30:エピローグ/まだ歩き始めたばかり
「結局さ」
ヨハンがルビー・カーバンクルの背を撫でながら言った。
「宝玉獣達は、本当の本当に俺の家族だったわけだ」
「お前というか、商家の四男坊のヨハン少年のな。お前の家族はあの愉快なご両親だろ」
「あとまあ、はっちゃけた親戚もみんな家族だよ。ゆくゆくはお前もな、十代」
「あー、もう、そういう恥ずかしいこと真顔で言うの止めろ!」
ヨハンの髪の毛をわしゃわしゃと掻き混ぜて十代が真っ赤になって叫ぶ。照れ隠しのつもりなのだろうがまるで隠せていない。
「なあ、アメジスト。何か言ってやれよぉ」
『そうねえ。あなたアンバーに言われてたこと覚えてない? 「焦る男とはとかく見苦しいものだ」』
「うわ、勘弁。前々からアメジストは母親みたいだって思う時があったけど、本当に母親が二人になるのは嫌かもしれない」
『口うるさいのが二人だとなぁ。面倒くせえよな』
『……余計なことを言うからどつぼにはまるんだぞ、コバルト』
口を滑らせてアメジストから手痛い報復――「アメジスト・ネイル」を受けるコバルトを見てサファイアが溜め息を吐いた。コバルトはいつも一言余計なのだ。そのせいで最後まで嫁が見付からなかった。
「でもこれでやっとルビーが一人だけ天使族だった理由が解明出来たぜ。アメジストやサファイアが獣族だったり、エメラルドが水族だったりするのはわかるけどルビーが天使族だったことだけは最後まで納得いかなかったんだ。獣族でいいだろ。ルビーも」
『るびるび?』
ルビーを抱き上げながらヨハンは続ける。些末なことだが、ヨハンも十代と同じようにディスクなしで精霊を実体化させられるようになってしまっていた。破滅の光が残していった能力だ。染み付いて取れないものだったらしい。だからルビーは当然実体化していて、もふもふと柔らかい。
「で、なんでルビーだけ天使族だったのか、その理由は?」
「簡単だよ。ルビーは生まれたばかりの妹だったわけ。赤ちゃんだったんだ。言葉を覚えていないから他の家族たちのように喋ったり出来ない。それに十代、よく言うだろ。赤ちゃんは天使だって」
「……そんな理由?」
「そうさ。だからいつか、俺と十代の間にも天使が生まれるんだな!」
「だーかーら、やめろってば!!」
まだ会ってから一ヶ月ぐらいしか経ってないんだぞ! と十代の怒号が響く。そう言われてみればそんな気がする。まだアカデミア・ハイスクールでの扱いはぴかぴかの新入生のままだし、中間テストだって一回も受けていなかった。
「すっかり忘れてたよ、そんなこと。なんかもう数千年は一緒にいたような気がするもん」
「まあな。それは俺も否定しない」
すごい大変な数千年だったけど。そう言ってやるとヨハンもまた感慨深そうな表情になって。うーんと唸った。記憶を辿っているのか、時折ぴくりと眉が動く。
「でも一番ぐったりしたのは、後始末の時だった気がする」
たっぷり考え込んでからヨハンはそう結論付けた。後始末――つまりあの、決着の後の出来事だ。シティを混乱に陥れた後の、面倒事を思い出して十代は何とも微妙な面持ちになった。
◇◆◇◆◇
白昼夢から帰還した先は、夢のような現実の続きだった。瓦解したレインボー・ルインの遺跡はまだ上空に居座っていてシティ全域の警戒宣言は依然解かれていない。その中央をぶち抜いて現れた赤き龍は十代が目蓋を開けたことを認めるとまた一声咆えて、十代とヨハンを赤いボール状の膜に包むとそのまま地上へと連れ出した。
「え、ちょっと、待って――」
どんどんと遠くなっていく空の上には夜空を侵食しているフィールド魔法が残留したままだ。十代は慌ててディスクを見てデュエルが現在どういう扱いになっているのかを確認した。ライフを示す値は〇〇〇一。地縛神の効果で減らされた値のままで、〇にはなっていない。
速攻魔法「Beyond the World」の効果でデュエルは終了したものと思っていたのだが、どうもカードのエネルギーというか使用者の意識が『連鎖し続ける殺し合いの運命』を強制終了させたところで切れてしまったのが原因でデュエルが終了していないらしい。
十代はヨハンが気付いてくれることを祈りながらサレンダーの命令をディスクに叩き込んだ。程なくレスポンスが返ってきて、ヨハンの側でサレンダー宣告が受理されたことを告げるメッセージがライフの代わりに流れる。その直後、上空を侵食していた遺跡は綺麗さっぱり消え去った。ネオドミノシティに夜が戻ったのである。
十代はそこで安心しきって、意識を手放してしまう。「ああ全部終わったんだな」という充足感に満たされて気絶という名の眠りに落ちていくのだった。遠くで何人かの声を聞いたような気がした。
「お帰り」という声で目を覚ます。父の声だ。十代の父、不動遊星は少しやつれた表情で、しかし力強く目覚めた十代を抱擁した。その後ろに母のアキがほっとした様子で立っている。更に見渡すと龍亞や龍可、ジャックの姿も見えた。ジャックはそわそわしながらコーヒーカップを口に付けていたようだったが、十代が目覚めたことに気付くとカップをテーブルに戻した。軽い音が響く。空のカップだったらしい。
「お帰り、十代。エビフライ、一応作っておいたんだが食べるか」
「……今はいいや。あんまりお腹空いてない。それよりすごい疲れちゃってさ……あ、」
そういえば自分が、正確には自分の体を動かしていた優しい闇と破滅の光が引き起こした混乱は収まったのだろうか?
「……シティは?」
「いくつか問題が残っているな。だが報告書はまとめて『問題なし』で通すつもりだ。セキュリティも市役所も融通が利く」
「……残ってる問題って」
「落下物によるビル等の破損、それに伴う怪我人への説明と手当。世界中に観測されてしまった怪現象をどう説明するか。その他諸々」
十代は一度取り戻した意識がまた遠のいていくような気がした。どうして彼らはそこまで配慮してから行ってくれなかったのだろう。それも試練だというのだろうか。笑えない。
「俺、どうすればいいんだろう」
「今は休んだ方がいい。疲れているだろう。ところで、十代、……十代さんは、行ったんだな」
「ああ、うん。元々遊城十代は死人だったし。あれは死者の残りかすみたいなもんだった。だからあるべき形に還った」
「そうか」
それだけ確認すると父はすっと立ち上がり、「職場に戻る」と簡潔に述べた。先程「報告書」と言っていたし、まだやることが山積みなのだろう。重ね重ね申し訳ない気分になってくる。父の肩凝りを治すどころかかさ増ししてしまっていた。
父がコートを着込むのを横目で見ながら罪悪感に苛まれていると、龍可が寄ってくる。龍可は気分はどう、と声を掛けて十代が寝ているベッドの横にちょこんと座りこんだ。
「どう、十代。後悔はしないで済んだ?」
龍可が尋ねた。十代は勿論、と首を大きく縦に振る。
「後悔だけはしてないよ。色々体験させられて、考えさせられたけど。皆、色々ありがとう。父さんの声も母さんの声も龍亞兄ちゃんも龍可姉ちゃんもジャックもクロウも俺のことすっごい心配してくれて、ありがとう。心配させてごめん。クロウにも連絡しないとなぁ……そういえばさ、ヨハンってどうなったの?」
終わったら連絡を寄越せと言っていたクロウの言葉を思い出し(彼は今仕事の都合でネオドミノを離れていたのだ。世界中どこにいても確実に繋がる赤き龍の力の凄まじさである)、それからヨハンの無事を確認していないことに気が付いた。その言葉を聞いた途端、遊星の肩がぴくりと震えて龍亞が顔を震わせて必死に何かを堪え出す。すぐに噴き出したので堪えていたのは笑いだったのだなと十代にも理解が及んだ。だけどなんで必死に笑いを堪えているのだろう。
「……ヨハン君なら」
遊星がなんだか変な声を出す。
「妙なことを口走っていたので、その、だな……そこで沈んでいる」
示された先に視線をやると、ジャックのコートの裾が邪魔で見えなくなっていたがよくよく見ると小さく盛り上がった白い山があった。布団の中でのびているヨハンだと理解するのにワンテンポラグが生じる。
(ヨハンの奴さ、気絶した十代から離れようとしなかった上に遊星を見た瞬間「娘さんを俺にください」とか言い出したんだぜ。遊星すごい顔になってさあ、まあ、後は簡単だよ。遊星本気になっちゃって「ならばデュエルだ」って言って本当にデュエル始めちゃうの。元々体力消耗してたヨハンが勝てるわけないよなー)
まだ笑いが止まらない様子の龍亞がこっそり耳打ちしてきた内容に十代はかあっと頬が染まるのを感じた。あの馬鹿は急に何を言い出しているのだ。
◇◆◇◆◇
「あの後父さんお前の名前が出る度に落ち着かなくてしばらくの間大変だったんだぞ。どうしてそんなこと言ったんだよ。愛を叫ばされすぎてヨハンまでおかしくなっちゃったのか?」
「んー。感化されてる部分はあるかも。でもあの件を通して、決まったんだ。十代はやっぱり俺の特別なんだな」
「……特別って」
「今はまだデュエルしてたいって気持ちも大きいけど、きちんと付き合って結婚して家庭を築いて……あいつはもういいって言ってたけど、あいつが夢見てた幸せな家族になりたい。十代と」
真顔でそんなことを言って、キスをする。唇と唇が触れ合う。気恥ずかしいが、しかし悪い気はしない。十代も大分当てられてしまっているようだった。優しい闇になった、あの幼気な少女に。
「ばか」
「好きに言ってくれ。それにあいつも最後に言ってただろ、『お前達はお前達で幸せになれ』ってさ」
「まあ、な。でもそのためには乗り越えなければいけない強大な壁がある。ヨハン、お前それを忘れちゃいないだろうな」
十代は指で父の特徴的な髪形のシルエットを描く。ヨハンはやや引き攣った笑みを浮かべて頷いた。父にこてんぱてんにのされたのが結構なトラウマになっているらしい。
「今度は負けないし、もっとタイミング見計らって言うよ。それにレインボー・ドラゴンも今はもう万全の調子だ。絶対に勝って十代を手に入れてみせる!」
「言ってることが破滅の光に似てる」
『ああ。心あるものならもう少しレディを気遣った言い回しを用いた方がいいな』
十代の呆れ声の後に思いがけない声が続き、二人はびっくりして部屋中を見渡した。透き通ったアルトの声。嫌に馴染んだ声だ。そしてもう二度と聞くはずがないと思っていたものだった。
『そう探さなくとも、ここにいるぜ。ヨハン』
その言葉と共にヨハンのデッキから飛び出してきたのはミニチュアサイズのレインボー・ドラゴンだった。なんだかぬいぐるみのような愛嬌を放っていたがしかし間違いなくそれは究極宝玉神レインボー・ドラゴンで、かつてあの奔流の中で心を失って以来ずっと空っぽのままだった宝玉を束ねる神の姿だ。
「レインボー・ドラゴンが喋った」
『そう驚くことないだろ。宝玉獣達に宿っている心は生前その精霊を宿していた俺の家族の心だ。だったら同じ理屈で、俺がこの龍に宿ったってなんにもおかしくない』
「……しかも、あれだけ感動的に別れを演出した奴が中にいる」
『心配するな。破滅の光は大いなる光の中に還った。同じように優しい闇も還った。俺はただの「ヨハン少年」』
「なにこれ。すごく胡散臭い」
「胡散臭さが染み付いて取れないんじゃねーかな」
『……傷付くな』
ヨハン少年、もといぬいぐるみサイズのミニチュアレインボー・ドラゴンがしょんぼりと頭を下げる。その様がどうしようもなく愛らしくて思わず十代は手に取ってまじまじと見つめ、それからぎゅうと抱き締めてみた。思いの外柔らかく、本物のぬいぐるみのようだ。
「やばい。お持ち帰りしたい可愛さだ」
「中身は可愛くないぜ? 一緒だった俺が保証する」
絆されていると見たヨハンが胡散臭そうな視線を投げかけたまま十代にそう告げる。
『まああれだ、不動遊星に勝つのが面倒だったらいつでも俺に言ってくれ。十代を手籠めにして既成事実を作るのは朝飯前だ』
「……何言ってるんだこれ」
「この流れでこの発言とか信じられない」
場の空気を致命的に読めていないミニチュアレインボー・ドラゴンの発言に流石に十代も顔を顰め、抱っこしていたレインボー・ドラゴンをぽいと放り投げた。『いて』、と情けない声が上がる。それからサファイアとアメジストの方を見遣ると二匹は頭を抱え込んで黙ってしまっていた。純情だった四番目の息子の恐ろしい発言に言葉を失ってしまっているようだった。
「俺達、こういう親泣かせにはなりたくないな」
ヨハンが言った。十代も真面目な顔で同意する。
「もう父さんには散々迷惑かけちゃったけど、これ以上はもう迷惑かけられない。とりあえずヨハン、寝ている間に体乗っ取られないように気を付けてくれ」
「ああ……うん。わかってる……」
ヨハンは沈鬱な面持ちになる。だが十代の方に顔を向けると、「まあ大丈夫かな」と言ってにこりと笑った。
「こいつの言葉を借りるのは何か癪だけど、俺達は未来ある子供なんだからさ。ゆっくり考えていけばいいんだ。……遊星さんをなんとかして倒す方法も」
「……そうだな」
「だからさ、十代。改めて言わせて欲しいことがあるんだけど」
「何だ?」
改まって言うことなどあったかと十代が首を傾げていると、ヨハンの腕がするりと十代に伸びてくる。そのまま彼は十代の体を軽々と抱き上げた。空中に急に体が浮かんで、わっ、と驚きの声が漏れる。けれど本当に驚いたのはその直後にヨハンが囁いた言葉だった。
「ずっと、君のことが好きだった」
ヨハンの心音が近い。眼差しは真剣そのもで、冗談を言っているふうではない。だから十代は唇が触れ合ってしまいそうな程近い距離で、その告白に応えた。
「俺も、ずっと好きだったよ。ヨハン」
もう何千年も。そう言ってやるとヨハンはくしゃくしゃに笑って、抱き上げたまま十代にキスをした。
<デッドエンド・ワールド・完>