※全部書きかけ
※隼ユト+赤遊=ゆとゆやかわいい
※何か色々あって四人でレオコーポ本社に住んでる
※続かない






01




 鋭角を抉り取るようにして、十二本目のサーブが決まった。審判として中央に立たされている中島が、フラッグを掲げる。勝者、赤馬零児。これで十戦目、零児が六勝四敗だ。フッ……と眼鏡に指をあて、勝者の余裕を醸し出す零児の正面で黒咲隼がドン! と大きな音を立てて卓球台に両手を叩き付けた。台がぐらぐらと揺れ、上に乗っていたピンポン球が衝撃で跳ね飛ぶ。
「この勝負もどうやら私の勝ちのようだな」
「ぐっ……まだ……まだだ……! 俺の心はまだ敗北していない!!」
「では何で私に挑むつもりだ? ここまでバトミントン・ポーカー・卓球と全て私の勝利で終わったわけだが、まだ何かやりたい種目が? チェスだろうと将棋だろうと、負ける気はしないな」
「チェスも将棋も俺にはルールがわからん!! だが……だが……!! ここで負けを認めるのは、ユートへの裏切りと同じ!!」
「いや隼、俺はもうここらでやめにするべきだと思っているが」
「絶対に勝つ! この戦い、譲れないものが俺にはある!!」
 すまし顔の零児の言葉を挑発と受け取ったのか、黒咲の表情がますます険しいものになり、語調は荒さと激しさを増していく。途中で挟まれたユートの制止もまったく聞く素振りがなく――というか多分聞こえていないのだろう――黒咲が次に取り出したのは麻雀の牌だった。
 麻雀というものを実はドラマや漫画の中でしか見たことのない(周囲にそういうものを嗜む大人がいないのだ)遊矢はそこで「この流れで麻雀するの?!」と驚きを隠しきれず声を上げてしまったが、ユートは肩を竦めて首を振るばかりだ。「麻雀ってあぶなくないの」と恐る恐る遊矢が尋ねると、彼は「いや」と短い否定の言葉を返してきた。
「俺達の世界では、まあまあメジャーというか……デュエルは基本的に命の遣り取りになるから、命を賭すほどでもない軽い賭け事だとか、ちょっとしたゲーム感覚の場合によく取り入れられていたんだ。ある程度の年齢に達している男連中なら大体出来る」
「ユートも出来るの」
「一応……隼ほどじゃないが」
「あ、強いんだ……」
「チームじゃ負けなしだったな。だがあの気迫、赤馬零児の方も相当の手練れと見た」
「……俺にはよくわかんないや……」
 パチンと赤馬が指を鳴らしたのに呼応するように、いつの間にか部屋から消えていた中島がスッと雀卓を手配して戻ってくる。「あと二人手配するか」という零児の質問にはきっぱりとノーで答え、用意された席に黒咲がどかりと座り込んだ。
 零児がその対面に座り込み、先程まで同じ部屋で卓球をやっていたとは思えない異様な空気が漂い出す。身震いしてユートの側に寄ると、彼は少し困ったように笑って「別段命の取り合いにはならないさ」と言った。
「平和ツモありのフリテンリーチあり、萬子と筒子の二ー八無し、赤牌一枚の二人打ちで」
「わかった。勿論、イカサマが発覚した時点でそちらの負けだ」
「無論、望むところだ」
「……零児って麻雀出来るんだ……」
 命の取り合いだとかそんな次元の心配はそもそもまったくしていなかったのだが、零児が平然と麻雀を打ち始めたのは結構な衝撃である。麻雀というとゴルフと並んでなんとなく「接待」の定番みたいなイメージも確かにあったけれど、大企業の社長というのはそういったところまでこなせて初めて一流なのだろうか。疑惑が深まるばかりだ。
 赤馬零児に出来ないことを探す方が、たぶんいくらも難しいだろう。だが今なら遊矢はそのきわめて僅かな一つを即座に呈示することが出来る。
 自分が信じる事に関しては、他人の意見を聞き入れ難い、ということだ。少なくともこの些細な問題に関しては。
「俺達別に、二人ともそんなのどうでもいいのに……」
 ユートに目配せをするとふるふると首を振られた。「諦めよう、まだ時間はあるし」と瞳が雄弁に語っている。
 何が何だかよくわからない専門用語が飛び交う雀卓を漠然と眺めながら、遊矢は深く溜め息を吐いた。まったく、何がどうしてこんなことになってしまったんだろう。


「俺のユートの方がかわいいに決まっている」
「私の遊矢の愛らしさが彼に劣るとは思わないな」
 発端が何であったのか、遊矢とユートには知る由はない。ただ二人が気が付いた時には既にそういう話になっていて、双方共に、退ける様子ではなかった。そこには彼ら二人の誇りを賭けた戦いのようなものがあり、とても外野が口を出していいものだとは思えなかったのだ。
 そもそもユートは隼のものではないし、遊矢も零児のものではないし、前提からして何かおかしい気もしたが突っ込める気配さえない。二人の間には相容れない溝と宿命の炎のようなものが燃え上がっていた。両方を認めればいいという考えは採用の余地がなく、程なくして「勝負」が始まった。
 第一種目はバトミントン。これにはLDSの地下に備え付けてあるジム設備が用いられた。自前のスポーツウェアに着替えて準備万端の零児に対し、あのいつもの不審者然としたコート姿でラケットを握った黒咲の姿は最早ギャグに近いものがあったが、試合に臨む姿は真剣そのものだった。
 コートでは思わず息を呑むような接戦が繰り広げられ、ジュースにまで持ち込んだが僅差で零児が勝利。しかしそこで大人しく負けを認める黒咲ではなく、すぐに二番目の勝負に移行する。次の勝負を提案したのは零児だった。初めから自分が有利なゲームを提案したのか、ポーカーは零児の圧勝であった。
 黒咲はそれを良しとはせず、更に第三の勝負として卓球を提案。それでもやはり決着は着かず、そうして今に至る――のだが、その過程で今日という日が殆ど終わりかけているし、ずっと観客をさせ続けられている遊矢とユートは既に飽きが来ていてお互いにデッキの話とか昔話を始めていた。正直真剣にジャッジを務め続ける中島は凄いと思う。
 ともかく、それがこれまでのあらましなのだ。
「よくわからないが、優劣を付ける必要などあるのだろうか」
「ないと思う」
「俺と遊矢の意見はうまく一致するのに何故あの二人は駄目なんだろうな」
「不思議だよなあ」
「同族嫌悪に近いものがあるのかもしれないな」
 雀卓を遠巻きに眺めながら二人でぽつぽつとそんな話をする。ユートは色々あってLDS本社内で共同生活を送ることになり、会話をする機会が増えた結果遊矢が一番親しみを覚えることとなった相手だった。年も近く、話してみると意外といいやつで趣味が被るところもあり、割と話題も合う。黒咲に対してはまだ若干の警戒心というか謎が残っていて、零児に対しては色々な感情が渦巻いて自分の気持ちもまだはっきりしていない中で、ユートが相手だと色々と落ち着いて安らぐのだ。
 なんとなく、兄弟がいたらこうなのだろうかという感じだった。そういう印象を抱いているのはユートも同じみたいで、二人は自然と打ち解け、今に至る。
「まあ……隼が俺にとって家族に近しい大切な仲間であるように、隼にとっての俺もそうなんだろう。盲目的な身内かわいさ、に近いのかもしれない。隼は妹のこともとみに強く大切に思っていたから、きっと俺にも同じように思ってくれているんだろう。あとは、生来の負けず嫌いだな。大部分はそれだろうが」
「ああ、妹いるんだっけ……」
「昔な。彼女のこともあって、俺達は今赤馬零児の提案に乗らざるを得ない部分もある」
「ふうん……?」
 意味深なユートの台詞に首を傾げながらも、深入りしてはいけなさそうな雰囲気にその後に続く言葉を噤んだ。
 雀卓の上で牌が飛び交う様をぼんやりと眺めながら、改めて自分の置かれている境遇について考える。黒咲がユートについて譲れない意思を持ち合わせている理由はわかるのだ。ふたりは家族で、守るべき相手で、仲間なんだって言う。ぽつぽつとユートが話してくれた彼らの過去と「元いた世界」に纏わる話を思えば、そういう感情が芽生えるのも当然のことだろう。遊矢にはまだあまりぴんときていなかったけれどそこはとても過酷な場所であったらしいからだ。
 だけど遊矢は、自分自身が零児に執着される理由というのがわからないのである。遊矢の方は零児に憧れみたいなものを抱いているけれど、彼の方が遊矢に人間として興味を持っているというふうに自信を持てない。自分はあくまでペンデュラムの祖――研究に必要な対象にすぎないのではないだろうか。
 それなのに何故あんなにこだわるんだろう?
「それは、遊矢……お前が頑なに思い込んでいるせいもあるんじゃないかと思うが……俺も今までそれなりに長い間隼と共に行動してきたが、あそこまで隼に食らいついていくやつというのはなかなかいないぞ。決してそういう興味だけじゃあないと俺は思う」
「でも、零児はさ……すごいんだよ。うん。すごい。だからこそ、俺に個人として興味なんか持つかなあって……」
「いや……滅茶苦茶興味関心を持っているようにしか見えないんだが……」
「自信ないんだ。それに俺なんかじゃ零児に釣り合わない」
「……」
 うまく聞き取れない強そうな技名とか、チーとかポンとかツモとか、そういう声が黒咲と零児の口から漏れ出ていたのが、その時急に途切れた。
 丁度遊矢とユートも口を止めていたので、瞬間的に室内が静寂に包まれる。どういうことなのかと慌てて遊矢とユートが雀卓の方へ走り寄ると、そこには驚きの光景が広がっていた。
「えっ、なにこれ」
「赤馬零児……どういうことなのか……」
 卓の上に牌がばらばらにぶちまけられ、その上に黒咲が頭から突っ伏して倒れている。頭が落ちてきた衝撃で牌が散ってしまったようだった。触れてみると少し体温が高く、うわごとのように「花畑が見える……瑠璃……」とか言っている。
 あまりにも奇怪な光景だ。状況だけならミステリーの事件現場にさえ似ている。動揺して説明を求めるように二人で揃って振り向くと、零児が困り顔で首を横に振った。
「普通に対局をしていただけだ……すると突然倒れた。一先ず勝負は預かることにして、対処を急ごう。だが、そう厳しい顔をしないでくれ。大事ではないと思う」
「何か盛った……ということは本当にないんだな」
「そんなことをする気があるのならもうとっくにやっている。彼はこの対局で私さえ驚くような高い手で次々に和了ろうとしていた……恐らくこの勝負に自らの矜持を賭けたのだろう。……私が思うに、この原因、知恵熱だ」
 中島が病院で見るようなストレッチャーを持って現れ、黒咲を手早く乗せてまたどこぞへと台をガラガラ引いて消えていく。その様を呆然と見送り、姿が見えなくなったところではっとして遊矢は零児の言葉を反芻した。
「ち、知恵熱?」
「ああ……それなら納得出来る……」
「ユートもそれで納得しちゃうの?!」
「隼は……考えすぎることが苦手なんだ」
 理解が追い付いていない遊矢をよそに、ユートが何故かやや申し訳なさそうに小首を傾げた。そのまま彼は宥めるように遊矢の手を取ると零児の顔を見上げる。眼鏡のフレームの奥にいつも真意を隠している、その表情を伺うと「一つ頼みが」と珍しいことを口にしてごく自然に遊矢と零児の間に割って入った。
「隼のことは、すまない。礼を言う……寝かせておけばすぐに回復はすると思う。前にも一度あったんだ。地区対抗麻雀大会の決勝を終えたところで体力を使い切ってしまったようで。だからそれとは別件で尋ねたいことがある。遊矢が不思議がっているんだ。俺としても、あまり放っておく気にはなれなくて」
 ユートの形の整った唇が、零児の耳元に寄って彼にしか聞こえないほど小さな声で某かを囁いた。
 零児の顔色が変わる。驚きの表情を一瞬見せ、そうして彼は面白いものを見つけた子供のような顔をしてにこりと笑った。それを受け、ユートも挑発的に微笑む。遊矢だけが蚊帳の外で、なにやら高度な駆け引きみたいなものが展開されていっている。
「あまり濁してばかりいないでそろそろはっきりさせた方がいいんじゃないか、赤馬零児。――遊矢、俺達は風呂にでも入ろう」
「なるほど……考えさせてくれ」
 ユートの突然の申し出に含みのある返事を出して、零児がつかつかと部屋の外へ歩いて行く。ぽかんとしてそれを見送った後、遊矢ははっと我に返って自分が立たされている状況を整理し、「なんで?!」と叫んだが、それを聞く者は既にユートだけだった。


◇◆◇◆◇


 LDS本社の地下と高層五十八階には大浴場があり、地下浴場は社員向けに、高層のガラス張り設備の浴場は殆ど赤馬家専用に解放されている。零児に渡されているパスキーで五十八階の方に訪れたはいいものの、状況がうまく飲み込めていないこともあって遊矢の心にはあまり落ち着きが見られなかった。
 そもそも謎の開放感を誇るこのガラス張りの風呂というのがなじめないのだ。その上後から零児も来るという。ユートとは時間がよく合うので頻繁に風呂で顔を見合わせるし、背中とか流し合うしでもうさほど抵抗はないのだが零児と同じ風呂に入るらしいということに恥ずかしさがあって遊矢は所在なさげにぶるりと震えた。
「なんであんなこと言ったの……」
「こういうのは当人同士の口から話が出た方がいい。なんとなく……思い出したんだ。俺と隼が初めてちゃんと打ち解けた時のことを」
「そうなんだ」
「ああ。その時、俺達は珍しく湯船に浸かる機会が得られて。色々と話をした。出来て良かったと、今も思っている。だから」
 シャワーに濡れてくったりとした髪を後ろ手にゴムで結わえながらユートが懐かしそうに目を細める。相当にサバイバルな日々を送ってきたであろうことには流石にもう薄々勘付いていたけれど、改めて「珍しく湯船に浸かる機会が」なんて言われると奇妙な感じだった。お風呂に毎日入れないほどの生活を繰り返してきた二人は、今どんな気持ちでこの施設に寝泊まりをしているのだろう。
「あの人……大丈夫なの?」
「心配ないさ。少し躍起になってしまっただけだろう。まったく……いいと言っているのに」
「ユートは信頼してるんだね」
「当たり前だ。俺達は身を寄せ合って生きて来た。……困ったところも、少なくないが」
「そ……っか」
 座椅子にぼんやり座ってそんな話をしている間に、ユートの手がてきぱきと動いて頼んだわけでもないのに遊矢の体を洗い上げていく。髪の毛を丁寧にすすいで、体をしっかり擦り、上半身までを綺麗に洗い上げたところで「あとは任せた」とタオルを渡された。こういうところの慣れ方からして、彼は多分いつも誰かの世話を焼いていたタイプなのだろう、と思えた。
「瑠璃という女の子の世話をするのが俺の役目で、彼女を守るのが隼の役目だったんだ。俺達の中で」
 遊矢の疑問を感じ取ったみたいにユートが語る。それ以上は聞かず、遊矢は立ち上がるとユートにそうしてもらったようにタオルを彼の背に当てる。自分と同じぐらいの背丈、同じぐらいの体つき、同じぐらいの顔。ユートは違う世界から来たらしい異邦人。二人を引き合わせたその日、零児は「繋がりがある。切ろうとしても、決して切れぬような」と二人に囁いた。
 その決して逃れることの出来ない繋がりについても、遊矢もユートもあまりよくはわかっていない。お互いにもしも「正体」というものがあるのだとして、それを知りたいとさえ思っていない。遊矢にとって彼は今目の前にいるユートでしかなかったし、ユートにとってもそれは同じだったのだ。
 なのにどうしても遊矢は、赤馬零児に対してはそういうふうに簡単にものを考えることが出来なくなってしまう。
「二人が初めて出会った時って、少しはぎこちなかったりしたの」
「今の遊矢ほどじゃないが、少しは、やはり。隼は見ての通りの性格だから……お互いに信用し合えるまでは大変だったんだ。だが様々な過程を乗り越えてそれでも相手のことを知りたいと思えるなら、それは特別だということなんじゃないか?」
「特別……俺とユートが、繋がりを持っているらしい、っていうのみたいにかな」
「そうとも限らない。世の中には色々な『特別』がある……と思う。瑠璃も隼も遊矢も俺にとっては特別だが、そのどれもが違う『特別』だ」
 背中にシャワーを浴びながらユートが達観したように言った。
 シャワーを片付けた後はどちらからともなくだだっ広い湯船に肩まで沈み込んだ。泳げそうなぐらい広い浴槽だが、今までにこの場所で知らない誰かに会ったことはない。零児が三人に用意した生活環境は基本的にビル内の特定区域に限られていて、それが赤馬零児本人のパーソナル・スペースなのであろうということをユートは初日ぐらいに呟いている。
「遊矢は赤馬零児を信用しているか?」
 湯の中に沈んでぶくぶくと息を吐いていた遊矢にユートが問いかけた。水面から突き出ていたアホ毛がぴくりと揺れた。それを横目で見ると、遊矢が浮かんでこないのに構わずユートはさっさと話を次に進めてしまう。
「彼が自らのパーソナル・スペースを解放してきたということは、多かれ少なかれ俺達を信用している部分があるからで……まあ信用していないからこそという考え方も出来なくはないが、ともかく、自分を信用して欲しいという事情があるからだ、と俺は考えている。手の内を明かすのにはそれなりの理由があるんだ。そうすると、隼に張り合う理由もなんとなくわかるような気がする。俺には」
 相変わらず水面にはぶくぶくと気泡が浮かび上がるばかりで、髪の毛だけが所在なさげにぴょこぴょこと揺れている。遊矢の顔は俯いたきりで、湯の上からは覗けそうになかった。
 潜れば遊矢の顔を無理矢理覗くことも出来ただろうが、それはユートの役目ではない。湯の中で遊矢の肩を撫で、優しい声で、浴場の壁の向こう側にいる人間にも聞こえるように言葉を繋ぐ。大理石の磨き込まれた壁の向こうにこの声が届かない設計になっていたとしても、あの男のことだ、なんらかの手段で絶対に聞き耳を立てているに違いないのだ。
「隼が意固地を張っているのはこの際置いておくとしてだ、赤馬零児がそれに張り合うのは、多分本当にお前のことを個人的に気に掛け、恐らくは気に入り、そして隣に立っていて欲しいからなのではないかと俺は思う」
 そう言うと、とうとう遊矢が湯の中からざぶんと大きな音を立てて顔を出した。茹でたトマトの皮がつるりと剥けるみたいに、いつもと違う表情をいっぱいに顔面に映し出している。「とっ、となりって」しどろもどろでうまく言葉が口に出来ていない。「となりって……れ、零児の、? 俺が?」
「そりゃあ……俺じゃ有り得ないし、遊矢しかいないだろう。俺達四人をツー・ペアにしたらそうならないか?」
「でっでも、俺、全然零児には釣り合わないんだ。まだ、なんとか足下に行きたいって思ってるぐらいで!」
「まあ……その辺りは当人同士で決めることだとは思うが。それでも好意を持っているのだけは確かだろう。まさかそれさえわからないなんてことは」
「――わっ、わかんないよ!」
 驚きからだろうか、遊矢の目はぐるぐる回っている。髪の毛も心持ちへにゃりと下を向いていて、彼の動揺具合を如実に示していた。そんな遊矢がまた湯船に沈んでいきそうになるので今度は沈まぬように腕で固定すると、タイミングを図ったように――実際外で機を窺っていたのだろうということは明白だったが――浴場のガラス戸が勢いよく開かれた。
「良かろう。話は私が引き継ぐ」
「零児?!」
「ようやくか。俺が出来る事はしておいたぞ」
「む……すまない」
 全裸で腰にタオルを巻いた格好の零児が腕組みをしてそこに立っていた。眼鏡は外されておらず、湯気を受けて曇っていく。シュールな立ち姿にもかかわらず貫禄を醸し出しているのは流石の一言だが、付き合わされたユートとしては「ヒーローは遅れてくると確かに言うがな」と小言の一つも出てくるのは仕方ないことだろう。
 




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02

 黒咲隼とユートが元々住まっていた世界は、灰色の街だった。
 抗争と諍いが絶えず、女・子供が単独で生き延びるにはあまりにも過酷な環境下で、戦力として動ける男達は大抵が某かの「チーム」と呼ばれる組織に属していた。チームは連携行動を取る時もあれば対立することもしばしばだったが、概ね、彼らは「融合」という共通の敵を目標に持ち日々を戦いに明け暮れていた。
 隼はそんな「チーム」の中でも先陣を切って敵地に乗り込んでいく殿の役割を努めることが多かった。血気盛んで考えるより先に足が出るような性格だったのもあり、それが彼にとって一番の適役だったのだ。ユートの役割はそんな彼の補佐であり、チーム内でも自然と二人組で行動する機会が多かった。
 ペアで組めと言われると自然と隼とユートでタッグを組むことになったし、そうしてこなしてきた仕事の大半は上手くいっていた。信頼性もあり、背中を預けるに足る仲間だ。個人的な友愛も兼ね備えている。ユートにとって隼以上にパートナーとして申し分ない人間はそういないだろう。
 しかしだからと言ってこんな形でパートナーシップを組むはめになるだなんて聞いていない。
「隼……何故俺がこの役回りなのか、もう一度説明して欲しい」
「ユート、我が儘はよくない。好き嫌いはもう止めると何年も前に俺と約束しただろう。ピーマンやにんじんをもう残したりはしないと……」
「食べ物の話をしているわけじゃない」
 黒を基調とした、落ち着いているがしっかりとした作りの衣装に強制的に身を包まされ、ユートは大変に機嫌を悪くしていた。背中は大きくがばっと開いていてスースーするし、何より足下が心許ないことこの上ない。すかすかして寒い。肩から肘に掛けても寒いし、頭でさえアップに纏められてしまっているために風通りが最高の状態だ。これならいっそ頭蓋骨の風通りをよくして欲しい。
「よく似合っていると思うんだが」
「ああ……俺が似合うのならば、隼もさぞかし似合ったことだろうな……」
「冗談じゃないな」
「そっくりそのまま、その言葉を返してやろうか」
 苦虫を噛み潰すように言うと、隼の指がステージの上をすっと指し示した。
「だがユート、壇上の彼に比べれば注目が集まりにくいだけお前はまだ楽なんじゃないか」
 薄暗い会場でそこだけぎらぎらにスポットライトが当てられて輝いている会場ステージど真ん中で、彼は赤いドレスを着せられてお人形さんのように佇んでいた。その隣ではマイクを持ったこのパーティの主賓が朗々と演説を繰り広げている。ユートは頭が痛くなってくるのを感じ取って、盛大に息を吐くともう一度自分の姿を上から下まで確かめた。どこへ出しても恥ずかしくない良家の子女の格好だ――ただし、女性の正装姿だが。
「パーティに潜入して、怪しい人間を絞り出し、可能なら確保する……そのアウトラインまでは真っ当だと思ったんだがな……」
「まあ俺も半分ぐらいは赤馬の奴が虫除けにエスコートする対象を欲しがっていただけなんじゃないかと思わないこともないな」
「そう、それだ。だから巻き込まれた遊矢までは仕方ない、運がなかったなと俺は笑い飛ばせば良かった――だのになんで俺まで女装しなきゃならないんだ!!」
「ダンスパーティだからじゃないか?」
「そんなパーティ開かなければ良かったんだ」
 そう。今ユートと遊矢はLDSお抱えのメイクアップアーティスト達に全身をしっかりと作り込まれ、ほぼ完璧とも言える女装姿でパーティへの潜入をさせられている真っ最中なのだ。
 それもこれも全て赤馬零児の独断によるもの。ユートの隣で男子の正装をしている隼をちらりと見てユートはまた歯ぎしりをした。悔しいが、隼が正装を着こなしているのは事実だったし、かっこいいと感じてしまった自分も確かにいて、歯ぎしりでもしなければやっていられる気分ではなかったのだ。
 壇上で実に見事な営業スマイルを決めている遊矢からは何かやけくそにも近いものを感じる。遊矢は遊矢で零児直々に頼み込まれて断り切れなかったのだろう、難儀なものだ。虫除けの女性が欲しいのなら母親でも連れ歩けば良かったのではないか――そう考えたが、零児が遊矢に対してどういうふうに執着をしているのか少なくとも遊矢よりは的確に理解しているつもりのユートはその思考をぽいと投げ捨てた。
「とにかく……この仕事が終わったら、赤馬零児本人にたっぷりと礼をさせてやる。絶対にだ……」
「それは構わないが、ユート」
「なんだ隼」
「ここは会場の端だし、周俺達の基本的な役割を考えれば対人の接触は殆ど回ってこないだろうが、あまり俺から離れるな。今そういう格好をしている以上、ナンパしてくるような奴がいないとも言い切れないのだから……」
「な、なん……?!」
「元々ユートはかわいいが、今は輪を掛けてかわいい」
「――知らん!!」
 肩に乗せられた隼の手を強引に振り払い、鬼のような形相で振り返る。余程凄まじい顔をしていたのか隼の表情が一瞬引きつった。イメージを変えるためにオールバックにされているせいで、隼の眉間に皺が寄るのがいつもよりはっきりとユートの目に映ったのだ。


「このパーティに、君達に出席して欲しい。勿論仕事だ。恐らくこれが私達が同じ目標に向かって動く第一の仕事になるだろう」
 ある日赤馬零児がそう唐突に言った。応接室に集められた三人のうち、まず遊矢が首を傾げ、ユートが次に違和感をあらわにし、隼が疑問を零児にぶつける。確かに隼とユートは瑠璃の身柄に纏わる情報を握っているという零児との取引を受けていたが、それが何故突然パーティに放り込まれなければならないのだ? 二人には正式な場でのマナーなど何も備わっていないのだ。
「何か……そういうお抱えの部隊はいないのか」
「我が社は軍隊組織ではない。故にそのような部門は設けていないのだが」
「いや、それにしたって何も俺達に依頼するような内容ではないだろう。物事には適材適所があるという言葉を知らないとは思えないんだが」
「無論適材を適所に配した結果だ。ただのパーティではない。私はこのパーティに『融合遣い』……赤馬零王が派遣した人間が紛れ込んでいる確率が高いという見立てを立てている」
「……何?」
「万が一戦闘になった場合、それなりの力量を持つ人間を当てられる必要がある。うちの社員よりも適していると見込んでのことだ。無論、必要があれば私自身打って出よう」
「えっ、何、物騒な話になってる気がするんだけど」
「……なるほどな。融合遣いを確保した場合、勿論俺達に相応の見返りはあるんだろうな」
「確保出来れば、それは当然」
 




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03

 近頃遊矢とユートの様子がおかしい。
 元々二人でよく行動していたけれど――零児は仕事にかかりきりのことが多かったし、隼は隼で零児に下請けの仕事をやたらと振り分けられていたので――最近はそれだけじゃない、何か輪にかけて「変」だ。
 こそこそしている。監視カメラで動きを追っている限り、二人で資料室とか私室に引きこもってひそひそとなにがしかの計画を立てているようだ。しかしデュエルで危ないことをしているだとかそういうわけではない。ただ、本当に、コソコソしているだけだ。
 密室で二人きりになって顔を寄せ合い、時には赤らめたりもしながら密談に興じているだけなのだ。そう言ってしまえば確かにそれだけだ……
「しかし把握出来ない事柄があると仕事に差し障りがあるのも事実でな」
 ……などと自分を納得させるために並べ立ててみたが、赤馬零児の胸中は穏やかならざる様相のままだったし、どころか考えれば考えるほど気分が悪化するばかりだ。兄弟のような感覚で接していると二人は言うが、しかし零児の感情はあの親密さを許すことが出来ない。
 そんな零児に私用で呼び出された黒咲隼は、腕組みをして非常に胡乱な眼差しで零児の眼鏡の奥を睨むと心底面倒だという代わりに首を横に振った。
「話は大体わからんでもないが、貴様そんなことで俺をこき使うつもりか」
「君の片割れが一枚噛んでいるのだから、探りをかけるのにこれ以上の適任は居まい?」
「貴様自身が面と向かって尋ねれば良いだけのことだろう」
「ふむ……そうか……ならば仕方ないな、この『融合勢力に関する極秘調査レポート』の閲覧権限を特別に解除するという折衷案は白紙に――」
「るっ、瑠璃を引き合いに出すのはやめろ! やればいいんだろう、やれば!!」
「物わかりが良くて助かるな」
 ホログラムウィンドウで表示された「極秘文書」マーク付きの書類を盾に脅されてあっさりと折れた隼に零児が胡散臭いことこの上ない笑顔で微笑む。この微笑みは隼だけに向けられるものだ。遊矢にはもっと素直で優しい笑顔をするし、ユートにでさえ(遊矢に連なる者だからなのだろう)人間らしい顔で接している。実弟の零羅にどんな顔を見せているかどうかに関しては言うまでもない。隼はある意味で非常に貴重な、「赤馬零児の隠す気さえない詐欺師の表情」を正面からぶつけられる人材なのだ。
 しかしだからと言って隼にとってそれが喜ばしいかと問われればはっきりとノーだ。隼は苛立たしげにかぶりを振り、「好きに命令すればいいだろう」とやけくそ気味に言い放つ。書類を手で捲りながら周囲に浮かぶウィンドウに視線を巡らせていた零児は、「その言葉、忘れるなよ」と相変わらず張り付いたような笑顔のまま釘を刺し、それからふと思い当たったように手を止めてつかつかと部屋から出て行こうとした隼を引き留めた。
「では逆に聞くが、君は何故それほど平静でいられる? 片割れを遊矢に取られ続けているのは君とて同じだろうに」
「俺のユートと過ごす時間が減っているのは貴様のせいだとはっきりしているからだ! それにユートの隣に居るのは遊矢なのだろう。ならば特に心配はないな。瑠璃がユートに甘えているようなものだと思えば」
「言っておくが君に遊矢はやらんぞ」
「……俺もユートのことは大事にしているつもりだが、貴様のその嫉妬深さには負けるな」
 言われずとも取るつもりなどない、俺はな。隼が大仰に溜め息を吐いてわざとらしく肩を竦めて見せる。遊矢がユートを兄か弟のようなものだと思って接していることは火を見るよりも明らかで、零児がそんなに拘る理由が隼には理屈ではわかっても感情として理解出来そうになかった。
 そんな隼の態度に零児の笑顔が一層温度の低いものとなる。しかし、黙って部屋を出て行った隼がそのあとエレベーターに三度ほど腕を挟まれたり、階段で転んで五段ほど体に良くない姿勢で転がり落ちたり、目の前を猛スピードで黒猫が駆け抜けていく現場に出くわしたりしたことに関しては、赤馬零児のあずかり知る所ではないはずだ。恐らくは。


「よし……これで大体計画、立ったかなあ。ありがとうユート、おかげで良い感じに出来上がった気がする」
「それはお互い様だ。こういう機会でもないと、隼は出掛けたがらないから。前までは暇があれば瑠璃探しに繰り出していたし……」
「……柚子はその子じゃないって話、まだ納得してないんだっけ?」
「一応納得した素振りは見せたが本心がどうかは知らない」
 資料室のテーブルに手書きのメモや進行表が散乱している。同じテーブルには本がどさりと積み上げられていて、ちょっとした小山を形作っていた。本にはそれぞれに「舞網市観光ガイド」「オススメパワースポット読本〜舞網編〜」「デュエリストタイプ別デートコースガイドブック」「夜景の素敵な穴場スポット特集」「テーマパークを一二〇パーセント楽しむための本」などというタイトルが踊っている。
 それらの本をまとめて書架に戻すべくユートが整理をしはじめ、遊矢はメモをファイリングしていく。大体の内容は二人でしっかり頭に入れ終えていたけれど、後で持ち運びできるように小さくメモし直した方がいいかもしれない。
「零児、喜んでくれるかなあ……」
 遊矢が夢見る乙女のような声で呟いた。
「大丈夫だろう。それより問題は、うちの隼だ……そういった事柄には疎いから、何か雰囲気を壊してしまうような言動を取らないか心配で」
「それ言ったら、零児も絶対感覚がずれてるし、難しい気がしてくるよ」
「そうだな。結果的に楽しんで貰えればそれでいいわけだし」
「そうだよ。大丈夫だって」
 二人で手を取り合って「多分大丈夫なはず」という根拠のない自信を確かめ合ってから机をすっかり綺麗に片付けてしまう。ここのところずっと二人でうんうん唸ってはいたが、実はまだお互いに零児や隼には秘密にしている段階なのだ。二人からのささやかなサプライズ企画として受け取って欲しいので、ぎりぎりまで教えないことにしてびっくりさせよう、というのがその趣旨だった。
「零児のオフの日、久々らしいし。早く明日にならないかなあ」
「その日、隼の手が空くのも確認済みだ。あとは伝えるだけだな」
「じゃ、今晩ご飯の時にさ……」
「それもいいが、こういうのは……」
 顔を近づけ合ってまたヒソヒソ話に興じ始める。その様子に実は監視カメラで二人を覗き見している零児が嫉妬心みたいなものを引き起こしているとはつゆ知らず、何故か浮気の疑いをかけられているなんてことも勿論考えてさえいない。
 だってこの、二人がこそこそしてずっと企てていた計画というのは、零児の休暇を利用したサプライズのダブルデート計画なのだ。
 耳打ちし合って合意に達したらしく、二人が控え目にハイタッチをする。それを物陰から見ていた隼は突入するつもりで構えていた体を勘付かれないように後方に戻し、頭の中に浮かび上がってきた「極秘書類」と書かれたイメージ映像に赤いバッテン印を付けた。
「取り立てて報告する義務があるような事態だとは判断出来ないな……」
 欹てていた聞き耳も引っ込め、報告するために戻れと言われていたような気もするがその事実を自分の中でなかったことにする。資料室の中からはまだ遊矢とユートの楽しそうな声が漏れ聞こえていて、元々さほどなかった邪魔をしようという気持ちはすっかり萎えしぼんでしまっていた。
 踵を返して資料室から離れていく隼の目の前を今、再び黒猫が猛スピードで駆け抜けていく。あの男は黒猫を諜報手段として飼育でもしているのか? そんな馬鹿げた考えが一瞬隼の思考を掠めたが――
「まさかな……」
 すぐにその考えを棄てた。いくらなんでも、偶然だろう。そんな……魔女でもあるまいに。


◇◆◇◆◇


 通常、赤馬零児の目覚めは無機質な電子音と、タイマーに合わせて自動的に開けられるカーテンの向こうから突き刺さってくる無遠慮な朝の光によってもたらされる。機械的で無駄がなく、彼のプレイスタイルにも通じるそんな朝は、実は仕事が休みの日だろうと習慣として変わることなく彼に訪れる。
 だからそのような機械の洗礼を受けない目覚めは、零児が「子供時代」をいち早く通過し終わってしまったあの時から殆ど存在しないものだった。徹夜をして一睡もしなかった時を除いて、零児は時計と共に瞼を開いていたのだ。
 それがこの日とうとう覆された。
「…………」
 自らにのしかかる「重み」に耐えかねて目を開き、眼前に広がった光景に瞬きを数度繰り返して上体を起こす。やたらに広いベッドの、零児が寝ていた隣で本来そこにあるはずのない物体が丸まって寝こけているのだ。
 子供らしい高めの体温を宿し、すっかり無防備な面構えを晒して熟睡している。昨夜零児がベッドに入った段階では勿論そこにそれはなかった。零児の私室にはドアロックが施されており、この鍵を解除出来るのは部屋の主である零児、或いは零羅、そして緊急時に突入を許されている秘書の中島に限られている。
 となると侵入者を許し、荷担したのは恐らく弟の零羅だろう。そういえば夕食のあと、何か零羅と遊矢が喋っていたかもしれない。あの時は全く気にも留めていなかったのだがそういうことだったのだろうか?
 しかしそれがわかったところでそのどちらも叱る気にはなれず、中島に事実確認の短いメッセージだけ飛ばして零児は隣で丸まっている物体に手を掛けた。そのままゆさゆさと揺さぶり、強引に目を覚まさせる。五分ほどゆすり続けていると強情な眠りネズミはようやくのことで声を発した。
「ん……あ、れー、じ……?」
「ああ、私だ。おはよう、と言ってやりたいところではあるが……その前に状況説明だけはして欲しい」
「へ。え、ええと」
「念のため確認しておくが……私の記憶のないところで、私が君に手を出しているなどということはなかったのだな」
「………はあっ?!」
 寝ぼけ眼をごしごしと擦っていた彼の表情が、その些細な質問で一気に覚醒へ導かれて驚愕の色に染め抜かれた。目をまんまるに見開き、先程までの泰然とした寝姿はどこへいったのか急に挙動不審になってわたわたと慌て出す。「ご、誤解、誤解なんだ!!」と両腕を振り回し、しかしそれを零児に取り押さえられると、遊矢は顔をかあっと赤く染めたままやや俯きがちになって「ごめん……」とぼそりと零した。
「そ、その……零羅に鍵貸してもらって、朝、ドッキリで起こしに行こうって……本当にそれだけで……零児は寝てただけ。悪いのは俺だから零羅のことは怒らないであげて」
 ゴーグルをしっかりと装着し、例のあの「目と目を合わせたくない時のポーズ」を取っている。零児から手厳しい一言が飛んでくることを恐れてか、肩が小刻みに震えていた。零児は仕方なしに首を振り、遊矢の頭をぽすぽすと叩く。
「いや、いい。君を傷つけたわけでないのなら……。それより、何故私をこんな形を取ってまで起こしに来たのだ? それには何か理由があるのだろう」
「あ、う、うん。あの……ええと」
 触れられた手の柔らかな動きに、零児が怒っていないことに気が付き遊矢はおずおずとゴーグルを外した。ゴーグルの下から現れた赤い瞳が、緊張をしのばせて躊躇いがちに零児の顔と壁の間に視線を行き来させる。
 優しく頭を撫でたまま「言ってみてくれ」と促すと、子犬のようにはにかんで遊矢は零児の降りている方の腕を握りしめた。
「今日、休みだって聞いてたから。四人で一緒に出掛けようって、そういう計画をユートとずっと立ててたんだ」
 花が咲いたみたいな笑顔だ。


「お忍びでお出かけするってやつ、よくドラマとか小説とかだとあったなあって。江戸時代のやつとか……なんか、そんな感じがする。サングラス掛けてると芸能人みたいだし」
「隼はあのコートを止めるだけで大分変わるだろうと思っていたんだ。そのあたりは、まあ俺もあまり人の事は言えないが」
 自分も腕やら首やらに攻撃的な装飾を施し、エクシーズ世界由来のやや毛色の違うセンスの服装をしていたことを指してユートが呟いた。
 それぞれ遊矢が零児の、ユートが隼を起こしてきて変装のつもりで着替えさせるというのが二人が立てた計画の第一段階だった。圧倒的なデュエルの腕を持つ天才少年として一躍時の人となった過去があり、その上現在では巨大企業の社長として非公認ファンクラブまで抱えている零児は勿論のこと、ペンデュラム召喚の祖として全国ネットに顔が出てしまいその筋の人間からマークされまくっている遊矢、LDS襲撃犯として一部に顔が知れ渡りジュニアユースで顔出しをしてしまった隼はいつもの格好で外を出歩くとあまりに目立ちすぎてしまう。そのため、外を出歩くためにはなんとか趣を変えて目立たないようにしなければならないと二人は考えたのだ。
 キャスケット帽を目深にかぶり、薄く色の入った眼鏡を掛けた遊矢はペンデュラムこそ肌身離さず首から提げているものの、常とはまったくイメージの違う服に身を包んでいる。ベージュ系のチェックを基調として、こじんまりとまとまってかわいらしい印象を抱かせる洋服のチョイスは実のところ柚子が密かに協力して選んでくれたものだった。
 零児は以前遊勝塾を訪れたときのフード付きパーカーを着ようとしたところをユートと二人がかりで阻止し、普通の帽子を被せてサングラスを掛けさせた。フードを頭から被っている姿はあまりにも怪しすぎたのだ。あれでは逆に人目をひいてしまいかねない。
 隼とユートはいつもの世紀末のような服装を一度やめ、舞網で若者の間で流行っているカジュアルな服装に身を包んでいる。ジーンズにシャツを着たユートの姿にはどこかクラスメートが着てくる私服のような親近感があり、いっそ毎日そういう服でいた方が楽なのではないかと尋ねたところ、そういうわけにはいかないと首を振られてしまった。
「裾の広がりがない上にコートの重量感もないという状況がこんなに落ち着かないとは思わなかったな……この装備では防弾さえまともに期待出来なさそうだ」
「俺、舞網市で生きて来て防弾機能が必要になったことなんてないんだけど」
「ああ、俺もあの日奴らが攻め込んでくるまではそれほど装備には気を」
「や、そういう話今日はいいよごめん」
「あれは俺達がはじめの侵攻を受けた日のことだ……突然の事態に俺達は慌てふためき、かりそめの防衛体制を整えるのが精一杯だった。圧倒的な敵に対して俺達は為す術を持たず、とにかく自分達の身を守ろうと」
「隼、同じ話を何度もするな。俺が何度その話を聞かされてると思っているんだ」
 空気を読まずに過去回想を始めた隼の脇腹をユートの右腕が目にも止まらぬ早さで掠める。そのままウッ、と呻き声を上げた隼だったが手加減をされていたのか気絶には至らず、何か言いたそうな瞳でユートを見つめるに留まった。
 外出の準備をすっかり整えた四人の元に、零羅がちょこちょこと歩いて寄って繰る。零児がいち早くそれに気が付き、「どうした」と腰を屈めて尋ねると彼はパーカーのポケットに手を入れて何か小さなものを取り出した。
「兄様たち……


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