※鍋食べてるだけの冬の3Aトリオ
「――で、なんで俺たち海洋生物部の部室で鍋してるの?」
「奏汰が快く貸してくれたからだな☆」
「げろげろ〜、他にもっと場所あったでしょ? こう、広々としたさあ……Knightsが根城にしてる撮影スタジオとかいくらでも……」
「はあ? スタジオだけは絶対に嫌。あそこただでさえ『セナんちの匂いがする!』とか意味わかんないこと言われてんのに、これ以上鍋の匂いが炬燵に移ったらどうしてくれんの」
「あ、炬燵あるんだ……」
ぐつぐつ。ぐらぐら。カセットコンロの上で煮えたぎる鍋を前に、三人の生徒が喧々囂々と舌戦を交わしている。議題は「鍋パの正しい開催地」。無論校内で鍋を食べようという試み自体が間違っているので、この命題に対する答えなどどこにもない。
「っていうかせなっちんちの匂いってどんな? スタジオ、たまに撮影でお邪魔するけど……別にそんなの思ったことないよ」
「知らない。王さまが勝手に言ってることだからあ……体臭とか人一倍気にしてんだからねえこっちは、実際そんな匂いしてたらたまったもんじゃないっての」
「ああでも、分かる気がするぞ。スタジオに行くと、いつも綺麗好きのお母さんがいるおうちにお邪魔した気分になるんだよなあ。あそこ、瀬名が掃除とかしてるんだろ?」
「そうだけど」
「ならたぶんそれだな〜、瀬名の家も、きっと同じ洗剤の匂いがしてたりするんじゃないか」
ご家庭の香りってやつだな! なかなか煮える兆しのない鍋を菜箸で突っついて、千秋が言った。泉はあからさまに肩をすくめ、ぜったいちがう……と力なく反論する。いつの頃からかレオ直筆で「セナハウス」という表札が掛けられて以来、スタジオ……もといKnightsの所帯じみ方が加速している気がするのも、泉のもっぱらの悩みであった。
「だいたい、場所っていうんならさあ、あんたたち『UNDEAD』だって軽音部室を占拠してるじゃん。あそこでもよかったんじゃないの、すくなくとも海洋生物部室よりは……」
「うわ、そこで矛先俺に向く? やだよ〜! あそこ大体常に朔間さん寝てるんだよ。あんなとこで鍋やったら、『薫くん、美味しそうじゃのう♪ 我輩も混ぜてほしいのじゃ♪』とか言ってあのひと棺桶からズルズル出てきそうだし、わんちゃんも匂いを嗅ぎつけてどこからともなくやってきそうだし、アドニスくんもお肉持って来そうだし…………あ、アドニスくんだけなら例外的にいいや。あの子は具材を増やしてくれる……」
「羽風、要は鍋をつつく人数が増えると困るんだな!」
「そうだよ〜。今のねえ、三人っていうのが、男だけで囲む鍋としては限界ギリギリなの。この土鍋のサイズでさあ、それ以上の人数が集まったら、一人頭の取り分が大分無惨なことになるよ?」
「それには正直同意……。この前Knights五人で鍋やったけどもう酷い有様だったんだよ、チョ〜ありえないんだけど! だいたい後片付けしながら思ったんだけど五人で鍋って何? 三世帯のご家庭か? しかもあいつら肉ばっか食って〜!!」
「……もうスタジオでやってんじゃん、鍋パ」
「俺んちだよ! ママとパパが旅行でいなかったからその時にね」
ぐらぐら。ぐつぐつ。鍋はまだ煮える兆しがない。ざるに空けられてスタンバイしているマロニー投入のタイミングを今か今かとはかり、泉がチラチラと鍋とマロニーを監視している。
この三人の中で最も鍋奉行の素質があるのは言うまでもなく泉である。薫と千秋は、最初に目と目だけで示し合わせて決めていた。――鍋の進行には余計な口を挟まないことにしよう。だってそれが一番、おいしい鍋にありつけそうな気がするし。
「せなっちさ〜、Knightsのみんなと鍋パしたときもお奉行さんだったの?」
「ん? ああ……まあね。あいつらほっとくと、際限なく変なもの入れて闇鍋作りかねないし。特に王さまとくまくん……。かさくんも、マロニーとか水につける前にそのまま入れちゃいそうで焦ったよ。持って来てくれた具材は流石にいいものだったけどねえ」
「おお、具材は持ち寄り式だったんだな! 楽しそうだ……♪ 今度うちのみんなでもやるかな、それ」
「ものに制限掛けた方がいいよお? ショートケーキとか入れようとする奴、マジで実在したんだってびっくりしたもん。特にあんたんとこは肉係と魚係をキッチリ決めとかないと、具材が海鮮物ばっかりで溢れそうじゃない」
「あ〜、奏汰くん、魚しか持って来なさそうだもんね。しかもなんか、あんまり見たことないようなの」
「いやいや奏汰も、あれでいて差し入れの内容には気を遣ってくれてるんだ。アンコウとかは上級者向けかと思って外しておいた〜みたいに言ってたからな」
部室を借りる際、世帯主たる奏汰が差し入れてくれたビニール袋を指さして千秋が言う。中にはタラバガニの足と車エビ、鱈の切り身、そして少量ながらフグの刺身(!)など、バラエティ豊かな食材が入れられていた。「おさかなさんをたべて、『げんきいっぱい』ですよ〜♪」などと言って食材提供をしてくれた彼自身は、家の用事があるとかでさっくり帰ってしまったのだが……どれをとっても高級食材のオンパレードなので、この恩はとても大きい。羽風薫・瀬名泉一同、丁重にお礼をせねばとさっきちょっと盛り上がった。
「まあねえ。あんきもとか、俺ちょっと苦手だし……有り難いよ」
「え〜、せなっちあんきも食べられないの? おいしいのに〜」
「なんか、味の感じがね。お酒のアテみたいなやつ、大体苦手」
「そういえば瀬名はアルコール苦手なんだったな。この前の招福宴だったか、大丈夫だったのか」
「正直きつかった」
「おお……その顔だけで如何ほどかがわかるな……」
「王さまが支えてくれたしね、舞台の上では、みっともない格好見せたりはしなかったけど。は〜あ、成人したら付き合いで飲まされるんだろうなと思うと、今から憂鬱だよ」
ぷるぷると震える豆腐を菜箸でなぞって、泉がぼやく。
「あ〜、やだ! 将来の話やだ! 考えたくない〜!」
すると一気に他のふたりも沈鬱な面持ちになり、手持ちぶさたに箸を鳴らして狼狽えた。
「まだ俺は結論出てないの! ほんっと、憂鬱……」
「はは、自分が一年後何をしているのかとか、まるでさっぱりわからんしな!! かくいう俺も、ちょこっとだけ胃が痛い」
そもそも、何故今日この日、三人で鍋を突こうという話になったのか。それというのも全て、この卒業シーズン特有の雰囲気が関係している。
三学期に入って数日経ち、大学受験組は最後の追い込みに入った。すると一気に、「学生生活も残り僅か」という実感が襲い掛かってくる。クラスメイトたちの話題はもっぱら受験と進路の話題一色、教師からも「残り少ない高校生活悔いなく過ごせよ」というお言葉が増え、次年度の生徒会長が代表挨拶をし。気持ちが全部、センチメンタルで押し流されそうになるのだ。
「羽風! 瀬名! 鍋食おう!」という守沢千秋の提案があったのは、そんな最中であった。この現実から目を背けるような提案が、この上なく的確に二人のハートを射止めたのは言うまでもない。実際現実逃避なんだけど。
たぶんこんな時期じゃなければ鍋の誘いなんか受けてない。だって狭いし暑苦しいし男ばかりでむさいしゆうくんもいないし。
「は〜? もりっちはもう卒業後の仕事もろもろっと決まってるくせに……。よっ、ニチアサのお兄さん」
「うむ、恐れ多くも主演の話をいただいた以上、その役に恥じぬよう精一杯頑張る所存だ……☆」
「はあ、本当元気だね、あんたら」
「んん? しかし瀬名も四月以降の仕事、もう来てるんだろう?」
「いくつかはね……。『Knights』としての今後の進展は、王さまと相談してる最中なの。卒業旅行を兼ねたワールドツアーだけは、もうやろうって決めて関係各所と動いてるけど……そのあとどうしていくかは、殆ど白紙……」
「へえ、以外〜。せなっちそゆとこ、はっきりしてそうなのに」
「俺の進路、王さまの進路がもろに影響してくるから。ひとりで決められない分、難しいんだよ」
「……。そっか。そうだよね〜。は〜あ、朔間さんもきっと同じなんだろうな〜」
薫が溜め息を吐くと、それを合図にしたように、泉がのそりと動いてマロニーを鍋へ放り込む。つやつやしただし汁の中に飲み込まれたマロニーは、あっという間にだし汁と同化し、ふくよかに膨れあがった。うん、おいしそう。タラバガニの足も、なかなか、いい色になってきている。エビもぷりぷりして真っ赤だし、つみれと肉団子は仲睦まじくぷかぷかしているし、白菜はしんなりして食べ頃美人の顔をしているし……。
「……ねえ、せなっち、そろそろいけるんじゃない?」
「おおっ気が合うな羽風! 俺も今まさにそれを言おうとしていたところだ……☆」
「ん〜、ちょっと待ちな。大根とにんじんは……よし、通ってる。つみれ……大丈夫。白菜の芯…………いける!」
「おおっ!?」
「待ってました!!」
「はいはい慌てない慌てない! 本当に三人分かってぐらい材料あるんだから! お皿出しな、順番に取り分けたげる」
我先にと差し出された器を受け取り、菜箸とおたまできれいに寄せ鍋の具材を盛りつけていく。ほかほかの湯気が器に移り、鍋のまわり、等間隔で、三つに分配される。
ビニール袋からポン酢の瓶を取り出して詮をあけ、スタンバイOK。薫はうきうきした面持ちで、あつあつの鍋を前に目を輝かせる千秋を振り返った。
「……それじゃ、難しい話はあとにして、もりっち、号令〜」
「んっ、俺か? 鍋を見てくれていた瀬名じゃなくていいのか?」
「はあ? そもそもこの鍋の発起人、あんたでしょ。一番無駄に声でかいし。深海に交渉してくれたのもあんたじゃん。ほら早く言いなよ、お腹減ったんだから」
「そう言われるとそれもそうだな! よしじゃあ、ご両人お手を拝借……」
千秋の声に従い、泉と薫がお行儀よく両手のひらを合わせる。食材への感謝を唱えたあと他のふたりをちょっとだけ待って、「もういいか?」と訊ねれば、もう待ては限界だとばかり、二人とも猛烈な勢いで首を縦に振った。お腹の空いた男子高校生三人、目の前には出来たての高級寄せ鍋。我慢なんてもう出来ない。
期待に満ちたまなざしが千秋に集まる。海洋生物部室が、その一瞬だけ、普段と同じ薄暗がりと静寂に包まれた。千秋はすうと息を吸い込み、ふたたび、全ての命と、あとそれから奏汰に感謝を述べ、お祭り騒ぎのはじまりを宣言した。
「――いただきます!」