I really want to say.




 最後に聞いた言葉は、あんまりにも遺言のようだった。
「なあ……ミザエル。もし次に出会えることがあったなら、お前に何があったのか聞かせてくれないか?」
 あんまりにも遺言のようなその言葉は、あんまりにも安らかな表情から紡がれて。耳にこびりつき、脳髄に焼き付いて、どうしてもそれが消えなかったのだ。思えば彼は孤高の騎士などと自らを称していた男にとって初めての好敵手と言える男だった。
 天城カイト。
 男――ミザエルは、ようやく叶ったデュエルで彼に敗北した。
 引き換えに生み出された「ナンバーズ100 ヌメロン・ドラゴン」のカードを手に取ってそこに呆然と立ち尽くした。カイトが壊れた宇宙服を着たまま月面に横たわり、ミザエルを見ていた。
「ミザエル……行け、自分の信じた道を」
 ミザエルはそれに応えられなかった。ただ涙ばかりがぼろぼろと溢れ、自らの身体がヒューマノイドのそれになっていたことに、その姿を取れたことを僅かに感謝した。
 バリアンの身体は泣けない。
「……おまえは」
 卑怯だ、という言葉をぐっと呑み込む。私一人を置いて、という言葉も。正々堂々と戦った彼に自らの感情に揺り動かされてそんな言葉を言うわけにはいかない。膝をつき、ドラゴンを愛する誇り高き戦士の身体に震える指先で触れた。その身体を、亡骸、と認めることはどうしても出来なかった。
 まだ温かいようなそんな気がした。少なくとも、バリアン七皇のあの身体よりは、よほど、よほど。
「おまえは誇り高き人間だ。なんと崇高な……いや……それだけではないな。カイト。私にとっておまえは」
 やがてシステムアラート・メッセージさえも消え失せて彼の顔が露わになる。美しく伏せられたまぶた、伸びる睫毛、それを見るにつけやはり彼は美しい男だとまざまざと感じる。美しい信念を抱き美しく気高く戦い、そうして倒れた男。尊敬に値するとさえミザエルは思った。人間は嫌いだ。だが、それがどうして彼の高潔さを認めぬ理由になろう?
 カードを仕舞って彼の身体を腕に抱く。抱き上げた身体は酷く軽かった。彼はまだ、十八歳の、家族を愛しそのために必死になる、少年だった。
「おまえに許されるのならば私はおまえを友と呼びたかった」
 月面から、青くまぶしい惑星が見える。水の星地球。今、三つの世界がそれぞれの思惑を持ってぶつかり合っているあの場所にミザエルは帰らなければならない。通信先の遊馬からもたらされた情報に、残念ながら間違いはないだろう。ドルベ、メラグ、アリト、ギラグ、彼らは次々とあの汚い刃を前に倒れていったのだ。ベクターとナッシュだけが残り、その背後にドン・サウザントがいる。カイトが手に入れたヌメロン・ドラゴン、万物の理を開く鍵をここで眠らせていてはどうにもならない。
 カイトが愛した家族が住まう世界があの星の中にあると思うと、胸が締め付けられるようだった。目を伏せったままのカイトに、握る手に力を込めただ「帰ろう」とだけ囁いた。



◇◆◇◆◇



「私は……孤児だった。父上と母上は戦禍で命を落として……寄る辺のなくなった幼子でしかなかった私は簡単に飢え、力尽き、砂漠で倒れた。人間は誰も私を助けてはくれなかったよ。その時は理解していなかったが、私はあの地における異邦人だった。シルクロード経由で流れ着いた異国の民だ。目の色、肌の色も、髪の色さえも違う子供をその土地の人々は省みもしなかった。それは、悲しいが人間の性だ。ただその時私は人間は誰も他者に手をさしのべてはくれないのかと、幼心にそう感じた」
 うららかな午後の陽射しが差し込むテラスで向き合ってミザエルは自らの過去を語っていた。それが彼とした約束だったので、あまり楽しい話ではなかったししたい話でもなかったが包み隠さず本心を語るつもりでとうとうとそれを続ける。テラスのテーブルの上には高級そうなティーセットが一揃いあり、なんとはなしに彼が自らの師から譲り受けたか或いは贈られたものなのだろうと考えた。
 師弟揃って、教えられたものが多すぎるなと内心で苦笑する。言われてみれば彼ら師弟の姿勢、デュエルスタイル、思想などはなんとも良く似ているのだった。家族を愛するというあの根底も。
「結局私を助けてくれたのは人ではなく龍だった。ジンロン、後にドラッグルーオンとなったかの白龍だ。私はそうして龍に育てられた。ジンロンに読み書きや言語、生きていく術、あらゆる全てを教えられ生かされた。私は彼の勧めでやがて人里に降り、人と交流を持つようにもなったが、やはり龍と共に在ることに安らぎを覚える、そういう偏屈な人嫌いの人間にその時もうなってしまっていたのだろうな。個々人そのものが憎いのではなく……ただ、人が苦手だった」
「人間不信か。よくわかる。まあ……俺もあまり心を開いていた方ではなくてな。むしろ他人を疑って生きてきた。フ……ジンロンに言われたよ。ドラゴン使いはどいつもこいつも偏屈の頑固者で困るとな」
「……それは、もしかしなくとも私のことか?」
「だろうな。そして恐らくは俺もだ。似たもの同士だな……続けてくれ」
 ティーポットを手にとって紅茶を注ぎ足しながら彼がそんなことを言う。微笑むその表情は柔らかく、ああ、この日溜まりがとみによく映えるとそういう感慨をミザエルに抱かせた。あの真っ白な……或いは真っ黒なコートではなく、上質だがシンプルな私服を着た彼はありのままの少年の姿形をしていた。決闘者としての張り詰めた空気も、誰かを守らなければいけないという重たい気負いもないと、やはり彼もひとりの人間に他ならないのだった。
 根本的に彼は優しいのだ。故に厳しい。己にも他者にも。
「私は……その、自分で言うのは非常におこがましいのだが、ジンロン曰わくそれなりに美しく整った容姿の青年に成長した、のだそうだ。だから成長してある程度歩み寄る術を得てからは迫害というものはそうされなかった。代わりに、龍を駆る勇者などと持て囃されることが多くなっていった。売名をしたかったわけではなかったが、人々の……特に子供からの屈託のない無邪気な好意が私には嬉しくて。人と関わるのもそう悪くないなと思って…ジンロンは私の誇りだった……だが」
「ドン・サウザントの介入か」
「そうだ。何故奴が私を選んだのかは預かり知るところではないが、奴はその私のごく小さな幸福を良しとしなかった。占い師を名乗り……ジンロンをこともあろうに災厄だなどと……! 子供達や、私と親交があったいくらかの人々は私を庇ってくれた。だが、無駄だったよ。ドン・サウザントは彼らをまるごと洗脳し最後は皆が私達に牙を剥いた。再びの迫害だ。私は最後までジンロンを庇い、共に命を落とした。記憶を歪められ……より一層深く人間を憎みながら……後は知っての通りだろう。私は最後の七皇としてバリアン界で目覚めた」
 本来はアストラル界で転生するべきだった高潔な魂達。その輪廻を歪ませ、バリアン界へ堕とされ、そうしてあの争いに至る。存亡の危機に晒されたバリアン界と、アストラル界。板挟みの人間界。創世の力ヌメロン・コード。しかしそれがあったから、二人はこうして向かい合うに至った。
「……運命とはわからんものだな」
「どうした、急に」
「私の……いや、七皇全てにとってここに至るまでの運命はドン・サウザントの手のひらの上で弄ばれ、いたずらに歪められ、定められていたものだった。何もかも。怒りも憎しみさえも……我々は奴に生み出された幻想を追い掛ける傀儡だった。だが、そうでなければ私はお前と会うことはなく、こうして招かれ、茶を飲むこともなかったわけだ。なんとも数奇な……そう思ってな。事実は小説より奇なりとはよくもまあ言ったものだ。ドン・サウザントに対する感情とはまた別にして、私はこの奇妙な縁を幸運に思っている」
 素直に言葉に出してみると、彼はどうしてだか急に目を丸くして、真顔になり、不思議そうにミザエルを見つめ直した。あの青色、宇宙、銀河の色をした瞳がじっと、むしろじろじろとミザエルを眺めている。視線が妙に気恥ずかしくて神妙な顔付きをすると彼はようやくそれで自分がミザエルを見つめていたことに気が付いたようで「あ、ああ、す、すまない」と彼にしては珍しく歯切れ悪く言い淀んだ。
 それから俯いて、肘をついた両手のひらを組み、それにもたれるように顔を伏せうなだれる。何か小声でぶつぶつと呟いているようだったがうまくは聞き取れない。
 まんじりともしない空気だった。だが、気質が似ているからきっと彼は不躾にミザエルを見てしまったことを恥じているのだろうということを何とはなしに察する。まったく律儀な男だ。別段それで何か減るわけでもないというのに。
 おもむろに彼の方に手をやり、顔をぐいと上向きにさせる。思った通りだ。困ったような顔をして、どう謝罪しようかだとか、そんなふうなことを考えているような目をして、彼は幼子のように顔を赤く染めていた。
「……カイト」
「あ……その……いや、すまない……嫌な思いをさせたな。あんなふうに……」
「いや、そんなことはどうでもいい。それよりお前にまず言おうと思っていたことがあってだな……」
「……?」
 今度こそ彼はきょとんとした顔で驚いたようにミザエルを見た。先の反省からか、あまりじっと一点を見続けないようにしていて視線がうろうろと動いている。「だから、気にするなと言っただろう」と繰り返すとようやく視線が定まった。
「この……お前が淹れた茶だが。その、なかなか美味いな」
「そ、そうか。紅茶の淹れ方は……クリスに習ったんだ。美味いと言って貰えるのなら……それはよかった」
「ああ。だから……なんだ……これから、ちょくちょく飲みに来てやっても…………いや……」
 ミザエルはそこまで言って首を振り、ああもう、としょっぱい顔付きになる。他人に高圧的な態度を取ってしまうのが、もうずっとミザエルの悪い癖なのだ。それは人間だった頃にジンロンに幾度も窘められたことであり、また、その後もドルベにしょっちゅう言われたことだった。
 それを思い出すと、そこから糸を手繰り寄せるように記憶が蘇ってくる。七皇らと過ごした短いようで長いような時間は、確かにミザエルにとっては大切な意味を持つ記憶であるのだということを再認識する。そのうえ、このような出会いを持てて、そう、決して悪いことばかりではなかった。
 目を瞑り、またゆっくりと開いて今度はミザエルの方が彼のまなこをじっと見据えた。二人の瞳は奇しくも同じ色合いを持っていた。銀河の色。二人が互いに引き寄せられた龍達の。
「…………だから、また、近いうちにお前の茶を飲ませてはくれないか」
 意を決してそれを伝えると、彼はぱちぱちと瞬きをしてすぐにくすくすと笑い出した。更にはその様に呆気にとられたミザエルを見て「なんだ、妙に身構えて、そんなことか」などとのたまう。彼の指先がミザエルの指先に触れる。これもお互いに生白い、デュエリストの細い指先だった。
「な、なんだ、そんな……笑うことはないだろう……」
「いや、おかしなことを言うものだと思ってな。勿論、茶ぐらいいつでも振る舞ってやるさ。そうしたら、また、話をしよう。なに、一度デュエルをした仲だ。気にすることはない。そうだろう?」
「……そうだな。それが九十九遊馬の矜持だったか。デュエルをしたら皆仲間、か」
「ああ。それは遊馬の甘さだが、同時に美徳でもある。ミザエル。俺はお前という好敵手と出会えて嬉しかった。だからもしよければ、これからも良き友としてデュエルをさせてくれ」
「望むところだ。お前とはまだ、話したいことがたくさんある。それに」
「デュエルもし足りない。そんなところか」
 二人で笑い合って、デッキを取り出した。一揃い四十枚。よく使い込まれたカード達を見てわくわくとしてくる。どちらからともなくシャッフルを初めてトレードし、お互いのデッキを更にシャッフル。戻して、先攻後攻を決めるためのコインを取り出す。
 それをミザエルに差し出しながら、今度は命も何も賭けないでただデュエルを楽しもう、と彼が言った。



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