*巫女遊馬くん(男)とベクター王子のバリアン前世捏造 *二人はいかがわしい関係 *鬱 アストライアの果実 神憑きの少年と虐殺の王 多分最悪の出会いだった。 それは王がまだ父親殺しによる戴冠を行う前の王子だった頃に侵略・制圧を行ったちっぽけな国での出来事で、そして忘れ得ぬ出来事だ。王子が使役する人ならざる魔物たちの力で国土の隅々までを蹂躙し、金目のものをあらかた奪ってこの土地も用なしかと思われた頃にその報せは届いた。 「何? 殺そうとしても死なない子供?」 玉座にふんぞり返っていた王子が不機嫌そうに眉をひそめる。ヒッ、と縮みあがる伝令係を一瞥して王子は思考した。 王子が使った力は人間が抵抗出来るようなやわなものではなく、敵意を持って遭遇すれば例外なく死に至る程度の殺傷力を備えている。それに対抗して身を守るにはそちらにも人ならざる能力が必要だ。ゆえにその子供は人間ではないか、何か特殊な能力か魔物を飼い慣らしていることになる。 そのような人間は滅多に存在しない。手に入れられるのならば欲しい。王子は貪欲な性質をしていた。従って躊躇いもない。 「俺自ら出向く。俺が指示するまで生け捕りにしておけ、いいな」 「はっ」 「しくじれば打ち首だ」 無慈悲に言い添えるのも忘れない。玉座から立ち上がり天蓋の外に繋いである馬に跨がると、事の真相を確かめるべく一目散に走り出した。 「この者です……ただうずくまっているだけなのに、あらゆる攻撃を無効化して、当たる前に溶け消えてしまって……」 案内された場所にいたのは本当に小さな子供で、また敵意もその中には見受けられなかった。ただ震えて縮こまり、すっかり怯えきっている。 身なりは小汚く、あまり裕福な出自ではなさそうだ。だが容姿は愛らしい。 試しに近付いて手を伸ばしてみる。直後、白と黄を基調にしたデザインの巨躯の騎士のようなものが展開した盾に勢いよく弾き飛ばされ、王子の体は手酷く地に叩き付けられた。 確信する。この子供は「ふつう」じゃない。 「王子!!」 「俺に構うな。こいつが怖がる」 「しかし……!」 「命令が聞けないのか? 余程死に急ぎのようだな」 首筋に切っ先を当ててやるとようやく臣下達が大人しくなる。王子はそれに目もくれず踵を返すと今一度子供の方に歩み寄ろうと歩を進めた。子供――どうやら少年のようだ――が大型肉食獣に睨まれた小動物のように震え上がる。ぼんやりと騎士の姿をした半透明の何かが浮かび上がり、怯える主を守ろうと態勢を取るのが王子には見えていた。このままではまた先のように弾き飛ばされてしまうだろう。 二度同じ手を食うのはいただけない。王子は外ゆきの表情を作ると、柔らかく慈悲深い顔つきでにこりと少年に笑いかける。 「……なるほど、な。《神憑き》か。安心しろ、敵意はない。この通りに」 言うなり王子は身に着けた武器を投げ捨て、装飾品を全て取り払い、地に放り投げた。 「……え?」 「初めて声を出したな。触りの良い声だ……どうした? 俺が身に布一つしか纏っていないのがそんなにおかしいか」 「え、うあ、えと、」 「お前と同じ姿になってやったぞ、子供。いいか……神憑きの力を人間にぶつけると最悪死に至る。気をつけた方がいい」 「え、ええ……?」 少年は突然王子が身に纏っていたものを投げ捨てたことによっぽど驚いているのか、今度は王子が近付いても騎士が現れることはなかった。気をよくして薄汚れた肌に触れ、頭を撫でてやる。不思議そうな顔をしたところを見ると、物心ついてからこうして誰かに優しく扱われたことはないものと見た方がいいだろう。 しばらくそうしていると、少年は犬がそうするように心地良さそうに目を細めて王子のそれを甘受するようになった。この子供は、何かを与えられることに慣れていないのだ、と思った。 「おい、お前、名は」 「……ゆ、ま」 か細い蚊の鳴くような声でぼそぼそ口ごもる。王子は首を振った。 「聞こえん。与えられたくば声を張れ」 「……ゆうま!」 「言ったな。――悪くない」 くい、と少年の顎をつまみ上げて王子は破顔する。地獄の釜の蓋が空いたようなおぞましい笑みで少年を舐めまわし、そして首筋に吸い付き痕を残すと小さな体を抱き上げた。 「お、王子?! なりません、そのような下賤の者に手ずから……」 「黙れ。こいつはお前らなんぞより遥かに高貴な《神憑き》だ。俺の巫子として連れ帰る」 「ふ、巫子……?」 「霊力は下手をすれば俺より高いぞ。何か問題が?」 「い、いえ……ありません……」 ひと睨みして「死」をちらつかせると従者達は溜飲を呑み込んで押し黙った。 少年に視線を戻す。少し優しくされただけで(或いはより高い生存確率を勝ち取るための本能なのかもしれないが)、この少年は酷く王子に懐いてしまったらしい。王子の両腕に抱きかかえられている間彼はまったく警戒を見せず、されるがままに身を委ねていた。 それが生き延びるために媚を売る術なのだとしても、彼の姿は他の者達がするような命乞いとは違ってどこか高潔な色を保ったままでいる。この少年の魂が秘める純潔は、王が従える巫子とするのに丁度いいだろう。 神に捧げる贄に相応しい。 「覚えておけ、ユーマ……我が名はベクター。お前の祖国を滅ぼした男だ」 もう一度口づけると「べくたー」と舌っ足らずに繰り返した。愛らしいが幼稚でやや白痴めいたその仕草にふむ、と鼻を鳴らす。さしあたって、彼に必要なのは清潔さと教育だ。 それから、王子自身を。 ◇◆◇◆◇ 「――王! なあ王ってば!」 「王たる俺への敬意がなってねえ。それから、二人の時は名で呼べといつもそう教えているはずだ」 「そうだった。ベクター!」 ぽふ、と軽い音がして飛びついたユーマの肢体がベクターの腕の中に収まった。四肢に取り付けられた枷飾りがしゃらしゃらと揺れる。ベクター自ら必要な教養を叩き込んでやった甲斐があって喋るぶんには不自由しなくなったが、何をどう間違えたのか粗雑な口調が定着してしまっていた。 巫子として迎えられたユーマは薄布をひらひらさせながら綺麗に巻き、両耳や額、胸元、両腕……体中にベクターのものと似通ったデザインの飾りを付けさせられている。はじめのうちは重たいだとか邪魔だとか言って嫌がっていたが、それが必要なことなのだと言いくるめていくらかする内に体に馴染んできたらしく、今は「おそろい」などとはにかむようになった。 「何か用か。それとも、いつもの思いつきか」 「……思いつきかな? 今日、なかなかベクターに謁見出来なかったからさ……普段は一緒の方がずっと多いのに」 「俺にも一応執政の仕事がある。一応な。軍を生かしておかねば戦が成り立たん……同じようにお前もだ。巫子には祈る義務がある」 ユーマ以外の生存者が絶えていたあの国で彼を拾ってから数年が経つが、ユーマは今も変わらず頭を撫でられるのが好きで、よくこうやってじゃれついては気持ちよさそうにベクターの体に自らを埋めていた。着飾らせた結果見目の麗しい姿を手に入れはしたが本質はこどものままだ。尤も着飾らせたのには王族であるベクターの隣に置いておいても見劣りしないようにするため以上の意味はなく、その点では目的は達成出来ていたと言える。 王となったベクターの巫子たる少年はうつくしかった。 「またはしたなく足首を晒して」 「だって暑いし」 「必要以上に見せて回るな。お前の身体は神に捧げるものなんだ」 「おれからしてみれば、ベクターに奉じてるようなもんだけど」 「まあそうとも言う」 すべらかな皮膚をなぞり、膝の上に抱え入れながらまんざらでもないふうにそんなことを言う。事実巫子としてもユーマとしても彼の身体は王であり神降ろしを執り行った本人であるベクターに既に奉じられており、彼のものであって彼のものではなかった。 神のものであり、そしてベクターのものだ。 「そろそろ……足りない、ってことか?」 「ん……かも」 「この前くれてやったばかりだ。早いな」 「そりゃ、つい昨日ホープの力借りた後だし」 「それじゃお前、俺に拾われる前はそうやってしょっちゅう発情してたのか? そういう身体には見えねえんだがな」 「ベクターのせいだって!!」 巫子としてまず一番最初に彼が執り行ったのはベクターが使役するための神との契約だった。それには彼の純潔が――文献で言うところの処女の血だ――あてがわれ、神を宿したベクターにその純潔は奉じられた。意味としては神聖性を含むが、その実態が厳かであったのかというとそういうわけでもない。ベクターは己の欲するままに巫子の身体を貪ったし、その通り、神に代償は捧げられた。 しかしそれでも巫子が交わったのは神の写し身たる王であるから、高潔であることに変わりはない。都合のいい話である。 「ベクターとしかしたことないし」 「そりゃ結構だ。だがお預けだな。お前を定時の儀式以外で抱くと五月蠅い連中がまぁだいてな」 「始末しちゃえばいいじゃん。いつもみたいに」 「ところがそういうわけにもいかない。そいつらは『よかれと思って』やれみだりに巫子と交わるものではないだとか、やれそんな怪しげなものを……だとか言ってきて口さがないが、戦略上道具としてはまだ有用ってわけだ」 実に面倒くさそうに肩を竦めて溜め息を吐くとユーマはくすくすと笑った。ベクターには妙にこの仕草が似合うのだ。 「まァ、キスで我慢しとけ」 「んー。しょーがないな」 「仕方がないってのはこっちの台詞だ。ほら」 欲しがる唇にむしゃぶりつき、舌を這わせると一息に割り開いて口腔に進入させる。すぐに二人の舌を絡めて、きついキスを交わした。あふ、という余裕のない息が発せられる。ユーマは欲しがりで自分から誘いにくるくせにいつも余裕がない。 主導権を握ることに快楽を感じるベクターと正反対でなすがままにされる、安心して身を預けられる、ということに悦びを覚えているのかもしれない。 お互い息が苦しくなってきた頃合いを見計らってぷは、と口を離す。 「もうじきだな」 「うん。もうちょっとで、ベクターの願いが叶うんだよな」 「ああ……」 膝から優しく抱き下ろしてやると、名残惜しそうに袖を握って玉座の下に侍った。 迎え入れてからというもの、王は巫子とばかり時を過ごすようになったというのは最早国中で憚ることなくされている話であり、そう噂されること自体ベクターはなんとも思っていない。何故ならそれは事実だからだ。王は人を信用することを嫌ったが、少年巫子はたいそうなご寵愛ぶりだともっぱらの評判だった。女遊びよりも戦や血飛沫を好む王が少年に関心を抱いたとも。 ベクターは出来る限り常に彼をそばに置いた。巫子が神に祈る時間と、どうしても巫子を同伴するわけにいかない執務の時以外は片時も離さなかった。父王を殺した時でさえもだ。既にベクターにその身を委ねて生きると決めたらしいユーマは父王殺害に手を貸すことを厭わなかったから、彼の神憑きの力と相まってよく役に立った。 そうして、いつしか巫子は「王寵愛の雛鳥」などと揶揄されるようになる。常に王に見えない鎖で繋がれ、優れた霊能を持ちながらそれを王の命でしか使わない。大きな力を持っているが、強力すぎて気味が悪い…… 一度乱心した将校が巫子の美しさとその異能に狂わされて手に入れようと奸計を巡らせたこともあったが、巫子に触れようとしたその瞬間に将校の存在が吹き飛んだ。文字通りまっさらに消し飛んだのだ。巫子が元々備えていた精霊「ホープ」の能力と、王を通じて繋がっていた神の逆鱗に触れて死んでしまった。 その一件以来ますます王と巫子は「ふたり」になった。 「ユーマ」 「ん。ベクター」 「拾った時お前は犬のようだった」 「ふーん」 「今も犬だ。だがものはがらりと変わった」 「へー」 細い身体をなぞる。色々と調べてはみたが、巫子の身体に神を憑依させるとかそういう方法は存在せず、結局、神を手に入れるためには巫子そのものを捧げねばならないらしい。そこでユーマの肉体は消滅する。神の糧となって。 「最期まで犬らしくいてくれよ、なァ……」 手の甲を啄んだ。 どうしてだかベクターは、次に交わったらすぐ最期の儀式がやってくるのだと、そう教えることが出来ないでいる。 そうしてすぐに時は流れ、終わりはあっという間に訪れた。 交わりの余韻がまだ双方の身体に気怠さとして残されている。儀式にあたってお互い身は清めたが、ついさっきまで一つにまぐわっていたという事実は洗っても消えてくれはしない。 巫子は両手を広げた格好で台に横向けに固定され、磔のかたちにされていた。いつもより少し豪奢な衣装を着せられて、ちょっとだけ服に着られているこどもみたいだった。 ユーマは、今もこどもだったが。 「何か言いたいことがあれば聞く。後悔でも懺悔でも呪いでも」 相変わらず細くて華奢で、くずおれてしまいそうで……美しくなめらかな肢体が布の裾から零れて見えていた。太ももの付け根と鎖骨の辺りにいくつか鬱血痕が散らばっている。最期にベクターが遺したしるし達。 ユーマが首をゆるゆるともたげる。透き通った赤い瞳は確かな意志を保持していて、何かに絶望していたり、疲弊していたりする様子は特に見られない。 「おれの命で、ベクターが強くなれるんだろ?」 ユーマは静かに問うた。 「おれの純潔を捧げて、この身を奉じればベクターは神様の力が手に入るんだよな?」 「ああ」 「おれを拾って大事にしてくれたのも……」 「そうだよ。最初から、お前はこの時我が神に全てを喰らわれる運命だったんだ」 応えてやるとはにかんで頷く。話の要領を掴めずに適当に頷いているのではなく、しっかりと理解したときに彼がする仕草だった。巫子は十全に自らに課せられた役割を全うしようとしているのだ。 「覚えてるんだ」 ユーマがふと思い出したようにその言葉を口にした。 「おれの祖国を滅ぼしたの、ベクターなんだよな。最近思い出してちょっと調べた。俺は《神憑き》だから生き残ったけど、後の民はベクターが使った力で為す術なく死んだんだって」 「そうだな。誰一人生かすつもりはなかった。子供も女も老人も関係なく」 「でもおれ、生かされるどころかベクターにたくさんいろんなもの貰ったよ。だから実は、おれ、自分の祖国のこととかどうだっていいんだ。あんまりいい思い出もないし」 「……まぁ、だろうな。お前のその力では……迫害されてたんだろ?」 「そんなとこ。『純潔』は無事だったけど」 苦笑いする。つられてベクターも苦々しく自嘲気味に笑んだ。あれだけ神に捧げる贄だと言って犯したが、ユーマの目、その魂は彼を拾った時と同じ高潔さをまだ持ち合わせている。 「憎いか?」 俺が。訊ねるとユーマは笑って首を横に振った。明日も一緒にいよう、と言う時と同じ顔をしていた。まるで変わらない永遠を信じているみたいに。 「ぜんぜん。一緒にいられて楽しかった。また今度会う時も友達でいような」 「そうか」 「絶対だ。ぜったい」 手を握ると、嬉しそうに目を細める。 最期にキスをした。唇で触れるだけの、今まで彼と交わしたものの中で一番、淡く苦いキスだった。 神が巫子を喰らう。力の充足を感じる。これでようやく、王は巫子と身を一つに出来たのだ。 後は、攻め込み蹂躙するだけだ。ベクターにはそれだけの力がある。 国王ナッシュが治める島国の連合をも侵略可能にする力が。 ◇◆◇◆◇ 「――遊馬君! 遊馬君ってば!」 「なんだぁ? なんか、あったのか?」 「大変なんですよ、ほら……」 真月零の皮を被ってくるくるよく変わる愛らしい表情を引っ提げベクターはそんな体で遊馬に近寄る。どれどれ、なんて無防備に寄せられる遊馬の顔。ベクターが手に持ったD・パッドを覗き込んでふーん? と首を傾げる。 「何がそんなに大変なんだよ」 「一面大見出し。ハートランド博物館に今度遺跡の展示品がくるらしいんです……記事によると、ほら……」 適当に説明をしている間、遊馬は熱心に頷きながらベクターの、真月の話に耳を傾けていた。それで「わかりましたか?」と訊ねると「ごめん。よくわかんない」と言う。ならお前は今何を聞いていたんだ、と問いただしたくなるがぐっと抑えた。今演じている「真月零」はそういうキャラ付けをされていない。 その代わり、遊馬の腕をぐいと掴んで近場のトイレに連れ込んだ。 バタンと戸が閉まる音。遊馬の顔が目に見えて緊張する。 「――遊馬巡査。君の理解力というものは、一体どうなっているんだ?」 「え、えへへ……」 「笑い事じゃない。いいか遊馬、上司の話は真面目に聞くものだ」 「いや、真面目に聞いてるんだよ。友達の話、真面目に聞かないやつがあるか」 困ったように眉根を下げて、言い訳がましくそんなことを言う。その中に気に掛かる言葉があって、ふとそれを繰り返し呟いた。「ともだち」。いつも遊馬が口にしている言葉だが、今日はいやに喉に突っかかる感触がある。 「ともだち……」 「そうだよ。俺にとっては、真月零っていうのはやっぱかけがえのない友達でさ」 「……何だ? 思い出せない……」 「?」 今朝、珍しく夢を見ていたような気がするのだ。その中でも誰かに「ともだち」という言葉を使われた。『ぜんぜん』。笑えるような状況ではないというのにそう言って誰かはにこにこ微笑む。『一緒にいられて楽しかった。また今度会う時も友達でいような』。 喉まで出かかっているのだが、つるりと滑り落ちてまた奈落に落ち込んでしまう。不明瞭だ。酷く気分が悪い。 「おい、真月? どうしたんだよ、顔色、急に悪くなって……吐きそうなら吐いちゃえよ。ここ、個室の中だし便器も綺麗だし……」 「ゆうま」 「ん?」 「僕たち、ともだちですか……?」 「何言ってんだ。あったりまえだろ、そんなの」 吐きたいなら我慢すんなよ! 大袈裟な心配をして遊馬が背を叩く。ゲホ、と噎せて口から便器の中に何かが零れ落ちた。白っぽいゆるい塊にところどころ血が付着している。痰にしても大きいし、色が変だ。 「これは……」 痰なんかじゃない。直感的にそう感じる。 「確か……」 もっと大事な、例えば神に捧げる処女の純潔も、こんなふうな色合いをして―― /アストライアの果実 |