ートウォーム・メロノーム



「V」
「……W兄様」
「悪い、守ってやれなくて」
 Wの手のひらがVの頭を撫でた。無骨な手のひらが、ぎこちなく柔かな髪に触れる。Wの手のひらもまた傷付いていた。先の戦いでカイトの超銀河眼の光子竜にやられた時に付いた傷だった。
 W達がその異能をもって作成したフィールドで行われるデュエルはダメージが現実にフィードバックされる。二人の傷は勝てるはずだと踏んで仕掛けたデュエルによる敗北のしっぺ返しだ。ナンバーズを駆使してなお勝利出来なかった代償。
「お前に傷付けちまった」
「いいんです、こんなの。兄様に気遣って貰えるんならむしろもうけものですよ。……そうして兄様が頭を撫でてくださるの、久しぶりですね。くすぐったい。兄様の手、大きくてあったかくて、好きです」
「……」
「ずっと昔から」
 頭を撫でていた手のひらを取って、頬に寄せる。やはり温かい。「ファンサービス」という名の残虐なデュエル――彼という人間の抱えている恨みやつらみ、痛みを敵にぶつけることが半ば趣味みたいになってしまっているのだ――を行う時は冷血な人間のような彼だったがVに向ける手のひらはいつも人らしい温もりを持っていた。Vはその温度が好きだ。Wという人間の人肌の温もりは絶対にファンには向けられない。Vを含めたごく一部の人間にのみ与えられるものだった。
 その一面を独占しているのに近い気持ちになる。どうしようもなく愛おしかった。
「……兄様、僕、わからないんです。さっきのデュエル。カイトが急に何かの力に目覚めたのもそうですけど、九十九遊馬。彼のことはもっとわからない。どうして自分の身を張ってまでカイトを助けたんだろう。――どこからそんな気持ちが……出てくるんだろう?」
 Vには遊馬の取った行動が信じられなかったのだ。所詮九十九遊馬にとって天城カイトは赤の他人でしかない。カイトが弟のハルトのためにその身を張り、ハルトの安否をぶら下げられて激情するのは理解出来る。だが遊馬の行動は何一つ理解出来ないものだった。Vの理解の範疇を超えていた。
 Vにとっては家族というものが即ち世界だった。脳裏に蘇るものがある。暗くて重たい、嫌な記憶だ。WやX、Vにとっての家族達が共有している過去だった。三人を兄弟として強く繋ぎ留めている傷跡の形だった。
「僕には、出来ない。X兄様やW兄様、そしてトロン以外の人間のために体を張るなんて有り得ないし、頭がどうかしてるんじゃないかって思う。だってカイトはそれに素直に感謝する人間ですらない。……僕にはわからない」
「わかる必要なんかねぇよ。あんな甘ったれた戯れ言」
 引き寄せられていた手のひらを一度剥がしてから背中に回してやって軽くVの背中を擦ってやる。Vは安堵したように息を吐いて目を閉じた。過去の記憶を回想している時の、あまりよくない表情がだんだん和らいでくる。悪夢を見て飛び起きた子供があやされて落ち着きを取り戻していくのに似た感触だ。
 普段は背伸びして、XやWの言う「酷いこと」も従順に実行して気丈に振る舞うVだったが彼はまだ十五歳の子供だった。未発達の精神はやや脆い。九十九遊馬なんていうものに心を揺り動かされてしまう程拙い。
「ああいう恵まれたガキの戯れ言に一々耳を貸すな。俺達に他人に情けをかけてやるいわれなんぞない。やることをやるだけだ」
「兄様は、そういうところドライですよね。『人でなし』っていうものの見本例みたい。いつも思うことですけど、猫を被っていない時の『ファンサービス』は手荒すぎますよ。……兄様、本当は優しいのに。僕にはこんなに優しいのに」
「家族以外に気なんて回してられるかよ。それになあ、俺は手荒を承知でサービスしてやってんだ。やられた方が傷を負うこと込みで俺好みのサービスをしてる。……家族に、ましてや一人しかいない弟にサービスなんか出来るか。お前を傷ものにしてどうする」
 Wが照れ臭そうに頭を掻く。
「お前は、俺の弟だ。同じ苦しみを味わった。同じ痛みをわかちあった。Xの野郎が俺の兄貴であるように、お前は俺の弟なんだ。V」
「兄様」
「お前に兄と呼ばれるのは、嫌いじゃない」
 緩やかな心音がとくんとくんと重なる。二人分の命の音。優しい音だった。Vの音と同じように、Wの体の中では優しく柔らかい命の音が脈打っていた。
 だがそのことはVしか知らない。Xもトロンも、Wの心音は知らない。世界で唯一兄の穏やかな心臓の音を聞くことを、Vは許されている。兄の本質を覗き見ることを許されている。
 たまらなく嬉しい。
「……お前は、俺にとっての数少ないないがしろに出来ないものだ。俺はあのオマケのガキのように甘ったるい思想も余裕も持ってない。他人なんか知ったことかよ。だが家族は別だ。家族だけは別なんだ」
「……じゃあ兄様、X兄様が危ない時も勿論僕のように助けるのですね?」
 気分を良くしてVが問うと、Wの顔が僅かに引き攣った。WがXのことを多少やっかんでいて(いわゆる反抗というやつだ)、だがそれでも家族だと思っていることを知った上でくすくすと笑みながら「当然そうですよね?」と追いうちをかける。Wはやや顔を顰めて、目を閉じ仕方なしといったふうに「兄貴は家族だからな」と答えた。
「俺より大分えげつないあの兄貴が俺の力を求めることなんぞねぇと思うんだがな」
「どうかな。でも、それを聞いて安心しました。……ちょっと、物淋しいけど」
 拗ねるような声を出して甘える。Wの体に手を回すと彼は「子供だな」と呟いた。けれど顔は笑っている。あの残虐で狂気的な笑みではなく、Vだけに向けられる純粋な表情だ。
「俺の弟はお前一人っきりだよ」
 Wの声がVの耳に響く。心地良い文字の並び、音の流れ。Vは目を閉じてWに抱き付いた。兄の優しい鼓動も温もりも、今この瞬間は間違いなくVだけのものだった。