リンデンバウムの午後をふたりで




 煉瓦で舗装された道をてくてくと歩く。両手にごっそり買い込んだ日用品やら食料やら、こまごまとしたものが雑多に詰め込まれている袋をいくらかぶら下げている。「毎回、会計してから買い過ぎたかなって思うんだよなぁ」、と左隣を歩く男がぼやいた。
「袋三つ四つって、よく考えなくても普通に買い過ぎだよな……。何買ったんだっけ。食いもんと、洗剤と、あー歯ブラシも買ったな。それからなんだ。掃除用品幾つか補充しただろ、あとは……」
「今日は主に食糧だと思うけど。牛乳も卵もなくなる寸前で、ジュースも買ったじゃん。ガロンのやつ。ソーセージとハムもしこたま買った。燻製って長保ちしていいよなー」
「いやなんていうかもう冬籠もりする熊かって感じだなここまでくると……」
 困ったふうに溜め息を吐く。「幸せが逃げるぞ」と言ってやると「それは困る」と口を尖らせた。今日はいつもより素直だ。
 二人が歩いているのは大通りから少し奥に入った路地で、これもまたコンクリートではなく煉瓦造りの、趣を残した建物がきちきちと並びたって道を作っている。ごてごてしていない素朴な風合いが気に入っていて、だから好んでこの道を使うことが多かった。日本とは違うにおいがするのだ。
 リンデンバウムの木々が風に吹かれて葉を揺らめかしている。葉を色づかせている様を見ると、大分秋めいてきたなあということを実感した。これが全部落ちたら冬になるわけだ。冬支度のことを考えると少しワクワクする。
「茶色っぽい色の感じがさ、好きだなって思う。あったかい土の色だ」
「うん、俺も好きだな。十代の色だし。昔はちょっと地味でパンチ足りないかもって思うこともあったけど……」
「虹色はお前、好みとしては大分派手だよ……」
 苦笑いで答えてやると「そうかぁ?」なんて言って笑われた。こういう他愛ない遣り取りも、好きだなと思える。嫌いじゃない。ヨハンのからっとした笑い声には温もりがあった。すごく人間らしい温度だ。
「冬は、初めてだっけ」
 ふと、ヨハンが思い出したように人差し指を唇に当てて尋ねてくる。記憶を手繰ってから十代はそれに頷いた。異世界でなんやかんややっているうちに冬が過ぎてしまったから、ヨハンと過ごすのは確かに初めてだ。そういえば一年二年の頃は初夢デュエルとか、サイコ・ショッカー騒ぎとか、それなりに色々あったなということを思い出した。
「サイコ・ショッカーは正直びびったなぁ」
「サイコ・ショッカー? 城之内さんのカード?」
「いや、多分別口。昔冬休みにさ、アカデミア島でオカ研だったかが怪しい儀式をやってたらしくて、サイコ・ショッカーの精霊が実体化しかけたんだよ。生贄とか求められててすげー危なそうだったのにカードコスト感覚で頷いちゃったらしくて。最後の生贄をかけて俺がデュエル! したわけ」
「へえ、ってことは十代が勝って事なきを得たのか」
「そ。いやー、あん時神の宣告伏せてなかったらどうなってたことやら」
「うっわ神宣とかえげつねぇ……いや、分かり切ってたことだな。十代の戦術って結構平気でえげつないことやってくるし。味方の時はこれ以上ないってぐらい頼もしいんだけどさ……あー、そんな話してたらなんかデュエルしたくなってきた」
「おう、実は俺も」
「じゃ、帰ったらやるか、デュエル」
「当然!」
 当たり前に頷いて、右腕を突き出そうとして両腕が塞がっていることを思い出した。仕方なく持ち上げかけた腕を引き戻す。スーパーの袋がもたついて少し重かった。
「一個、持ってやろうか」
「お前ももう塞がってるだろ、両手。別に大丈夫だよ。それよりさっさと帰ろうぜ」
「なんだよ、照れてんのか?」
「違う」
「照れてる照れてる」
 憮然として、少し怒ったような顔をすると「かわいい」なんて臆面もなく言ってくる。「うるせー」とぶすくれて、ぷいと顔を背けてようやく「なあ怒るなって」、慌てた謝罪の言葉が返ってきた。おかしくなって堪え切れずぷっと噴き出す。すると今度はヨハンの方が妙な表情になって、それから、つられたように笑い出した。



◇◆◇◆◇



「シャイニング・フレア・ウィングマンの攻撃! 行くぜヨハン、ダイレクトアタックだ! 『シャイニング・フレア・シュート』!!」
「あーっお前よくも容赦なく……また負けた!」
『はん。情けなくみっともなく地に這いつくばってれば。君にはそれがお似合いだよ。ていうか十代に勝とうとかそもそもおこがましいし。たまに勝つのがむかつくし』
「お前本音それだろ……この十代馬鹿め……」
『君に言われたくないねぇ、ヨハン?』
「はいはい、勝負がつく度に勝敗関係なく喧嘩するのは止めろなー」
 プレイマットの上に広げたカードを回収してシャッフルし、とんとんと整えながら十代が横目にユベルとヨハンを見て呆れ声を出す。二人はその瞬間にぴたっと口を閉じて、それからややあって「……十代が嫌ならやめる」『君がそう言うのなら、まあ、仕方ない』渋々といったふうに了承の意を示した。なんだかんだでこの二人は息が合っていると十代は密かに思っているのだが、それを言うと喧嘩を再開させてしまうのでそっと胸の内に仕舞い込む。
 ヨハンとユベルは、割としょっちゅうこうやって十代を巡る論争を繰り広げていた。きっかけは様々で、大概、些細でどうでもいいことだ。朝どっちが十代に先に「おはよう」を言ったとか、ユベルは出来ないのに、ヨハンが手を握ったことをやっかんだり。でもたまにヨハンが体を貸してやっているので、やっぱりこの二人は本当は仲が良いのだと思う。実はお前ら、俺より仲が良いんだろ。何度かそう思ったのは事実だ。
 喧嘩する程仲が良いを体現したような二人だった。一緒に暮らすには悪くない、愉快な同居人達だ。
「あれ、もうデュエル終わりにするのか? 今日のところは一勝二敗ってとこか……通算対戦成績って今いくらだっけ?」
「三百八勝二分け二百八十七回で俺のリード」
「うわ、もうそんなに差が開いてんのか。明日は俺が三勝して泣き見せてやるから覚悟しろよ」
「おー。そいつは楽しみだな」
「あっお前、あんまり信じてないだろ!」
 このぉ、と憤慨したふうに人差し指を突き出してくる。るびるびー! とその加勢に入ったルビーと、それに対抗してくりくり! と羽をばさばさ動かして威嚇の体勢に入ったハネクリボーをまあまあといなして実体化させ、それぞれ主の肩に止まらせた。
「人に指を向けるなと、昔習わなかったか」
「いや、ついノリで」
「ったく……ほんと、ヨハンらしいぜ」
 まるで悪びれる素振りがない。良く言えば天然で、悪く言えば傲岸不遜だ。昔そう言ったら、「その言葉、そっくりそのまま返しても良いか?」と悪意のある笑顔で言われたのだったか。改めて言われてみるとちょっと否定し難いところがあるわけで、そうするとやっぱり、自分はヨハンに似ているのだろうと思う。似た者同士。
 少しだけ、同じ穴の貉という言葉を思い出した。昔影丸会長に吐き棄てるように言った言葉だ。「同じ穴の貉だから、俺に尻拭いをさせようってか?」――そう尋ねても影丸会長も、斎王も、何も答えてはくれなかった。
 十代と彼らとの共通点は「一度、世界を滅茶苦茶にしかけた」という罪上それ一点だった。影丸会長は自らを若返らせようとして三幻魔を求め、その過程でセブンスターズを操り何人かを犠牲にした。それだけに飽き足らず最終的には幻魔の顕現によってエナジーを吸い集め、一時世界規模で機能が麻痺しかかったのだ。
 斎王琢磨は偶然手に入れたカードに魅入られるようにしてやがて光の結社を組織し、「破滅の光」にその体を乗っ取られ世界中を光で白く染めてしまおうとした。そのどちらもを十代はヒーロー達と止めてきた。あの頃はまだ、ワクワクするデュエルをしてそれで全てがなんとかなると信じていたからだ。
 その十代自身が世界を破滅に陥れたのは、絶望の為だった。
 ヨハン・アンデルセンが失われたという焦燥はやがてヨハンが死んだという絶望に塗り変えられ、己の無力さを嘆き、弱さを呪った。臭いものに蓋をして、片端から壊してやろうと思った。隈なく焼き払えばヨハンは還ってくると取り憑かれたように根拠なく盲信した。それで多分遊城十代という人間は一度駄目になってしまったのだと思う。全部がそうでなくても、どこか汚れてしまったのだと思う。
 だけどヨハンは、ヨハンだけは、その十代を見てただの一度も「お前は変わったな」とは言わなかったのだ。
 それはヨハンが彼らとは違う意味で「同じ穴の貉」だったからなのだろうと、十代はそう考えている。
 自分の寂しさとか、弱さ、そういうものを上手く取り繕ってしまえる人種、という意味でだ。
「これから幾らかしたら、初雪だな。クリスマスに降ると始末は大変だけど綺麗だぜ。ぼちぼち、街中がクリスマス一色の装飾に染まる頃だ。広場にとびきり大きなツリーが出ると子供達がプレート書いてぶら下げに行ったりしてな。イルミネーションもあちこちで設置されて、夜はきらきらしてるんだ」
「へえ。プレートって、サンタクロースにお願いするプレゼントとかか」
「そんなとこ。プレゼントっていうよりは、お願いごとを書くんだな。日本の七夕に似てるかもしれない」
 ルビー・カーバンクルがヨハンの肩の上でこくこく頷いて同意している。撫でてやると猫みたいに目を細めて嬉しそうに鳴いた。お礼とばかりにぺろりと舌で舐められる。獣特有の高い体温。それがくすぐったくて笑うと、ハネクリボーが嫉妬がましくじと目で十代とルビーの間に割り込んできたのでハネクリボーも撫でてやった。すぐにご満悦の表情になってなんだか簡単だなあ相棒は、とこっそり思った。
「ヨハンは昔、何書いたんだ?」
「ん? 俺?」
「そう」
「……聞いてもつまんないぞ」
「いいから」
 渋るような素振りを見せる。こうなると余計に知りたくなってきて、いいから言え、と追い打ちをかけた。尚もヨハンは「えー……」と嫌そうに俯いている。これは恥ずかしがっている時のサインだ。仕方ないので十代は「もし言わなかったら、今週一切デュエル抜きな」と意地悪い声で耳打ちしてやる。
 それを聞くと、ヨハンはみるみるうちに顔色を変えて「……わかったよ!」と至極あっさり折れた。ちょろい。
「本当に、つまんないぞ」
「気にしない」
「しょうがないなあ……。いくつか、あるんだ。ジュニアスクールの頃は、ずっと『家族が欲しい』って、そう書いてた。宝玉獣達もまだいなかったからな。それで、その後は、『精霊と人間の架け橋になりたい』って。それは昔、十代にも言っただろ?」
『ああ、そしてそれを理由に君は自己犠牲行為に走ったね。この後先考えないメルヘン野郎』
「それは今は置いとけユベル。これからいいとこなんだ。――で、去年も実は書いた。卒業した十代がぶらぶらどっかに行ってしまって行方がわからなかった頃だ。そこで俺は、」
「うん」
「『十代と一緒にいたい』と、そう書いた」
 言い終わってかあっと顔を赤く染める。「ああ、もう、忘れろ!」と突然釈明まで始めて必死だ。その様を見ている十代も釣られて恥ずかしくなってしまって、赤くなった顔を俯かせた。ぽっぽと湯気が立つようだ。無性に熱い。
 二人して顔を真っ赤にして俯いているとまるで告白の後の気まずい空間のようだ。ヨハンの願い事の告白。趣は違えどやっていることはそういうふうに表すことが出来る。
 そこまで考えて十代は徐に口を開いた。まだ目尻に赤さを残したヨハンの目が、まっすぐに十代を見返してくる。
「……ヨハン、実はな、俺も昔」
「うん」
「七夕の短冊に、『クリスマスや誕生日を一緒に祝ってくれる家族が欲しい』って、書いたことがある」
「……うん?」
「今年は、俺の誕生日、ユベルと二人でちゃんと祝ってくれたよな。それ、すごく嬉しかったんだ。あのさ、そしたらさ、クリスマスもさ……」
 また一緒に、祝ってくれないか。ぼそぼそした声で上目遣いにそう請われる。くらっとくるようだった。卑怯だ、とヨハンは内心で舌打ちをして十代に手で触れる。
 皮膚と皮膚を触れ合わせているとどきどきした。心音と心音が重なって脈打つ。薄皮一枚隔てた先の体温、流れていく生命力。一番最初、アカデミアで出会ったばかりの頃よりも大人びて角張っている手のひらは、それでもあの時と変わらず血を通わせて生きている。たまらなくなって、左手の細い指に右手を合わせて自らの左手は十代の頬に添え、唇にキスをした。少し驚いて目を伏せるのがすごくかわいい。
 くぐもった声が小さく漏れる。この少し苦しそうで、切なげに鼻から抜けていく音が好きだ。心臓の音と同じぐらい素直で偽りがない。あの大人びてしまった十代が我慢出来ないというふうに喘ぐ姿は、彼をほんの少しだけ無知な子供に戻してしまっているようで、何かゾクゾクするものが背を駆け抜けた。
 ようやくのことで口を離すと、ただでさえ赤かった顔はすっかり上気して林檎みたいな色になってしまっていた。肩で息をして、酸素を貪るように吸って吐いてを繰り返す。呼吸は荒い。その様子にユベルがぷつんと切れてかんかんになる。
『お前ッ、よくも、よくもまた僕の十代に……ッ!』
「いつからお前のもんになったんだよ……」
『十代はッ、僕の王子は、生まれる前から僕が守るべき人なの! それをまたこんなフリルに……ああもう、これで一体何度目の失態だろう。悔しいよ。ねえ十代、君は一体こんな花畑野郎のどこが好きだって言うんだい? 僕にはもう全然さっぱり微塵も分かる気がしないよ。いいところと言ったら……無理。一つも思い浮かばない』
「甲斐性と顔かな!」
『どの口で言ってるわけ、それ。君程度の顔なんて掃いて棄てる程いるよ。それに君に甲斐性なんてものがあったら、十代は傷付かなくて済んだんだ』
「ああでも、俺、ヨハンの顔は結構好きだな。勿論それが全部ってわけじゃないけど」
『ちょっと、君までそんなこと言うの?! ……ていうか、さあ!』
 ユベルがわなわなと体を震わせる。逆立つ気配にルビーとハネクリボーがびくびく怯えて、主人の背中にさっと隠れた。今にも血涙を流さんという勢いだ。血涙のオーガばりだ。
『僕だって十代とキスしたいの! 十代のにぶちん! でもそこもスキ!』
「……じゃー、俺の体使うか」
『そしたら君は十代ともう一度キス出来て二度美味しいじゃないか。絶対、絶対に、それだけは嫌なんだよ!』
「お、おう」
 ユベルは頑として譲らない。ヨハンと十代は二人で困ったふうに顔を見合わせ、それから苦笑いをしてユベルに手を差し伸べた。それに気付くと、『……君の手は、別に要らないんだけど』とぶすくれつつもユベルは二人分の手を甘んじて受け入れる。ともかく今年のクリスマスは、寂しい思はしないですみそうだった。クリスマスまでも、その先も、ずっと。
 血が繋がっていなくたって、二人ともう一人は確かに家族だった。











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某様に捧げさせていただいたものでした。
「絵画に描いてみたくなるよはじゅ」ということで冬のヨーロッパの市街地をイメージして書いています。一年ぶりのりりかるほも、大変だけど楽しかったです。
以下に捧げさせていただいた時に作ったコピー本に使った表紙と裏表紙を

【表紙】


【裏表紙】