自殺プログラムとブリキの兵隊




 かつて黒咲隼が生きていた世界の人間は脆弱な存在だった。アカデミア――外部世界から侵攻してきた融合使いの殺人鬼たち、彼らの手によって冷酷無比に、残虐に殺害された。まるで人間が害虫を殺して回るように駆逐され、当たり前に平穏に人々が暮らしていたはずの世界は瞬きをしているうちにありふれたお伽噺の中にあるような地獄絵図になった。
 黒咲隼にとっても、昔……もう本当に随分と前のことになってしまうが、デュエルが「楽しむためのゲーム」で、「上質なエンターテイメント」で、ほんの戯れだとか暇つぶしだとかでデッキを捲っていた時が確かにあった。デュエルが楽しくて仕方なかった。デッキの中に住まうモンスター達は友達で、遊び相手で、時には黒咲のことを慰めてくれたりさえした。
 いつからだろう。彼らが戦うための兵器に成り果ててしまったのは。デュエルモンスターズと戯れている幼い自分を殺し、童心を郷愁の過去に追いやり、自分達をこのような目に遭わせた世界の残酷さを憎むようになったのは。デュエルをしてもちっとも楽しみなんか見出せなくて、ただ、痛みと苦しみと、悲しみ、そして果てのない憎悪ばかりに身を焦がすようになったのは――
「冗談言うなよ。こんなデュエル……キャンディーなめながらだって僕には出来る」
 追い詰められたことで平静さを欠いた対戦相手の少年が、ちっとも余裕なんかなさそうな様子で取り出したペロペロキャンディーをかみ砕いた。砕け散ったキャンディー達は紫雲院素良の口の中に呑み込まれて胃袋に消えていく。その様に黒咲が思い出したのは、あのアカデミア最初の大虐殺だった。圧倒的な戦力差で黒咲の世界の人々を蹂躙し、人を人とも思わないやり口で傲慢に殺戮していった。
 《覇王凱旋》。黒咲隼の記憶する第一の悪夢。
「遊びさ……本気でやるわけないじゃん? 僕の仲間だってそう。みんな遊びでキミ達を狩ってるんだ。わかる? わかんないかなあ? でも簡単なことだ。だってキミたちは僕らにとってハンティングゲームの獲物にすぎないんだから!!」
 アカデミアの最高権力者が数多の部下を引き連れ、黒咲の世界に降りたってまず手始めに行ったのがそれだった。彼らは見知らぬ土地で道を尋ねる代わりに、まるで挨拶でもするかのような気軽さで、通りすがった人々を殺した。屍の川を築き上げながら行進を連ねた。その様はまさに蹂躙と呼ぶに相応しく、戦う術を、抵抗する力を持たない黒咲達に出来たのはただ怯えて蹲り、同胞達が殺されていく中で「どうか次は自分の番ではありませんように」と、居もしない神様に祈ることだけだった。
 大虐殺は数日の間続いた。その間に、彼らに媚びへつらって生き延びようとした見下げ果てた根性の奴も何人か出た。だがそうした者達こそ、真っ先に彼らの餌食になった。彼らは弱きを挫き、強きを粉砕し、抵抗するものを殺し服従するものも気に入らなければ気まぐれで殺した。指を噛んだペットを怒りにまかせて処分するのと同じ。気に入らなかった玩具を、腹いせに滅茶苦茶に壊すのと同じ……
 《覇王凱旋》は数日の間続き、ありとあらゆる残虐非道によって世界には混乱と恐怖、混沌と怒りがもたらされた。しかしそれさえも、悪夢のほんのはじまり、切っ掛けに過ぎなかったのだ。
「僕のターン! 僕は魔法カード《魔玩具融合》を発動!! 墓地にあるシザー・ベアー、ホイールソウ・ライオ、チェーン・シープを除外しその三枚のカードを素材としたデストーイモンスターを融合召喚する。――悪魔宿りし非情の玩具よ! 刃向かう愚民を根こそぎ滅ぼせ。融合召喚! 現れ出でよ、すべての玩具の結合魔獣!! 《デストーイ・マッド・キマイラ》!!」
 狂気をそのまま形にしたかのような、歪な人形が現れて悲しそうな呻き声を零した。悪魔。そう、悪魔だ。アカデミアの敵達は、正しく悪魔のような輩だった。彼らは黒咲の仲間達を殺した。同胞をいたぶり、連れ去り、挙げ句の果てに……
「バトルだ! マッド・キマイラでブレイズ・ファルコンを攻撃!!」
 玩具のように、扱った。
 彼らにとって黒咲の世界の人間達は実験材料でしかなく、また換えの利く使い捨てのパーツでしかなく、そこに人権は存在せず、浪費するための玩具でしかなかった。
 仲間達が無残な操り人形にされる姿を何度も見てきた。虚ろな瞳で、「頼むから殺してくれ」と懇願する姿を。「お前に刃を向けるぐらいならお前の手で死にたかった」と泣きながら愛する者の命をその手で絶たされる場面を。それまで生きて来た証を全て奪われて先兵として扱われ、意に添わぬ悪事に荷担させられているのにその自覚さえ許されず意思を殺され化け物に成り果てていった者達を。
「マッド・キマイラの効果発動。破壊したモンスターを墓地から僕のフィールドに召喚する!! さて……これでキミのモンスターも僕のものになっちゃった……ってわけ。わかっただろう? キミに僕は狩れない。狩られるのは常にキミ達だ。これからもずっとね!!」
「…………」
「せめて最後は自分のモンスターの手にかかって終わらせてあげるよ。ブレイズ・ファルコンのダイレクトアタックで一〇〇〇のダメージを与えれば、残りライフ四〇〇のキミは」
「――笑止」
 彼らはいつも自分達が優位であると信じて疑ったことがなかった。
 だから黒咲隼は――レジスタンスの仲間達は、勝機をそこに見出したのだ。
「……なに?」
「俺たちレジスタンスは、常に最悪の事態を想定しながら戦ってきた。共に戦ってきた仲間を敵に連れ去られることさえ考えながら……だが、例え奪われたとしても俺達は決して見捨てない。俺達は……俺達は、仲間は必ず奪い返す――!!」
 奪われたならば奪い返す。ただ略奪されるだけの弱者ではなく、噛み千切り、一矢報いる強靱さを。レジスタンスの仲間達は強さを求め、そうして一つの答えに辿り着いた。
「速攻魔法、《RUMーレヴォリューション・フォース》発動!! 相手の場のエクシーズモンスター一体のコントロールを奪い、ランクのひとつ高いレイド・ラプターズにランクアップさせる。誇り高きハヤブサよ! 英雄の血潮に染まる翼翻し、革命の道を突き進め! ランクアップ・エクシーズ・チェンジ!! 現れろランク6――《RRーレヴォリューション・ファルコン》!!!」
 レジスタンスは力を手に入れ、その時、復讐が始まった。与えられた痛みと苦しみを糧に、奪い返すその反逆の舞台が幕を開ける。奪われたものの多さは最早どれほどかもわからず、彼らを突き動かす原動力はどす黒く醜い感情ばかりだった。けれど走り出してしまったからもう立ち止まることは出来ない。
 力を得た代償として、いつかそれが報われるのだと自分に言い聞かせて……振るうことしか既に許されていないのだ。
「ふん……なんだよ。革命とかなんとかハッタリかまして出て来たわりに攻撃力二〇〇〇? それじゃ二八〇〇のデストーイ・マッド・キマイラは倒せないよ?」
「果たしてそうかな」
「どうせそれもハッタリでしょ? だってキミのフィールドにはもう伏せカードも仕掛けられてないじゃん。だから……」
「レヴォリューション・ファルコンのモンスター効果発動! このモンスターがレイド・ラプターズを素材としてランクアップした時、相手が特殊召喚したモンスター一体を破壊しその攻撃力の半分のダメージを与える!!」
「何?!」
「いけ、レヴォリューション・ファルコン!! 革命の火に焼かれて散れ――!!」
 だから、それで幾つ勝利を重ねても、黒咲の胸に空いた悲しみの穴が塞がることは少しもない。当然の報いとしてそこには空虚がついてまわり、けれど身を切るような痛みと共にそれでも黒咲は進んで行かねばならない。それが生き残った者の務めだからだ。志し半ばに倒れていった同胞達の意思を託され、黒咲隼は今ここにいる。
 アクション・フィールドのタワーが崩壊し、一縷の望みに縋り付こうとした素良の息の根を止める。観客達が息を呑む中、黒咲は当然そうあるべき末路にただ感慨もなく息を漏らすだけだった。
 黒咲にとって融合は皆敵なのだ。この世界の「なまくらの」融合ではない、本物の、悪魔の術を用いる素良に対してならばそれは尚更。しかしその悪魔の手先をカードに閉じ込めようとしたところで、デュエル・ディスクを介して赤馬零児の妨害が入り手を引く。
 一命を取り留めたな、下郎が。内心でそう罵り、踵を返そうとしたその時だった。
「待て……勝負はまだ終わってない。僕が負けるはずがない……エクシーズの奴らなんかに……この……僕が……!!」
「…………」
「待て……逃げるな……! もう一度……もう一度、僕とデュエルを……!!」
 最後に残された力で起き上がろうとしながら、無様な姿を晒し紫雲院素良がうわごとのように恨みがましい言葉を吐く。しかし既に体は限界を迎えていたようで、伸ばした手が黒咲に届くことはない。小さな体躯をぐったりと地面にへばりつかせ、紫雲院素良はその場に倒れ込んだ。
 紫雲院素良の元へ、客席から大慌てですっ飛んできたふうに息を切らして榊遊矢達が駆け寄ってくる。その中にはあの、瑠璃とよく似た姿をした少女もいた。だが彼女は瑠璃ではないのだ。今ならば、ユートに言われたその言葉が否応なく理解出来た。
「哀れだな……」
 今度こそ本当に踵を返し、背中を向けて彼らから遠ざかっていく。「あわれ」、という、今自らが口にした言葉を反芻し黒咲は自嘲気味に笑んだ。
 それは自らが絶対的優位であることを盲信し、懸命に生き抗ってきたレジスタンスの仲間達をあくまで虫けらと嘲り、ハンティング・ゲームの獲物とさえ貶めたあの少年の姿をした悪鬼に向けた言葉であったが、同時に黒咲自身へも宛てられた皮肉だったからだ。復讐に駆られた黒咲隼の姿に、誰かが投げつけた、あの。
(だが……哀れと誹られようと……復讐に溺れこの身が悪鬼となろうと……俺は戦わねばならない。残された者のために、仲間を奪い返すために)
 哀れでもよかった。愛したものを取り戻せるのならば。愛したものを今度こそ守れるのならば。それこそが癒えない痛みを抱えた黒咲の切なる願い。そのためなら悪魔に魂を売ってもいい。禁忌の力に手を染めてもいい。いずれこの命が朽ち果てることさえ、厭わない。
 ちらりとディスクの中のセメタリー・ゾーンを見遣り、その中で眠っているはずの二枚の「禁忌のカード」のことを思った。しかしすぐにかぶりを振り、ユートが待つ会場の外へ向かって歩いて行く。
 黒咲隼は成すべきことをしたのだ。その心はもうずっと晴れやかさとは正反対の暗雲に支配されていたが、それだけは、間違ってはいけないはずだった。