落ちていく。 深い深い海の底に 吸い込まれそうな奈落の谷に 堕ちていく。 何も考えたくないから。 Monochrome 「何故……お前のような子供が……それほどの、ちから、を」 「死に際の質問、か。――理由、教えてやってもいいけどさあ。お前、どうせ俺が言うこと信じないよ」 口から零れ落ちる言葉は既に子供のものではなく。酷く外見に不釣り合いで。まるで可愛らしい人形が呪いの唄を紡ぐよう。 さして大きくもないはずの剣で左胸を突き刺され、息も絶え絶えの盗賊王の体から、勢いよくその剣を引き抜く。多量の出血に悲鳴が上がった。だけど少年の顔色は何一つ変わらない。 無表情の鉄面皮。 そのまま少年は情け容赦なく盗賊王の首をはねた。紅い鮮血をばあっと辺り一面に撒き散らし、頭が胴体から離れ飛んでゆく。生臭い臭いが広がった。 「トライフォースを宿したまま七年後から帰ってきて。未来を把握していたからクーデターを手際よく鎮圧出来ました。――俺だったら信じないね、そんな戯言」 吐き棄てた少年の唇は醜く歪んでいた。 ◇◆◇◆◇ 「コキリの翡翠です」 深緑の宝玉を手に、少年は淡々と言葉を紡いでゆく。 「俺の言うことを信じていただきたい」 少年は話の内容が突拍子のないものであることは重々承知の上で、しかし眼前の少女はその話を信用するだろうと確信していた。 無条件に。 かつ絶対的に。 「姫が夢で見られた通りに、今日から47日後の昼前にガノンドロフはクーデターを起こします。被害は甚大なものとなり、最終的にハイラル王国はガノンに乗っ取られ、魔物が跋扈する暗黒の世界と化すでしょう」 「それほどの……事態に?」 「はい。残念ながら嘘偽りなく。現時点でこれはほぼ確定した未来です」 「――では。その現実をもってあなたは何をわたくしに望むのですか」 事実を「そうあるもの」として認識受容し、聡明な返答を返してきたゼルダをリンクはぼぉっと見た。理解が早いのは助かる。だが彼女はきっと本質ではわかっちゃあいないのだろう。 そして漠然と思考した。 あの悲劇をわかる人間――人間以外も、だ――はこの世界には存在しないのだろう、と。 だからといって、今リンクがやるべきことに何ら変わりはないのだけれども。 「ガノンの居所の把握です。奴の動きが読めないことにはどうしようもない。それと精霊石は集めないべきです。マスターソードは必要ありませんし、こうしてトライフォースがここにある以上聖域を開く必要はない」 言葉と共に、リンクの左甲が眩く煌めいた。眩しい光はすぐにゼルダの右甲にも伝搬する。トライフォースが共鳴し合い、一際強くばあっと輝いて次の瞬間には何事もなかったかのようになった。 その様子にゼルダが驚く。 「あなた……どうしてトライフォースを……」 「――最後にもうひとつお願いが。敵にばれるとことですから、姫には今までと変わらずお過ごしいただきたい。警護を増やす必要はありませんから。そちらにいらっしゃるインパ女史一人で十分です」 ゼルダの問いには答えず、リンクは必要事項だけを述べたてていった。ぺらぺらと情報を羅列していくそのさまはごく単純に異質だった。 でもそれに問題はないのだ。何故ならこの世界にとってのリンクは、はなっから純粋な異端なのだから。 たった一人。 枠からはみ出した規格外の存在なのだから。 「心配は要りません、姫。あなたが信用してくだされば俺は確実にガノンのクーデターを防ぐことが出来ます」 笑顔を形作ることもせず、否、出来ず。 リンクは凍り付いた無表情のまま、そう言った。 ◇◆◇◆◇ 「――その首を戴こう!」 リンクがゼルダに話をした47日後に、ガノンドロフはハイラル王の首をはねるべく謁見中急に立ち上がり剣を抜こうとした。 だがそれは叶わなかった。 「首が飛ぶのはお前だよ、ガノン。クーデターは失敗だ」 囁いた頃にはガノンの利き腕は一振りの、さして頑丈なわけでもない剣でしかし鋭利に貫かれていた。 玉座を汚さぬよう配慮された為か、血飛沫はひたすらに背後のリンクの方へ向かって飛び散る。リンクの体が血にまみれるのにそう時間はかからなかった。 「貴様……何奴……」 「さあ。誰だって構わないんじゃあないか」 ふざけたように返答をしつつもリンクの手は緩められない。子供のものとは思えない力で、腕の神経を起点にガノンの体を固めている。 ガノンは死にきって濁った硝子の瞳に一瞬驚きを隠せないかのような顔をして、しかしすぐに思考を適切なものへと切り替えた。 「――者共! 城を占拠しろ!!」 「……そう来たか」 ガノンの号令を合図に、そこらから骸骨剣士がわらわらと沸いて出た。ゲルドの魔術で産み出された「死を恐れない兵隊」スタルフォス。リンクは舌打ちした。一筋縄ではいかない連中だ。少なくともこの城の兵士達が太刀打ち出来る相手じゃあない。 「面倒なことを……まあ、手の打ちようはあるか。仕方ないな」 おもむろに翳されたリンクの手に、緑のひかりが現れる。ひかりは勢いよく広がると一瞬で城から城下町までを包み込み、そして次の瞬間にリンクと魔物をハイラル平原のだだっ広い草原にワープさせた。直後、遠くでハイラル城が青い巨大なひかりに包まれるのが見えた。 「フロルの風に……ネールの愛、ですか……」 「ひ、姫?! 何故ここに!!」 フロルで移転させるものは術者である自分とガノンの一味に限定したはずだ。ゼルダがここにいる、ということはあってはいけない。 「わたくし自身があなたを追ってワープしたからです。ネールの防壁はわたくしには効果がありませんから」 「そうなんですか……はあ、失念していた……姫。その選択は大きな過ちですよ。あなたにこの光景は出来れば見せたくなかった」 リンクの言葉に、ゼルダは初めて周囲を見渡す。そして顔を強張らせた。 骨、骨、骨。指が、頭蓋が、あばらが、白骸骨の群れ、骨の剣士達が皆一様にリンクとゼルダに強烈な殺意を向けていた。 落ち窪んだ昏い空洞に赤い光がぎらぎらと光っている。 ゼルダは後退りすら出来なかった。トライフォースを宿しているとはいっても所詮は年端もいかぬ幼子に過ぎない。 「ガノンはワープのどさくさに紛れて俺の拘束から抜け出ました。加えてこのスタルフォスの数です。姫にとってここは危険すぎます。――来られたのなら帰れるでしょう。今すぐお帰りください」 「……嫌です」 リンクの進言にゼルダはふるふる、と首を振った。拒否をしつつも、その全身は恐怖によって震えている。それなのに彼女は安全策を突っぱねた。 「嫌です。確かにわたくしはこの場において足手まといでしょう、けれど退く気はありません。わたくしだけ温室に置いておいてあなただけ血塗れになるとおっしゃるのですか」 「そうです。俺がモンスターを討つところも。ガノンの首をはねるところも。姫が見る必要はありませんから」 「それは、間違いです!」 ゼルダの右甲から迸ったひかりが、彼女に迫っていたスタルフォスを掻き消した。女神ネールの怒りか。骸骨は高潔なる姫に触れることを許されなかったのだ。 それを見てリンクは少しばかり考えを変えた。 「……わかりました、俺が姫をお守り致します。……この、命に懸けて」 小さな姫君の中に、愛した女性の面影めいたものを見付けて。 リンクは大事なものを喪ってから初めて、笑顔を見せた。 それは少し、寂し気な笑顔だったけれど。 薙ぎ払われていく。 ばらばらの骨に分解されて、から、ころと地面に棄て置かれていく。 骨片になったとはいえ骸骨剣士達はそもそもが命なき存在。本来はばらばらになったぐらいじゃ死なない。彼らはしぶとく再構築されて蘇る。 だけどもリンクに斬られたスタルフォス達は当たり前に死んでいった。概念としての死をの持たないはずの生ける屍を、トライフォースの力は無作為に殺していった。 「大丈夫ですか、姫」 「ええ」 心配そうに、"人らしい"顔でリンクはゼルダに振り向く。ゼルダを見る時だけ、ふつうの顔になる。 それ以外の時は一様に死んだような顔だ。檻が溜まって澱んだ死人の瞳。血を映し、敵を映す為だけに働いている単なる視認の硝子玉。 次第に、スタルフォスの数は減っていった。ガノンの魔力の枯渇が近いのだろう。 「トライフォースがなければ……この程度、か」 ぼそりと、ゼルダに聞こえないよう呟く。ハイラルを覆うほどの魔物の発生もガノンにトライフォースあればこそということだったのだろう。 確かにガノンは高い魔力の持ち主のようだが、このぐらいならばまったく問題にならない。全て一人で片付けられる。その程度だ。どってことないただの反乱分子だ。 だから、トライフォースさえなければあんなことにはならなかったはずなのに―― そこまで考えて、はた、とリンクの動きが止まる。 「……姫。ガノンが近くにいる故、ご無礼をお許しいただきたい」 「? どういうことです――きゃっ?!」 唐突にそう言い、リンクはゼルダをトライフォースで形作った防壁に閉じ込めた。ゼルダが何事か言っているようだが、リンクの耳には届かない。音声は遮断するようにしてある。 そうした理由というのは酷く明快単純だ。 何故ならば、これから自分が口にするであろう言葉のどれひとつとっても。彼女に聞かれたいものではなかったから。 今一度辺りを見回すと、遠目に体勢を建て直しているガノンが確認出来た。リンクはゼルダからなるべく離れようとフロルでガノンの側に転移する。 ガノンが振り返り剣を向けるよりも、リンクが剣を振りかぶる方が早かった。 「隙だらけだよ、ガノン」 ぞっとするような声音で囁きかけ――容赦なく背後から剣を突き刺す。相当な痛みを伴う一撃だった。 しかしガノンの反応はうっ、と呻き声を洩らすに止まった。その反応に、リンクは不思議そうな顔をする。 「……強情だな。泣けばいいのに」 「泣く? 冗談ではない。まだ俺は剣を手にしている!」 「ああ、そう。じゃあ決闘でもしておく? 後腐れないようにさ」 リンクは馬鹿にしたように煽って、剣を引き抜いた。ガノンの傷口から真っ赤な鮮血が迸る。勝負は見えきっていた。 それでもガノンは剣をリンクに向けた。その目には何故か、焦燥も動揺もなかった。 たぶん死の間際に悟ったのだ。どんな奇跡が働いたのかはわからないけれど。今眼前にいるのは取るに足らない子供ではなく恐るべき力を持つ宿敵であると。 もしかしたら、まだこちらの世界では適合者を見ぬディンが力を貸したのかもしれない。 「手合わせ願おう少年。我が命を賭して」 「いいよ。すぐに殺してあげるから」 短いやり取りの後、一瞬の静寂が訪れる。 そして二人の剣が交差し―― 間もなく、決着は着いた。 |