ルマゲストと運命論




「――でダイレクトアタック!」
 誰かのラストアタック・コールに続いてライフが減少し、ゼロになったことを示す勝敗決着のコールが鳴る。そのまま戦っていた双方が、二人して地面の上に背中から倒れ込んだ。心地良い疲労感が全身を支配している。その程良く気怠い身体を丘の上の草原に預けるのは童心に返ったような気分を想起させてそれほど悪いものでもない。
 頭上に見上げる空はよく晴れ渡っていて、争いごとの影もなく、白い雲がたゆたい尾を引いて平穏そのものだった。平和という文字をそのまま空に落とし込んだような、長閑な空模様。風が凪ぐと草が揺れて時折頬を掠めてくすぐったい。
「俺の勝ち。これで通算四十五勝四十三敗か?」
「違え、四十四敗だ」
「細けえんだよ、ったく」
 くつくつとおかしくてたまらないふうに笑うと、むっつりした顔で「重要なことだ」と返された。横たわったまま手を握る。草っぱらに放り投げられた二人分のデュエル・ディスクとデッキケースは、そうしていられるだけの余裕と信頼があるという、証明のようなものだった。
「お前魚好きだよな」
「ドールマニアに文句を付けられるいわれはねえな」
「いや。ただお前のデッキの魚は食っても美味くなさそうだなって」
「……はあ?」
「お前と同じってことだよ」
 「食えねえやつ」。それが先ほどの遣り取りを示しているのか、それとももっと総括的な、全体のことを示しているのか、それは二人にしかわからない。
「しがらみのない世界、か……」
 かつて一人の少年が信じて求めたその世界の中で呟く。二人の間にはもうしがらみはない。守るべきものを守るために何かを切り捨て、犠牲にすることを迫られることはもうないのだ。全ては平等に救われ、平等に守られ、平等に愛された。平等と博愛。まるで彼の両腕の中に世界が丸ごと包まれてでもいるかのように。
 既に神代凌牙は民を束ね率いて友を殺すことを運命づけられたバリアンの長ではなく、トーマス・アークライトは悪鬼と化した父の操り人形として友になれたはずの少年少女を傷付ける可哀相な子供でもなく。
 二人は友達だった。ただ単純に、当たり前に、喧嘩をして軽口を言い合うようなそういう友達だ。



◇◆◇◆◇



「ケッ……いけすかない野郎だぜ。後戻り出来ない運命に自分を追い込むために俺を利用するなんてよ……」
 目の前に倒れている男を複雑な心境で見下ろして、神代凌牙――否、バリアン七皇がナッシュは人間の姿で立ち尽くしていた。この男は――昔は卑怯な手段で他人を罠にはめた「イカサマチャンピオン」と凌牙に罵られた男は、今正々堂々と外道に成り下がろうとしたナッシュの前に立ちふさがり、その持てる力のすべてを奮い、身を焦がすような強さで圧倒し、しかしナッシュに敗れたのだ。
 Wはとても強かった。彼が決してイカサマチャンピオンなどではなく、正真正銘の極東チャンピオンとしての強さを持っているのだということを、戦ったナッシュ自身が一番よくわかっている。
 それでもこの男をくだし、憎悪を持たれたまま殺さなければいけなかった。
 神代凌牙は信じていた。そうすることで己の人間として生きていた全てを葬り去り、全てを打ち倒す覚悟を手に入れられるのだと。
 「Wなら憎んでくれる」と、信じていた。
「だが結局俺はお前の運命を変えられなかった」
 おおむね全てはうまくいった。ナッシュが計算した通りにWは凶刃に倒れた。間もなくこの男は世界から消える。死ぬのだ。
 だが一つ、誤算があった。
「お前はこれから遊馬達と戦うんだな」
「ああ。それが俺の運命」
「まったく運命ってやつは……」
 Wが息も絶え絶えに、皮肉そうにぼやく。瞳には既に光彩がなく、淀んで、ぼやけていた。もう彼の中には生きる力が残されていない。死んだ彼はどこへ行くのだろう? 彼にふさわしい場所はどこに?
「だけど最後にお前とやれてよかったよ」
 バリアン界? まさかアストラル界ではあるまい。そもそも、バリアン界も全ての死者を受け入れているわけではないし、彼らが知る三つの世界のどこでもないところへ消えていくのかもしれない。
 或いは無に帰して消えてしまうのか。いいや、そんなことはないだろう。Wは決して消えたりしない。「トーマス・アークライト」として彼の家族の中に生き続け、「W」という一人のデュエリストとして彼が関わった者達の中に生き続ける。例えば遊馬の中に。例えば、「神代璃緒」の中に。
 そして「神代凌牙」の中にも。
「一足先に地獄で待ってるぜ」
 Wが言った。そう。Wに相応しい死に場所はそこしかない。他のどこでもなく、地獄でしかあり得ない。地獄人形達を操り、人の身でありながらランク・アップ・マジックという人智を超えた力を使い、最後までナッシュに、神代凌牙に喰らいつかんとしたこの性根の悪い男は地獄できっと本当に「神代凌牙」を待ち続けるのだ。
 これからナッシュもきっとそこへ行く。
 行くために、屍を踏み越えて歩まなければならない。
「凌牙」
 最後にWはその名前を呼んだ。ナッシュが棄てたかったものを結局綺麗に棄てられないまま、Wは死んでいく。
「W……みんな……」
 俯いて目を瞑り、赤い粒子になって消えていく男を見送った。これでもう後戻りはできない。ナッシュはその手でアークライトの次男を殺した。命じて遊馬の仲間たちも。もう遊馬達の元へは戻れない。袂を完全に別ちた。
 あの家族思いの兄弟達のことだ。兄を、弟を、殺されたとあっては決してバリアンを許しはしないだろう。誰にも許されなくてもいい、と思った。だから本当はW自身にも骨の髄まで憎んで貰えたらよかったのだけど。
「お前達だけにはしねえ。この戦いが終わったら、俺もすぐに逝く……」
 誤算はそれだ。
 結局、Wは「バリアンのナッシュ」を憎んではくれなかった。
 彼は最期まで「友達の神代凌牙」のために戦った。誰かの為に限界を超えて抗った。傷付いて、倒れそうになって、それでもまた立ち上がって運命を変えようとしたのだ。
 自分が一度遊馬に復讐の運命を変えて貰ったから、変えられると信じて諦めなかったのだ。
「W……お前は……強かったよ。イカサマチャンピオン、って煽ったのは俺だが、お前の実力が本物だってことを何より肌に感じたのも俺だ。カオスエクシーズの執念深さは持ち主譲りだな。ああ、わかってた……俺こそ、わかってたんだ……」
 ヒトとしての最後の弱さがそこに発露する。
「友達を殺すって、こういうことなんだ」
 水が一筋、頬を伝って落ちた。酷くしょっぱい。まるで人間世界の海水のようで、それでいて、バリアン世界の悪意の海に満ちる液体のように苦くもある。
 それが決別の証だ。神代凌牙はもういない。ナッシュはもう二度と振り返らない。振り返ってはいけないのだ。
 友の屍を踏み越えて進む代償をそうして支払う。
「次に会う時は……」
 踵を返した。次は遊馬だ。遊馬はきっとやって来る。何を言っても耳を貸しもせずに、暴論を並べ立て、いっそ暴力的なまでの心の強さでそれを正論にしてしまう。
 アストラルと並んで遊馬は「神代凌牙」を糾弾するだろう。だからトーマスに「凌牙」を託した。ナッシュには既に覚悟がある。
「俺も友達だって言ってやってもいいぜ。お前ひとりで舞い上がってんじゃ、かわいそうだからさ、W」
 あの九十九遊馬でも、ナッシュはまっすぐに目を見て持てる力の全てで彼を殺しに行ける。



◇◆◇◆◇



「前から思ってたんだが、お前の『ギミック・パペット』はなんでいちいちグロいんだ? なんかそういう制約でもあるのかよ」
「ハァ? 俺のネクロ・ドールやボム・エッグのどこが気持ち悪いっつうんだよ」
「見た目の全てだよ……」
 デッキケースに手を伸ばして、許可も取らずに勝手に蓋をあけた。見咎めてもトーマスは特に怒りはしない。今更デッキの内容を見られたところで、そもそも何度も何度もデュエルを繰り返して構成がバレバレなのだ。友達に見られて困るようなものではない。
 男にしては白い指先がエクストラデッキを摘みあげて、エクシーズカードをぱらぱらとめくった。「ナンバーズ15 ギミック・パペット‐ジャイアントキラー」「ナンバーズ40 ギミック・パペット‐ヘヴンズ・ストリングス」「ナンバーズ88 ギミック・パペット‐デステニー・レオ」。その奥にそれら三枚をモデルにしたカオスナンバーズが三枚収まっている。トーマスはあれからそのカードをランクアップマジック諸共用いたことは一度もなかったが、デッキには納めていたらしい。
「こいつさ」
 一枚のカードを抜き出してひらひらと揺らして見せた。「カオスナンバーズ88 ギミック・パペット‐ディザスター・レオ」。
「滅茶苦茶な効果だよな。意味わかんねえ。なんだよ、ライフ四〇〇〇バーンダメージって」
「イカしてるだろ。オーバーレイ・ユニットなしでターンエンドすりゃ特殊勝利も出来る」
「ふざけてる」
「必死だったんだよ」
 ディザスター・レオのカードをひったくってデッキケースも奪い、元に仕舞い込むとトーマスはズボンのポケットにそれを突っ込む。凌牙は露骨に舌打ちをした。まだろくにデッキの中を覗けていない。
「どうしても勝ちたかった。勝って、お前の心を揺さぶってやらねえといけないと、それは俺の役割だと信じていた。だったらそのぐらいは強くないと。滅茶苦茶でも、ばかげていても、それが俺の全力だったんだよ」
「普通は死ぬぜ、あんなん喰らったら……」
「耐えたくせによく言うぜ」
 すまし顔で、ごろりと寝返りを打ち同じように熱転がっている凌牙の方を向く。トーマスの濃いピンクがかった赤色の双眸が凌牙を見ている。
 デュエルをする時、バリアンの力を応用した紋章科学の力でこの左目は青色になる。青は凌牙の目の色だ。凌牙も、バリアンの力を行使してゲイザーなしでARビジョンを共有する時は左目がトーマスと同じ色になったので(バリアン全員がそうなのだが)、あの時二人はオッドアイの同じ色をぴったり揃えて向い合せてデュエルをしていたことになるのだと、それから随分と時間が経った頃になって気が付いた。
 同じ双眸の色は、同じだけの決意の強さと執念を表していたのかもしれないと漠然と思った。
「凌牙よぉ、今でもまだ、運命って信じてるか?」
「ああ」
「即答だな。予想外だ」
 今は二人とも全く違う色をしている両目をかしりと並べ合わせて、そんな遣り取りをする。運命という言葉はきらいだ。いつか誰かはそう言った。
「俺達が友達になったのも、そうだと思うか?」
「さあな。それは、結果論だぜ」
「また即答か。だがまあ……それも悪くはないな」
 トーマスがまた寝返りを打った。今度はまた二人で晴天を見上げる。雲はない。そよ風が心地いい。
「運命だろうがそうじゃなかろうが、俺達が会ってデュエルをして友として認め合ったことに理由なんかいらねえんだよ」
 そうしてどちらからともなく、そんなことを言った。



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