小鳥の囀り噺:01 「写真」 古ぼけた、大きめのアルバム。 タイトルもナンバーもない素っ気ない紺色の表紙は、所々染み付いて生半可じゃない年月を表しているようだった。 ぱらり、と捲ってみる。 「……師匠(せんせい)のところに持っていきましょう、カイル」 「そうだな……。団長と一緒にいるはずだ」 アルバムの中では、200年程前の傭兵団の面々が、様々な表情で時を固めていた。 ◇◆◇◆◇ 「相変わらず物持ちの良い場所ですね、この砦は」 ずしりと重いアルバムを受け取り、セネリオは懐かしそうにそう言った。 「それで、あなたたちは僕に何を望んでいるんです? ……カイル。目を輝かせたって駄目です。子犬じゃないのだから言葉で言いなさい」 「師匠と将軍なら、このアルバムの中身に詳しいかなと思いまして。写っている方々のお名前とか……」 「そんなものを知ってどうするんです……」 なんだか呆れたような声音を出しながらも、セネリオはアルバムを開いた。砦の保管庫で寝かされていたのが良かったのだろう、保管状態は上々だ。写真はまだ色を保ったままセネリオの目に飛び込んできて、かつて共に暮らした仲間たちの姿を鮮明に蘇らさせた。 一枚一枚、指差しては彼らの名を挙げてゆく。 「彼女はティアマト。当時の副長で斧騎士です。母親みたいな役割をこなす人でしたね。僕も度々注意を受けました……。これは、シノンです。口は悪いし馬鹿でしたけど弓の腕だけは超一級でした。ヨファあたりが隠し撮りしたのかな」 「あ、これセネリオ先生とアイク団長? 若いな」 「……僕はどうでもいいですよ。それにしても……見れば見るほど、この時期のアイクはカイルと瓜二つですね」 「あの、師匠。この方は?」 「……。この方はグレイル団長。アイクの父君にしてこの団の創始者です。非常に卓越した戦士、でした。今思うと彼は、僕のことも大分気にかけてくださっていたみたいですけど、あの頃は気付けなかった」 「今そうとわかってるんなら、別にいいんじゃないか」 「アイク」 不意に背後から現れて、セネリオに覆い被さるようにしてアルバムに手を伸ばすのはアイクだ。彼は懐かしそうに微笑み、ぱらぱらとアルバムのページを捲っていく。 カイルとセイラの物足りなさそうな視線にお構い無くどんどんとページを捲る手が、あるところで急に止まった。 「……ん。これはまた特に懐かしいな」 「集合写真……。こんなの撮りましたっけ……?」 「なんだ、セネリオ。忘れたのか? 集合写真は結構撮ってるぞ。……そうだ、ついでにミカヤとライを呼んでこい。昔話でもしてやるから」 「団長、その必要はないと思う」 「お二人とも、既にそこでニヤニヤしておられます」 セイラのストレートな報告に、セネリオとセイラ以外が顔をしかめた。 ◇◆◇◆◇ 「セネリオ!」 「――や、です……」 「我が儘言うな。それにこれは親父が決めたことだぞ。いい加減諦めて来いよ」 「嫌なものは、嫌です……」 言葉ではどうあっても状況が進展しないと判断し、蒼髪の少年は黒いローブの少年を引き摺りだした。 魔導師の少年はそれに抵抗するが、如何せん鍛え方が違う。蚊の鳴くような抵抗は何の意味も成さず、少年にしては頑強な腕にただずりずりと連行されるのみだった。 「嫌……放してアイク……」 「だーめーだ。お前の為に、撮るんだ。お前がいなきゃ始まらん」 「でも、嫌なんです……。僕は写真なんか……」 「別に魂抜かれたりしないから。無理に笑わなくってもいいし。俺はセネリオと撮りたいんだ」 「……ぅ……」 「ほら、みんな待ってる」 あっという間に映写機とその前に集まっている人だかりのところまで連れてこられてしまい、セネリオは泣きそうに歪んだ顔を下に向けた。 嫌だ、嫌だ。 写真は、嫌だ。 時を固められるのが嫌だった。自分なんか撮ったっていいことはないのに。 セネリオには思い出がなかった。記憶といえば、それは大概ろくでもないものを指した。 自分を育てた女の蔑み疎む目。引き取られた先の賢者の、取り憑かれて狂ったような声音。樹海ですれ違ったラグズたちの冷たい態度。 教会での生活はそれらに比べればはるかにましだったが、それでも彼らの「善意の憐れみ」には辟易していた。 そんなセネリオだ。だからきっとろくな顔をしていない。アイクは綺麗だと言ってくれたけど。そんなことはない。 何でそんなものをこの先残っていく記録に残さなきゃいけないのか。 「遅くなった。セネリオ、連れてきた」 「おにいちゃん、なんかすっごい、いやがってるみたいだよ……?」 「でもこの写真はセネリオの為でもあるだろ。写さないのは変だ」 「そうだけど……」 「大丈夫だ。俺が、写真に写る時だけでもなんとかするから」 「できるの?」 「やる」 妹の問いかけに即答し、そしてアイクはセネリオを正面から思いっきり抱き締めた。それから彼の体から手を離して、代わりにわしっと顔を両サイドから固定する。 「あっ、アイク?!」 「――うん。今日も綺麗だ」 「?」 額と額をこつんと鳴らしてしまいそうなほど近付けて、アイクは諭すようにセネリオに尋ねた。 「おまえは自分の顔が嫌だから、写真も嫌なんだよな。どうして、自分の顔が嫌いなんだ?」 「だって……僕の顔、醜いでしょう? こんなものを撮ったってフィルムが無駄なだけですよ……」 「誰が醜いなんて言ったんだ」 「……僕自身が……」 「……。おまえは本当に、頭はいいのにこういうところはさっぱりだな。いいか、おまえはぜったい綺麗だ。疎い俺が言うんだから間違いない。だからしゃんとして、俺の隣に立て」 セネリオはそれでもかぶりを横に振ったが、アイクはそれ以上の我が儘は許さないとばかりに強くセネリオの瞳を注視した。 そして畳み掛けるように、極めつけの一言を口にする。 「おまえは俺の、軍師なんだから」 その後セネリオがどうしたかは、写真が雄弁に物語っている。 ◇◆◇◆◇ 「なんだそれ。のろけかーアイク」 「いや、別に。……というか何故その結論になる?」 「いやあ……この結論に至らない方が少数意見だと思うんだがね」 くるりと他のギャラリーを見渡してから、やってらんないね、とばかりにライは盛大に溜め息を吐いた。 「そんでこの顔か。誇らしいようなうっすら赤いような。青春してたんだなおまえら」 「せ、師匠ッ、レクスフレイムは! レクスフレイムは駄目です!! いくらなんでもライさんが死んでしまいます!!」 「この猫はその程度で死ぬようなタマではありません。一発撃たせなさいセイラ」 「……流石に止めとけ、セネリオ」 「……アイクがそう言うなら、仕方ありません」 「代わりに俺の修練に付き合わせるから。装備はラグネルで」 「団長それだと状況がなんも変わってない」 カイルがげっそりしてそう言うと、アイクは半分冗談だと言って笑った。後ろでライは、半分本気だったのかと鳥肌をたてていたが。 「――で、それからセネリオは俺の隣にいる時だけはちゃんと写真に写ってくれるようになってな。だからセネリオの写真はないわけじゃないんだが、一人のものはないんだ。まあ集合写真なら度々撮ってるから……ああ、ミカヤ。これはサザが入ってる奴だな」 「クリミア軍にいた頃のですか?」 「いや。サザがいたのはあくまでもグレイル傭兵団だよ」 ライらの言を適当に流し、アイクはミカヤに一枚の集合写真を提示した。エリンシアがクリミア復興に向けて立つ折に撮った一枚だ。まだ幼さの残るサザが、満面の笑みのトパックに腕を掴まれてなんだかむず痒そうな表情をしている。 「……不思議。わたしの知らないサザが……今になって、まだ見付かるなんて」 「それが写真の役目だからな」 アイクは簡素にそう言い、ミカヤに笑いかけた。 「そこに確かにあった時間を、楽しかったこと、嬉しかったこと、辛かったこと、それらを閉じ込めて後に残していくんだ。後から見た人間がそれを思い出したり、込められた思いに触れる為に」 「ふふ……そうですね。せっかくですから、このメンバーで写真でも撮りますか?」 私たちがこの内乱の裏で暗躍していた記念に、と冗談めいて言うミカヤにカイルとセイラがぎょっとし、セネリオとアイクはさらりと賛同しライが苦笑する。 「いいんじゃないですか? 僕は、アイクの隣なら構いませんよ」 「それじゃ、忘れないうちに撮ってしまうか。セイラ、映写機がどこにあるかわかるか」 「はあ……わかりますけど……本当に撮るんですか……?」 「記念ですよ、き・ね・ん」 唇に人指し指を添えてにこりと微笑むミカヤに子供二人は逆らうことが出来ず、結果としてがっちがちに緊張した面もちで写ることになってしまうのだった。 ◇◆◇◆◇ 「ああ……これ。あの時の写真か」 「ええ。懐かしいですね。みなさん、今はどこにいらっしゃるやら」 「今は平和だからなー。団長も先生も、姉さんもどっかでのんびりしてるんじゃないかな」 「ライさんは相変わらず忙しそうですけどね」 「いやだって、あいつガリア王補佐官だろ? 忙しくなかったらやばい」 苦笑混じりにそう言って、蒼髪の青年は黒髪を撫でた。黒髪の持ち主である女性は、くすぐったそうに青年に振り返る。 「内乱終結以来、お会いしていませんから……もう7年ですか。まあ、あの方々にとっては大した年月ではないのかもしれませんけど」 「そうなのかな。まあ俺らだって長かったような短かったような……って感じだろ。案外変わんないかもしれないぞ」 「そうでしょうか……?」 「うん。しかしなー、ほんと、今どこにいるんだろ。また団長と手合わせしたいんだけどなあ」 「もうこの団にはカイルの相手が務まる人間がいませんからね」 カイルの昔と変わらない子供っぽい言い方に、セイラはくすくすと笑った。 不意に、誰かの声が聞こえてくる。 ――イク。それじゃ―― ――んだ、肉に不満が―― ――わらず、仲が良い―― ――てるこっちが恥ずか―― 「…………セイラ。今聞こえたの……」 「……噂をすればなんとやら、ですね」 椅子から立ち上がり、セイラは棚から映写機を引っ張り出す。カイルは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに彼女の意図を察して笑った。 「久々のお客様ですよ、カイル。晩餐を振る舞ったら、また写真を一緒に撮らせていただきましょう」 どん、どんと。 砦の玄関口から、力強くノックする音が―― fin. あとがき 暁の小鳥にはあとがきを付けてないのですね、そういえば。 語りたいこといっぱい溜まりすぎて、最終回のあとがきで難儀しそうです。 セネリオが写真を解説する場面を書きたくて書いた番外編。オリキャラをこんなに可愛がっていいんだろうか…… でもカイルもセイラも可愛いんだもの、そもそもアイクとセネリオによく似てるという設定だから あの世界に写真があるかはわからないし無さげな気もしたのですが、そのへんはスルー。 でもカメラだと味気ないので映写機とか書いておきました。それは映画を映す機械の名前だった気はするのですが。 |