葬送の儀式 多分俺は、あなたの弟になりたかったのだとそう思う。 あなたが笑い掛ける兄弟に。あなたに愛される弟達に。幸福な家族に。あなたの家族への情が普通でない父を持ち母を早くになくした俺には酷くまぶしかった。師匠、と呼ぶかたわら、どこかで、あなたを師ではなく兄として求めていた。 クリストファー・アークライト。俺の師である人。父の友人であったバイロン氏の長男で、アストラル界とバリアン界の研究助手をしている。俺が物心ついていくらか経った頃に引き会わされ、俺が十二になった時に弟子にして欲しいと頼みこんだ。 彼はデュエリストとして非常に抜きん出た、卓抜した能力を持っていた。タクティクスは大人顔負けのものでそして優美だ。俺はまずはじめに彼に憧れを抱いた。それは、至極当たり前の流れだっただろう。クリストファーは天才だ。 「カイト。今の場合は、そのカードではなくこちらを使った方がスムーズに場を動かせたはずだ。こういう些細なプレイングミスも、後々の局面に響いてくる。……気を付けた方がいい」 「はい……。気を付けます、師匠」 師の言葉に素直に頷いてカードを手に取る。師匠には手の内を全て見透かされている、フォトンのデッキだ。だがその分俺も師のデッキの内容は余すことなく把握している。それなのに、まるでただの一度も彼に敵ったことがない。 彼は本当に強い。なのに、大会にはいつも出ようとしない。それ程の腕を持っているのに何故、と一度聞いたことがある。すると彼は決まってこう答えるのだ。 『弟達のために、研究を進めなければいけないから』 弟達のため。いつも、そう言った。 俺は彼の弟達の姿を知らない。真中の弟は人見知りで一番下は恥ずかしがり屋だから、以前にそう聞いた。写真でも見たことがない師匠――クリストファーの弟達。名前も知らない。アークライト、という共通したファミリーネームを持っているのだろうということ以外は推測も付かない。彼が愛する弟達。彼に愛される弟達。 何故だか妬ましいのだった。羨ましく思っていた。クリストファーに愛して貰える二人の少年、自身よりもいくらも幼い子供達が羨ましかった。クリストファーは俺の父とはまったく違うふうに家族のことを見ていた。弟が、と口にする時の彼の唇はいつも幽かに笑んでいて、そしてある時を境に哀愁を帯びるようになった。理由は知らない。バイロン氏がいなくなってしばらくした日からであったように思う。 俺は時折、聞き分けのない子供のように彼の白衣の裾を握って引き留めた。あの空間に、ハルトが眠ってしまった空間に、一人で戻るのが怖い。今の今までいたクリストファーがいなくなってしまうのが寂しい。どうしてハルトと俺と、そしてクリストファーで三人の家族ではなかったのかを考えたこともある。益体もない話だ。そんなことはわかりきっている。彼の家族は、兄弟は、俺じゃない。ハルトじゃない。俺の兄弟はハルトしかいない。ハルトだけ。同様に、彼の兄弟も名も知らない二人の少年しかいないのだ。 本当は俺はあの人を「師匠」ではなく、もっと別の名で呼びたかった。そう呼ぶことを許されたかった。永遠に許されることはないだろう、名前でだ。 ハルトが俺のことをそう呼ぶように。 ただ一言、――『にいさん』、と――。 ◇◆◇◆◇ ダイソン・スフィアが超銀河眼の光子龍の攻撃を受けて破壊され、爆散した。俺がずっと憧れていて、また乗り越えたいと願っていた師匠は無様にも床に倒れ、晴れやかな表情をしている。何か憑きものが落ちたかのようなそんな表情だった。穏やかな眼差しだった。それは復讐鬼の家族のXではなく、俺に教え諭してくれた優しいクリストファーの姿だった。 心のどこかでずっとこの人に勝ちたいと願っていた。この人を越えたいと祈っていた。兄と目し敬愛するクリストファー・アークライト、彼を越えて彼に認められたいと、そういうふうにだ。 俺の記憶の中のクリストファーは完璧な存在だった。だがパーフェクトであるということはその先の成長を望めなくなるということでもある。俺は不完全だ。だからいつかは彼を越えられると信じていた。その時が今訪れたのだろう。そういうふうに考えれば、納得がいく。 だが何か足りなかった。何が足りないのだろう。昔のように彼は巨大な壁として俺の前に立ち塞がっていたし、手を抜かれていたわけでもない。紛れもない師からもぎ取った初めての勝利。なのに何故こうも満たされないのだろう。 俺は何を、求めているのだろう。 「そうか……きみはそんなに強くなったのか」 いくばくかの遣り取りの後に彼はそう言って慈しむように俺を見た。兄弟の、ハルトのために戦うと言い切った俺に慈愛の眼差しを送った。懐かしい眼差しのようでもあり、そして初めて受ける眼差しのようでもあった。どうしてか、胸が苦しくなった。 「クリス」 名を呼ぶと彼は儚い笑みを見せる。先にクリストファー・アークライトと言った時に彼が「その名前で呼ばれるのは随分と久し振りだ」と答えたその光景が脳裏を過った。名前を捨て、俺の師で研究助手という立場も捨て。弟達と再会し、俺の父フェイカーへの復讐に身を費やして。雨の中追い掛けていった俺に振り返って睨み付けてきた時の酷い表情は今でも焼き付いている。 彼は父を愛し、家族を愛し、それらをばらばらに引き裂いた俺の父を憎んだ。その憎悪を隠そうともしない鬼のような表情。あれを向けられた時に俺は、所詮俺はフェイカーの息子で彼とは違うところに立っているのだと思い知らされた。 俺はあの人の情愛を得ることが出来ないのだとその時宣告された気分だった。 「……あんたの想いは俺が受け継ぐ。俺が代わりにトロンとけりを付ける」 「カイト……」 あの日私が君に手を差し伸べたのは……、そう小さく口ずさむように過去を懐かしんでクリストファー、俺の師匠は俺にだけ聞こえる小さな小さな声音で「ありがとう」と確かに俺に告げる。 その時、空虚さや満たされなさのもやもやとした正体が俺の中ではっきりと姿を表した。わかってしまえばそれは本当に簡単なことで、些細なことですらあるようだった。 「君達は……私の本当の弟だった」 粒子になってクリストファー、敬愛する師はどこかへ呑み込まれ消えていく。俺ははっとして、噛み締めるように「クリス」、彼の愛称を口籠もった。胸を突かれたような思いがした。表情はあまり変わらなかったが、心の中で燻っていた小さな俺自身が、泣きたそうな目で俺を見上げてきているようだった。 俺はあの人に愛されたかった。弟として認められたいとあの頃思っていた。決別の形を一度見た今でも、根底ではその思いは変わることはなかったのだ。変わりようがなかった。 本物の弟、彼の大事なもの、家族――として見て貰うことをずっとずっと夢にみていた。俺自身のかけがえのない存在であるハルトと共にあの優しい人に「今まで良くやったね」と頭を撫でて貰うこと、それから「ありがとう」や「あいしてる」、そういったものを受けることを望んでいたのだ。 地面に転がって残された「ナンバーズ9 天蓋星ダイソン・スフィア」、彼が操っていたエクシーズモンスターを拾い上げる。唇の中で、誰にも聞こえないように――いや、あの人だけには届くように、「にいさん」と彼を呼んだ。彼が自分とハルトを、本物の弟達の代替品としてではなく愛してくれていたのだということがどうしようもなく嬉しくて、目を瞑る。 (クリストファー……にいさん) 俺が倒し、どこかへ消えてしまった俺のたった一人の兄。 その人を想って遺品のナンバーズを握り締めた。鎮魂歌も手向ける花も何もないが、それこそが俺にとっての彼への儀式だった。 |