鳥籠の鳥とその末路について



 九十九遊馬は飼育されている。
 やわらかで美しかった少年の皮膚には無数の傷跡がはしり(言うまでもないが、ベクターの仕業だ)、奴隷のような首輪と両腕の枷で惨めに支配され(当然、これもベクターの手による)、ベクターのローブにもぞもぞとくるまって身を屈めている。
 首輪と枷から伸びる重たい鎖は特に彼を部屋に縛り付けているわけでもなく、ベクターの悪趣味極まりない嗜虐嗜好を満たす為だけに彼に括り付けられている装飾品だった。彼が体を動かすと、かしゃり、じゃらり、とそれが鳴る。ベクターの支配欲の体現。それにもう異を唱えないのは、九十九遊馬の敗北の表れに思えた。
 外界との接触も極力断たれている。世話はベクターが全てやり、他の七皇を近付けるのを厭うた。特にアリトは嫌がった。アリトは遊馬に友愛を覚えていたし、間違いなく我々七皇の中で一番のお人好しで、信念を持ち、まともな思考の持ち主だったからだ。
 ギラグも嫌がられていたが、あれは単にベクターがギラグと距離を起きたがっているからかもしれない。ギラグは九十九遊馬に同情こそ見せたがそれ以上は言及しなかった。犠牲を割り切れる男だ。情に厚いが、一定のラインを理解していた。
 ミザエルは諦観の姿勢を取っていた。自分がどうこう言ったところで結果は変わらないということを早々に悟ったらしく、元通りに銀河眼への興味を追求するポーズを取っている。だが、あからさまにベクターを軽蔑した。非道かつ陰惨な手口を用いたベクターを当たり前に嫌悪して、わざとそれを表面に出していた。
 そして、私は。
「遊馬」
「…………。……ドルベ? 真月は……?」
 半ば、ベクターに加担する形になって時折彼を訪れた。それが彼の姿を見ていられなかったという独善じみた理由によるものなのか、それとももっと別の、馬鹿げた理屈によるものなのか。それが未だにわからないからなのか。ともかく、私は今七皇の中で唯一ベクターの他に積極的に彼への接触をはかる立ち位置にある。
「ベクターはしばらく来ない。用があると聞いた」
「そっか。じゃあ、もうちょっと待ってようかな」
「そうだな。直に来るだろう。奴は君に執着している」
「ふーん。おれそういうの、よくわかんないよ」
 へらへらと彼が笑う。ともすると軽薄にも映りかねないその笑みはしかしもっと重大な事実をそこに示している。――彼にはもうまともな判断力が残されていないのだ。
 それがベクターに飼い殺しにされた九十九遊馬の今の真実。
 私は踵を返すと立ち止まり、そこで振り返って彼にいつもの質問をぶつける。答えは変わらないと知っているが、それでも尚問う。
「遊馬。君はベクターが、憎くないのか?」
「なんで? 真月はおれのともだちだもん」
 鳥籠の鳥は、飛び立つ羽根をもがれ歌うための声帯を枷で雁字搦めに縛られた哀れな小鳥は決まりきった言葉を私にもたらす。
 アリトがこの有り様を見たら激昂では収まらないのだろうなと思う。そうしてそれを知りながらこんなふうに彼を放置する私を責めるのだろうか。この光景に心を痛め骨を折らない私を、ベクターと同じように。
「ドルベ? 変なの。なんで、泣いてるんだよ、おまえ」
 ベクター。何故お前は、彼を鳥籠に閉じ込めてしまったのだ。



◇◆◇◆◇



「憎たらしいのさ。反吐が出て、そのままそいつをぶっかけてやりたい程に憎たらしい。こいつの謳う理想も愛も何もかも憎たらしい。だから壊す。完膚なきまでに破壊する。それをこいつのお仲間達が見たら、どうだ――? 俺がだぁい好きな絶望をみっともなく晒してくれるんじゃないか?」
 遊馬に浅ましい行為を強いながらベクターが言った。「別にこいつはもう、どうとも思っちゃいねえよ」と更に言い放ちベクターは鼻で息を吐く。他人を小馬鹿にした顔つきだ。慣れているから特にどうということもない。
 猫がミルクを啜るような音。真月零の姿を取っているベクターが頭を撫でるとこれまた猫のようにくすぐったそうに鼻を鳴らす。愛玩動物にそうしてやるようにベクターは九十九遊馬を愛でていた。犬や猫にそうするように、インコやオウムにそうするように、ハムスターや兎にそうするように。
「見たかったか? 遊馬が哀願するさまは、それはそれは惨めだったよ。頼むからアストラルには! 俺の友達には! あれは随分傑作だったな。約束なんか守る相手じゃないと知ってるだろうに必死になっちゃってよぉ……」
「……そういう少年なんだろう、彼は。誰かを信じることが出来る子供だった」
「まァ昔の話だがな。ペットはペットらしく飼い主に尻尾振ってりゃいいのさ」
 人間に擬態した肌色の少年の皮膚で彼のうなじから鎖骨に掛けてをくすぐる。遊馬、いい子だ。彼が真月零を演じる時の猫なで声に瞬時に切り替わってそんなことを耳元で囁く。まやかしに掛け、幻想を与える。
 やらせていることが人道的に許されることであるかどうかはともかくとして、こういう優しい声や仕草をベクターが遊馬に与えることも私にとっての疑問の一つだった。ベクターは人を馬鹿にすること、欺くこと、そういったことがとかく好きな卑屈な男だ。鳥を飼えばしめてしまうし、犬を飼えば焼いてしまうそういう手合いだ。
 後々の楽しみのためなら確かに彼は手間を惜しまなかったが(だから彼は鳥や犬をさばくにあたってその前に甲斐甲斐しく世話をやいて懐かせるだろう)、廃人状態に落とし込んだ遊馬をこれから殺すようには思えない。そうしたいのなら遊馬の判断力を奪わないだろうしそもそもその目的は既にサルガッソで果たされていただろう。
 どこか趣旨がずれているように見受けられた。目的もなく飼い殺している。
「何故、彼を『飼う』? その人間性を奪って、しかし道具にするでもなく……アストラルへの見せしめにするにも不都合だろう。私は、彼らを怒りによって逆に強くさせるだけのような気がしている」
「道具だよ。尊厳も何もない。単なるなぐさみもの……愛玩動物でしかない。揺さぶる道具としても十分機能する。まあ、後は」
「インプリンティングされた愛をさえずる姿が、滑稽だとでも」
「刷り込み? おかしなことを言うな。こいつは自分の意志で俺に服従することを選んだんだ」
 厭らしい笑い声で私を煽り立てる。相手にする気力もなく流すことに決めたが、やはりまだ引っ掛かっていた。
 我々の人間態は望んで形成されるものではない。アリトは理想よりもひょろひょろした細身の少年の姿になったことを嘆いていたし、衣服はどうにか出来ても容姿ばかりは致し方ないのだ。
 それはドクター・フェイカーの件で失敗した後すぐに行方をくらませたベクターとて変わらないはず。偶然にも手に入れた姿は遊馬が好みそうな少年のものだった。そこまではいい。
 その後ベクターがあそこまでぴたりと遊馬の嗜好をなぞり彼をコントロール出来たのは何故なのだろう。対象の研究はしただろう。白々しく嘘を吐くのも得意だろう。そう考えてもしこりは消えてなくならない。
 遊馬が息を吸い込む音が聞こえる。唇を濡らし、高揚した頬で荒く吐息を漏らしている。潤んだ瞳に宿る恍惚は紛れもない屈従と隷属の象徴。ベクターのお下がりの腰布が剥ぎ取られる。露わになる少年の肢体は、しかしとても健康的だとは形容出来ない。
 施された陰惨な仕打ちを想起させる細い足は肉付きが悪く、自らの意志で飛び立てなくなったことを雄弁に物語っている。
「かわいいよ」
 苦痛と色に染まるその顔が。純潔を踏みにじったその唇で嘯くベクターの声はやはり優しい。ベクター。本当に彼に情を移しはしなかったのか。間抜けな少年のあどけない声音を使う時、もう一つの偽りである大人びたふうな声音を使う時。お前は彼を愛おしんでいたのではないのか。
 分け隔てなく当たり前に愛情を与えてくれる少年に、お前は何も思わなかったのか。そうではないだろう。
 だから、執着しているのではないのか。
 神代凌牙とのデュエルで彼にあの男の話を聞かせたことを思い出した。私も無意識に二人を重ねて見ていたが、もしかしたら、或いはベクターもそうなのかもしれない。
「ああ」
 ベクターが遊馬を愛撫している。私は立ち尽くし、漠然とそれを眺めている。
「鳥籠の鳥は、二羽なのか」
 金色の精緻な籠の中で二羽の鳥が傷を舐め合っているのだ。ベクターは足りないものを奪い尽くさんとし、遊馬はその性質上与えようとする。しかし相互に完全に満たされることはない。堂々巡りの報われない遣り取り。
 九十九遊馬は真月零を友人としてこの上なく好ましく思う形でその男に執着した。ベクターは九十九遊馬に愛憎を入り混じらせ、執着する。巡り巡るウロボロス。どんなに体を近付けても九十九遊馬を短絡に壊してしまった以上ベクターが本当に欲しかったものはもう二度と手に入らないのだ。
 私の目に今映っている「ペット」もその「飼い主」も、なまなましい動物に他ならなかった。二人は対等に同類で、まるで報われない恋をする物語の少年少女のようで。

 少年の姿をした二匹のいきものは、どうしようもなく倒錯して、救いようがないくらいに、悲喜劇めいていた。 




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