幕間 interval1



「さあさ、ゆっくり御覧ください。ワタクシはお面屋、シアワセのお面屋でございます。
 泣きそうな顔、怒った顔、笑い顔、眠たそうな顔、嬉しそうな顔、淋しい顔、怖い顔、恐ろしい顔……他にも各種お面を豊富に取り揃えております。
 きっとお気に入りが見付かりますよ。あなたもおひとついかがです。」



◇◆◇◆◇



「やはり……もう時間がないのですね、わたくしには……」
 彼と別れてから一年近くが経った頃。ゼルダに残された自由はもう無くなっていた。拘束されているとかそういうことじゃあない。むしろこれから拘束されるのだ。
 永遠の、眠りに。
「インパ」
 赤子を抱きながら、賢者の一人でもある乳母を呼ぶ。インパは作業をしていた手を止め、ゼルダの前に進み出た。
「なんでしょうか、姫様?」
「我が侭な、最後のお願いがあるのです」
「最後……?」
 最後、という単語に訝しげな反応を示したインパに、ゼルダは本当に申し訳ないことをしてしまうと心中で詫びた。けれどこれでも長くもたせた方なのだ。
 本当なら、自分はもう、とうに醒めない眠りについていた筈だったのだから。
「あれから一年近くが過ぎ……ハイラルの復興も進みました。もう、わたくしがいなくても大丈夫でしょう」
「姫、様? 何を仰っているのです」
「落ち着いて聞いて、インパ」
 ゼルダの突拍子もない言葉に取り乱しそうになるインパを制し、ゼルダは話を続ける。
「わたくしはもう長くありません。ガノンドロフにかけられた呪いにより、間もなく永遠の眠りにつきます。ネールの力で後伸ばしにし、今まで隠してきましたがこれ以上はもうもちません」
「何を馬鹿な……」
 信じられないんだろう、ということはインパを見れば誰だってわかることだった。顔面は蒼白で、これが冗談だったらどんなに良かっただろう、と暗に語っていた。けれどインパは知っている。主であるゼルダは、このような悪趣味な冗談を言う人間ではないと。
 つまるところ、これは真実に他ならないのだと。
「ですから、この後……ハイラルをあなたに任せます。そして、我が娘ゼルダのことも」
「姫様……」
 ゼルダに赤子を差し出され、受け取る。母の元を離された赤子は泣き出した。
「今までありがとう、インパ」
 ゼルダがそう笑った瞬間、室内の空気が冷え固まった。パキパキ、という音を立てて薄桃の結晶がゼルダを足元から閉じ込めていく。あんまりに急で、そして馬鹿げた光景だった。受け入れがたい光景だった。
 しかしこれは現実なのだ。インパは己の頬を叩き、最後の命令を遵守すべく頭を働かす。
 彼女は国を任せたと言った。娘を守れと言った。けれど一番大事なことを言っていない。
 インパはうっすらと涙を滲ませ、何よりも大切な主を見た。短く顔を横に振り、一言一言を噛み締めるようにこう、告げる。
「まずは、あなたを王家と賢者で御守りする段取りを確保致します。我が、姫様」

 こうして初代ゼルダ姫は王家に秘匿され続けることとなる。知るのは代々の姫と六賢者のみに限られ、彼女はハイラル王家滅びるまで守られ続けた。
 しかしハイラル王家が滅び海に沈んだ時に、彼女は姿を消した。彼女が動けぬ水晶のままで何処へと消えたのか、それを知る者は誰一人いない。
 こちらの世界の人間は。

 とにかく、今はまだ、インパは室内で動かなくなった主をじっと見つめていた。
 そしてインパの腕に抱かれた、ゼルダの忘れ形見である幼い姫――誰に似たのか、美しい黄金の髪と深い碧の瞳を持った赤子は――ただ、泣き続けていた。



◇◆◇◆◇



「……ああ、姫。どうしたんですか」
 可愛らしい少女に向かって、少年はそう言った。物思いにふけっていたようだが、彼の顔はすぐに笑顔に切り替わった。なんだか仮面みたいな表情ではあったが、その事にはまだ少女は気付いていない。
「窓の外にあなたが見えたものですから……何か考えていたのですか?」
「ええ、まあ。俺の好きな人について」
 茶化すように言って、リンクはけらけらと笑った。それが自嘲を含むものだと見抜ける者は、何人いただろう。ぱっと見には判別などつかないぐらいに上手く偽装出来ている、そんな笑顔だった。
 それに対してゼルダもまた微笑んだ。こちらには作ったみたいな嘘くささが全くなく、子供らしい純粋な、花みたいな笑顔だった。
 けれど、それは彼の愛した少女とは違う花だ。似ているけれど違うのだ。ハルシオンとヒメジオンみたいな。似て非なる存在なのだ。
 決して交わることのない、平行線の上の――。
「またその方のことですか? リンクは本当にその方が好きなんですね」
 なんだか羨ましいです、とゼルダは言った。ゼルダはリンクのことが好きだった。彼女にとってリンクは、騎士というよりも同年代のかっこいい少年だ。それは憧れの延長線上にある、彼女の無自覚の初恋だった。
 けれどゼルダは知っている。彼には好きな人がいて、それは自分ではないということを。でも、絵本から抜け出てきたみたいなお姫様である彼女には、羨むという思考はあっても妬むという感情は存在しない。
「……そうだ、姫。あなたに言っておかなきゃいけないことがあるんです」
「? なんでしょうか?」
「俺、しばらく旅に出ようと思います。いなくなった友達を探しに」
 妖精ナビィ。デクの樹サマに遣わされてやって来た、リンクの友達。
 あの冒険の中、彼女とだけは最初から最後まで一緒だった。森を出るところから、時を超え、神殿の呪いを解き賢者を集め、ガノンドロフを討ち――そしてゼルダによって過去に戻され、光の渦に呑み込まれるその時まで。
 だからきっと、彼女はこの世界にいるはずだ。忘れてしまえといわんばかりにそれに関わるものが消えていったけれど、ナビィだけはいるはずなのだ。
 それは壊れてしまいそうな彼の心を、今唯一支えている細く脆い柱だった。
 ゼルダは突然のリンクの申し出にあっけらかんとしていたが、しばらくするとまじまじとリンクを見つめ、それから軽い溜め息を吐いてまた微笑んだ。
「そうですか、わかりました。お父様にはわたくしが言っておきます」
「え゛、王様に俺の動向を知らせる意味ってなんですか……?」
 何を言っているんですか、あなたはガノンドロフの反乱を未然に防いだ英雄なのですよ、とゼルダは言って、それからおもむろにポケットに手を突っ込んだ。すぐに目的の物を掴み、引っ張り出す。
 その手に握られていたのは、時のオカリナだった。
「リンク、これを持っていってください」
「なっ、ひ、姫! 時のオカリナはこの国になきゃあ――」
「いいえ。このオカリナはこんな平和な国には必要ありません」
 ゼルダはにこにと笑っていて、リンクは反論の糸口をなかなか見付けることが出来なかった。というよりそんなものはないんじゃあないか、と思えた。確かにこの国は平和で、時のオカリナの不思議な力に頼る必要は全くない。
「わたくしはあなたを信頼しています。だから預けます」
 ゼルダの物言いが段々有無を言わせぬものになってきて、リンクははあ、とこっそり息を吐いて腹を決めた。どうせ、このオカリナの使い方に関しては熟知している。ここは姫の好意に甘えておくべきだろう。
「……わかりました、姫。お言葉に甘えてお預かりします。……出かけると言ってもちょっとの間ですから。必ず帰ってきてお返ししますよ、姫」
「はい! 気を付けてくださいね」
 ゼルダのその言葉に、もう一日ここにいますけどね、とリンクは苦笑いをした。



◇◆◇◆◇



「さあさ、お決まりになりましたか、お客さん。
 ……はあ、これは何かって?
 ああ、いけません、いけません。これは売り物ではありません故。
 これはいわくつきの品なのですよ、呪いの品なのでございます。まともなものではございません。
 ええ、ならば何故持っているのかって? 持っているからでございます。深い事情はございません。
 はあ、名前ですか? 他の面のように名はないのかと? ございますよ。

 この面の名は、ムジュラ――

 左様、ムジュラの仮面でございます……」



to be continued→
   chapter2 MAJORA'S MASK……