日曜日には歩くような早さで
アストラル世界へ続くゲートを設置する実験のために、天城家へとミザエルが引き取られてきて三日程が経った日のことだった。ミザエルが目を覚まして身支度を整え階下に降りて来ると、珍しいことに既にハルトが起きてテレビの前に座っている。
「日曜の朝はエスパー・ロビンの放送をしているからあの子は早起きになるんだ」
ミザエルが首を傾げているのを見かねて、ソファに座って新聞を読んでいたカイトがそう捕捉を入れた。画面の向こうから、ロビンが正義の鉄槌を対峙していた悪者に下す決め台詞が聞こえてくる。カイトはふむ、と頷くと新聞を折りたたみ、ソファから立ち上がってミザエルの方へ向かってきておもむろに彼の髪を掬い上げ、全身を観察するようにじっと見た。突然のことに驚いてミザエルの顔色が変わる。
「なっ、なんだっ。朝から、急に……」
「いや。丁度いいかと思って。……今日は研究は休みにしよう。たまの日曜だしな……クリスが礼拝に出かけてしまっていないんだ。彼はクリスチャンだから」
「礼拝」
「神に祈りを捧げる週に一度の信仰儀式だよ。そうか。お前は、神を信じるようなタイプじゃなかったな」
「悪いか。神なんてものが本当に存在するのなら、ジンロンが私にそう教えてくれただろう。龍は博識だから。だが彼はそんなものについては少しも言わなかった」
「悪いわけじゃないさ。俺もあまり、神を信仰するような性質じゃない……クリスには言うなよ。アークライトの一族は敬虔な信徒なんだ。少なくとも、クリスは今でも」
エスパー・ロビンの放送が終わって、「来週もまた見てね!」というあのテンプレートなテロップがテレビの中を横切り終わると、ハルトは手に握りしめていたリモコンを操作してチャンネルを切り替えた。ハートランド・シティの今日のお天気について、キャスターが解説を加えている。まぶしいぐらいの晴れマークが一日中並んでいて、最高気温は高く、「今日は気持ちのいい一日となるでしょう」という結び文句で天気予報は終わった。
ハルトが振り返り、「兄さん、今日は何処かへ出かけるの?」と期待に胸を膨らませて訊ねてくる。
「さっき研究はお休みにするって言ってたでしょう?」
「ああ。いい加減、ミザエルの私服を揃えねばと思って。いつまでもあんな目立って仕方ない格好をさせておくのも、管理者としてはな。余計な通報は減らしたいんだ……アークライトの正装も大概派手だが、それにしたって彼らは一応普段着を持っている。大分豪奢だが」
「そっか、ミザエルのお洋服、確かに変わってるものね」
「まあそうすると服を買うための服に困るというような本末転倒に陥るんだがな……それはまあ、俺の服で我慢させよう。ミザエル」
兄弟間で勝手に進んでいく自分の話に目を白黒させながら固まっていたミザエルにカイトが呼び掛ける。今のミザエルの出で立ちは、ハルトが「これ、一緒に着ようよ!」と言って手渡したクマさん柄のパジャマに髪を無造作に下ろした状態だ。ミザエルの私服は例の一張羅しかなく、引き取ってきてからはもっぱら研究室に入り浸っていたために被験用の病院着のような服ばかり着ていた。そろそろ、ミザエル自身のものを揃えるべきだろう。
「あ、ああ……?」
「そういうわけだ。今日のうちにある程度買い置いておこう。それに早いうちに仕立て屋に行って、寸法も取らねばならん。制服はオーダーメイドだからな。その分時間がかかる」
「制服?」
「凌牙から聞いていなかったのか? お前達は全員ハートランド学園に編入することになっている」
「あ、いや……そういえばそんなことを言っていたような……」
神代邸で六人揃って最初の夕食を取った時に、話題に上がっていたことを思い出す。確か学籍やら戸籍やらが無いだとかなんとかで、まずは一般常識を身に着けろという話に落ち着いていたはずだ。
「早ければ来週……まあ、再来週ぐらいには凌牙の気も済んでいるだろう。それまでに制服を仕立てておきたいし……ハルトも外に出たがっているようだしな。そうと決まれば、善は急げだ。朝食をとったら俺の部屋まで来てくれ。良い機会だから、最低限の身だしなみと礼節を今日一日で叩き込んでやる」
カイトがなんでもないことのようにさらりと言ったその時、ミザエルは己の背をかけ上げるものがあったことを確かに自覚した。この時、カイトの目は本気だった。「叩き込む」時のカイトは容赦がない。それは実のところ、カイトが自らの師に受けた教えを受け継いでのものだったのだがそんなことはミザエルには知る由もないところだ。
非常に優秀な頭脳を持ち、理路整然と物事を話す天城カイトがことデュエルにおいては銀河眼一極集中の脳筋攻撃スタイルになるわけを、今はまだミザエルは知らない。
◇◆◇◆◇
「ゲッ」
「なッ?! 貴様ベクター!! 今までどこをほっつき歩いて……」
「わーっ、喧嘩は止めようぜ、街中だし!!」
「止めてくれるな遊馬。こいつを野放しにしておけばやがて街の運営に支障を来すだろう。我々の胃痛とカイトの心労を軽減するためにもここで」
「野放しとはまあ大層な言い分だなミザちゃんよォ俺は飢えた野良犬か何かかっつーんだ!」
「もっとたちの悪い狂犬だ」
「だから落ち着いてくれってば! ベクターも挑発すんなって」
ショッピングモールの中央噴水広場でばったり会ってしまったのが運の尽きというやつで、ミザエルは行方不明で七皇――特にリーダーである凌牙の――心を痛めていた張本人のベクターに向かって猛烈な勢いで詰め寄り胸ぐらを掴み上げた。ここで会ったが百年目と言わんばかりの勢いだ。そこに慌てた遊馬が仲裁に入るが、一度火が付いたミザエルはその程度では止まってくれない。
仕方なく遊馬はベクターの方の腕を引っ張ってミザエルから引き離し、強引に間に割って入るとすぐそばにいるであろう同行者の姿を探した。ミザエルがカイトの元に引き取られているという話は、昨日凌牙から聞いて知っている。
「カイト! 助けて! 俺一人じゃ無理!!」
「は、遊馬? ……おいミザエル何をやっている」
「だってカイト! あの馬鹿が!!」
「てめえに馬鹿と言われる筋合いはねえよ!!」
「うるさい、黙れ、さもなければ警備ロボを呼んで速やかに確保させるぞ。二週間は拘束してやる」
遊馬の期待通り、騒ぎを聞きつけたカイトがハルトを伴って何事かと周辺へ寄って来てくれたのでなんとか事なきを得て、ミザエルはカイトに、ベクターは遊馬にそれぞれ引き取られる形で静かになった。ミザエルはまだ何か言いたげだったが、自分を取り押さえるカイトの機嫌を背後から感じ取ったのか、それ以上罵詈雑言を口にすることはなかった。
「ミザエルが街の中出てるとは思わなかった。どうしたんだ? 買い物?」
「そんなところだ。制服の採寸と……あとは、日用品諸々の買い込みだな。そっちはどうしたんだ。ベクターの分の採寸か?」
「ううん。ベクターは、昔通ってた時の制服がそのまま使えるから大丈夫だって。日曜だから外に遊びに来たんだ。こいつ、普段家に閉じこもりきりだから」
「なるほど……流石に準備がいいな。しかし……その」
「? どうしたんだよ」
「いや……。揃いの服か……」
遊馬の細腕から脱出してファーストフード店のドリンクカップを握りつぶしているベクターは、よく言えば中学生らしく、悪く言えば子供っぽい水色のパーカーを着ている。その下にはこれも子供っぽいチョイスのTシャツ。それがどうも、遊馬のと色違いのデザインになっているらしい。
制服を脱ぎ捨てて以来革のジャケットなんぞを着ていたベクターの好みによるものだとは思えない。カイトは「遊馬とお揃いがちょっと羨ましい」という心情を放り投げてじろじろと二人の服装を見比べた。どうやら遊馬が虹クリボーTシャツで、ベクターがクリボルトTシャツのようだ。
「あ、これ? ばーちゃんが二人分買ってきてくれたんだ。色違い。やっぱ、流石にちょっとこれは子供っぽいよなあ」
「ベクターがよく着たな……」
ミザエルもようやく二人が揃いの格好をしていることに気付き、先程までの確執を忘れたかのように素直に感嘆している様子だ。ベクターと言えば七皇屈指の協調性のなさ、傍若無人、コントロール不能のじゃじゃ馬、そういうイメージが先行しているのでこれが相当に意外であるらしい。
当のベクターは少し顔を赤くして、恥ずかしがるようにぷいと顔を背けていた。多分これは遊馬と揃いだったから着たんだろうな……とカイトは一人で納得する。
「ミザエルの制服注文したってことは、ほんとにもうそろそろみんな学校に来るんだな」
「凌牙から何か聞いたのか?」
「うん、昨日。学校で会ったから。思ってたより元気そうだったし、良かったよ。……ところでさ、ミザエル」
「あっ、ああ、なんだ」
「今日の格好珍しいな」
唐突に話題を振られてミザエルの反応が少し遅れるが、遊馬にはあまりそれを気にするそぶりはない。遊馬の隣で、ベクターが少しだけつまらなそうな顔をした。
ミザエルは改めて自分の姿を見直し、それから「変だったか」と首を傾げる。ミザエルには自分の服装がいいのか悪いのか、この国の基準に照らし合わせるとどうなのかがよくわからないのだ。
「カイトに服を買おうと言われて。私は気に入っているのだが、あの一張羅はカイトのお気に召さないらしくてな」
「まーあれ、目立つしなあ……あと洗濯とか大変そう。全然、今日の服も変じゃないよ。似合ってると思うし」
「ほんと?! それね、僕が選んだんだよ」
「おっマジで? ハルトすげえな、俺なんか服は姉ちゃんとか小鳥に言われるがままって感じだもん」
選ぶの、面倒だしよくわかんなくてさ。肩に手を回して気怠そうに呟く姿はどこにでもいる少年のものだ。とても、一時世界の命運を肩に載せて戦っていたようには思えない。
カイトがその遣り取りを見てくすりと微笑んだ。
「どうだ、ここで会ったのも何かの縁だ。夕飯はうちに寄っていくか? ハルトが喜ぶ」
「何?! 遊馬はともかくベクターまで招くというのか?!」
「それこそ遊馬から離して野放しにはしておけんだろう」
「いやそれはそうなのだが、しかし」
「あ、ごめん。嬉しいんだけど今日はパス。……っていうか、ベクターが今すぐここを離れたいって……おわっ?!」
「あっおい、遊馬?!」
「悪い! また今度な!! あと、ベクターが俺と一緒にいるの、内緒にしといてくれ!! 頼む!!」
遊馬の声が遠くなっていく。ベクターが必死の形相で遊馬の腕を掴み取り、そのまま猛烈な勢いで引き摺ってカイト達の視界から消えていった。突然のことに呆気にとられてその場に立ち尽くすカイトとミザエルにハルトが「……行っちゃったね。どうしたんだろう……」と投げかけるが、二人とも「さあ……」「いやわからん……」と呟くのみだ。
しかしベクターがもの凄い勢いで走り去った理由はすぐに三人に知れるところになった。丁度先程ミザエルが採寸を済ませた店のある方向へ、見覚えのある人物が集団で現れたからだ。
「あれ、ミザエルじゃん。なに? ミザエルも制服買いに来たの?」
「奇遇だな、あちらで上手くやっているか? 君なら大丈夫だとは思うのだが……おや。ミザエル、どうしたんだ。そんな狐につままれたような顔をして」
「ああ……お前達か。いや、私も服を買った帰りなんだが。その……なんというか。狐につままれたんだ……」
「へ?」
「いや、気にしないでくれ。そんなことよりだな……」
遊馬が去り際に叫んでいた言葉の意味をなんとなく理解しながらミザエルは溜め息を吐いた。あの往生際の悪い男は、確執と因縁を持ち自分が二度殺し欺いた相手にあたる神代凌牙と顔をつきあわせるのが、恐らく全力で逃亡する程度には、嫌なのだ。
今日彼が着ていた服のように子供っぽい話だけれども。
◇◆◇◆◇
「お帰り。おや、随分と大荷物のようだけど、手伝った方がいいかな」
天城の家に帰ると、リビングルームにはカイトの師であるクリストファーが既に帰っていて、ソファーから腰を上げてそう訊ねる。三人で両手に抱えたショップの袋は確かに結構な量になっていて、モノレールで帰る時少し手間取った。
「いえ、もう家ですから。大丈夫ですよ。あなたの手を煩わせるほどでもない」
「そうかい? それなら、いいんだけどね。どうかな、夕飯にはまだ早い? 礼拝の後、君達が出かけていて研究が出来なかったから久しぶりに料理をしたんだ。口に合うといいけれど」
「一人で行ったのですか?」
「いや、父上と行ったよ。弟達は今は国外だからね」
二男であるトーマスのプロデュエリストとしての興業のため、マネージャーであるミハエルも今は海の向こうに渡っている。しかしトーマスの仕事が落ち着き次第、すぐに呼び戻すことになるだろう。実験はもうぞろ、大詰めを迎えようとしていた。
人手はいくらあってもいい。優秀な助手となれば尚更だ。
「クリストファーは料理も出来るのか」
「まあ趣味程度だけどね。下の子達があまりそういうことをしなかったから……」
「ううむ……私も何か少し身に着けた方が良いのかもしれんな」
「急ぐことはないんじゃないかな? 君達は若いから、まだ時間はこれからいくらでもある」
「……そういう言い方をすると、クリス、貴方が後がないみたいですよ」
「そうだね。これは失敬」
ハルトからショッパーを受け取って、確認を取ってから中身を開ける。シャツを手に取り眺めると、クリストファーは「いっぱい買ったねえ」と呟いてから少し首を傾げる。
「……どうしたんですか?」
「え? いやね、ミザエル君には、もう少しフリルがある服でも良かったんじゃないかなって……」
「……考えるだけ考えておきましょう」
「私の意思はそっちのけなのだな……」
クリストファーは尚も「そうかい?」となんだか残念そうにしている。よっぽど自分の好みのきらびやかな衣装をミザエルに着せたかったのだろうか? 確かに、ミザエルはああいう華美な服を着せてもあまり違和感がない。元々顔立ちが西洋寄りだからだ。しかしそれではカイトがミザエルに与えたがっていた「普段着」には相当しないだろう。
カイトは師から買ったばかりの服を受け取り、一つ深い溜め息を吐く。それを横から眺めながらミザエルがぽつりとそう漏らすと、ハルトが「好みって難しいよね」と大人びた一言を返して寄越すのだった。
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