※ヨハンさん病み注意




遠の足音



 ああ、それですべて終わってしまう。
 何が? そう聞かれると自分にもよくわからなかった。ただ漠然と終末の予兆が、終焉の予感だけがころりと転がって果てている。終わる。何もかも。
 十代――遊城十代、俺の大切な友人はそこの床でくったりと丸まってすやすやと安らかな寝息を立てていた。そのまま息を引き取ってしまったとしてもなんら違和感のない、それは静かな眠り顔だった。艶やかなくちびる、伏せられた睫毛、さらさらした髪の毛、柔らかな皮膚。全てが愛おしくまた全てが憎らしい大好きな十代。今首を絞めたら君は死んでくれる? そしたら、俺も一緒に死ねるかな。
 そこまで考えて、くす、と小さく溜息にも苦笑にも似た吐息が洩れた。ああ、わかりきっていることだ。首を絞めれば十代は死ぬだろう。だがそれだけでは共に逝くことは出来ない。俺一人惨めにも生き残って怠惰な肉体を日が昇る部屋に晒すことになる。それじゃあ駄目だ。
 覇王十代の人格を手に入れ、精霊ユベルの魂とひとつになった十代は異質なものに成り果ててしまっていた。そこには俺が出会い、慈しみ、好いて愛情の限りを尽くして抱きしめた子供のような少年はもういなかった。俺が一目惚れした遊城十代はどこにもいない。でも十代はそこに、俺の目の前にいるのだ。これはどういうことだろう。
 どう、受け止めればいいのだろう。


「じゅうだい」
「ヨハン? どうしたんだ。顔色が悪いぜ」
「じゅうだい、お前は、変わってしまったんだな――」


 彼は変わった。完膚なきまでに改革され尽くして俺の知らない未知なる次元へと行ってしまった。そこに少年の面影はもはやない。そこにいるのは一人の男だった。地球ひとつ包括してしまえそうな、巨大な存在だった。俺は畏怖し、首を振って、しかしそれでも彼を愛した。十代を愛することを止めるなどということが出来ようもなかった。十代、十代! 俺の体は愛は魂は君に縛られてそこに凍ったように立ち尽くすのみなのだ!!
 そんな彼だが、ただ一つ、眠っている姿だけは以前のままであった。無防備なその横顔。眦。裸体にされたって気付くかどうか。眠りに落ちた十代ほど弄り易いものもない。過去に彼を襲った襲撃者たちも夜中に奇襲を掛ければ少しは勝率があったかもしれないのに愚かなことだ。……ああでも、プロフェッサー・コブラ以降は俺がずっとずうっとその隣に控えていたから奇襲なんてまるで無意味か。
 そして今まさにその備えのない姿を彼は眼前にさらけ出している。滑らかな白い素肌、寝返りでさんざ乱れた髪、ぴたりと閉じられた長い睫毛。その隣に俺は座っていた。汗のにおいが酷い。
 俺はぼうっとそれらのことを取り留めもなく考え、思考し、十代の頬に手をかける。もみあげを払いあげるとこれもまた真っ白なうなじと耳たぶが姿を現した。普段秘められたそれらを露わにした彼はそこらの女よりもよっぽど艶めかしく俺の目に映る。十代、十代、十代。もう名前を呼ぶぐらいしか俺に残された思考はなかった。理性などとうに弾けて消えていたのだと、悟る余裕などとてもとても。
 右手で掴んだグラスを口につけ、中身を咥内にたゆたわせ嚥下しないうちに俺は十代に口づけた。含まれていた液体を、二人で分かち合う。くぐもった声音。十代の口端から液体が僅かばかり零れたが、気に留めない。その余裕はない。
 やがてうっすら開いていたはずの俺の瞼も重くなってきて、重力に押されるような形でゆっくりゆっくりと閉じていった。体が弛緩する。十代の寝息が、止まる。


 なあ、十代。
 君と俺とで繋がったまま命を散らして果てれば、二人はえいえんになれるのだろうか。