02 少年の偶像
《閃牙》回収の報告を一応入れてやってからほどなくして、イリュリアへの帰還を求める通信が入った。カイはソルの性格を気遣ってなのか知らないが、あまり短期間に多くの連絡はしてこない。これは緊急事態か——そう判断し、珍しくすぐには法外な値段の賞金をふっかけることをせずイリュリアへ向かうことに決めた。どちらにせよあの国には用がある。一度、閃牙を組み込んで封炎剣を造り直さねばならないが、その設備が整っており法力学に明るい話し相手のいる場所というのは限られているからだ。
渋るかと思ったシンも思いの外素直にそれを承諾した。バプテスマ13の折に共闘の機会を得て以来、シンは目に見えて父親への信頼を取り戻し、思慕もわかりやすく態度に表れるようになってきている。まあ、言ってみればまだ実際のところは五才そこそこの……精神年齢はそれより成長しているはずだとしたって、十分幼いと言える子供なのだ。ずっと離れていたぶん(そして疎んで自ら遠ざけていたぶん)惜しみなく愛情を注いでくれる実父の存在が嬉しいのだろう。
「なあオヤジ、カイにさ、なんかあったのかな。オヤジもそう思ってるんだろ? 素直にイリュリアのほうに向かうなんて珍しいぜ」
「なんでそう思う」
「カイがあんまり口に出して言わない時は何か大変なことが起きた時だ。あいつ、隠し事以外は喋るの大好きみたいだし。俺とか、オヤジに対しては」
「テメェにしては着眼点がいいな。俺の理由も概ね同じだ」
「……母さんは無事かな」
「ディズィーになんかありゃ、あいつは言う。そのへんの線引きは出来てる。あいつが隠したがるのはいつも自分自身の問題だけだ」
ソルがそう言うと、シンはそうかも、と言ってちらりと十字架に視線を落とした。
シンが実父と違ってそれほど敬虔さを持ち合わせているというわけでもないのに外そうとしなかった(或いは外すことが出来なかった)それは、カイが生まれた我が子に洗礼を施すと同時に継承したものだという。聖戦期にはカイの胸元で前線へ赴き続けた十字架は、ともすれば世界中のどんなそれよりも血に晒され死を看取ってきたかもしれぬ一品だったが、不思議と、血なまぐささは感じられない。その代わりに十字架の中には数多の秘め事があった。かつては、カイ=キスクが言葉にすることなく秘めたものたち。そして今は、シンが口に出さないように秘めている父親への親愛。
親子揃ってマスターゴーストが卵を抱えた聖女——それが誰を示しているかなんてわかりきっている——であるあたり、この二人は相当に本質とでも言うべきものが似通っている。シンが操る雷の甘さや色あいなどは、はっきりと父親譲りと断言出来るほどだ。顔のつくりばかりは、どちらかといえば母親譲りだったが。
(ああ、そういや、ああいうところは似てねえな)
その時ふと思い出し、ソルは独りごちた。シンに比べると、あの坊やは随分と隠し事がじょうずだった。隠し事というより、本音や我が儘を殺すことにかけては子供離れしていた。ソルが団へ来た当初などそれはもう酷いもので、まあ、封炎剣をかっぱらって逃亡する頃ぐらいになると少しはましになっていたのだが……
(俺がいなくなった後はどうだったんだか、まあ知ったこっちゃねえけどよ)
考え事はそこでぷつりと途切れる。物思いに耽っていたソルを覗き込むようにしてシンが先を急かしたからだ。「袖引っ張んじゃねえ」と軽く頭に一発入れてシンを離し、方角を確かめた。元老院の一人が根城にしていた施設はイリュリアからそう離れていないドイツ地区にあったから、カイの顔を直に見られるまでそう日は掛からないはずだ。
なんか忙しない、と着くなりシンが漏らした通り、イリュリア城内はいつにないざわつきに包まれていた。この際支配されていると強めに言い換えても問題ない。兵達はどこかばたばたとした足取りで廊下を足早に駆け抜け、ホールでは侍女達が右往左往している。そういえば門扉を守っている衛兵達も浮ついた様子だった。一体何があったというのか、カイが治めるこの城でこんなに落ち着きがないことは珍しい。
カイに予め持たされていた王勅命の通行手形の効力ですぐに入城出来たものの、それがなければもっと時間がかかっただろう。だが、玉座の間へ向かうための案内として二人を先導する兵に何事かと尋ねても芳しい返事は返って来ない。下っ端の若そうな兵だ。あまりよくことを知らされていないのかもしれなかった。
となれば手っ取り早いのはもっと位の高い兵士を捕まえて丁寧に聞き出してやることだ。幸か不幸か広いイリュリアの城内において門扉から玉座までの距離は相当に長い。バプテスマ13の時のように城を守る兵士達の殆どが倒れてがら空きならまだしも、城が正常に機能している状態ではこの城のルールに従って移動しなければどう咎められても仕方ないのだ。堅っ苦しい規制を強いてんだ、暇つぶしぐらいは許せよ、カイ。心の中でだけ許可を取り付けてソルはちょうど横を通りすがろうとした上級兵士を右手で鷲掴みにした。
「おい、ちっとツラ貸せ」
「な、なんだ?! 私は急ぎで——ああ! ソル様!!」
「……あ?」
「ああ、これは天啓に違いない。ソル様どうか! どうかあの方をお止めください!!」
「いや、だからなんなんだよ」
首根っこを引っ掴まれた状態でソルを見上げて懇願をする——という高度なポーズを取り始めた兵士から顔をしかめながら手を離すと、彼は土下座もかくやという勢いで再び懇願を口にした。どう考えても普通の様子ではない。後ろでシンはぽかんとしているし、ソルとシンを先導していた下級兵など「た、隊長……?」と腰を抜かしている有様だ。
ソルは両腕を腰に当てると深い溜め息をつき、少し低めの声で「いいから落ち着け阿呆が」と彼の肩を叩いた。
「テメェが俺を知ってるのはわかったが、俺にはテメェのことが思い出せねえ。まず所属を名乗れ、所属を」
「はっ……し、失礼いたしました。自分は旧聖騎士団前方支援第三大隊に所属しておりましたアントニオ・ハワード少佐です。現在はイリュリア連王国王属騎士団の大隊長を任されております」
「あー……ああ……そういやいたな。そんなんも」
やはり聖騎士団の関係者か。騎士団解体から十数年が経った今でもカイの指揮下に勤めているとなるとこれは筋金入りの「カイ様ファン」だ。今からこいつがどんな阿呆くさいことを言い出したとしても寛容な気持ちで聞いてやろう——そう密かに胸に決め、アントニオに先を促す。
「そしてソル様にお頼みしたいことというのは、他でもない我らが主のこと」
「坊やが何だって?」
「あの方が城を留守にして長期の遠征に出掛けようと仰るのです。それも単独で」
そしてソルは聞くなり「ああ、まあ、そんなところだろうな」、と緩慢に頷いた。
大方、例の連続失踪事件の何かがカイの琴線に触れたのだろう。何かしら事情があって部下に任せているだけで済ませるわけにいかなくなったのだ。シンを連れるようになってから酒場で情報を手に入れられる頻度と精度は著しく下がっているが、それでも耳に入ってくるぐらいの大きなヤマだ。噂では、この前の《グリムグリニングゴースト》とかいう大層な名前の事件ではカイ=キスクの亡霊が現れたのだと言う。まさかそんな与太話を真に受けたわけではあるまいが……
だがそれにしたってこの城全体のざわめきようは、どうしたことだ? ソルは首を捻った。確かに、一国の王が長期間私用で玉座を開けるのはあまりよろしいとは言い切れない。お飾りの王ならばともかくカイは精力的に政務をこなし国の采配を司る面も持ち合わせている。しかし彼は対外的な立場で言えば、あくまでも三人いる連王たちの中で最優先される権力を持つ人間の一人でしかないのだ。大体、出ようと言うぐらいなのだからあの几帳面なカイが急ぎの案件を城に残して行こうとしているわけでもないだろう。精々が第二・第三連王の手でカバー出来る範疇のはず。
すると心配しているのは「単独で」の部分か。王たる身分の人間がお付きも付けずに外出するのは褒められた行為ではない。珍しく我が儘だな、とソルでさえ思った。王という重責に就いてから彼は、基本的に警察機構時代の身軽さを諦めて強大な権力に付きものの煩わしさを受け入れることにしていたはずだと思うのだが。
「まあテメェらが大切な王が単身飛び出すことに危機感を覚えるのはわかる。いくらあいつの個の資質が高かろうと群に奇襲でも掛けられれば対処に困ることもあるだろうよ。ギアならまだしも、相手が人間なら尚のことな」
「それだけではないのです」
「なんだと?」
「か、カイ様……我らが王は……近頃軽装を好むようになり、城じゅうもうその話題でもちきりで」
「……はあ?」
「皆仕事にならずに困っているのです。しかし進言しても取り合っていただけず。なんでもソル様とそのお連れ様に見て頂くまでは変えないとかなんとか」
「…………」
なんだ、それは。
あまりのくだらなさにソルは目眩がしてきそうになるのを必死で堪えた。カイの軽装など、元聖騎士団員なら見慣れているとまではいかずとも見たことぐらいあるだろう。今更そんな、城じゅう総出で大騒ぎなんぞするようなことだとは思えない。侍女達が噂話に精を出すのはまだ理解出来るが(彼女たちにとり、若く美しい王の衣装替えなどは確かに井戸端会議の格好の話題だろう)、そんなものを真剣に懸念してどうしようというのだ。
よしんば七割が単身どこぞの危険地へ乗り込もうとするカイをどうにかして止められないかという奔走だったとして、残り三割が「それ」についてだとはあまり考えたくなかった。しかしこんなでもイリュリア正規軍、特に第一連王直属部隊の練度は世界随一の実力派だと聞く。勇猛果敢で実直、王の指揮を受けた際の機動力は生半可なものではなく、ギアやヴィズエル達ともまともに渡り合う。戦線を共にしたパラダイムがそう言うのだから間違いない。
……そんな様子は、今の城内からはとても見ては取れないが。
「この城はカイ様大好きファンクラブの総本山か何かか?」
ソルは思わずヘッドギアごしに額を抑えた。頭が痛くて仕方がない。
◇◆◇◆◇
前言撤回だ。
「脱げ、カイ」
「は? ソル、おまえ、会うなり突然何を言い出すかと思えば」
「そ、ソル様?!」
「なんだその妙な格好は」
頭痛の種が移ったのを感じる。なおも懇願を続けるアントニオを連れてようやくのことで辿り着いた執務室……はじめに訪れた玉座の間にはいなかったので遠回りになってしまった……の窓際に立っていたカイの姿を認めるとソルは城じゅうの悩みを理解した。これは駄目だ。確かに野放しで外に放り出すには危険すぎる。
カイの今の服装は常の保守的なそれの面影を残しつつ、「攻め方」が一線を画していた。白い右肩は大胆に付け根から上腕までが剥き出しにされ、極めつけに両脇が大きく開かれて丸見えになっている。顔をあわせていなかった数ヶ月の間に一回も散髪していなかったものと思われる美しい金髪はすらりと伸び、高くポニーテールで結わえられていた。
知らない人間が一目見ただけならば女と見紛うほどの出来映えだ。これで妻子ある二十九歳の男なのだというから救われねえな、とソルは蒼白な面持ちで自分を見上げてきているアントニオを見遣った。しかしこれはひどい。
「妙って……別に、いつも通りだろう。裸の王様でもあるまいに」
「ところがテメェがそう思っていなくとも大多数の城勤めの人間にはそのぐらいてきめんの効果があったそうだ。誰だそのセンスのねえデザインをしたやつは」
「剣のかたちをジッポーライターにするおまえに言われたくはないんだが。あれ、切れ味悪そうだなってずっと思ってたんだけど実際どうなんだ? おまえの使い方は鈍器を扱う際のそれに似ているし」
「誰だ」
「……スレイヤー卿が紹介してくださったところによるとパリの新進気鋭の若手デザイナー、らしい」
「あのジジイ何やってやがる」
次に会った時に「二度と余計なことすんじゃねえ」と挨拶をしてやろう。脳みその中の予定帳に書き込むとソルはどかりと応接室も兼ねているその部屋に設えてあるソファに座り込んだ。シンがその隣に「わけがわからない」という顔をしたまま大人しく倣い、カイも対面に腰を落ち着ける。二人の兵士はカイの背後にすっと回り警護の姿勢を取った。
カイの指先がテーブルの上のベルを鳴らす。法力通信装置を組み込んだベルの宛先は、恐らく給仕室。
「つうかなんでスレイヤーの爺さんとテメェが話す用事があったんだ」
「それがおまえを呼び出した本題のほうだ。……済まないが、二人とも下がってもらえないか?」
「はっ!」
「畏まりました!」
位置についたばかりだった兵士達が命に従いきびきびとした動作で執務室を退室する。去り際、アントニオが視線で「ソル様どうかお頼みします」みたいなことを訴えかけてきているのがいやでもわかった。というより実際に唇は動いていた。音を紡がなかっただけで。
程なくして見覚えのある執事が給仕に現れ、しかし彼もまた主の言いつけをしっかりと守りお茶とお茶菓子を人数分卓に揃えるとすぐに部屋を去っていく。カイは紅茶のカップを手に取り、「あんまり時間がないからざっくりとした話になるけれども」と前置きをして話を始めた。
「先日スレイヤー卿の邸宅へ出向く機会があった。その際卿に戴いた見解が確信に繋がり、色々考えてみたもののやはり私が自ら動くしかないと決めたんだ。兵達には散々止められたが、この件はなるべく少人数で当たったほうがいいだろう。だからおまえを呼んだ」
「近頃はやりの連続失踪事件解決に、か? あんなもん、警察機構にでも任せときゃいいだろう。出だしが遅れたのは否めないがわざわざテメェが行くほどのことか」
「それだけならな。手紙が届いたんだ。私の筆跡で、私が書いた覚えのまったくないひどく稚拙で幼稚な内容の手紙が。スレイヤー卿曰く『九十九パーセントカイ=キスクと同一存在の直筆』による文字だそうだよ。ただの悪戯にしては手が込みすぎてる」
「……見せてみろ」
カイが取り出した手紙をひったくる。開いた便せんの中にきっちりと詰め込まれた几帳面な文字列は確かにカイのそれだった。サインまできっかり寸分違わずに同じだ。聖騎士団にいた頃、これと同様のサインを何度も書類に書かれた覚えがある。
しかし内容は本人が「稚拙で幼稚」というだけあって相当に酷かった。その幼さと悪意のアンバランスさは、はっきり言って生理的嫌悪を催すレベルのそれだ。
「ひでぇな、こりゃ」
自然と零れた感想にそうだろうとカイが頷く。こんな手紙を詐称された本人だけあって辟易も人五倍といった様相だ。
「わきまえを知らない子供が要求だけを並べ連ねたかのような傲慢さだ。これがどんな手を使って鑑定しても私の筆跡だと判じられなければ一笑に付して気にも留めなかっただろう。出来の悪い愉快犯だ、とでも思って」
「一応確認しとくが本当にテメェが書いたわけじゃねえんだな? もっとガキの頃……聖騎士団にいた時分にだとか」
「あるわけないだろ。それにインクの経年からしてここ数ヶ月以内に書かれたもので違いない。……ああ、同封の日記の切れ端は確かにそうだぞ。お前への文句しか書いてないが私が書いたもので間違いない」
腹いせのように鼻を鳴らしてそう言うので一応二枚目にも目を通してやると本当にその通りのことしか書いてなかった。横から覗き見てきたシンが一言「キレーな字だな」という何のおもしろみもないコメントをする。このくだらない日記にはシンの読解トレーニング以上の意味はないだろう。「くれてやる」とシンに手渡すとカイの眉根がぴくりと動いた。「何を勝手に人の秘密を」とでも言いたげな顔をしていたが、口を噤んだところを見ると内容を鑑みれば何も息子に秘密にするほどの文面ではなかったことに思い至ったらしかった。
「ま、テメェがぞろぞろ大部隊の護衛を連れて外出するのを嫌がる理由はよくわかった。言うなればこんなもんは恥さらしの尻ぬぐいだ。被害の拡大は防ぎたいのが人の心情だからな。が、それが俺を動かす本当の理由か? この手紙の気色悪さは一級品だが、相手はたまたま奇跡的に筆跡が一致しただけの見知らぬ子供かもしれねえぞ?」
「今日のお前のジョークも驚くほどつまらないな。この手紙と例の連続失踪事件、恐らくは繋がっているぞ。私の亡霊かは知らないが、『亡霊』は、確かに八月のイギリスにいたようだ。こんな危険極まりない山場におまえ以外を連れていけるものか、下手を打てば連続失踪事件の被害者を増やすだけになってしまうかもしれないというのに」
「……ったく、しゃあねえな」
ソルが盛大に溜息を吐きながら頭を掻きむしると、カイはしれっとした顔で、「お前ならそう言ってくれると思ったよ」と茶を啜った。
最初から半分以上はカイに付き合ってやるつもりでここに来ていたのだから、この問答には確認としての意味合いが強く含まれていたことなどカイには見通せていただろう。亡霊か、とひとりごちる。まずはもっと噂を集めなければいけない。シンを置いて、カイも置いて、だ。全世界に顔が売れている世紀の英雄様を連れて酒場に向かったところでちゃんとした情報屋が特ダネを売ってくれるはずがないからだ。何しろ彼は法規の顔である。
ソルはもう一度、二十九歳のカイ=キスクを憎み、疎んじ、大嫌いだから許さないと大声でのたまった手紙の向こうの誰かの警句に目通しをした。引っかかる言葉があるのだ。
『あなたは覚えていないでしょう、わたしのことを。あなたは忘れてしまったでしょう、彼らのことを。あなたは知らないでしょう? 彼らがそれなのに、まだ、少年の偶像を追いかけていたことを!』
——「少年の偶像」。そう……これだ。
「どちらにせよ、そうすぐには動けない。回収した閃牙を組み込んで封炎剣を改造しなきゃなんねえし、シンをここに置いていくにあたっての根回しも必要だろう。テメェの執事殿の説得もな。口添えはしてやるが、それはテメェで片付けろ。俺はその間にネタを集めてくる」
「ぐっ……な、何故、ベルナルドがまだ反対していることを……」
「ちょ、オヤジ! 今オレのことこの城に置いてくって聞こえたんだけど?!」
「当たり前だろが。あの野郎の含み笑顔にはいつも裏がある。俺が夜中に団の敷地を抜け出して街へ行こうとするのを止めた時は顔に『カイ様が追いかけようとするからやめろ』と赤インクで書いたようにありありと浮かんでたような奴だ。大体爺さんの腹心って時点で一筋縄でいくはずねえだろ。カイに対してもだ」
「だからオヤジ、オレは?! なんで?!」
「こいつが城を抜ける間、テメェじゃなきゃ誰がディズィーを守る」
未だ城の地下で眠り続ける母親の名を告げた途端にシンは大人しくなった。バプテスマ13後、シンが安心してまたソルにひっついて放浪を再開出来たのは城で彼女を守る父親のことを信頼していたからに他ならない。何しろディズィーはギアだ。ヴァレンタインが何故イリュリアを襲撃したのかについて、彼女の存在を完璧に隠し通した上で他の連王達を納得させられたとは思い難い。そのことは、カイが先日国連で「人とギアの共存」を謳う旨の発言をしていることからも汲み取れる。
そういえばあれのせいで報道各紙からは非難囂々の嵐だったな、ということもぼんやり思い出した。会合に出席していた加盟国のお偉方が難色を示しているのは尤もだが、バプテスマ13の犯人そのものをギアにすり替えてあそこまでカイをこき下ろす記事を大手五紙全てが論調を揃えて掲載している現状は異例中の異例と言っても過言ではない。その一方で地方のマイナータブロイド紙などがぽつぽつとカイを支持する記事を載せている。主にバプテスマ13を実際に体験した、イリュリアのライターが書いた記事だ。彼らは実際にあの場に居合わせ、己の目で事実を追い求め、その結果第一連王がきわめて的確な住民の誘導を行い「正規兵とギアが一緒になってなにかよくわからないものからイリュリアを守ろうとしていた」ことを突き止めていた。
国連を凌ぐさらなる上位権力——元老院の情報統制とカイへの圧力がますます強まっている。カイは王として誰もが想像していたよりもよくやった。彼は優秀にすぎた。彼らの望んだ通りの傀儡にならず、そればかりか僅か数年で元老院の息の掛かった人間の殆どを少なくとも第一連王の治めるテリトリーからは放逐することに成功した。彼らにとって潮時なのだろう。カイは用済みになったのだ。今や彼はギアよりよほど強大な脅威でしかない。
カイ=キスクは力を持ちすぎた。うわべの意味でも、本質的な意味でも。
それを支えているうちのいくらかがカイという偶像を崇拝するものたちであることを、彼は知っているのだろうか。
「とりあえず工具を揃えてから出る。なるべく急ぐが、戻ってくるまでに早くて五日ってとこだろう」
「行き先は」
「当然イギリスだな。《グリムグリニングゴースト》の現場はイングランドのどこだ?」
「コッツウォルズ。ではカーゴを手配しよう」
「いらねえ。あんな馬鹿でけえ船にテメェもいねえのに乗ってられるかよ」
カイ専用のカーゴシップであるロイヤルフリート・ワンは移動の最中も滞りなく王の執務と暮らしを維持出来るようにという配慮のもと造られており、とにかくでかく、しかも目立つ。そもそもにおいて今回あの船を使うつもりは毛頭無かったが、カイが乗っているならまだしもというのも本音ではある。
それを聞いてカイが何故か動揺したように「え」と零し、見間違えでなければ僅かに顔を赤らめたような気もしたが、ソルはとりあえず見なかったことにして話を進めた。藪から蛇を出したくない。
「ベルナルドと話をさせろ。あいつはジョニーの個人回線を知ってるだろ」
「ああ、まあ、構わないが……で、おまえが帰ってくるまで私は城に待機か。その間何かしておくべきことは? カーゴが嫌なら、もっと小規模な船の準備とか……」
「任せる。シンの面倒でも見とけ。あと、それから」
ソファから立ち上がり、自分を注視してくるエメラルド・ブルーの瞳を見遣る。それにまぶしいほどに白い右肩と、ちらちらちらちら視界に入って仕方ない両脇も。かぶりを振り、かろうじてケープの掛かっている左肩に手を置き、上から見下ろすようにして距離を詰めるとカイが身じろぎをした。しかし細い。シンを預かる時にここを訪れた時よりはマシだったが、バプテスマ13の時よりは細くなった気がする。何を食べて生きているんだ。それとも、やはり、例の国連会議のあとのしわ寄せか?
「とりあえず服は前のに戻せ。出来れば外出用の平服も用意しろ。俺とシンはもうその露出過多な服を十分に見せられたんだ、目的は果たしただろう。でないととてもじゃねえが兵達がテメェを城の外へ出してくれるとは思えないからな」
だがそれを問うべきは今ではないだろう。そんなソルの心情など知らず、カイは少し残念そうにまなじりを下げると「わかった」と頬を膨らませる代わりに力なく頷いた。