を込めて花束を




 世界中あちこちを飛び回っている十代の元に一通の手紙が届けられたのは、日本で言えば夏真っ盛りの時期のことだった。差出人はなし。几帳面な日本語の手書き文字で、「アカデミアで待つ」という旨の文面だけが記されている。この手紙について詳細を尋ねると、仕事と共にこれを運んできたオブライエンは、「さあ、オレの預かり知るところではない」と本当に何も知らなそうな顔で言った。しかし、彼はポーカー・フェイスがとても得意なのであまり信用ならないな、と十代は思っていた。
「アカデミアか……」
『え、行くのかい、十代』
「や、だってさ。こんなことしそうな奴、そうそう思い当たらないし……罠ってことはないだろ。この手紙から陰謀の類の匂いはしない」
『まあ、そうだけど』
 渋るユベルをなんとか説得し、早速アカデミアへ発ったのは八月の終わり頃。地球の反対側という程ではないが、イタリアのヴェニスは、正直アカデミアには少し遠い。日本の孤島に存在していたデュエル・アカデミア本校。十代の思い出の場所、彼が三年間を過ごした小さな青春の檻。
 しかしそれも、あの場所に三年目、集まってきた留学生達の通った距離を思えば大した苦労には感じなかった。
「しかしまあ、なんでこんなへんぴな時期に呼び出したんだろう。今って確か、夏休みの時期だろ? 日本じゃ……在校生が殆どいなくなるから狙ったのかな」
『知らないよ。ボクに聞かないでくれるかい。あいつの考えることなんて……』
「ん? 『あいつ』って、ユベルは差し出し人に思い当たる奴の中から正体を一人に絞れたのか?」
『あっ――な、なんでもない。忘れてよ、十代』
「ははー……さてはお前、墓穴でも掘ったな」
『ぼ、ボクはっ、あいつの名前、正直口にもしたくないんだからね?!』
「うん、その態度で、俺も絞り込めた。そうか、じゃ、あいつが」
 アカデミアへの定期便に乗り込んで、近付いてくる学園島を眺めながら十代がにやりと笑う。定期便が出ているかどうかは賭だったので最悪ボートでも借りていくつもりだったのだが、係員曰く、「今は帰省先から帰ってくる生徒が多いので丁度一日に一便だけ出ているんです」ということらしかった。しかも最終便だ。
 潮風が頬を掠めていく。海鳥の鳴き声。夏休みのにおいがする、と思った。それは遊城十代に去年までは規則正しく一年ごとに訪れてきた季節だったが、今年はもう、来ない。
 その事実に、今更ながらに思い当たって郷愁に駆られ目を細める。夕暮れのアカデミア島を外側から眺めているという状況も相まって、余計に切なさを覚えた。あの島で何度も朝と昼と夜を繰り返したが、外に弾き出されてから夕暮れを見るのは、初めてだった。
「――十代!」
 埠頭が近付いて来て、船着き場から自分の名前を呼ぶ声がする。何人かの人影があった。結構多い。その中に目星を付けていた人間の姿を認めて、やりやがったな、という代わりに手を振り返す。
 ドッグに停泊した船から降りていく足取りは軽かった。もう二度と訪れることはないだろうと心のどこかで思っていた場所だったのに、こんなに簡単にあっさりと招かれて足を着けてしまう。大はしゃぎで駆け寄って手を伸ばす。伸ばした指先は、そのまま彼の背に回ってくっついた。
「よっ――久しぶり。それにしてもこんな大人数が集まってるとはちっとも思わなかった。発起人は誰だ? やっぱ、お前か?」
「いいや、それが違うんだなあ。俺と、明日香と、万丈目と、翔と、剣山と、エドと、ジムと、それから……」
「殆どこの場の全員じゃんか」
「そう。つまり、全員が発起人だ。『お帰り』十代、アカデミアへ」
 ヨハン――ヨハン・アンデルセンが、明るくて人なつっこい声で十代に告げる。きょとんとしてヨハンの目をまじまじと見ると、「そんなに見るなよ。照れるだろ」といつも通りのユベル曰く「胡散臭いぐらいに爽やかな」笑みでけらけら笑う。
 それに呆然と立ち尽くしていると、後ろに立っていた明日香が、「あら、その様子じゃまだ思い当たっていないみたいね」と優しく笑った。翔が「アニキって自分のことすっごい抜けてるからね」と尤もらしく言うとエドと万丈目が「そうだな」「全くその通りだ」と力強く頷いた。
「私達、勿論あなたに用事があるから呼び出したのよ。ねえ十代、あなた、今日が何の日か覚えてる?」
「いや待て天城院くん、そもそもこの馬鹿が今日の日付を正確に把握しているのか、まずそこが怪しいぞ」
「あー、確かに。アニキってカレンダー気にしてなさそう。そもそも、ここに来る前いたの日本じゃないでしょ。日付感覚ずれてるかも」
「あ、イタリアにいたぜ。ゴンドラとか乗ったりさ」
「予想通りザウルス……」
 そう答えると剣山がやれやれとわかっていたふうに頭を抱える。そういえば剣山は今やこの学園の最上級生になったのか。制服は相変わらずラー・イエローのあの黄色い服装のままだったが、少しだけ大人びたような気がした。
「じゃあ、俺が先陣切って祝ってやらないとな!」
 ヨハンが今までの会話を反芻してものすごい笑顔で言う。『うわ、すっごいボクの嫌いな顔』とユベルが十代の背中の後ろで眉を潜めた。ユベルはヨハンが何をしてもだいたいこういう反応をするんだけど。
 ヨハンが明日香に合図を出し、彼女がずっと自分の背に隠し持っていたものを表に出す。それにその場にいる全員が手を伸ばして、ぎゅうぎゅうに身を寄せ合って十代に差し出してきた。
 巨大な花束だ。色とりどり、よく言えばカラフルで悪く言えば無節操な花たちが詰め込まれている。「全員で選んだらこうなっちゃったんだよね」、と翔が捕捉を入れる。
「誕生日おめでとう、十代」
 代表して口を開いたヨハンから贈られた言葉はとてもシンプルなものだった。
「あ……ありがとう……」
 けれど飾らないからこそ、ストレートに十代の胸の内に届く。花束を受け取って、惚けてじっと花々を見つめているとファラオがずた袋の中から顔を覗かせて怠惰にあくびをした。
 「島に行こうぜ」ヨハンが言う。万丈目やエドも「何をもたもたしてるんだ」「行くぞ」とか当たり前に言う。十代は花束を抱えたまま、何とも言えない気持ちに包まれて自身の少年時代が眠る島へ足を踏み出した。
 この感情の名を確か「幸福感」というのだと、昔誰かが言っていたような、そんなことを思い出しながら。