カンパニュラ・イソフィラ




 街は、初夏が近づいてにわかに活気づいているようだった。あまりじめじめした様子はなくて、からりと晴れ上がっている。アークティックには梅雨がない。十代は故郷の日本がこの時期すっぽりと覆われている梅雨前線のことを思い出してなんだか少し不公平だなあと思う。
「こっち、からっからだな」
「そうだな。でもいいことばかりって訳でもない。確かに日本の真夏のあの蒸し暑さはいささかむごたらしいぐらいだと思うけど、サマー・タイムが長すぎるってのもちょっと考え物だから」
 道ばたに花が咲いている。ヨハンのいつも着ている服と同じ薄紫の花だ。釣り鐘みたいな花弁を上向きに咲かせて一生懸命に背を伸ばそうとしているようにも見えた。
 ふと立ち止まって花に指を伸ばす。ヨハンがそれに気が付いて十代の手元を覗き込んでくる。
「これ、なんて花?」
「カンパニュラ。日本名は釣鐘草。そっか、もうそんな花が咲く時期なんだなぁ。その花、俺の誕生花なんだよ」
「へー。ってことは、ヨハンの誕生日、もうすぐ? そういや在学中はそういう話聞く暇なかったもんな。いつ頃なんだ」
「六月十一日」
「今日じゃん!」
 思わずカンパニュラの花を握りつぶしてしまいそうになる。びっくりして振り向くとヨハンは悪戯が成功した子供のようににっと歯を見せて笑いながら十代を見ていた。意地悪い顔だ。なんだかむっときてしまう。
「そういうの、もうちょっと早く言えよなぁ。そしたらこっちだっていろいろ準備出来たのに」
「悪い悪い。あんまり自分の誕生日に興味がなかったから、普通に忘れてたんだ。でも来年からは一年まるまる使って用意周到に準備出来るだろ?」
「ったく……」
「怒るなって。なあ十代、カンパニュラの花言葉、何だか知ってるか?」
 花を撫でながらそんなことを聞いてくる。素っ気なく「知らない」と返してやると「まあ、だろうなあ」だなんて言葉が返ってきた。十代がそういう繊細な知識に疎いのは、ヨハンはもう十分に承知しているところなのだ。
「カンパニュラ・イソフィラの花言葉は『親交』、そして『友愛』。どうだ? 俺達にぴったりの花言葉だって思わないか。だからさ、十代、今日というこの日に君が俺の隣にいてくれることがそれだけで俺にとっては最高のプレゼントってわけ。形に残るものは、何も無理にこしらえてくれなくってもいい。ただ……」
 そのままヨハンの指はカンパニュラの花をぷち、と摘み取った。それをすいと十代の方へ差し出して、すごく綺麗な顔で笑いかけてくる。ヨハンって奴は、なんでこう花が似合う男なんだろうと十代は内心真っ赤になりながらそんなことを考えた。さまになりすぎていて、悔しい。
「願うならば、今年も、来年も、再来年も、その先の年も十代が俺のそばにいてくれたら嬉しいなってそう思う」
 そうしてその美しい表情のまま当たり前のようにそんなことを言った。
 卑怯だ、と思う。
「そんなこと言われたらさあ」
「うん」
「お前の誕生日なのに、俺が恥ずかしいじゃん!」
「俺十代のそういう顔好きだなぁ」
「ヨハンのばか! 誕生日おめでとう!」
 差し出されたヨハンの誕生花をそのままぐいと押し返す。何がおかしいのかヨハンはくすくすと笑って、十代の腕を取る。
 十代はカンパニュラの、ヨハンの髪の毛みたいに上を向いている花を握り締めて、ヨハンのそういう笑顔は好きだけど今年は絶対口に出してやるもんか、と心に誓った。
 太陽がさんさんと光っている。ヨハンの誕生日が過ぎて、もういくらかすればあっという間に夏が来て、十代の誕生日ももうそこまで迫ってきているのだった。