「あの、十代さん。さっきの……」 「ん? あー、フリーランスの殺し屋。変態だが腕は確かだ」 「へ、へんたい」 「トリガー引いてりゃ最高にハイになれるハッピー野郎さ。扱いも難しくないし、いい協力者だよ」 煎餅を豪快に噛み砕いて十代が言った。お茶を運んできた盆を持ったまま遊星はおろおろしている。さっきの会話内容にうろたえているのかもしれない。この若い部下は存外、純情な少年のような気質を備えている。 背格好は十代よりいくらも高いぐらいで頭も切れて敏腕な男だったが、そういう所に関して少し抜けているきらいがあるのがむしろ好ましい得な奴だった。 「あの、ふたりはどういう関係なんですか」 好奇心を抑え切れなかったのか、おずおずと尋ねてくる。十代は言葉に詰まって、煎餅を口から離した。「どういう関係」かと聞かれるとそれにぴったりした答えがあてはまらない。報酬に肉体関係を提示しているようなこのただれた付き合いははたして「ビジネス」の一言で括れるものなのだろうか。それがわからない。 (だけど別に、友達でも恋人でもない) 寝床を同じ場所に定めているだけの、それだけの関係。きっとそれ以上でもそれ以下でもないのだ。 「ビジネスライクな関係。便宜上同じ家で猛獣を飼ってるみたいな、そういう感じ」 「はあ……」 遊星がまだ不思議そうな顔で曖昧に頷いた。「けもの」、とたどたどしい口調で言葉を繰り返す。けもの。十代の知っている「けもの」は飢えて、トリガーハッピー野郎で、どこか電波で、そしてとどめに変態だ。 弾を五つ撃つともう駄目で、十発以上撃つとそっちの報酬を要求してくる。フルオートでぶっ放した後なんて酷いものだ。夜通し好き放題に持っていかれる。でもそれに見合うだけの成果は常に出している。 ギブアンドテイクだ。別に悪いことをしてるつもりもないし、嫌なわけでもない。等価交換だ。特別報酬を馬鹿高いマネーで要求してくる守銭奴よりも余程いい。 少し考える仕草をした後、煎餅を全て飲み込んでどっこら起き上がる。ぱんぱんと服の上の屑をはたくとコートを無雑作に引っかけて遊星に指でサインを送った。「がんばる」と言っていたからには、ヨハンは仕事の完遂にさして時間を要さないだろう。そろそろ拾いに出た方が無難だ。 「よーし遊星、車出せ。どうせあいつ、仕事のあと下半身がお元気になりすぎて立ち上がれなくなってるから。……ほら、行くぞ」 「……はい。わかりました。ですが十代さん、その前に俺から一つ」 「ん? 珍しいな遊星」 なんだよ、言ってみろ。鷹揚にそう促すと遊星はではお言葉に甘えてと端正な顔を僅かに歪めて、十代の頬に指を寄せ食べかすを拭う。 「あなたはもう少し自分を大切にするべきだ。それから、煎餅のかすを付けたまま外に出ないでください。子供じゃないんだから」 ◇◆◇◆◇ 「なあ十代、俺達、どういう関係なんだろ」 「はあ? 何言ってるんだ、お前」 「ん……なんとなく、さ」 「なんとなくねえ。元気だなお前……」 寝台からゆっくりと上半身を起こして十代はわしわしと髪の毛を掻きむしり、気怠い視線を向ける。「報酬」の支払いの後で十代は既にぐちゃぐちゃで、今眠りに就いたら恐らく泥みたいにこんこんと寝入るだろうと思われた。 「関係なんて、そんなの。何とでも言えるだろ」 「例えばなんて」 「セフレ」 「……それは、俺は、やだな」 ヨハンが非難がましい目で咎めるように見る。十代は首を振った。だけどそれ以上に「らしい」言葉は、十代には見付けられない。 ヨハンと同棲を始めたのは今から一年ぐらい前のことで、その頃からやっぱりこいつは変態だった。三度の飯より連射が好き。鉛弾を撃って撃って撃って撃ちまくっている時にこそ生を実感するのだとは当時のヨハンの言で、それを聞いた時十代は「あー、こいつ、変人だな」と確信をした。そしてそれが何も間違っていなかったということも割とすぐにわかった。 依頼した仕事を文句の付け所がないぐらいに完璧にこなしたヨハンに何が見返りとして欲しいか、と聞いたのは定められたマニュアル通りのやりとりでしかなかったのだ。お抱えの仕事屋はヨハン以外にも当然いて、そいつらは皆一様に規格外の現金を要求してきた。だから十代は、こいつも多分そうなんだろうなと踏んで投げやりにそう尋ねた。 しかし返ってきた答えは十代の想像を遥かに超えたものだった。 『あー、ごめん、俺今ちょっと下半身? が野暮用でさ……それで報酬って奴は手配出来るもんならなんでもいいんだろ? ちょっと俺とベッドインしない?』 正直殴ろうかと思った。 でも契約は契約だ。「お金より俺の熱鎮めてくれよ」と笑顔で迫られてはどうしようもない。ヨハンをその案件に関して雇ったのは十代の上司であったが故に窓口役の十代に拒否権などあるはずもなかった。 「だってそうだろ。俺達友達でもねえし、だったらビジネスフレンドだろ。じゃあ逆に聞くけど、お前は何を求めてるわけ。そもそも俺の体欲しがってるのだって一番カドが立たなくて馴れてるからだろうし」 「馴れてるってどういうことだよ」 「俺ヨハンとしか性交渉持たねえもん。なんつーかさ、だって面倒だろ? 女だとリスクあるし男も男で手慣れてる奴ほど厄介そうだし……かといってゼロからはな。だから俺は手頃な熱冷ましってとこか。なるほど、銃にはクーリング・オフが必要だからなぁ」 「……そういうふうに思ってんのかよ」 ヨハンががっかりしたような、何か大切なものを貶められて今にもさめざめと泣き出してしまいそうな子供のような瞳で十代を見返してきている。先程までの浮かされたような熱は微塵もそこには存在しなくて、ヨハンの目はただせつせつと冷えきっていた。醒めたエメラルド。糾弾されているようなそんな気分になって、十代はまなじりを下げる。 下半身は相変わらず怠いままで、畳みかけるように気分も急降下していく。何も間違ったことは言っていないはずなのに。どうしてこいつはあんな顔をしているのだろう。 わからない。トリガーハッピーの頭の中なんて弾丸と硝煙とそういったエトセトラで出来てると思っているのに。 「わかった。しばらくは我慢する。自分で処理すりゃいいんだろ、……ばかやろ」 絞り出すような声だった。ヨハンは、報われない昼ドラのあて馬みたいな表情でそんなことを言う。最後にくっついてきた掠れた「ばかやろう」が妙に重たく耳に響いて残る。 「……は? 意味わかんね……」 「仕事はちゃんとやる。報酬は、口座に規定額でいい。お前がそうとしか思ってないのなら俺は……」 「いや、みなまでは言わない」とそこで口を噤んでヨハンは胸元で十字を切って見せた。神に祈ったことなんかないくせに、あったとしても今の暮らしで神の加護なんて意味を持たないってわかっているはずなのに、彼がどういう意図を込めてそんなことをしたのか、それを十代ははかりかねている。 元々ヨハンは、変態だがルールは守るやつだった。 仕事の後の報酬以外で十代を要求してくることはないし、同棲していると言っても彼にとってのねぐらを提供してやっているに過ぎない感じで、だからこそ十代は遊星に「猛獣」と説明をしたのだ。よく躾けられたサーカスの猛獣。時折こちらにぱっくりと開いた口と犬歯を向けてくることもあるが(例えばそれは、この前の仕事の時に情報を流出させて半分こちらを売ったりだとかそういうことだ)、概ね十代に従順で言い付けをよく守った。 彼は仕事の後ばかりは「けだもの」になるが、あとは夕飯を作って十代を待っていたりぶらぶら散歩に出てコンビニでしこたま嗜好品を買い込んできたりと、その性癖のわりにはびっくりするぐらいに、普通のやつだったのだ。 (……の、はずなんだが) 納豆を掻き回しながら十代はこてんと首を傾げる。出勤前の朝食をとる十代の前には彼の姿がない。ちなみに部屋にもいなかった。朝早くからどこへ行ったのか、それを問い正すつもりはなかったが妙な気分になったのも確かで、雑念を追い払うようにかき込む。 (……さっぱり、わからん) こうして改めて考えてみると、「ヨハン・アンデルセン」について知っていることはそう多くないように思われてくる。トリガーを引くと興奮し過ぎてうっかり発情する、「トリガーが性感帯」の変人で性別は男。仕事用の口座番号はいくついくつで、一応住み処はこの家。仕事以外で家をあけることが殆どないから多分金の使い所は衣食と銃器だけだ。 国籍も知らなければ年齢もわからない。どうして十代を選び続けているのかもわからない。安定した仕事の供給先として気に入られたものだとばかり思っていたけれど、もしかしたらそうじゃないのだろうか。 でもそれを問おうにも近頃はどうもわざと生活サイクルをずらしてきているようでまともな会話が持てていない。思わず息を吐いた。なんだってそれでこちらがこんなに気を揉まされなきゃならないのだ。 (つーか、仕事がない日は俺と顔も声を合わせたくないって感じなのかこれ) また溜め息を吐く。胸が僅かに締め付けられているような気分で、あまり優れない。 「――という経緯なんだよ」 「俺に聞かせてどうするんですか、それを」 遊星が困った顔をしてやれやれと瞼を伏せた。どうするって、と尋ねると「知りません、俺は」とそっけない返事を寄越す。 「んー。最近ずっと仕事が終わると寝ちゃうしあいつ……なんか虚抜感? 物足りなさ? がある感じでさあ」 「そんな倦怠期の夫婦だかカップルだかみたいなこと言われたって。俺にはどうしようもない。第一あの人仕事は請けてこなしてるじゃないですか。あなたがこの前言った『ビジネスライク』の関係ならそれで問題ないはずですよ?」 「一応身元引受人だし。そういうのは気にするべきかなと……」 「第一へまをやらかすタイプじゃありませんよ、あの手の手練は。自己防衛手段には当たり前に長けているでしょう。俺から言わせて貰えばあなたの方がよっぽど無防備です」 あなたが心配する必要なんかないのに、と拗ねたような声音で言われる。冷たいぜ、と詰ると首を振って、 「お茶は熱いですよ。とても」 とりつく島もない感じに返された。前々から彼はヨハンの報酬のことを快く思っていない節があったから多分内心ではいい傾向だとかなんとか思っているに違いない。 「それとも、無頓着、と言い換えた方がいいですか?」 「無頓着」 「上司の首筋にキスマークが付いてるのを見付ける俺の気持ちにあなたも一度なってみるといい。俺はあなたのことは尊敬していますけれど、だからこそ、そういうのあんまり気持ちの良いものじゃないです」 「そういや遊星って恋人いないの?」 「ほっといてください!」 唐突に聞くと必死な声が返ってきた。この男はどこまでいっても純情少年であるらしい。多分未経験なんだろう、色々と。 「……とにかく。俺個人としてはそういう、体で支払うようなやり方は不潔だと、思います。ふけつです。そこに感情が通らないのは良くないと思う」 だからこそ遊星には十代のそこが許せないのだろう。好きでもないおとこに抱かれて、あなたは、という言葉が彼の自制と理性によって省略されているのは明らかだった。気持ちはわからないでもない。 もし十代が遊星の立場だったらきっと同じことを言ったはずだ。変な気持ちだった。だけど避けられている以上情のやり取りが二人の間に成立しているのかどうか、それを確かめる術はない。 ◇◆◇◆◇ げほ、ごほ、がは、とトイレに向かって噎せ込んでいる。続けざまにおえぇ、と汚い声が響いてぼとぼとと水面に何かが沈没していく音が聞こえた。玄関を開けた途端に耳に入ってきたものに十代はたじろぐ。なんだ。なんだ――これは。 「……ヨハン?」 慌ててトイレに駆け込むと予想通り、ヨハンがハリネズミみたいに体を丸めてまだ咳込んでいる。背中をさすってやると少し息が楽そうになってきて、しばらくすると発作的な嘔吐におさまりが見えた。 「おい、大丈夫か」 「……っ、はあ、あ、う……ん、たぶ、ん」 「……何が大丈夫なもんか。全然駄目じゃんか、お前これでよく一昨日の仕事に支障をきたさなかったな。ここ二、三日のことじゃないんだろこれ」 「ん……」 ヨハンの顔色は傍目にも悪くて、夜行性の吸血鬼とかゾンビみたいに青白かった。トイレの中に戻されているものには血が混じってまだらな赤が浮かび上がっている。胃の中で分解されて逆流してきたと思われるようなものでなく、殆ど透明無色の液と申し訳程度の塊がぷかぷか水面を汚しているところを見るに食事もろくに摂っていないのだろう。もしかしたら摂れないのかもしれない。 生活サイクルが逆転してからかれこれ一ヶ月程、私生活で顔を合わせていなかったことを思う。偏食もなく割合健康優良児だったのに一体何がどうしてこうなってしまったのだ。 「最近何食ってた」 「……栄養ゼリー……」 「通りで透明なわけだよ。はあ、まったく……何のために場所を貸してやってると思ってるんだ。仕事がない日は食って寝て運動しろ。今まで上手くやってきたじゃないか」 半ば糾弾するように言ってやるとヨハンは涙まじりの目でうらめしげな視線を向けてくる。それからもう一回咳込んで俯き、十代の裾を握り掴んだ。 突然のことによろめき、蹲っていたヨハンと同じ視線の高さまで引きずり降ろされる。「おい、ヨハン」、と名前を呼んでもヨハンはそれには応えない。 「……十代が」 「……え?」 「十代がセフレとか言うのが悪い」 そしてまた黙り込む。無理矢理顔面を起こしてこちらに顔を向けさせると、肌の色そのものは相変わらず病人じみて青白かったが、こけた頬は僅かに上気している。羞恥の色だ。恥じるということをあまり知らないこの男には珍しいものだった。 「そりゃ俺は、ガンガン撃ちまくってる時がすごく楽しいけど。最高に楽しいけど。興奮し過ぎて面倒なことにもなるけど。だからってあれは、ひどい」 「まさかお前傷付いたとか言うんじゃないだろうな」 「そのまさかさ。それで十代断ちしたらこうなった」 「馬鹿なんじゃないのか?」 「うるさい」 ぷいと顔を背ける。唖然として何も言えずにいるとヨハンは十代に向き直り、まだ不機嫌そうな目をして十代の体に手を掛けた。指もまたやつれて、張りが足りていない。養分が不足してひなびた青野菜に似ている。 あんな食生活でしかも頻繁に戻しているのだとしたら当然だろう。むしろ普通に仕事が出来ていることの方が異常だった。トリガーハッピーの性質が銃を握っている間だけ彼に活力を与えているのかもしれないが、それはそれでなかなかにクレイジーなことだ。 「なあ、十代。十代はなんで俺に抱かれてたの?」 「だって、仕事だろ。最初は上司経由だから断れなかったし」 「二回目以降は。あれは結構痛いし、場合によっちゃ屈辱行為だよ。それを別に嫌そうにもしないで受けてるってのがさ……俺はもしかしたらってちょっとだけ、期待したんだ」 「いや、まあ、慣れれば悪いもんでもないし」 「……十代はもうちょっと自分の心配をした方がいい」 「それ、遊星にも言われた」 でも今はお前の心配が先だと思う。そう呟くとようやくヨハンの表情が少し柔らかくなってくる。「心配してくれるのか?」と問われたから頷くと羞恥とか失望とかそういうものとは別の色で彼の頬が染まった。 「心配もするさ。大事な協力者だし。それに同居人だ」 「うん。それで十代、結局俺と寝るの、どう思ってるんだ。無感情か、好きなのか、どっちか」 「嫌々やってるって可能性は考えないのか」 「さっき悪いもんでもないって言ったじゃないか」 「それもそうだ。病人に一本取られた」 なあ、どうなんだ。いつになく強い意思を持ってヨハンの目が十代に訴え掛けてくる。このエメラルド色の目が、十代は時々苦手ででも惹き付けられてやまないのだと遅ればせに自覚する。イカれ野郎に似合わないとても綺麗な色だ。それがこうやってけものの眼光を宿している。敵わない。 唇を耳に寄せて、ごく小さな声で「結構、すきかも」と囁いてやった。満足そうな息が漏れて十代の横顔を掠めていく。湿っぽい吐息はしばらく御無沙汰している情事の瞬間を思わせて、ちょっとばかり動揺する。 「たぶん、一目惚れだったんだ」 不意に、ヨハンがぽつりと言った。 「俺って案外純粋なのかも。嫌われるのが怖くて、契約外でそういうことしたいとか絶対言い出せなくってさ。なあなあの関係でもいいかなって……でも、この関係にそういう名前を付けられるのは嫌でむきになって反抗して……」 「ああ……」 「このザマ。幸運の青い鳥はリボルバーの中には住んでなかったらしい」 肩を竦めてひらひらと手を振る。妙にさまになっている仕草をするヨハンの表情は笑顔だった。なんだか随分とこいつのこんな顔は見ていなかったような気がする。 それから初めて、ベッドの上以外でのキスを交わす。くらくらした。それはまるで、ヨハンの手が見えないトリガーを引いてあたかも十代の心臓が射抜かれてしまったかのようなそんな感覚だ。 キスは胃液の混じったすっぱい変な味がした。げろくさいトリガーだなあ、とおぼろげに思考する。 脳味噌は既にふわふわと浮ついていて、血液の代わりに熱を垂れ流しているようだった。 |