みの名を呼ぶ声



 夢をみた。出会ったばかりの頃の夢だ。あの頃のわたしといったら本当に酷かった。人間不信で、その上現実から目を逸らして自分自身を甘やかしていた。
「……夢だなんて、何年ぶりかしら」
 実家から出奔してアルカディアムーブメントにいる間はうなされる夢ばかりみていた記憶がある。誰も信用出来ず、社会の枠組みからはみ出ていた(そういえばあの時期は学校に行ってすらいなかった。不良だ)わたしは常に悪夢に追いかけられていた。このままで、いいのか。何も考えないでいて本当に良いのだろうか――
 無論良いはずなんかなくって、わたしは思考を放棄していた為にディヴァインにいいように使われていた。彼の中にわたしへの愛は一ミリもなかった。彼は己以外の全てを道具か何かだと思っているような人間だったから。
 目を覚まさせてくれたのは遊星だ。
 遊星がいなければ、わたしは今もディヴァインにべっとりと依存しきっていたかもしれない。考えるだに恐ろしい。
「ああ、そっか。遊星が恋しいんだわ」
 皆各々にそれぞれの道を選ぶのだといって別れてから六年近くが経過している。あの小さかった龍亞や龍可ももう高校生だ。十六歳。わたしが遊星と出会った年と同じだった。
 世界に散り散りになっていく五人を見送り、一人シティに残った遊星とはろくすっぽ連絡を取れていない。龍亞や龍可はあちらから頻繁に連絡を寄越してくるからいいのだが、その他の三人とは殆ど音信不通の状態に近かった。とはいえジャックやクロウはグランプリやら何やらに出る時によく名前を聞くから、どこで何をしているかぐらいはそれとなくわかる。
 でも遊星だけはその辺りもさっぱりだった。今、どこに住んでいるのかも何をしているのかも、まるでお手上げだ。
 かつて三人が――ブルーノを合わせれば四人だ――暮らしていたポッポタイムのガレージにまだ彼の姿はあるのだろうか。それとも、好い加減もっと住み良いところに移ったか。あのガレージは確かに彼にとって思いで深い場所ではあろうが、なにぶん一人で暮らすにはがらんとしていて寂しい場所だ。
 医学部の過程には通常の大学過程よりも長い六年という期間が設けられている。その長い過程を終え、わたしももうすぐ卒業だ。実を言うと卒業後の進路は既に定まっていた。彼の待つ場所、ネオドミノシティへ帰ろうと、そう思って現地の総合病院(かつてお世話になったことのあるあそこだ)の採用募集に応募して内定を得ている。
 ただ、遊星に会うことだけが不安だった。
 遊星がどんなふうに変わっているのかを確かめることが、恐ろしかった。



◇◆◇◆◇



「……フ。チーフ!」
 役職名を呼びながら揺すり起こされて、ようやく俺は眠っていたことを自覚した。今は何時だろうか。時計を見ると定時を一回り過ぎている。職務放棄もいいところだ。
「ああ……すまない。俺は何時間眠っていた?」
「大体四時間です。仕方ありませんよ、ここ連日アップに向けてチーフは徹夜続きだったでしょう」
「いや、それを言い訳にしては同じように働いてくれている皆に悪い」
「それにしたってチーフは働き過ぎです。最終チューンはともかく実務プログラムまであなたが打ち込むこともないでしょうに」
 小言を言ってくる部下に俺は苦笑をして、好きなんだ、と言い訳をした。実際もう六年もこうして指揮をとっているわけなのだが未だにそういう「お偉いさん」の立場には一向に慣れる気配がない。自分は組織に属することがそんなに得意じゃないのだ。一人で好きなように機械弄りをしている方が気楽で好きだった。
 けれどそんなことを言っているわけにもいかず、イェーガーの頼みもあって俺は今の地位に就いている。六年前のあの時点でフォーチューンの基礎理論は確立し稼働も始まっていたが、我が子にも等しい自作プログラムのことはやはり気掛かりであったし、デュエルで稼ぐのは性に合わない。
 今まで通り細々と修理業あたりで稼いでいくことも出来なくはなかったが、世界に羽ばたいていく仲間たちの中でただ一人この街に残ることを選んだ手前、やはりその日暮らしのままではいけないような気がした。だから遊星は研究職を選んだのだ。
 父の意思を継ぎ、誰かの役に立つことが出来るこの職に。
「他の皆は?」
「チーフの寝顔を覗いてから皆帰りましたよ。まったく、チーフも好い加減に家庭を持ったらどうなんです? 守るべき家族を得ればその自分を省みないがむしゃらな生活も少しはマシになるかもしれませんよ」
「冗談を言うな。誰が俺みたいな人間と結婚してくれるものか」
「その台詞、うちのスタッフの独身の奴らに聞かせてやりたいですね。有り難いお言葉に彼らの怒りも頂点に達するかもしれません」
「……意味が分からないな」
 少々回りくどい言い方をする彼の澄ました顔にまた苦笑し、 俺は席を立った。彼は腕は確かでとても優秀なのだが、時折今のように意味を図りかねる冗談を言う。そこが玉に瑕だな、と内心ひとりごちて白衣を脱ぐと代わりにコートを着込んだ。洒落っ気なんぞを意識したことはないから、帰り支度なんてこんなものだ。出掛け支度も。
「この不公平感……今私は妻がいてつくづく良かったと思いますよ。独身でこんなもの見せつけられちゃ、堪らない。本当、どうしてチーフ程の人が独り身なんでしょうね。迫られたことだって一度や二度じゃないでしょうに」
「いや、何の話だ?」
 心底不思議に思ってそう尋ねると彼ははあ、と露骨に溜息を吐いて私も上がらせてもらいます、と言ってすたすたと俺の机から退散してしまった。
 一体、今俺は彼に何をしてしまったのだろうか。



 遊星の現在の自宅はトップスのビルの中にある。はじめは気が進まなかったのだが、職場そのものがトップスにほど近いところにあるのに加えて父の名義でまだ家が残っているのだとイェーガーに言われてそこに住むことを決めた。父が遺した家。俺が、生まれたらしい場所。
 実際にこの目で見てみてもあまり実感はわかなかったが、何かの感慨めいたものは確かにあった。もう二十年近く人が住んでいなかったというのに小綺麗なままの部屋は、聞いた話ではゴドウィン前長官の意思で取り払われることなく、また無闇に弄られることもなくかつて不動一家が住まっていた頃の形を維持していたらしい。
 きっちりと整頓された部屋には父と母の性格が表れているかのようだった。そういえば俺自身もそれなりにきちきちと物を整理したり仕舞い込んだりする性質で、度々クロウやジャックに勝手に私物を片付けるなとどやされたものだ。
 日課になっている遊星号の手入れをして、ふとホルスターの中のデッキを手に取る。ぱらぱらと捲ると使い慣れた面々が俺の前に姿を現した。ジャンク・シンクロン、スピード・ウォリアー、ターボ・ウォリアー、ジャンク・ウォリアー……そしてスターダスト・ドラゴン。
 皆大事な仲間であることは変わらないし、手入れはこまめにしているが仕事にかまけてここ数年まともに使ってやっていない。龍亞や龍可がたまに長期休みの際に帰省してくる時はこのデッキで相手をしてやることもあったが、大会に出ることもなくこのデッキを頼るような事件も起きていないのでなかなか日の元に出してやることは出来ないでいた。
 いやまあ、平和なのはいいことだ。けれどやはり何か物足りない思いがあった。このデッキで立ち向かう事件がないからというのも多少は理由の一つにあるだろうが、一番大きいのは一人である淋しさからくるものだろうという朧気な自覚がなんとなく俺の中で主張をしている。
「……六年、か」
 龍亞と龍可も大分大きくなった。龍亞はますます龍可に対して過保護になったというか、シスコンも極まってきた感があるが、あれでいてそれなりに将来を視野に入れてしっかりと生きている。彼らはちょこちょこと手紙を寄越すから動向は掴みやすいし、そういう意味ならばジャックやクロウもそこは心配ない。ジャックはキングとしての地位を独力で掴み取りそれを維持するために精力的にデュエルをしているし、クロウもチームリーグ制覇を目指して走り続けている。今日も一つ勝ち星を増やしたのだったか。
 「本当はお前やジャックと狙いたかったんだけどさ、ジャックはシングルで頂点目指すらしいし、お前はここに残ってやることがあるんだろ?」と伏せ目がちに言ってきた鉄砲玉のような友人の顔は未だ鮮明に思い出せる。
「……わからないのは、アキだけか」
 医者になるのだと言って旅立って行ったアキの姿を思い描いて、今彼女はどんなふうになっているのだろうかと想像を試みて数秒で俺はそれをやめた。年頃の女性というのは、くるくると変わっていく。彼女だってそうだろう。経験を積んで、恋の一つでもして、立派な女性になっているはずだ。
「何一つ番号を聞いていなかったな、そういえば」
 失敗したな、と今更のように唸ってデッキをケースに戻した。寝る前に風呂でも入ろう。明日も仕事はある。
 そう思った時、電話が鳴った。



◇◆◇◆◇



 帰国したお祝いだ、折角だからお洒落して行きなさいという両親の言葉に従ってみればこれである。
「その、ご、ごめんなさいね。父と母のわがままに付き合わせてしまって……」
「いや、丁度いい。そうでもなければアキの帰国に気付けずにいただろうしな。――おかえりアキ。しばらく見ない間にいい顔付きになったな」
 さらりとそんなことを言ってのける眼前の彼の姿にわたしは顔を真っ赤にしてしまってやむなく俯いた。かつて見慣れていたあのジャケット姿とは違う正装めいた服装が眩しい。おまけに思ったことをストレートに、しかも場所を選ばずに言うあの性格は健在ときた。ああ、無性に気恥ずかしい。
 お父さんの策略にまんまと嵌められたのね、とやるせなく思ってまだ若干赤味の残る顔を上げる。遊星はどうした、と言ってわたしの体に手を添えた。六年前より少し体格が良くなっただろうか。もはや彼の容姿に少年らしさを見出すことは出来そうもなかった。
「……しかし、別テーブルで席を予約しておくというのは不可解だな……。四人ならば一つのテーブルでも構わないだろうに」
「気にしないで。お父さんとお母さんがろくでもないことを共謀しているだけだから。それにしても遊星」
「ん?」
「あなた、変わったのか変わってないのか、いまひとつわからないわね」
 冗談めかしてエスコートしてくれている遊星にそう言うと、彼は至極真面目そうな顔になってそうだな、と呟く。
「龍亞も龍可も、ジャックもクロウも、そしてアキもこの六年世界に向かって進んできた。それに引き替え俺は居心地の良いこの街に引き籠ったままだ。俺一人、実は何も変わっていないのかもな」
「何一つだなんてことはないわ。お父さんから聞いたのだけど、遊星、あなた今は研究職に就いているんですってね」
「だがそれもあの頃の延長線上にあるものだからな……。ああ、そういえば住居は変わったな」
「あら、そうなの?」
「トップスの、かつて俺が生まれた家をゴドウィンが保管していたらしい。今はそこに住んでる」
 ポッポタイムにいても良かったんだが、あそこは一人だと広過ぎる、とやや淋しそうに遊星は言葉を締めた。



 正直に言うと、食事はあまり喉を通らなかった。
 とにかく遊星の一挙手一投足に至るまでが眩しくて、無性にどきどきしてしまって気が気でなかったのだ。
 ああわたし、やっぱりこの人が好きなんだわ、と再認識させられてわたしはじっと遊星を見る。心配していたほど遊星は変わっていないように思えた。けれどわたしはまだ一番大事なことを確認していない。それを確かめるまでは、変わっていないなどと結論づけるのは性急な気がする。
 けれど出来ればそれを訊ねることは避けたかった。どんな答えが返ってくるのかを考えるだけでぶるりと震えそうになる。
「そういえば、アキ。この後どこへ落ち着くつもりなんだ?」
「な、なに?」
「医師免許を持っているだけでは仕事にはならない。どこかに内定を取ったんだろう。それにあたって住む家も必要だろうし」
「あ、ああ、それならこの街の中央総合病院に採用してもらったわ。今度の四月から、そこに勤めさせてもらうことになっているの」
「じゃあ、実家に戻るんだな」
「ううん、いい機会だから自立しようと思っているのだけど……」
 彼らしくもない妙に詮索めいた質問に疑問を覚え、わたしは首をかしげた。
「どうしたの、そんなことを聞いて」
「いや。この前ふとアキの住所だとか番号だとかを聞いていなかったことを思い出して、少し後悔していてな……。放っておいても情報が入ってくるジャックやクロウはともかく、龍亞や龍可とアキはこちらからなんらかのアクションを起こさないと今何をしているかもわからない。ここ数年はあまり意識している暇が無かったんだが最近はそういう余裕も出てきたんだろう、少し、」
 彼らしくもない長い言葉をまくしたてる様子にわたしは若干気圧されて押し黙ってしまった。彼の言葉を遮ってはいけないような気がした。
「淋しくなったんだ」
「……遊星」
「いや、すまない。気分を害したのなら謝る」
「べ、別に、そんなことはないわ」
「そうか、なら良かった」
 その後はしばらく気まずい食事が続いた。遊星は無言で、わたしも無言のままぼそぼそとフォークを動かす。このレストランは昔も父に何度か連れて来てもらっていて、料理もとても美味しいものであったように記憶していたのだけれど今のわたしにとっては砂を噛んでいるのと大して違わなかった。

 料理も食べ終わり、あとはデザートのみとなった頃にようやく遊星が重たい口を開いた。
「アキ、この後、時間はあるか?」
「……ええ」
「なら、俺の家に来てくれないか。デュエルに付き合ってもらいたいんだ」
「い、いいけど」
 完全に予想外だった申し出にアキは驚いて一瞬目を丸くする。もう子供ではないし、一人暮らしをしている男性の家に上がり込む――そして恐らく、時間的に泊まり込むことになるだろう――という通常ならば非常識かつ危険極まりない行動も相手が遊星ならば両親に咎められることはないだろう。彼らは遊星のことをいたく気に入り、信頼している。
「先日デッキを手入れしていて、まともに使ってやってないことを思い出したんだ。とはいえ対戦相手なんてそうそういないしな」
「遊星なら、戦いたいって人は山ほどいるでしょう」
「残念ながら今の俺は職場でデュエルがしたいだなんて言い出せるほど楽な地位にはいないんだ……」
 心底残念そうに溜息を吐く姿は何だか子供っぽくて、かつて何度か見た姿に重なる。
 食事が終わるとそのまま遊星はわたしを伴って両親のテーブルへ移動し、わたしを借りたい、と率直にその旨を伝え許可を取りに行った。
 父は親ばかな笑顔で二つ返事で許可を出した。一抹の不安を覚えた。



◇◆◇◆◇



 遊星の自宅は小綺麗で、また全体に妙なほど生活臭と言うものが薄かった。彼の自室は飾りもなく殺風景で、けれどデスクの上にはやや乱雑に書類が積んであって、向かいの作業机の上にはいくつかの工具が何か機械と一緒に置いてある。作業中なのだろうか。
 試しに引き出しを開けてみるとぎっしりと工具が詰まっていて彼が使いやすいように整理されている。昔彼が使っていた赤いレンチボックスを大きな引き出しに拡大したみたいだった。
「随分大きなお家ね。ポッポタイムだと淋しいだなんて言ってたけれど、ここもそうなんじゃないの?」
「広さでいえば大して変わらないが、あそこには懐かしい過去の思い出が染み付いているからその分きついな。何よりあそこだと前には進めなそうだ」
「そう……」
「取り敢えず座ってくれ、アキ。紅茶を煎れよう」
 家を一回り案内した後にそう言って台所に消えて行った遊星を見送って、わたしはダイニングのテーブルに置かれたデッキを手に取る。デュエル前に相手のデッキを手に取るだなんて反則行為だと罵られてもしょうがないことだが、かつてチームを組んだ時にわたしたちはチームメイトのデッキを暗記しあっていた。遊星の口振りからするに彼のデッキ構成はその時から大して変わっていないだろうし、また同様にわたしのデッキもそう変わってもいない。条件はイーブンだ。
 彼がサテライト時代から愛用していたジャンクモンスターやスピードスペルを捲っていき、ある一枚で手を止める。スターダスト・ドラゴン。彼の魂の一枚。
 あの頃わたしたちの右腕にあった痣はすっかり消え失せていて、そういう意味ではもう結びつけるものはないのだけど、そのドラゴンは未だ忠実に彼に付き従っているようだった。レッドデーモンズ、ブラックフェザー、エンシェントフェアリー、ライフストリーム、そしてブラックローズ、それらがそうであるようにスターダストもまた持ち主の元を離れたがらないのだろう。
「お茶菓子は何がいい? とは言っても中元で貰ったクッキーとかしかないんだが……スターダストを見てるのか。なんだか懐かしいな」
「そうね、もうずっとこの子が空を飛ぶのを見ていないわ」
「アキがスターダストを手に取るのはWRGP予選以来だな。チームユニコーン相手にそれを召喚した時、観客も相手も相当驚かせたな」
 クッキーが盛られた皿をテーブルに置き、遊星はポットから紅茶をカップに注ぐ。こういう時ワインではなく紅茶をを勧めてくるあたりが彼らしいと思った。わたしが紅茶を好むのを知っていて、かつ、何か不祥事に至ることを懸念してアルコールの類を避けているのだ。
 手際のいい手付きに、なんでも器用にこなすのだなあと感心する。あの頃のわたしたち四人というのは、ある種龍亞と龍可の保護者めいたところがあって、度々遊星が父親だったらどんななのだろうと考えたことがあったのだけど、今の彼を見る限りかなり万能な父親になりそうだった。
「そういえば、デュエル、どこでやるの。ここだとドラゴン二体を出すには狭くないかしら」
「スターダストとブラックローズが出揃うのが前提なのか……。だがその心配は必要ない。最上階の庭を使えばいい」
「つ、使えばいいって簡単に言うけど最上階は別の人の家でしょう」
「龍亞と龍可の家だ。帰省時に使う為に管理しておいてほしいと頼まれていて、合鍵も貰っている」
「あ、そうなの」
 忙しいのに他人の家まで掃除している暇なんてあるのかしら、と若干疑問に思いつつ紅茶をすする。
 ただ、自宅の散らかってなさを鑑みるに誰も住んでいない、つまり埃以外に新しく汚れの出ない住まいをたまに掃除するぐらいなら可能なのかしら、と漠然と考えた。



「集いし願いが新たに輝く星となる。光さす道となれ! 飛翔せよ、スターダスト・ドラゴン!!」
 聞き慣れた言葉と共に、彼の代名詞に近いエースモンスターであるスターダストが雄叫びを上げて降臨する。その神々しさたるや、場合によっては君臨すると言った方が相応しいのではないかとかつて考えたことがあるぐらいだ。
 久しぶりにソリッドビジョンで見るスターダストドラゴンはやはり大きく、しかし威圧的というよりは抱擁的であった。持ち主そっくりだ。
 だけども見惚れている場合ではない。こちらも手を打たなければ、なす術なく負けてしまう。そんなことはプライドが許さない。
「ブラックローズドラゴン!」
 わたしのエースモンスターであるブラックローズが薔薇を散らし咆哮を上げる。二匹の竜が対峙する光景は幻想的だと言っても差し支えなかった。それもそうかもしれない。今はもう眠ってしまった赤き龍の意志を受けたこの竜たちは、FCの後は肩を並べたことはあれど向かい合ったことはないのだ。遊星はわたしとの手合わせのデュエルの中でスターダストを使うことはなかったし、わたしもブラックローズを出すことはなんとなく避けていた。
 万物を痛めつける黒薔薇の女王に全てを抱擁する聖域を抱く星屑の化身。ひょっとすると、深層意識下でその二匹が取っ組みあったFC決勝戦のことを思い出してしまいそうだったからかもしれない。
 けれど今はそんなことよりも、またこうして二匹が降り立っていることが無性に嬉しかった。この街に、遊星の元に帰ってきたのだってより強く実感できるように思えたから。
 デュエルはしばらく膠着状態のまま続き、最終的に遊星の勝利で幕を閉じた。
「スターダスト・ドラゴン、シューティング・ソニック!」
 星屑の息吹がこちら目掛けて飛んでくる。きらきらと光るその息吹に、きれいだと見惚れてしまったのは初めてではない。あの時、FC決勝戦の時も――同じことを考えた。
「……わたしの負け。完敗よ、 デュエルしてないだなんて言ってちっとも実力は落ちてないじゃないの」
「アキこそ。いつ負けるかとひやひやした」
「つまらない冗談ね」
 遊星の言をばっさりと切ってわたしは彼のそばに寄る。遊星はデュエルディスクを取り外すとテラスのテーブルに置いた。わたしもそれに倣う。
「やはり、迷いがある時はデュエルをするに限るな」
「迷い? 何を迷っていたの」
 ライトで照らされた遊星の顔は半分夜闇に陰っていつも以上に整った顔立ちに見えた。
「身辺のことだ。……そろそろ、身を固める時期かなと、思った」
「は?」
 その台詞の意味をはかりかねてわたしは間抜けな声を出した。身を固めるという言葉はどんな意味だっただろうか。確か、結婚するとか、そういう意味ではなかったか。
「それってどういう……」
「部下もいい加減所帯を持たないのかと喧しいんだ。そうすればもっと自分の体を大事にするだろうとかな……どんなに自分の体を酷使しようが徹夜しようが俺の勝手だと思うんだが、こればっかりはあちらの方が正論だ。だが、なんとも思っていない相手と家庭を持つわけにもいかないだろう」
「そりゃ、そうでしょうけど……ていうかあなた、まだ徹夜三昧の生活なんかしてるの」
「……アキもダメだと言うか?」
「当たり前でしょう。あなたに何かあったりしたらどれだけの人が心配すると思っているの」
「そうだな」
 テラスから見える夜空は濃いネイビーブルーで、雲がかった夜空独特の重たさがあまりなかった。今夜はよく晴れている。月と星がよく見えた。
 遊星がおもむろに顔をこちらへ近付けてきて、耳元で口を開く。
「なあ、アキ」
 不意に手を掴まれ、優しく握り止められた。逃げられない。元より、逃げることなんて頭の中にはなかったけれど。
 吐息が近い。
「もしよければ、俺があまり無茶をしすぎるようだったら止めてくれないか。俺の隣で、俺が守るべき人になってはくれないか」
 くらくらした頭の中で、ああ、今日の星空は、星屑みたいな天の川が見えるのだなとぼんやり考えた。



◇◆◇◆◇



 名前を呼ぶ声が聞こえて、それで目覚める。朝日が眩しい。声に誘われるままに眠たい眼をこすってダイニングへ向かった。
 ダイニングには既に朝食が出来上がっていて似合わないエプロンを付けた遊星が皿を持って行ったり来たりしていた。どうしたのそのエプロン、と訊ねると以前龍可がくれたんだ、と答えが返ってくる。デフォルメされたスターダストドラゴンのアップリケは龍可が作ったと聞けば確かに納得できる可愛らしさだった。
「遊星、あなた仕事は?」
「今日はオフだ。アキ、その目玉焼きはまだ黄身がゆるい。固いのが良ければ焼き直すから言ってくれ」
「いいわ。どっちでも構わないもの」
 昨晩さらっとプロポーズをした男とは思えないほどいつも通りな彼の様子に何故か愛おしい気持ちになる。それを言うならアキだって突然プロポーズされた女性としては不自然なほど落ち着いているのだが、そこまで思考を巡らせることはなかった。それにその理由ならわかりきっている。
 遊星にそう言われる前から、アキの答えは、決まり切っていたのだから。
「あのね、遊星」
「どうした?」
「昨日の、答えなのだけど――」
 一度そこで言葉を切り、少し俯く。答えが決まり切っているとはいえ、いざその台詞を言おうと思うとやはり気恥ずかしかった。
「アキ」
「わたし、あなたになら守られてあげてもいいわ」
 促すように名前を囁かれ、それを受けて多少はにかみながら上目がちにそう言う。
 それを聞いた遊星は少し驚いたような顔をして、それから優しく笑った。