脱ぎ捨てられた黒いシャツの下から現れたいやに白い裸体、その肌にまとわりついた妙に目立つ蒼碧色の毛。
 その体の持ち主の栗色の体毛とはまったく違う色彩のそれは、まるで存在を喧伝しながら柔肌に吸い付いているかのような錯覚を俺に覚えさせた。すべすべした肌色に、目に眩しい蒼という色彩。なんでもないはずなのだ、ただ彼の体に、彼の"親友"である少年の髪の毛が一本、くっついているだけ。
 けれどたったそれだけでしかないはずのその映像は酷く艶かしかったのだ。髪の毛に湿った吐息が封じ込められているかのようだった。脱衣場で二人の少年が並んで服を着ている、本当にただそれだけなのにくぐもって上気していた。
 It's so crazy――イカれている。
 何が? 勿論奴等の関係性と、そしてそれについて思考してしまう、俺の頭が、だ。



不道徳の話。



 遊城十代とヨハン・アンデルセン。デュエルアカデミアきってのデュエル馬鹿コンビ。
 留学生に与えられたブルー寮の部屋を半ば放置する形で十代の部屋に居座り(いつからだったか正確なことは覚えていないが、留学してきて三日経った頃にはもう居座っていたと思う)時間の許す限りに何度も何度もデュエルをしてはその内容について論議し合い、または購買から買ってきたパックをばりばり開封し合ってトレードし、とにかくデュエルに関することばかり飽きもせずに二人は繰り返していた。お陰様でレッド寮はいつもどこか騒々しい。
 二人がヨハン、十代、と互いの名前ばかりを連呼し出すのもこうなるともう時間の問題で、出会って数日足らずで二人は常に共に有るもの、揃っていない方が奇妙なぐらいの関係性に陥っていた。翔などはよく嘆いていたものだ。「アニキを呼びに行くと、必ず先にあのフリルが出てくるんす。まったくあいつ、アニキの何になったつもりなんだ!」
 その時は翔に落ち着けだとかその歪んだ思考をなんとかしろだとか言って笑い飛ばしたのだが、今となってはそんなものは笑い話でもなんでもない。翔の予感は、予想は事実であり現実だったのだ。まったくもってろくでもない。どうして、こんなことに。
 ただ一つ確かなのは、"それ"を知ってしまったことが俺――万丈目準にとって、不幸以外の何物でもないということだった。



◇◆◇◆◇



「んーっ、やば、無理、駄目タンマ……」
「もうダウンか? 十代。俺はまだ余裕なんだけど」
「うぅ、じゃあもいっかい」
 遊城十代という人間は純粋さが形をもって活動しているような存在だった。
 彼は穢れを知らない。真っ白で、硝子のように透き通っていてそして繊細で美しかった。彼はあらゆる大人の俗というものと無縁だった。信じられないことに、高校三年生にもなって自慰行為というものが何であるかさえ知らなかったのだ!(これは翔から聞いた。)
 彼は尊ばれるべき高潔なる無知だったのだ。まるで赤子のように綺麗な、それ故にどこか触れ難い存在だった。
 けれども奴はそんなことなどまるで意に介さなかった。奴は十代に比べたら相当垢まみれの手でずかずかと無遠慮に天使のような十代に歩み寄り、そして一切の躊躇というものをせずべたべたと触れ回っていた。俺は今でも、偶然見てしまった奴のその顔を覚えている。厭らしい顔だった。男の、本能を剥き出しにした、獣のようなけれど色香のある顔だった。
 そして遊城十代という天使は堕天した。
「んぅー……ぅ、」
 ヨハン・アンデルセンはあらゆる不道徳を十代に授けてしまったんじゃあないかというのが目下俺の予測だった。エデンの林檎だ。きっとヨハンは禁断の果実、堕落した知恵の実でであり怠惰な蛇なのだ。
 他人と素肌で触れ合うということから始まり、唇を近付けてキスをねだること、体を他者に預けてしまうということ、その結果誘発される肌の吸い付き合い、肢体の絡み合い、そして更にその先の不貞節。ヨハンに甘える十代は危機感というものを知らない飼い慣らされた仔猫のようだった。嗚呼、十代。お前はそんなんじゃあなかったのに。
 抱き抱えられて声を洩らす十代の姿は、元の高潔さがある分余計に淫靡だった。遠目に見るだけで、酷く背徳的だった。その時彼らは確かに飢えた獣だったのだ! 彼らは回りに気を配ることもなくただがっついて、ひたすらに求め合っていた。
「……好きだぜーヨハン、大好き」
「あぁもう、十代は本当素直で可愛いなぁ!」
 かくして、十代は汚された。
 俺は、吐き気を覚えた。
 ヨハンの行動、そして二人から目を離すことの出来なかった自分、その全てが許せなかった。



◇◆◇◆◇



 それでも尚、遊城十代という人間は純粋だった。
 天真爛漫な笑顔は変わらない。デュエル馬鹿なところも、魚介を好んで食べることも、精霊が見えることも。
 ……いつも傍らにヨハンがいることも。
「なぁ万丈目! 新しいカード、これなんだけどさ、どうだ?」
「コクーンパーティ? ああ、ネオスペーシアンのサポートカードか」
「そうそう。この前ヨハンとトレードしてさ……」
 ヨハン、ヨハン、よはん、十代は何かの病にかかってしまったかのようにその名前を呼んだ。何かにつけてひょんなところから、まるで無関係に見えた話題からでもその言葉は飛び出してきた。ヨハンが、ヨハンは、それでヨハンと。ああ、もう、まったく――

 うんざりする。

「ふん……相変わらずお気楽だな貴様は」
「はは。そう言う万丈目は随分と皺が寄ってんなー。もっと肩の力抜けよ、あんま気合い入れすぎてっと倒れちまうぞ」
 しかしだからといって俺が何かアクションを起こすのかと言えばそうではないのだ。あくまで俺は傍観者であり彼の堕落に違和感を覚えたところで何を提言することも許されない。十代はその不道徳性を、背徳性を知らないのだ。であるならば俺のこの焦燥感も何もかも理解されるはずがない。
 遊城十代が愛を囁かれようが、囁こうが、俺の干渉出来ることではないのだ。
(だけど)
 俺は直感的かつ漠然と思う。不謹慎な行いにはいつか反動が来るだろう。然るべき報いが、不道徳の感染源であるヨハン・アンデルセンとその汚染対象の遊城十代に降りかかるに違いない。その結果二人がどうなるかはわからないし、知ったことではない。全ての答えは覗き込むことの出来ない真っ暗闇の果てにのみ存在している。
「……あまり、ヨハンにのめり込むな。いずれは国へ帰る予定なんだ。入れ込みすぎると別れが辛くなる」
「心配性だなー万丈目は」
「ハハ、男の嫉妬は見苦しいぜ万丈目」
「あ、ヨハン! 今までどこにいたんだよー」
 いつの間にか現れてけらけらと笑う童顔男(そのくせ長身でなのに声が高い。どう考えても釣り合ってない)に俺はそっぽを向けて当てもなく歩き出した。笑い声が遠くなる。十代と、ヨハンの。ごく幸せそうな声が。



 異世界で二人が心の闇に呑まれたのはそれから一月後のことだった。