17 You are Sacred forever(,even if you graduate Child.)

「それで」
 第一連王の寝室に設置された椅子にどかりと座り込み、両腕を組んだ威圧的な格好でレオが鼻息を漏らしながら重々しく口を開いた。
「結局、カイは七時間で目を醒ましたと。そういうことだな? ドクター」
 若干の怒りを押し込めているレオの様子に、問いかけられたパラダイムもなにやらしどろもどろだ。彼は後方でややきまり悪そうに仏頂面の親友と並んでいるあの男へ視線をやってから首を振った。彼はベッドから上体を起こして何かを喋っているカイを遠巻きに見守っているばかりで、こちらを手伝ってくれる兆しはない。どうやら彼ら二人とも、レオに対する説明と後始末に関してはパラダイムに一任したつもりのようだ。
「むう、何しろ私も事態の全容は把握しておらんから何とも言えん部分はあるが、おおまかにはそうなのだろう。あの真っ赤なギター使いの彼女がやって来てからやたらとめまぐるしく事態が揺り動いてな。フレデリックは一発殴らせろと言って聞かんし、彼女はそれに挑発をするし、ギアメーカーは上手く取りなせんだ、結局場を諫めたのはディズィー殿だった。それでギアメーカーがバックヤードへ跳び、幾らかが経った頃、カイが目を醒ました」
「今から何時間前のことだ?」
「三十分ほど前だな。その更に一時間と少し前から彼女の襲撃に伴う戦闘があったのだが、そちらには気がつかなかったのか、レオ殿」
「戦闘だと? まったくだ。第一この部屋だってそんな様子は少しもないだろう」
「ギアメーカーの優秀さたるや、だな。……む、どうやらお呼びのようだぞ」
 パラダイムが示した先でレオの来訪に気がついたカイがちょこちょこと手招きをしている。確かめたカイの顔はつやつやしていて、普段睡眠不足気味なぶん、七時間も眠ったあとだからなのかむしろ健康そうなぐらいだ。
 ずかずかとベッドサイドまで寄ってやると、珍しく人前で髪を下ろしたままのカイがわりと元気そうな声で小首を傾げて見せた。
「レオ、すまない、こんな時間に。職務の引き継ぎはどうなっている? 明日からは、平常通りに復帰出来ると思うんだけど……」
 そして何を言うのかと思えば開口一番にこれである。
 レオはこの腐れ縁の性質に今日ばかりはほとほと嫌気が差し、懐からさっとマイ辞書を取り出すと新しい項目を書き加えた。——「ワーカホリック……つまりカイのこと」。
「……レオ? 確か私はイリュリア正規騎士団の再編成についての書面をまとめている途中だったと思うんだが……」
「ええい、そんなものは俺がやっておく! 第一平常通りの復帰も何もあったものか。昨日の仕事は夕刻までの分をきっちりお前が終わらせていたし、俺はその上更にここまで夜勤を延長して、明日の分を繰り上げ処理していたんだ。寝起きのバンビーノが明日やるような仕事なんぞないと思え! まったく、俺が異変を察知して大急ぎで仕事を切り上げ戻って来たと思えば、お前はベッドの中で明日の仕事を心配しているときた。一体どういう神経をしているんだ? 病人は休め。いいから休め。あと十日は休め。ついでに奥方や息子とバカンスにでも行け」
「そうは言っても、見ての通り私は別に体調を崩していたわけではないし、一度バックヤードに行ったせいでむしろリフレッシュしてるから、仕事には差し支えないと思うんだが……」
「問答無用! なんなら三時間以内に第二・第三連王の連名で無理矢理可決してやるぞ。働き過ぎの第一連王に家族旅行の強制休暇を取らせるとな。いっそのこと新婚旅行にでも行ってしまえ。レジオンドヌール勲章授与式典までに帰ってくるならどこでも構わん」
 もう、カイが最悪十日は抜ける勘定でスケジュールをめいっぱい調整し終えた後なのだ。今になって急に明日から復帰しますなどと言われた方がよほど困る。それを随所に「むしろ旅行に行け」「家族サービスでもしろ」「迷惑掛けた分ねぎらえ」という旨を挟みながらたっぷり十分ほど力説し続けたところで、ようやくカイが折れる。
「あー、うん、わかった、わかった。なあレオ、頼むからそろそろ落ち着いてくれ。私はお前の血管が切れる心配をこれ以上したくない……」
「俺だって昔馴染みが何時間も寝込んだことを心配する機会には恵まれたくない。原因は分かったのか? 今後再発の危険性は?」
「いや、ないよ。今回のこれは病気ではなかったからね。それに、ちゃんと毎年健康診断も受けてる。こう見えても検査結果はオールグリーンだよ、まだまだ若いつもりだ」
「やめろ。お前にそれを言われると俺の立つ瀬がなくなる」
 とんとんと胸を叩いて朗らかな笑顔を向けてくるカイに、レオが思い切りこめかみを抑えて呻いた。カイよりほんの少しだけ年上であるレオに、その笑顔は眩しすぎる。あっちの成績までA+だったカイと違って、レオは未だにCーを脱却できていないというのに、歳月ばかりが無情に流れていくだなんてことをこんな時まで実感したくない。
「とにかく——お前は休め。おいソル、貴様からも何か言ってやれないのか」
 このままではどうあっても仕事に復帰すると言って聞かなそうなカイを見かね、レオは二人の遣り取りを黙って見ていたソルに話題を流した。意外にもこういう事柄にノリのいいソルは、レオの意図をきっちりと汲み、やれやれ……と首を振るとカイの肩にぽんと手を置く。
 なんだか見覚えのある仕草だ。レオは記憶を辿り、既視感の正体を探った。
 あれはそうだ、確かレオの記憶が正しければ……風邪をひいたカイがそれでも翌日のギア討伐戦に出ようとしたのでぶん殴って意識を奪い、医務室に留めさせる前にソルが見せたのと同じ動きではなかったか。残念なことにレオはその直後に遠征へ出てしまって実際のところは見ていないのだが、その後のカイはと言うと、十時間ほど不可抗力でこんこんと眠り続けていたらしい。カイがようやく目を醒ました頃には、全てを片付け終えたソルがベッドサイドに腰掛けて小難しい論文書を読んでいた……というのがことのあらましだったのだと、随分後になってから憤慨気味のカイに聞いたことがある。
「だそうだ、カイ。明日の予定は急遽バーベキューに決定だ。異論は」
「え、ええ……」
「マジで?! オヤジ、何処でやるんだ?! 母さんも一緒か?!」
「当然だ。ラムレザルとエルフェルトも連れて行くぞ。ロイヤルフリートⅠは目立ちすぎるからナシにしても、まあ、船ぐらい手配出来るだろ。ついでにそこから世界一周旅行でもするか。十日もありゃ、余裕で帰って来られる」
「やりぃ! はじめての家族旅行だぜ! 母さん!!」
 途端にシンが盛り上がりはじめ、ディズィーへ嬉しそうに飛びついていく。外堀をごりごりと埋め立てられ、妻子が嬉しそうにはにかんでいる様まで見せつけられては、最早カイに抵抗する手立てなど残されていないに等しい。
 カイは困ったように二度三度瞬きをすると、たっぷりと長い息を吐いて、「小型の船を手配すればいいんですね……」とお手上げの意を示した。
「どうしよう。こんなに長い休暇をいただくのは人生ではじめてかもしれない。レオ、休みをもてあましそうになったら、私はいったいどうすればいい……」
「子供が三人もいて奥方に舅まで一緒なんだろう? 退屈する時間なんぞないと思うが。たまにはゆっくり羽を伸ばしてこい。そうしたら、お望み通りいくらでもお前向けの仕事を回してやる」
「式典とか式典とか代表挨拶とか式典とかパレードとか挨拶とか国際会議とかだろう。本当は、そういうのはあまり好きじゃないんだぞ、私は。かといってお前が好きでないことも知っているが、ダレルもたまにはやるべきじゃないのか」
「形式ばった催し事は非合理的だとさ。……忙しくなるぞ。ここだけの話、次の聖皇をお前に兼任させようなんぞという声も出てきている。それを踏まえた上で十日間、世界を見て来い。これからの時代が何を望んでいるのか、確かめるために」
「それは困ったな。私は聖皇になるつもりなど欠片もないぞ。……そうとなれば、最大限お前の好意に甘えるとするかな」
 耳打ちをしてやれば、カイの眼差しがすうっと鋭くなる。聖騎士団や国際警察機構に所属していた頃と違い、連王就任以降カイはあまり身軽に動きをとれなくなった。昔は遠征だのなんだので世界各地を巡る機会も少なくなかったが、今は世の中がどう動いているのかを書類や諜報からの報せでしかなかなか把握出来ずにいる。ツェップの国連勧誘を題目に上げたG4の開催も間近に控えているし、慈悲なき啓示との戦いで面目躍如の活躍を遂げた「東チップ王国」にも来訪しておきたいところだ。
「カイ、そしたらさ……ちぇ、なんだよ。レオのおっさんと難しい話始めちまった」
 シンが母親と話をまとめ、振り返った時にはカイは難しい話をレオと繰り広げ始めている。なんだよ、結局仕事してるじゃんか。そう内心でぼやいてじっとりと父親の姿を見、そのうちシンはある事実を思い出した。……なんだか色々なことが起こりすぎてうやむやになってしまったような気がするが、結局カイの父親というのは、誰だったのだろうか?
 ソルの隣でやたらに穏やかな顔をして皆を見守っているあの男の姿を横目で確かめる。今はもうフードを目深に被り直されてしまい、あの少年めいた素顔はちらりとも覗けない。カイが目を醒ますまでは下げていたのに、カイには見られたくないのだろうか。とするとやっぱり彼が? もしかしてシンのもう一人の祖父?
 そういえば、イノが襲ってくる直前にジャック・オーが難しいことをたくさん言っていたような気がする。キンシンコーハイって、なんのことなんだろう。それを尋ねようとあたりをきょろきょろ見回して、シンはジャック・オーの姿がもう見えないことに気がついた。なんだ、もう、帰っちゃったのかな。あまり深く考えず、シンはそれなら仕方なしとばかりにソルの袖を引っ張る。
「なあオヤジ、そんで結局カイの親ってさ、やっぱ……むぐっ?!」
 そしてそう問うや否や、ものすごい剣幕で急に口を大きな手に塞がれてしまった。
「——ソイツは一生黙ってろ。墓まで持ってけ、いいな、シン」
 その時ソルが見せた表情は、シンが今までにこれほど壮絶な顔を見たことがあるだろうか、というぐらいに鬼気迫っていた。シンは養父に揺すぶられるままがくがくと頷く。コイツはやばい。マジジェットやべえ、もう二度と頭突っ込んじゃいけないやつだ。
「むぐーっ、もがもご、むげぐっ!! ——わかった、わかったってばオヤジ!! 言わない、絶対誰にも、誰にも……!」
 そうして振り子人形のように降伏と肯定を繰り返していると、「何をしているんですかソルッ!! シンを殺すつもりか?!」というとても病み上がりには思えない鋭いカイの声が遠のく意識の隅に聞こえてくる。「ああ、やっぱカイってこのぐらい元気な方がいいよなあ」……などとぼんやり考え、シンはあっさりと意識を手放した。きっと目が醒めた頃には、ピクニックへ向かう船の中だ。


◇◆◇◆◇


 バックヤードから帰還したあの男は、カイの魂が肉体へ戻り始めたことを確かめてフードをまた頭に被せた。共に帰ってきたアクセルは安堵したのか肩の力がすっかりと抜け落ち、その隣ではイノが一仕事終えたと言わんばかりに息を吐いてとっとと行方をくらましてしまう。
 その様子を眺めながら、ジャック・オーが手持ちぶさたに手のひらの中のアンプルを揺らしていた。それから何を考えたのか彼女はアンプルを握りつぶしてぱっと壊してしまったが、それに声を上げる者は誰もいなかった。
 一方両腕でカイを支えていたソルは、徐々にカイの肉体が重みを増していくのを感じながら、ディズィーやシンに目配せをする。それを受け、何かを言いたげに口を開いたシンをディズィーがそっと人差し指を唇に当てて咎めた。彼の目覚めは、静寂が守られた一人の男の腕の中で行われるべきだ、とこの場の誰もがそう解釈していた。
「ソル」
 そうして、ゆっくりと開かれたまぶたの下から現れたのは、あの純潔の花を閉じ込めたような海色の瞳だった。
「お父さんに、会ったんだ」
「……そうか」
「随分、へんくつな人だった。お前が会ったらきっと怒って殴りかかるな。うん、絶対に会わない方がいい」
 ソルの腕の中に抱かれていることにも構わず、目覚めたばかりのカイがぽつぽつと一人語りをはじめる。バックヤードに連れ去られていた魂はすっかりと肉体に戻り、はっきりとした言葉をソルに告げていた。思わずソルは彼を抱く腕に強く力を籠め直す。もう二度と取り戻せなかったら、という不安を、心のどこかでずっと抱えていて、まだ少しだけ不安が拭えないのだ。
「でも、会えてよかったと思う。……なんて言ったら、お前はやっぱり怒るのかな」
「……ああ。そりゃあ、血管ブチ切れるだろうな。どんな理由があろうと、たった十の子供をギアの群れに落っことしていったろくでなしだ。育児一つまともにしやしねえでクソガキを押しつけやがって」
「……そう、かもな。あの人の愛情は、ちょっと変わっていたようだし……」
 カイの手がケープの下に伸びる。そこに掛けられていた十字架を握りしめ、彼は一度まぶたを伏せった。この十字架はバックヤードで思い切り投げ捨てていたが、あれは魂だけの状態での行動だったので、現実の肉体には掛かりっぱなしだったのだ。けれど今はもう、これを投げ捨てるような気分にはなれない。「先生」がカイに十字架を掛けた意味を、彼が間際に懺悔した言葉を、朧気にだがカイは聞き届けていたからだ。
「けれどその根幹は、きっと私が生まれたばかりのシンに洗礼を受けさせた時の気持ちと一緒なんだろうな」
 シンに継承させた「祈りの結晶」と同じ鋳型で複製した十字をなぞり、カイが言った。
「子供には、やっぱり、元気に育ってほしい。いつか私の手を離れていくとわかっていても、自分から子が生まれたという事実を忘れることがない限り、親という生き物は子を想うことを止められない。私はシンの独り立ちを阻止することは絶対にないけど、でもそれを寂しく思わないかと聞かれれば話は別だ。離れていてもずっと心配をするし、だからかな、今思えば、私が息子に十字架を持たせた理由も同じだったんだろう」
「テメェのクソ親父殿とか? そいつは……」
「ああ、そんな顔をするな、それでも同じなんだよ。これはな……祈りなんだ。神の如きあらたかさはなくとも、確固たる強い想いだ。子供を守ろうという。しかしてそれをそのうちに子が疎ましく思い始めるまでも、まあワンセットなのかもしれないな。子の心、親知らず。そして親の心、子知らず。親子というものは往々にしてすれ違う。いつの時代も同じように」
 十字架から指先を離し、カイの手のひらは自分を支える男の頬へそっと伸ばされる。この男も、カイにとってはれっきとした育て親の一人だった。今よりもっと子供だった頃、ソル=バッドガイはカイを叱り、時になだめ、子供扱いした。カイがいつの間にか大人になってしまうまで、ソルはカイを対等に見立てるその一方で無意識のうちに庇護すべき対象として見ていた。
「でも……それでいいんだ。きっとね」
 カイは微笑み、十字架を服の下に戻す。
 そうしてかつての父であり今は友である男の腕からゆっくりと起き上がり、彼は確かな足取りで妻と子のそばへ歩み寄っていった。
 開け放たれた窓の向こうに、惹き寄せられてしまいそうに丸い満月と満天の星々が輝いている。神様が創ったからそうなのだとシンが言ってはばからない星空に照らされ、造物主にかくあれかしと祈られて生まれた男が妻子と抱き合う。そしてひとしきり再会のハグを喜び合ったあと、彼がふわりとこちらへ振り返く。
 その姿に在りし日の少年の面影がかぶって見え、ソルは思わずまぶたを擦った。
『ソル——わたしは、大人になったでしょう? わたしの向かいの部屋にあなたが越して来たその日から、ずいぶん』
 一七八センチの青年に見え隠れする一六五センチの少年が上目遣いに見上げてくる。親の顔を見てみたいもんだなと言う売り言葉に、ごく素直な声でその思いに関してはわたしも同じです、と返してきた起源のない少年。男に抱かれる悦びを教えられ、それに興じるようになってなお、純潔と神聖をその内に満たし続けた幼い彼。だからソルは、いつもどこか浮ついた空気をまとうその子供に、目を離した隙にこの地上から召されてしまうのではないかという危機感を抱き続けていた。
 彼が大人になってしまったことに気がつく、あの時まで。
「……まだ坊やが抜けねえな、カイ」
 心にもない言葉を嘯けば、こちらを見るカイがキスをねだる時と同じ仕草でふわりと唇を尖らせる。
「相変わらず嘘がへたくそだな、おまえは」
 ……十五年前からずっと。
 そう言ってカイは、悪戯っぽい大人の表情ではにかんだ。








/少年神聖