いつかまた会える日までさよなら


 あのさ。
 前、ガイが俺に手紙を送ってくれただろ。俺、それがすごく嬉しかったんだ。それに、返事もちゃんと送ってなかったし。だから俺も、ガイに手紙を出すことにした。これでたぶん、五通目かな。先に送ったやつ、もう届いてる? ちゃんと届いてたらいいな。それで読んでくれてたら、もっと嬉しい。
 ガイ、元気にしてるか? 今、何してる? ブウサギの世話とかしてるのかな。それとも、マルクトの貴族として、忙しい毎日を送ってるのかな。忙しい方かもしれない。レプリカの受け入れ問題が大変なのは、キムラスカもマルクトも同じだろうしさ。……でもガイのことだから、お茶淹れるのとか掃除するの、自分でやっちゃってるんだろ。なんとなく、想像つくよ。
 この手紙は、エルドラントへ行く前、ケセドニアで書いてる。俺は明日、最後の戦いに行く。明日が決戦だなんて言われても、うまく実感がわかないけど、一つだけわかってることもある。
 明日になると、きっと、いろいろなものがはっきりすると思う。俺はどうして生まれたんだろう。俺が今までしてきたことは正しかったのかな。俺はどんなふうに生きてどんなふうにその先へ進んでいくのだろう。そういうことが、たぶん、全部わかる。
 なあ、ガイ。俺さ、ずっとガイに言いたかったことがあるんだ。あ、いや、別に隠し事してたとかじゃなくてさ。単に、言う時を探してただけなんだ。ガイは俺の友達で、家族で、ずっと俺のそばにいてくれた。それがたとえ、最初は親の敵を取る機会をうかがってたからとかでも、そのことは変わらない。ガイが俺を育ててくれたこと。俺をずっと守ってくれたこと。俺を大事にしてくれたこと。俺はそのことを、ちゃんと知ってるから。
 あのさ、ガイ。
 俺、ガイと一緒にいられてよかった。
 俺の使用人がガイでよかった。
 だから俺は、ここまでずっと、生きてこられたんだ。


◇◆◇◆◇


 そいつが、くたびれた手紙を握り締めてバチカルの屋敷へやって来たのは、ルーク・フォン・ファブレの成人の儀が執り行われて三ヶ月ほどが経った頃のことだった。俺はまず予定のない来訪に驚き、今やグランコクマの貴族院名代を任されることさえある昔馴染みを応接室に通した。屋敷にはたまたま父上がおらず、母上だけが、自室で静かに過ごしている、そんな日のことだった。
 ガイラルディア・ガラン・ガルディオス伯爵は、メイドの淹れた茶もろくに口に付けないまま、いくつかの手紙を俺へ手渡した。「あいつ」の手紙だ。言われなくてもすぐわかった。……中を読んでもいいのか? 小さく訊ねたら、ガイは小さく頷いた。みんな俺が読んだ後だから。それに随分古いんだ。秘密にするような内容じゃない。そう言って寂しそうに微笑んだ。
 レターセットも消印もばらばらの手紙は全部で六通あって、ざっと目を通した限り、書かれた時期もまばらのようだった。ローレライから剣と宝珠を送り込まれたあと、再び旅に出るようになって、その行く先々で投函されたものだ。手紙の中の筆跡と俺の中の誰かの記憶がその推察を肯定する。
 俺は手紙を机の上へ置いた。それからガイに訊ねた。何故俺――ガイがアッシュだと認めたもの――に対してこんなものを見せるのか、その真意をはかりかねていた。
「俺はルークのことが好きだったんだ。それに六通目でどうも最後みたいだったからな。それでさ」
 するとガイは、まっすぐ、空を飛ぶ鳥に声を掛けるみたいにそう言って薄っぺらの笑い顔を作って見せた。
「この二年というもの、少しずつ間を置いて、世界中からルークの手紙が届くんだ。消印はどれもこれも二年前のものでさ、調べてもらったら、ちょっとずつ時間をおいて届くように、ルーク本人が頼んでいたらしい。俺は最初、軽くまいったね。こんな手紙を出されたら、帰って来ないんじゃないかって、そんな気がしてくるだろ?」
「……それは……」
「ああ、いいよ、無理にルークの記憶を辿ろうとしなくて。おまえの口から聞いたって仕方がないしな。ま、うすうす、覚悟してたってことなんだろ。ルークは聡いんだ。自分が帰って来られない未来のことを覚悟してて――実際、帰っては来なかった……」
 この手紙たちはあいつなりの思いやりってやつなんだよ、ガイが言う。俺の中のルークの記憶はそれを半分肯定する。これはルーク・フォン・ファブレからの、ガイへの記憶のタイムカプセルだ。少しずつ時をずらして指定したのも、ガイが自分のことを思い出してくれるように、でも時々で構わないからと気をつかって、ちょっとずつ時期をずらした手紙に決めたのだ。
 けれど同時に、アッシュの自我が残り半分を否定する。そんな残酷なまねをよくも、と恐ろしい気持ちで胸がいっぱいになる。俺はルークの記憶を持ってはいたが、それはもはや俺の記憶ではなく他人の思い出だから、ガイの気持ちの方がよほど理解が出来た。俺は知っている。ガイはルークのことを思い出したりなんかしない。何故ならガイは、片時たりとも、ルークを忘れることがないからだ。忘れないものを思い出すなんて、有り得ない。
 ガイの心の中にはいつまでも幻想のルークが住んでいる。そうでなきゃこんな面をして俺に手紙など持ってくるものか。
 俺はぞっとしない面持ちでガイへ手紙を返した。ガイは笑っていた。変わらず、かさつた笑みだった。
「非道い話だって顔してるな」
「実際、酷い話だ。おまえは嫌がるだろうが、俺はどちらかといえばルークよりおまえに同情できる」
「はは、そうだろうさ。……俺はな、実のところ、あいつの首を絞めるならそれは俺じゃなきゃならないとさえ思っていたんだ。なのにあいつは自分で自分の首を締めて、俺の手からこぼれ落ちていった。そして二年経っても俺に手紙を送って来続けるんだ……」
 気が狂ってしまえたらどんなにか楽だったろうな、と、ガイが呟いた。
 ふと、ガイが俺から目を逸らす。動かされた視線の先、窓の向こうには、青く澄み渡った空が続いている。気が遠くなるくらい広がる永遠。あの青はルークが守ったもの。その証明。
 なのにそれを見つめるガイの肩は、ちっとも嬉しそうじゃない。
「……ガイ。俺を恨んでいるか」
 俺は我慢しきれず、静かに尋ねた。
 その問いは、即座に肯定される心算だった。ガイが俺を憎む理由なんてものは、それこそ星の数ほど、数え切れないくらいあったからだ。まずはじめにガイの家族を俺の父上が奪い、そして終わりに俺自身があいつをガイから奪った。正直に言って、俺自身が首を締められてもおかしくないとさえ考えていた。
「いいや」
 けれどガイは静かに首を振る。
「ルークを恨むことは出来ても、今となっちゃ、アッシュのことなんかこれっぽっちも恨んじゃいない。けど俺はルークが愛おしい。だからルークさえ俺には恨めない。俺は何一つ恨ませてもらえないまま、ルークのいない世界を生きていくんだ」
 これから、永遠にね。
 そうやって振り返ったガイの瞳に去来したものを表す術を、俺は知らない。あの時も。今になっても。
「この世界はルークが守ったんだ。そのことはすごく誇らしい。だけど俺はな、そこにどうしてルークがいないかってことを、あの日から毎日考えてしまう。どれだけ考えないようにしようとしても無駄だった。いつの間にかルークは俺の全てになっていたから。……いや、いつの間にかなんていう言葉は、自分へのお為ごかしさ。最初から知ってたよ。ルークが俺の生き甲斐で、生きる意味だって」
「……ガイ。何故俺にそんなことを話す?」
「何故って? 決まってるだろう」
 ガイの瞳の中で幻影が踊っている。過去の想い出が炎のように揺らめく。俺にはわかる。この男は永劫を過去に生きて行くことになるだろう。ルークが帰って来ない限り、ガイラルディア・ガラン・ガルディオスに、本当の意味での未来は訪れない。
 ルークの願いを叶えるため、どれほど未来へ足を踏み出そうとしても、心が過去に引っ張られて振り向いてしまうから。
「お前が俺と同じだと思ったからだよ」
 俺は生唾を呑み込み、黙って両手のひらを握りしめた。ガイの言葉は、あいつがガイに送りつけた手紙と同じぐらい残酷だった。心臓に突き刺さる刺のような言葉を甘んじて俺はガイの顔を見遣る。ああ、そうだ、そうだとも。何度自問自答したことか、俺にはもうわからない。あいつの身体、あいつの皮膚、あいつの心臓、その肉体的な全てがここに揃っているのに、どうしてここに立っているのはあいつじゃないんだろう。この手のひら一つさえ俺のものではないのに、なのにあいつはもうこの世のどこにもいないんだ。
 どうして。
 何度その言葉を無意味に数えたことだろう。
「お前は俺と同じだ。だから手紙を持って来た。それが最後の手紙になるだろうから。……なあ、アッシュ。たぶんさ、『どうしてルークはもうこの世にいないんだろう』ってことを一番考えてるのも、俺じゃなくてお前だよ」
「……ああ」
「だから謝っておく。ごめんな、おまえのこと、恨んでさえやれなくて」
「……ああ……」
 俺はうなだれて目を逸らした。ガイの瞳は、まっすぐ見つめるにはあまりにも痛ましすぎた。
「なあ、お前がルークの記憶を持ってるってんなら、知ってるだろ? ヴァンと戦う前に俺がルークへ言ったことさ。――『喰らった命の分、生き続けなけりゃ嘘だよな。生きて生きて生き抜いて、恨み、憎しみ、悲しみ、怒り……全部しょいこまなけりゃならない。でも、おまえだけに背負わせたりはしないぜ』。……俺は確かにそう伝えた。俺はさ、あの言葉をルークが裏切ったとは、思ってないんだ。まだ。ルークは俺との約束はいつもちゃんと守ろうとした。だから今度も守ろうとするはずだって、」
「……」
「はずだって、信じているんだ。なら俺も約束は守らなくちゃな。ルークにだけ背負わせたりしない、いっしょに背負ってやる、そして俺だけはいつだってルークの味方だって、いつか会った時に胸を張ってもう一度言ってやらなきゃ」
 だから、とガイが何度目かの言葉を口にする。俺は顔を上げる。ガイの瞳は俺の中にもういない誰かを捜していて、その延長線に俺がいて、そこから世界が広がっている。
 ああ。俺は小さく呻いた。その時ようやく、ガイが六通もの読み古された手紙を持ってここを訪れた意味が心の底からわかったからだった。ガイがこんなことをしたのは、本当は最後の、六通目の手紙が来たからなんかじゃない。
 ガイラルディア・ガラン・ガルディオスがバチカルを訪れたのは、つまるところ、決意の表明に他ならないのだ。その相手に俺を選んだのは、俺がガイと同じように諦めていないからで、やつは本能的に同族を見抜いていたというわけだ。
「つまり俺はおまえの共犯者か、ガイ」
 俺が嘯くと、ガイは唇の端を上げて笑う。
「ま、そうとも言えるかな」
「承諾した覚えはないが?」
「そりゃそうだ。おまえはルークじゃないし、それに俺はルークにさえこんなこと言っちゃいない」
「言っていたらおまえにこの屋敷の土地は踏ませていない。俺は確かにルークじゃないが――この身体はルークの感情を記憶してるんだ。忌々しいほど鮮明にな……」
「なら早く返してやれよ」
「元よりそのつもりだ。……ガイ、耳を貸せ」
 ガイがなんだ? と訝しみながらも耳を貸してくれる。俺は一つ咳払いをし、自分ではない誰かの記憶の中から、慎重に、ある一つの記憶を手繰り寄せた。なんのことかわからないと思ってずっと蓋をしていた記憶。その意味がはっきりした今、これを本人に伝えず黙っててやるほど、俺はお人好しじゃない。
 俺は静かに、ルークに永遠を誓った男に秘密を打ち明けた。
「――七通目の手紙を知りたくはないか?」


◇◆◇◆◇


 あのさ、ガイ。これまで六通、手紙を書いて、送ったんだけど。
 なんだか、あんなにいっぱい書いた気もするのに、まだ、伝えきれなかったことがどんどん出てくる気がするんだ。
 俺、ちゃんとガイにお礼を言いきれたかなあ。ありがとうって何回書いても足りないのに、ちゃんと全部伝わったのかな? 言葉で気持ちを伝えるのってすごく難しい。ポストに投函できなかった手紙が、俺の頭の中に、ぐるぐるぐるぐる、溜まってってる気がする。
 ――この手紙は、エルドラントの一番奥で、アッシュを抱えながら俺の頭の中に書き綴っている。
 俺はきっと、もうじき、消えてなくなる。ティアも、みんなも、ガイも……俺に戻って来いってあんなに言ってくれたけど、俺はきっと約束を果たせない。もし機会があったら、ティアにごめんって言っといてくれ。……なんて、頼めるはずもないか。俺だって……俺だって……帰りたい。帰りたいよ。帰れるものなら、生きて……。
 …………。死ぬのは、まだ、怖いんだ。ううん、たぶんだけど、死ぬのが怖くなくなる時なんか、俺にはきっと訪れない。俺はこれから自分に起きることを知っている。俺の中に流れ込んできたアッシュの記憶が、そのことを教えてくれた。
 大爆発。オリジナルが死を迎えた時、レプリカとひとつになって、オリジナルを存続させる現象。レプリカの俺とオリジナルのアッシュが、音素と元素に分離して、最後に融合する。
 だからきっと、アッシュはいつかみんなのところへ帰るはずだ。けど俺はその時もうどこにもいない。今俺の中にアッシュが確かにいると感じられるように、アッシュが俺を持ち続けてくれるかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。
 未来のことはいつも不確かだ。バチカルの屋敷で退屈な毎日を過ごしていた頃、たった一年のうちにこんなにめまぐるしく世界が変わってしまうなんて、俺は考えたこともなかった。あのまま、成人の儀が執り行われるまでずっと、屋敷の中で使用人とヴァン師匠と父上と母上と、それからガイと過ごすだらだらした日々が永遠に続くと思ってた。でも違った。俺は世界を知って、そして罪を犯し、その罪を償いたいと願った。もちろん、俺が死んだから償えるなんて思ってるわけじゃない。たまたま、いろいろなことがあった結果、俺は消えてなくなる。……それだけだ。
 でも、変わらない確かなことも、あるんだと思う。
 俺はガイが好きだ。俺の記憶が始まった十歳の時から――ああいや、正確にはその時ゼロ歳なんだけどさ、気持ちの問題――この七年間、ずっと、ガイが好きだ。ずっとそばにいてくれたガイ、いつも俺を支えてくれたガイ、俺の親友のガイ。ガイの過去とか、屋敷に来た本当の理由、全部知ったあとでも、この気持ちは変わらなかった。ガイが変わらず俺を大事にしてくれたからっていうのはもちろんあるけど、俺は、たとえガイは本当は俺のことが大嫌いだったとしても、ガイを好きなままでいたと思う。
 だから、ガイ。これだけ、言わせて欲しい。


 ――いつかまた会えるその日まで、さよなら。