至っては、練習する必要もないんじゃないかというぐらいぴたりとはまったやり方だった。だって俺はいつも縦横無尽に駆け回るあんたを御する役割だったし。騎士たちが大所帯になり、かさくんとかがその役をいちぶ引き継いでくれるようになる前は、全部俺がひとりでまかなっていたのだ。
 それはまだ、俺たちが王と騎士になりきっていなかった頃。ふたりがただの運命の1と2だった頃。それを思い出したから、今日の夢は雑味がひどくて、奔放に過ぎて、とびきり楽しかったのかもしれない。
「ねえれおくん、この打ち上げが終わったら、俺たちまた、『Knights』に戻るでしょ」
「ん? ああ、そうだな。卒業ライブも控えてるし、卒業後もおれは『Knights』として地固めをする予定だし。それがどうしたの?」
「あいつらが卒業してくるまでの間は、たまにはこうやって羽目を外そうよ。……なんか楽しかった。またあんたと踊りたい」
「セナ……」
 だから戯れに言ってみる。言うだけタダだし、運命共同体みたいに、ずるずる共倒れして、瀕死のふちで起き上がって、ふたたびステージに返り咲いた俺たちなら。なんていうか、「ふたりで」という選択を、もう少しだけ取ってもいいような気がしたのだ。くまくんなるくんあたりには「贅沢〜」とか言われそうだし、かさくんには「ずるいです」って言われそうだけど。でもいいじゃん、パパとママがときどき恋人に戻る日があるみたいに、王さまじゃないあんたと、騎士じゃない俺で、裸足のワルツを踊る日があったって、きっと罰は当たらないよ。
 そんなことを考えているって、俺の運命の男は、触れ合った手のひらの熱できっと気付いていたのだろう。
「うん、じゃあ、そしたら。それまでガラスの靴は持っていて、お姫さま」
 れおくんはそれを聞くと、にこにこ笑って、俺にしか聞こえないぐらい小さな声でそう囁いたのだった。