※ルーク帰還捏造
※グランコクマ+ルークのオールキャラ
※何話か続きます
――覚えているのは、セレニアの花がすごく綺麗だった、ってこと。
ルーク・フォン・ファブレは、アッシュに手を引かれて地に足を付けた。もう二度と帰ってくることもあるまいと思っていたこの愛おしい大地に降り立ち、懐かしい顔ぶれの前に突きだされると、彼にはもう言葉という言葉は残らなかった。ルークはただ静かに泣きじゃくった。そんなぐしゃぐしゃの顔をしたルークのことを、ひとり、またひとり、と仲間達は優しく抱擁した。
……帰ってくるつもりじゃなかったんだ。
そう言うと、でも私は帰ってきてくれて嬉しいわ、と彼女が微笑む。
……俺、ここで生きてて、いいのかな?
そう訊ねると、当たり前だろ、ここがお前の生きるところだ、と彼が告げる。
……なら俺、やっぱり、ここで生きるよ。生きてたいんだ――
そう叫ぶと、世界のはるか遠くで、誰かが俺に向かって微笑みかけたような、そんな気がした。
「それじゃアッシュ、俺行ってくるから。手紙、時々出すよ。公務頑張って。ああでも、根つめ過ぎてさ、父上母上に、あんま心配かけないでくれよな」
「それはこちらの台詞だ屑が。お前がグランコクマに留学するなんぞ言い出してから屋敷がてんやわんやだったのをもう忘れたのか」
「んなことねえって、母上は、ガイのとこ行くって言ったらわりとあっさり納得してくれたぜ。最後まで嫌がってたのは、アッシュだよ」
「うるせえ」
腕組みをした仏頂面のアッシュが、靴紐を結ぶルークを見下ろしてきている。あのものすごく整った顔がものすごいしかめ面をしているというだけで相当な迫力があるというのに、その上重々しい礼服を着ているものだから、アッシュの放つ圧力というものは尋常ではない……。
ルークは靴紐をきゅっと結び終わると、苦笑いをしてアッシュの顔を仰ぎ見た。
タタル渓谷へ帰ってきたあの日以来、アッシュは名実共にキムラスカの王位継承者として扱われ始めた。いずれナタリアと結婚し、この国の王を襲名する存在。そういうものとして扱われ、あっという間に国政の内側に取り込まれ、多忙な日々を送るようになった。
一方でルークは、寝る間も惜しんで仕事に追われるアッシュと対照に時間をもてあましていた。元より国政なんかに携わる自信のなかったルークである。無論、アッシュが王位継承権者として扱われることには何の不満もない。とはいえ仕事の全てをアッシュに任せるのは引け目があるというか、なんとなく嫌だ。それで何か彼を手伝えないかと頭を悩ませていたのだが、何分ルークには学がなく――子供の頃、帝王学の類は散々嫌がって家庭教師を追い出してしまっていたから――アッシュの補佐なんて出来ようにもない。
そこで一念発起したルークが決めたことこそ、グランコクマへの留学である。
「だいいち、俺が留学するのは、アッシュを助けられるようになるためなんだから。しばらく……かかるかもしれないけど。その代わり帰ってきたらバリバリ働くからさ、楽しみに待ってろって」
「……チッ。いいか屑、俺は最後まで反対していたんだからな。よりにもよってマルクトの、それも言うに事欠いてグランコクマだと? ここまで来ると、ガイの屋敷だってのがマシなのかそうでないのかもわからん。帝王学はバチカルでも学べるだろうが、屑」
「俺、ガイ以外からうまく教われる自信ないもん。ガイの次に俺に教えるのうまかったのはジェイド。二人とも今はグランコクマにいるんだから、あそこ行くのが一番いいだろ」
「二人ともいるから嫌なんだ、俺は!」
しかもあそこにはピオニーもいるだろうが。仮にも同盟国の王を呼び捨てにし、アッシュが懊悩の声を上げる。
「ああ、ろくな予感がしねえ。いいかルーク、身の危険を感じたら、真っ先に俺を呼べ。お前の身体は再生し直したが、俺達が完全同位体であることには変わりないんだ。いざとなれば距離なんぞは関係ない」
「ええ、やだよ、あれすっげー頭痛くなるし。ていうか、頭痛がするのは被験者のアッシュも同じだろ? 大丈夫、何か困ったらちゃんと鳩便出すから」
「そんな悠長なことをしていられるとは限らな――」
「だから次に会う時は、少しでも立派になった俺を見てくれよな、アッシュ!」
だがルークの割れんばかりの笑顔を目の前に出され、アッシュはそれ以上の言葉を失ってしまった。
ルークの真っ直ぐな笑顔。そのあまりにも眩しい光景こそ、アッシュが長く求めていたものだった。だからアッシュはこの顔に何より弱い。見ていると、ルークを音素帯やらローレライから取り戻すために奔走した日々が鮮明に蘇り、ルークがここにいるならなんでもいいか……と、大概のことを許してしまう……。
「……くそ、勝手にしやがれ、この屑ッ……!」
生きていてくれるならなんでもいい。
そんな思いを悟られないように心臓の奥に仕舞い込み、アッシュは上目遣いに己を見上げるルークからふいと目を逸らした。これ以上あんな澄み切った瞳を見ていたら頭がどうにかなる。具体的に言うと国政どころではなくなる。国会で通す予算案とか、嘆願書に対する審議とか、その他もろもろより、この不出来な弟のようなものの頭を撫でてやりたいという衝動の方が遙かに強くなってしまう。
「じゃっ、アッシュ、俺、行ってくるな!」
――くそ。せいぜいガイもジェイドもピオニーも、この天真爛漫無邪気純粋攻撃に苦しむがいい。
立ち上がってぶんぶんと手を振るルークを見ながら、アッシュはちんけな悪人のような思いを胸中で吐き捨てた。しかしすぐに、ジェイドとピオニーがとんでもない極太神経の持ち主であったことを思い出す。仮にも一国の王、そして国軍佐官。剛毛の生えた心臓を持っていなければやっていかない場面も多々あろうが、それにしたってルークの笑顔に心が痛まないヤツは人でなしだ。それが今の、アッシュ・フォン・ファブレの素直な思いである。
……頼れるのはやはりガイだけだ……。
自分が数年間面倒を見られていた過去もあり、マルクト国籍の知人の中で殆ど唯一気を許している人間の顔を思い浮かべ、アッシュは渋々ルークを留学先へ送り出した。
それが今から三ヶ月ほど前のことだ。
◇◆◇◆◇
グランコクマに構えられたガルディオス伯爵邸。その一室に、ルークは客人として長期滞在している。帝王学を初めとした種々の学問を学び修めるためにやって来たルークを、屋敷の主であるガイラルディア・ガラン・ガルディオス伯爵はいたく歓迎し、会うなり全開のハグでルークを迎えた。
ルークが間借りしている客間は、ガイの私室のすぐそばにある。客間って主人の部屋とこんなに近いもんだっけ? とルークは不思議に思って尋ねてみたが、ガイは照れ笑いをするばかりで答えてくれない。
どうもルークには隠したかったようなのだが、その真意は、ファブレ家から主人と共にガルディオス伯爵邸に移り住んだペールによってすぐにばらされた。――ガイ様はルーク様のことがご心配なのです。過保護なのでそばに置いておかねば気が気でないのですよ――ペールは生け垣の蕾を剪定しながら、そう言って微笑んでいた。
「はあ……ガイ、まだかなあ。何も自分でお茶淹れることもないのに……」
……なんてことを思い出しながら、ルークはぼやく。参考書をぱらぱらと捲り、大きく背伸びをするといつまでも帰って来ないガイの顔をぼんやりと思い浮かべた。部屋の壁に掛けられた鳩時計は午後三時近くを指し示している。ガイのやつ、遅いなあ。普段なら、三時のおやつに絶対遅れるようなやつじゃないのに……。
「――どうした、ルーク。そんな溜め息ばかり吐くと幸せが逃げるぞ」
と、そんなことを考えていると、不意にルークの後ろから覆い被さってくるものがあった。
慌ててルークが振り返ると、ラフな服装から覗く、やや浅黒い逞しい両腕がいきなり大映しになる。ぎょっとして身じろぎをしようとすると、追い討ちを掛けるようにさらりとした金髪がルークの頬をくすぐった。
ルークは息を呑み、突如現れた来訪者の名前を素っ頓狂な声で呼び上げる。
「えっ、あ、ピオニー陛下!? どうしてここに……」
そう。そこにいるのは、今頃はグランコクマ中心部にある王宮で執務に精を出していなければいけないはずの、ピオニー九世皇帝陛下その人であった。
ルークが呆然として訊ねると、ピオニーは楽しげに喉を鳴らす。そしてルークに覆い被さるのをやめると、今度はくしゃくしゃと頭を撫でまわす。
「いや、なに。小うるさい部下からひとときのエスケープをね」
「ああ……またジェイドが怒るやつ……」
「なあに、あいつが俺の行動に怒っていられるうちは、マルクトが平和だってことだ。……なあ、ところで、ルーク。ガイラルディアと暮らすのがつらくなったら、いつでも
王宮
に来ていいからな〜。ちなみに本音。ほら、ガイラルディアはちょっと厳しいだろ? なんかせせこましいっていうかさ」
「へ? そんなことないですけど……」
急にルークの手を引いてくるピオニーに、ルークはこてんと首を傾げる。ガイがせせこましいだなんて。そりゃ、叱られたり注意されることはあるけれど……ガイはいつだってルークを許してくれるし、懐の広い兄貴分だった。それにルークだって、分かっている。ガイがルークを叱るのは、ルークのことを思っているから。どうでもいいと思っている人間に注意はしない。……つまり、ガイが、仕事しろとしつこく言ってやってるピオニーにも、ある程度の情を向けているということなのだが。
「本当かあ? おまえにも、朝はちゃんと起きろ、勉強しろ、にんじんは残すなとか、言ってるもんかと」
「それは……うん、言われてます。でも俺、留学のためにグランコクマに来たんです。朝ちゃんと起きて、勉強して、……にんじんを食べるのも、俺の仕事のうちなんだって。……ガイが」
「おお……ルークはえらいなあ! はは! うちの子にしちゃいたいぐらいだ。なあルーク、いよいよ本格的に王宮へ来ないか。ガイラルディアのとこなんかやめてさ」
と、そこまで話すと、ピオニーは再びルークに背中から覆い被さり、楽しげにそんな事を言い始めた。
「えっ?」
ルークはたじろぎ、言葉を詰まらせる。ピオニー陛下はひどく自由な人だ。よく知っている。こういう冗談だか本気だか判断のつかないことを言うことは今までにも何回かあった。でもその時は、いつもそばにガイがジェイドがいて、「はいはい、陛下の戯言は川にでも流して棄てておきましょうね」みたいな助け船を出してくれていたのだ。
だけど今ここにはルークとピオニー以外誰もいない。
(が……ガイ! だからお茶なんか、メイドに任せておけばいいって俺、言ったのに……!)
俺の淹れた紅茶が一番好きだろ、なんてうきうきしながら厨房へ消えて行った昔馴染みをいよいよ胸中で恨めしく思い、ルークは涙を呑む。ああ、どうしよう。ピオニー陛下のことは好きだ。信頼の置ける人間だと思うし、皇帝としての手腕も尊敬している。でも……この人のあしらい方は、ルークには難しすぎる。
「そうだ。マルクトの貴族になるってのはどうだ。領地は……今空きがないから難しいが、皇帝直轄領の一部を任せてもいいし、なんだったら俺の話相手でもいい。ブウサギの世話より楽だぞぉ」
「へっ、陛下、俺はそもそも、キムラスカの……ええと……王位継承者、でですね、」
「知ってる。でも今、そっちはアッシュがうまいことやってるだろ。おまえも将来的にアッシュに任せるつもりだ。だからグランコクマに長期留学をしに来てる」
「それは、そうですけど……!」
ああ、もう、本当、誰か助けてくれ!
そうやってルークが祈りにも似た焦りをもてあまし始めた頃、ようやく、待ち望んだ声がピオニーの言葉を遮った。
「――そこまでです、陛下。うちのルークをあまり困らせないでいただきたい」
トレイに人数分のティーセットを積んだ、この屋敷の主だった。「ガイ!」ルークは安心してピオニーの腕からすり抜けると、ソファの後ろを回って部屋の入り口前に立っているガイの背中に隠れる。
とたん、面白くなさそうな顔をするのはピオニーである。彼は「ハア……」と露骨な溜め息を吐き、目を細めるとガイを人差し指で思いきり指し示した。
「なんだ、ガイラルディア。男の嫉妬はみっともないぞ」
「陛下こそ、思ってもいないことを口にしてルークの純真さを弄ぶのは関心致しませんね」
「あーっ、おまえ、ここでそれ言う? 言っちゃう? 年々ジェイドに似てきてないか?」
「嫌ですよあんなのに似てくるとか。気のせいです。……ほら、ルーク。もう大丈夫だ。あの人も本気でおまえをマルクトの貴族に取り立てようなんて思っちゃいないさ」
ガイが宥めるように声を掛けると、ピオニーはふるりと首を横へ振り、やれやれ、と肩をすくめて見せた。どうやら今回はガイの勝ちで終わったらしい。
「養子に出来るんならしたいってのは、本気なんだけどな」
先ほどまでのハイな声音とは真逆の、低く落ち着いたトーンでピオニーが呟いた。
「キムラスカ貴族の陰険工作に巻き込まれるのならそういう逃げ道の用意もある、って話でしょう、それは。今のところそんな様子はありませんよ。アッシュがよく押さえてくれているおかげでね」
「そうなんだよ。アッシュがうまくやりすぎてて、俺としてはいささかつまらんってとこだな」
「まったく……仮に、ルークをファブレ家から拐かしてご覧なさい。相当な恨みを買いますよ。ファブレ侯爵はそのために俺を世界の果てまで遣わしましたし、アッシュに至っては、本人が飛んでくるでしょうよ」
「そもそもおまえが黙ってないだろ、ガイラルディア。わかってるよ。俺もおまえたちを裏切るようなまねはしたくない」
降参降参、と両手を広げてピオニーがひらひらと手を振る。ガイは深々と溜め息を吐いてテーブルの上に三人ぶんのティーカップを並べ始めた。実のところ、ピオニーが来ることは予め分かっていた。タイミング的にも、来るなら今日しかなかったのだ。
「……ガイ、ピオニー陛下、あの……話、終わったのか?」
「ああ。もう大丈夫だぞ、ルーク。このサボり魔皇帝の魔の手は俺がいる限り飛んでこない」
「おいおいその言い方はないだろう? ここに来たのはサボタージュじゃないんだ。ジェイドの許可もちゃんと出てる!」
「皇帝の外出に一介の大佐風情の許可が必要ってのが、そもそも問題なのでは?」
「それな。だから俺も、いいかげん昇進の話を受けて参謀長官あたりにでもなれって言ってるんだが、『嫌です。皇帝に媚びて実験を握ったなんて後世まで語り継がれたら、カーティスの家に泥を塗ってしまいますよ』ってあいつ笑いやがった。……って、そうじゃなくて。茶も入ったことだし、本題に入るとするか……」
おもむろにカップを手に取り、少しだけ香りを楽しんでからすぐ口に付ける。ルークがへえ……とか呟きながらその所作を見ていたが、別に彼は風雅だからそんなことをしているわけではないということをガイは知っている。
彼が茶の香りを嗅ぐのは、毒殺に備えるための病的な習慣。今もその胸ポケットには万能解毒薬が入っている。つくづく、皇帝という職業は、病的である。ピオニー自身にはちゃんと敬意を(一応)持っているガイだが、ルークをあれの養子にするだなんて、たとえキムラスカの権謀術数から逃げるためだとしてもガイの心臓がもたない。
「話ってのは、他でもない。グランコクマで起きている事件の解決を、おまえたちに頼みたいんだ」
なんてことを考えられているのだと、知ってか、知らずか。
ピオニー・ウパラ・マルクト九世皇帝は、居間のソファを玉座に早変わりさせ、単刀直入にそう切り出した。
事の起こりは十日ほど前のことだ。
皇都グランコクマで奇妙な事件が起きた。裏路地で女性の叫び声が上がり、憲兵が飛んでいく。乱闘騒ぎか。或いは窃盗か。はたまた殺人事件か? しかし答えはそのどれでもない。
幽霊。
得体の知れない幽霊が、真昼間から真夜中まで、時を選ばず、帝都を徘徊しているのだという。
「つっても、具体的な話はわかっちゃいない。目撃証言が曖昧すぎるんだ。ある一人はとっくの昔に死んだ先祖のばあさんが化けて出たとか言うし、また別の一人は先のホド戦争で死んだ人々が恨み辛みをぶつけにきたとかいう。中には死産の子供が迎えにくるなんてのもあったな。てんでばらばら、支離滅裂。なんだそれじゃあ?死霊使い?にうってつけじゃあないかと振ってはみたが、まあ、あれだ。にべもなく突き返された」
「そりゃそうでしょうよ……」
ガイは深々と嘆息した。そんな妄言めいた事件に国軍大佐を派遣しようなんて気が違っているとしか思えない。いや、確かにあのジェイド=カーティスという男は気まぐれに有能なので、親善大使ご一行に随伴しながらも国内の自分の仕事はちゃんと片付けていたみたいに聞くし、それを当て込んでの指名でもあるのだろうが。それにしたって佐官にやらせることではない。単に本人が面倒くさがっているのだろうけれど。
「だからって陛下、それを賓客のルークにやらせようってのもちょっと如何なものかと思いますよ、俺は」
「なぁに言ってるんだ。ルークだって、そろそろ退屈してた頃だろ。ガイラルディアの屋敷にすし詰めでお勉強の日々は……」
「う〜ん……まあ、確かに……?」
「おいっ、ルーク!! そこで悩まないでくれ!! 俺を信じて教育係に預けてくれたファブレ伯爵に面目立たない!!」
「よっ、マルクトの面汚し〜」
「それはアンタのことだよ!! ああもう……!!」
ガイが頭を抱え、派手にのたうち回る。するとピオニーはいかにも楽しげにけらけらと笑い、「冗談だ冗談、」とぱちぱち手を叩いた。
「安心しろガイラルディア。ルークはれっきとしたマルクトの国賓だ。アッシュ直筆の書状もある、それになにより俺の友人なんだから、粗雑に扱かったりはしない。……あのだな、こいつは、ルーク、というか外様の人間にしか頼めない調査なのさ。なにしろ俺の見立てじゃ、貴族院の連中が噛んでいるからな」
「貴族院……? 陛下、既にきなくさい臭いしかしないんですが」
「うむ、尤もだ。俺が思うにこの幽霊騒ぎは人為的なものだな。しかもあまり愉快な類のものじゃない。なにしろ、以前あった御落胤騒ぎほど直接的じゃないとはいえ、俺の失脚を狙った騒動だ。これから更に規模は膨れあがり、厄介なことになっていくだろう……」
「はあ、陛下の失脚を狙った…………はああっ!? 陛下の失脚狙い!? それをルークにどうにかさせようって言うのか!? あんた正気か、いや、わかってる、狂気だな。ジェイドは何やってるんだ!」
「お、おい、ガイ! 落ちつけって。お前が慌ててるから、俺もう全然話についてけねえよ……」
一気に青ざめてかたかたと身体を震わせているガイを、ルークが必死になだめる。厄介事の種を持ち込んだ張本人であるピオニーは、そんな二人の様子をじっと眺め、「うむ、これなら大丈夫そうだな」と一人頷いた。
「主人に手綱握られてるようじゃまだまだだぞガイラルディア〜。アレなんぞ俺の首にこれでもかと縄を括り付けてくる始末だ。とまあそれはさておき、詳しいことを話すために来て欲しい場所がある」
「え、ピオニー陛下、ここじゃ駄目なんですか。ガイんちだから、盗聴の心配とかはないですよ」
「うん、駄目だ。事件っていうのは、会議室じゃなくて現場で起きてるもんだからなあ」
「……?」
「あー、ごほん。つまりだ。状況証拠を現場に保管させてるんだ。こういうのは実際に見せた方が早いと相場が決まってる」
そこまで喋ると、ピオニーはまだ何か言いたそげなガイを制してくいっと親指を傾け、二人を手招きした。いいから行くぞ、のサインだ。一見ただの暇な闖入者に見えるピオニーだが、実は彼のスケジュールは分刻みで(ジェイドに)管理されている。あまり時間がない、ということらしい。
ルークはテーブルに並ぶ湯気の立つティーカップをちらりと見た。ピオニーは一口飲んでいたが、ルークはまだ口を付けていない。ガイの淹れる紅茶は絶品だ。温かいうちに飲みたい……。
「ルーク」
すると、言わずともルークの思うところを悟ったのだろう。ガイはルークの顔を見るなり急に落ち着きを取り戻し、マルクトの貴族ではなくルークの使用人の顔になって小さく呟いた。
「紅茶は魔法瓶に入れて持っていこう。まあ、遠足がてらの息抜きもたまにはしょうがない」
「――うん! サンキュ、ガイ!」
ルークは彼の申し出に一も二もなく頷いた。
幽霊事件の状況証拠なんか見たあとに紅茶が喉を通るのかどうか、一切考えちゃいなかったことを後でちょっとばかり後悔することになるなんて、つゆほども思わぬまま。