終わりの季節



「その……なんだ。お前さえよければ、なんだが。俺達と養子縁組を組まないか」
 七番街から色々あってエッジまでやって来て、セブンスヘブンに住むようになってから随分経った時分のことだった。星痕症候群が奇跡の泉によって治癒したあの事件から数年経っており、デンゼルの肉体は少しずつだが確かに、少年から青年へと移り変わろうとしはじめている。ましてや聡い子であった彼にとって、心の成長はもっとだ。突然の申し出に驚きはしたが、その言葉の裏に見え隠れしている事情にも気が付いて、デンゼルは「どうしたの」と無難な探り言葉でもって口べたな庇護者に問いを返した。
「すごく急だけど」
「デンゼルも、そろそろ高等学校に進学する頃だろ。その次は大学だ。そうやって生きていく上で、後見人はいた方がいいと思う。俺みたいな根無し草じゃ意味がないと思うかもしれないが……一応身分としてはリーブの所の正規職員ということになっているし……だから……」
「……誰の入れ知恵?」
「そんなんじゃ、ない。ちゃんと俺が考えてるよ。俺は十四で故郷を飛び出してミッドガルへ来たけど……何もない村だったから……正直、そんな手ぶらのガキがミッドガルで衣食住を確保出来たのは神羅が兵不足でしょっちゅう募集を掛けていたってのが大きかったんだ。これからのこの国で生きていくには、後ろ盾はあって困ることはない」
「それもそうだけど、そういうんじゃなくて」
「……。家族に、なりたいと、思った」
 ちょっと突っつくと、彼はあっさりとその言葉をデンゼルに渡して寄越した。ふらふらとあちこちを出歩いていて滅多に帰ってこないし、口約束は大抵の場合平気で破るし(やむにやまれぬ事情の時が大半だったっていうのは、そりゃ分かってはいたけれど)、根無し草というより浮き世草みたいなところがあった彼がそんなことを自分に言うということをデンゼルはこれまで想定したことがない。
「……単刀直入に聞くけど、ティファと結婚するんだ?」
「ああ」
「で、俺のことを養子にしようってことに、二人で決めたとか」
「ああ。……だけど養子縁組を組んだからって、俺やティファのことを親として扱って欲しいってわけじゃない。デンゼルにはデンゼルの両親がいる。年だって……兄や姉ぐらいの差だろう、このぐらい。でも」
「うん。大体言いたいこと、分かる気がする。クラウドが別に世間体を気にしてそうしようって言ってるわけじゃないってことも。……でもさ、なんか意外だったな」
 クラウドの手を取った。黒手袋に覆われた手の下に、指輪が嵌っているような感触がする。確かめるまでもなくティファと揃いのものだろう。既に彼らはある一人の女性を偲ぶ証にピンク色のリボンを何処かしらに結び、またクラウドのトレード・マークのようになっている狼をあしらったシルバーアクセサリーを揃いで持っていたが、それとはまた別でもっと特別な指輪だ。
 クラウドがデンゼルの意図を探ろうとしてか、上から顔を覗き込んでくる。デンゼルはここ数年で身長がどんどん伸びた。それほど高いというわけでもないクラウドの身長を追い越すのが今のところの目標だったが、まだそれは果たされていない。或いは果たされる前にクラウドはデンゼルを養子に迎えたかったのかもしれない。二十代の若さでありながら自分より体躯の大きな息子を持つというのはなかなか複雑な心境だろうというのは容易に想像が付いた。
 心配そうな青緑の瞳をそっと覗き込む。そして微笑むと、握る手のひらに力を少しだけ込めた。
「だって俺、もう聞かれるまでもなく二人のこと、家族みたいだって思ってたから」
 全然帰ってこないし、大事な時には遅れるし、そのくせ一番美味しいところはしっかり取っていくような父親だけどね。デンゼルが悪戯っぽく笑うとクラウドも困ったように照れ笑いをした。

◇◆◇◆◇

 デンゼル・ストライフが共に育ったマリンという少女と淡い恋心を育み、婚姻を結んだのは彼がクラウド・ストライフという男の養子になってから丁度十年後のことだった。子供達の幸せな結婚をストライフ夫妻は大変喜び、結婚式にはデンゼルやマリンも何度か世話になった彼らの友人達が参列した。一番大変なのは、マリンの養父であり彼女は実の父だと思い慕っているバレットを宥めることだった、と後にクラウドは苦笑いと共に語っている。手塩を掛けた娘を、まさかお前の息子に持ってかれることになるとはよお……と、彼はセブンスヘブンのカウンターで嬉しいんだか悔しいんだかよくわからない顔でジョッキを叩き付けくだを巻いていたのだという。
 個性豊かな養父の仲間達の手助けもあり、デンゼルの人生は波乱を含みながらも恵まれて順調に過ぎ去って行った。マリンとの間に何人か子にも恵まれた。養父母がそうであったように穏やかに一途に過ごし、何不自由なく年を重ねていった。
 変調は、随分と時間を経た頃に少しずつ頭角を現し始めた。クラウドはティファとデンゼルを正式に家族に迎えてからなるべくエッジの街に留まるようになり、何でも屋の仕事もあまり遠方のものは取らなくなっていたが、WROからの頼まれごとに限ってはティファを連れて遠出することもしばしばだった。それに、いつの頃からかティファを連れて行かなくなった。彼女は格闘家として優れた才能を持っていたが、やはり寄る年波には勝てず、彼は夫として妻を荒事に関わらせたくないと判じたのだ。
 デンゼルの子供達がひとり立ちをするぐらいになると、変化はもっと顕著になった。老いていく妻のそばにいてやるため、クラウドは仕事をあまりしなくなり、やがて看板を下ろした。セブンスヘブンもマリンが正式に継いだ。クラウドも少なくとも見たところはティファと同じように老いていっていたはずだが、彼からは何故かあまり年の衰えを感じられなかった。
 その頃からだ。クラウドは教会へ足繁く通うようになった。と言っても熱心にミサに出ているだとか、そんなことは全くない。あの泉の湧いた、屋根なしの教会に殆ど毎日顔を出していた。彼に言わせるとその名目は日課の妻との散歩、とのことらしかったが、そうじゃないということをデンゼルもマリンも薄々勘付いていた。
「あそこはお姉ちゃんの場所だから」
 お姉ちゃん――デンゼルは会ったことのない、「ピンクのリボン」の人。「クラウドはきっとティファと一緒にお姉ちゃんに会いに行ってるの」と彼女は言った。「昔もそうだった。クラウドは、何か困ったことがあるとあの場所に行って、それで帰って来なくなるの」。
「それじゃきっと、クラウドは何か困ってるんだ……」
「うん。でも、絶対にそれを教えてくれないの。星痕症候群に自分がかかった時もそう。覚えてる? あの頃、クラウドは全然帰って来なかった」
「覚えてる。ということは、きっと何も教えてはくれないってことだ」
「そう思う。……でも私、なんだかわかるような気がするの。お姉ちゃんの教会は、二人にとって沢山の……いいことも悪いことも……思い出の場所だけど、それだけじゃなくて一番『近い』場所なんじゃないかな……」
「どこに……?」
「ライフストリーム」
 お姉ちゃんのいる場所、とマリンが言った。死者が還って行く、星をめぐるエネルギー。星の生命。物理的なものよりも、気持ちの面でその教会はきっと彼らにとって最も深く星の胎内に近い場所だったのだ。奇跡があの場所で何度も起きた、とそういえば昔聞いたような気がする。誰にだったか。クラウド……ティファ……或いはバレットやシド、ユフィ、ヴィンセント、リーブ、ナナキ……
 はっきりとした答えは思い出せなかった。だからきっと、その誰もがそう思っているのだろうとデンゼルは曖昧に思った。
「準備をしてるのかな」
 マリンが小さく呟いたそれに、何の準備を、とは問えなかった。
 それは誰にでも当たり前に訪れるはずの時を、静かに、安らかに待つための準備に相違ないということをデンゼルももう分かっていたからだ。


 クラウドとティファは、そうして二人で教会へ通い続けた。そしてあくる日に、彼女は静かに自室で息を引き取った。眠るように安らかなその横顔を、デンゼルは死ぬまで忘れないだろう。そしてその部屋で見た、あのステンドグラスで設えられた宗教画のような、終わりの季節のことも。

◇◆◇◆◇

 ティファ・ストライフの最後の日は、彼女の自室に密やかに訪れた。死期を悟っていた彼女は、その日部屋に夫と息子だけを招いていた。ベッドサイドには、まだ腰も曲がっていない彼女の夫が付き添っている。老けて皺の増えた彼の横顔は、それでも目の落ちくぼみ始めたティファよりずっと若々しかった。
 年の割に若く見られがちだったクラウドを、ティファが羨んだりしているところはそう言えば見たことがない。彼は刻まれた皺のわりに奇妙に若々しく、生命力に満ちあふれていたのだ。その奇妙さが、その時一際鮮烈にデンゼルには感じられた。
「ねえ、クラウド――」
 彼女の声はしわがれていた。しかし夫の名前を呼ぶ時には、いつも少女の秘め事めいた匂いをその中に隠している。この時もそうだった。その上、クラウドの生命力に呼応するように一層鮮やかだった。
「私、もうすぐ、あなたとお別れね」
「ティファ」
「今日までずっと、言おうか迷っていたことがあるの。だけど今日を逃したらもうきっと伝えることが出来ないから……決めたんだ」
 口ぶりは確かで、死期が近いだとか、これからもうすぐに死ぬのだということが嘘みたいだった。そのせいか、デンゼルにはあまり信じられなかった。ティファが死ぬその時まで、彼女が今日ここから旅立つということがまるで想像が出来なかったのだ。
 だけどもクラウドはそうではなかったらしい。彼は追いすがる様に妻の手を握りしめて首を横に振っていた。まるで小さな子供が母親に「いかないで」と懇願しているみたいだった。
「私は大丈夫。クラウドと一緒に行けないこと、もう知ってるよ。クラウドはずっと私と一緒にいてくれたよね。だからもう、大丈夫。私、一人で歩いて行ける」
「ティファ、もういい。もういいから」
「子供が出来ない身体だ、って言われた時から覚悟はしてたの。そういうこともあるんじゃないかって。それが確信に変わったのは、十年ぐらい前、かな。……クラウド、まるでみんなで旅をしていた時みたいに動くんだもん。それからリーブにね、こっそり見せてもらった。ジェノバ・プロジェクトの資料とか……あとはシェルクとシャルアが調べて教えてくれた。クラウドは――」
「ティファ……!」
「クラウドは――本当は年を取れないんだって。ルクレツィア博士や、ヴィンセントみたいに。もしかしたら死ねないかもしれないってシャルアは言ってた。セフィロスが何度でもこの星に蘇って来られるのと同じように」
 クラウドはデンゼルに背中を向けたままだった。だが、背は非常に雄弁に彼の動揺を語っており、同席しているデンゼルにはそれでもう十分すぎた。
 クラウドが、死ねない? 年を取らない? だってそんな……彼はちゃんと年老いて、皺を刻み、ティファと同じように……
 でも。デンゼルの思考を否定が駆け抜け、その楽観的な考えを咎める。おかしなところは確かにあった。あの奇妙な生命力、まるで衰えない身体の動き。
「クラウドも本当はもう気付いてるんだよね」
「…………。誰にも言えなかった。二十年前……WROの仕事で、思わぬ傷を負って……でも傷跡は残らなかったんだ。それどころか致死に至らしめる可能性もあった傷は、嘘みたいに消えてなくなった。ジェノバの治癒能力だって本能的にわかった。……仕事は、しつこくまだ残っていることがわかったジェノバ細胞の回収で……俺はその時『リユニオン』をしたんだって……」
「ジェノバ細胞……あれで最後じゃなかったんだ……」
「セフィロスが蘇るには足りないけど。神羅のごたごたに乗じて書類からもルーファウスの管理からも逃れていた分だ。後はもう、俺とルクレツィアの中にしか」
「……ソルジャーの人達、みんなもう残ってないものね」
 二人の会話には専門用語が多く、全てを理解することは出来なかった。だけどソルジャーという単語は聞いたことがある。クラウドの瞳はソルジャーの証、魔晄の色なのだという話を昔何回か聞いたことがあったからだ。デンゼルが調べてわかった範囲では、昔ソルジャーと呼ばれる神羅お抱えの兵士達がいて、しかし彼らは皆何故か四十を超えて生きることが出来なかったということだった。リーブがその因果関係を纏めていたのを、偶然見た。
「俺は……俺は、ティファと一緒に行きたかった。エアリスとザックスのいるところへ、昔一度追い返されたけど……自然の流れならそれを許して貰えるはずだって。だから言えなかったんだ。怖かった。ティファに隠し事をした」
「別に怒ってないよ。仕方ないもの。だからね、私はクラウドから一つ預かるの。いつか返す時までずっと持ってる」
「……!」
「最後に一つ、お願いがあるんだ。……耳、貸してくれないかな?」
 クラウドは請われるままに顔を寄せた。お願いをするティファの声はどこにも若さなどないはずだったが、ますます、幼い少女めいてデンゼルの耳に届いた。そっと耳打ちして彼女が微笑む。彼の顔色はうかがえない。「お願い」と彼女はまた繰り返した。「最後だから」。
 それから十秒だけ彼は俯いて、その後初めてデンゼルへ向かって振り返った。彼はティファには目を閉じているよう頼み、デンゼルには、視線で「全て見届けてくれないか」と言外に示した。
 そしてデンゼルが頷くのを確かめると、彼は鮮やかに「変態」を遂げた。
 本来蛹が孵って蝶へと育っていくはずのその動作は、逆回りに彼の肉体を襲った。年老いた肉体が壮年期を通過し、青年へ戻り、少年へと形を変えていく。それがジェノバの擬態能力によるものだというのは、別れる間際になってクラウドが罪滅ぼしのような顔をして教えてくれた。少年の、恐らく十四かそこらだろうと思われる幼い身体をそれでも同じクラウドのものだとデンゼルが認識出来たのは、その身から放たれる強烈な生命力によるものに他ならない。
 あの老体の中にこれほどのエネルギーを飼っていたのでは、奇妙に感じるわけだ。
「ティファ」
 名を呼ぶ声はまだ声変わりも迎えておらず、あまりに幼かった。
「あの日給水塔でした約束を、もう一度する。……もしティファが困った時は……必ず助けに行く」
「ピンチの時に、ヒーローが現れて助けてくれるって?」
「ああ。……約束するよ」
 うれしい、とティファは囁いた。それはしわがれた老婆の声ではなく、幼く、恋に恋をするような夢見る少女の声だった。不思議なことにデンゼルには本当にそう聞こえたのだ。年端もいかない少年と少女が拙い口約束を交わして、それをずっと胸に秘すかのような。
 その時天井に、満点の星空の幻を見た。
「またね、クラウド」
 それが最後の言葉だった。星々に見守られてその生涯に幕を下ろし、ティファは眠るように目を閉じた。少年の姿をしたクラウド・ストライフは彼女の手を握りしめたまま、黙ってゆっくりと首を振って嗚咽を漏らす。
 その涙を惜しむようにして、若々しい、出会ったばかりの頃の姿をしたティファの亡霊が老体から起き上がり、クラウドのそばを抜けて、デンゼルの横を通り過ぎていった。彼女はライフストリームへ還ったのだと思った。その時彼女がクラウドから預かったものの正体も、垣間見えたような気がした。
 ティファがクラウドから預かったものはきっと彼の終わりだ。彼がいつか迎えるべき季節。死ねない(本当かどうか、デンゼルにはもう知る術はないのだろうけれど)クラウドの終わりを切り取って、彼女は持っていったのだ。彼の手の届かない場所へ。後顧の憂いを全て預かって。
 クラウドがこの先もずっと生きるために……
「デンゼル」
 物思いに耽っていたデンゼルの意識を呼び戻したのはクラウドの声だったが、今度はもうあの変声期を前にした少年の声ではなく、青年の力強いそれだった。二十三歳の彼の、逞しい姿だ。黒ずくめの見慣れた衣装を纏って左腕にピンクのリボンを結んでいる。
「頼みがあるんだ。この部屋で見聞きしたことは、墓まで持っていってくれ。マリンにも、明かさないで欲しい。それから……俺は、ティファの後を追って静かに息を引き取ったと……みんなにそう伝えてくれ。葬式は一緒にして欲しい。頼めるか」
「でもクラウドは……どこへ行くんだよ……」
「ティファが許してくれた場所へ。俺にはまだやり残したことがある」
「……クラウドって、ほんと、いくつになっても……バカだ……」
「ごめん」
「でも、いいんだ。分かってた。それこそ養子縁組をした時にはもうとっくに。ティファなんか、もっとずっと前からそうだったんだよ」
「違いない」
 ティファがクラウドにしたことは、残酷だけれども同時にとても尊く美しいことだと思えた。ティファは真実クラウドを愛していたし、クラウドもティファを愛していた。だけどふたつの生き物は違う時の中を歩んでいる。その中で出せる、もっとも綺麗な終わりを彼女は選び取ったのだ。
「その格好、気に入ってるの?」
 沢山のことを考えた。考えることがあまりに多すぎたし、どれもこれも難題で、答えがうまく出そうにないものばかりだ。だからだろうか。口をついて出た質問は、そんな他愛のない問いかけだった。
 クラウドが目を丸くしてデンゼルをじっと見る。若かりし頃の彼は、今になって思うと驚くほど中性的で、目を引く美しさを生意気そうな横顔の中に孕んでいる。
「この、服のことか」
「それもそうだけど、外見年齢としてというか……その年頃が」
「ああ、そういう。そうだな……気に入っているかと聞かれればそうだ。このぐらいの頃が一番めまぐるしく、波乱に満ちて、色々あった。それに……」
 全身真っ黒のくせに喪に服すような感じのしないその洋服を翻して、クラウドはデンゼルに歩み寄り、そして耳打ちする。
「最後にあいつに会ったのはこの姿だった」
 クラウドが「あいつ」と呼んだ誰かを、デンゼルは思い浮かべることが出来なかった。でも知る必要もないから、「そうなんだ」とだけ返して息を吐いた。


 ティファの葬式はデンゼルを喪主としてつつがなく執り行われ、それを見守ってクラウドはどこかへ消えた。彼のその後の行方を、デンゼルは知らない。自らの終わりの季節が近付いた今になっても。
 だけどそれでいいのだ。彼は死を引き取られて自由になり、そして旅立ったのだから。