エクソシストにラブ・ソングを 01


「というわけでテンシをブッ倒しに行こうと思う!」
 ――なんてことを高らかにLeaderが宣言したので、私は度肝を抜かれ、呼吸を止め、三秒たってから深呼吸と共に絶叫する羽目に陥ったのでした。
「神の僕たるExorcistになんてことを言うんですかあなたは!! この人でなし! いえ、あなたが人でないことは重々承知ですが!!」
「あはは! おれ、妖精王だし。まあ、人間じゃないなっ」
「そういうことを言っているわけではありません。天使といえば、私が仕えるべき神のお遣わしになる、貴き使者。それを事もあろうかぶ、ぶ、『ぶったおす』などと」
「え〜、でもさ。歴史上、最も多く人間を殺してきたのはまあ人間だけど。伝承上最も多く人間を殺してきたのは天使だぞ? 妖精や吸血鬼なんか比べものにならない。天使ほどの虐殺者はこの世にいない」
「そうそう。あいつら、加減ってものを知らないからねえ。平気な顔して街ごと潰したりするじゃん。ス〜ちゃんも聖職者なら、ソドムとゴモラを焼き討ちしたのが誰かぐらい知ってるでしょ」
「……それは……」
「そういうこと。しかも今回の相手は、あの、『神の炎』。今代のウリエルだよ。裁きの熾天使……その代名詞。けど、ちょっと法悦を派手にやりすぎたね……」
 最近の天界は盗っ人猛々しいよねえ、なにしろうちのま〜くんまで連れて行こうとするんだから、と凛月先輩が背筋の凍るようなまなざしで私に微笑みかけます。そんなことを申されてもこの司にはわかりません。だって四大天使が法悦の権利を持っているのは当然ですし、Exorcistは元来、インキュバスやオベロン、ヴァンピールにゴルゴーンと手を結んで天使に是非を問いかける存在ではないのです……。
 けれど先輩方は私のそんな悩みに配慮する素振りなどこれっぽっちも見せず、さも私も同行するのだからというふうに、どんどん話を進めてしまいます。
「くまくん。かさくんはあんまりこっち側のルールに精通してないんだから、もうちょっとぐらい噛み砕いてあげなよ。あんたが衣更を法悦されそうになってキレてた現場も、見てないんだし」
「あ〜……そうだった。あの時ス〜ちゃん、里帰りしてたんだっけ……」
「何かあったのですか?」
「あったなんてもんじゃないわよォ。凛月ちゃんたら、大暴れよ、大暴れ。王さまの力で結界張ってなかったら、お城じゅう全部引っ繰り返ったまま修復不可能になってたわァ」
「ひっ……」
 お、お城じゅう! 私は顔を引きつらせて息を呑みました。
 私たちKnightsが根城にしているCastleは相当な大きさがあり、妖精王たるLeaderが下級妖精たちに命じてお世話させることで日々の清潔さを保っているのです。逆に言えば、個人個人の努力では掃除も破壊も一朝一夕にはいかないということで……。そのCastleを一人でボコボコにしたというのですから、やはり凛月先輩は恐ろしい吸血鬼なのでしょう。ふだん、丸まって寝ているところを見るとまったくそんな感じはしないのですが。私の血も飲まないし……。
「人のものに手を出すのは、ちょっといただけないよねえ……。ま〜くんの過去は俺のもの、現在も俺のもの、未来も俺のもの、なんだから。第一、聖職者でもないま〜くんを列聖に値する功績もないまま法悦なんて、きなくさすぎる」
「Canonizatio、ですか。確かにそれは大がかりですね。聖職者でもないのに取り立てるとなると、旗持つ聖女ほどの功績が必要でしょう」
「そ。ま〜くんは確かに、四人で組んで革命を成し遂げたけど。それは流血を伴わないとてもクリーンな革命。教会が己の権勢に引き込もうとしてスカウトかけてくるまではともかく、執拗に法悦のチャンスを狙った挙げ句、次はウリエルまで出てくるって? 白々しすぎるでしょ。裏が、見え透いてるんだよね」
「おんなじようなこと、レイも言ってたなあ」
「レイって、あの凛月ちゃんのお兄さん?」
「そ。朔間の胡散臭い方にして当主。吸血鬼でも最大の名家を襲名したもんだから、若いナリして化け物みたいなコネクション持ってる耳年増」
「ん〜。あの、兄者っぽい人が、意味わかんないくらいコネ握ってるのは、確かだけど……。俺のやることには干渉してこないから、あんまし気にしなくてい〜よ、セッちゃん」
 凛月先輩が、瀬名先輩の肩をポンポン叩いて微笑まれます。ううん。私、このあたりの家庭環境がよくわかっていないのですよね、未だに……。凛月先輩が、吸血鬼界隈では名だたる名家の出身なんだろうなということは、最近ようやくわかってきたのですが。お兄様、そんなにすごい方なんでしょうか。いかんせんお会いしたことがないからよくわからないのです。
 いえ、由緒正しい(Leaderに言わせると血統書付き=jExorcistである私が、吸血鬼の名家と以前から交流があったら、私は破門されているのですけれど。
 というか、妖精王直々の言霊に加えて吸血鬼の血の誓約で縛られ、ゴルゴーンの誓願とインキュバスの契約に縛られている今も、本当は破門されてもおかしくない状態なのですけれど……。
 何故か今の聖教会上層部はそんな私を泳がせているので、私は今日も厄介事に巻き込まれるのです。
 突然思い出したように項垂れた私のそばに、Leaderが寄ってきて、満面の笑顔を向けてきます。ああ、なんだか、嫌な予感。Leaderの笑顔というのは大抵の場合ろくなものに繋がっていないのです。この方は本当に本当に本当に常識知らずなので。
「で、だ。スオ〜に聞こうと思ってたんだけど、今代のウリエル、なんて名前なんだ?」
 かくして転がり出てきた言葉は、破天荒という言葉に申し訳が立たないほどに、常識知らずな一言でした。
「おれさあ、先代までは面識あるんだけど、そっからしばらく引きこもってて、代替わりあたりのことよくわかんないんだ」
「え、ええっ!? よもやそんなことも知らず、ウリエル様を倒すだのなんだのと息巻いていたのですか!?」
「わはは! 知らんもんは知らんし! 名前より大きく悪行が一人歩きしてるんだから、仕方ないなっ。それで? ウリエルの名前は?」
「はあ……なんてひとたち……」
 本当に、なんてひとたち!
 私はくらくらと眩暈がする身体を押さえ、ゆっくりと唇を開きます。そして……仕方なく、その貴き御名を先輩方に伝えてさしあげたのです。
「――天祥院英智。天祥院のお兄様が、今代のウリエルを襲名した御方であらせられます」


◇◆◇◆◇


 それは燦々と木漏れ日の差し込む、とあるバルコニーでのこと。
「日々樹くん、日々樹くんや。『神に似たる者』ミカエルともあろうものが、朔間の当主と葡萄酒なんか飲んでると知れたらスキャンダルでは済まされんぞ。わかっておるのかそのへんは」
「無論ですとも! ですが、人生は常にスリリングでなくては。その方が面白いでしょう?」
「人生って。おぬし、生まれた時から純血の天使じゃろうが。いやまあ、ひとから召し上げられたと言われた方がしっくりくるほど、天使としては破天荒じゃけども」
「それは褒め言葉ですね零! ああっ……ところで零、私……実は法悦したい子が一人いるんですよね。氷鷹北斗くんと言うのですが、なかなか面白い子ですよ。才能があるくせしてからっきしなあたりが最高です♪」
「おおう、なんて悪い顔じゃ。おぬし本当に天界を牛耳る四大天使なのかえ?」
「それはもう! 気がついたらいつの間にか! 天使の権力バランスは本当に杜撰ですね! Wonderful……☆」
 美しい空色の髪を結った天使が、大仰に手を広げてなどと演説を打つ。朔間零は「しょうもないのう」と楽しげに溜め息を吐き、法悦はほどほどにしておけと手を振った。
 近頃の天界では、「法悦」という単語が異常なまでに飛び交っている。まるでお手軽な入信儀式か何かのような扱われようで、吸血鬼の長としては笑える要素などびたいちないのだが、渉が口にする「法悦」にはそういった風潮を皮肉る趣がある。要は彼も昨今の天界の在り方に疑問を投げかける方の存在なのだ。
 氷鷹北斗なる人間に目を付けているのは確かだが、実際に法悦を下すつもりはまだなかろう。
 法悦とは、神の権威を持って人や土塊を天の御遣いに召し上げる至高天の誉れ。本来であれば、四大天使の決議がなければそうそうまかり通ってはならない行為だ。
 なにしろ、法悦された人間がもつ徳の高さがそのまま、天使に変生した際の能力に結びつく。そのため、列聖者ばかりを法悦するという慣例上、天界の勢力図に法悦は密接に関係しているのである。
 零が記憶する限り、最後に四大決議による正式な法悦が可決されたのは、ざっと見積もって二百年は前。現在の四大天使に代替わりするずっと前の話だ。
「天祥院くんはなんと?」
「英智は、まだそのあたりを泳がせているようですねえ。聖教会の腐敗が背景にありそうなので。天使信仰を笠に着た人間の仕業ではないかというのが、おおまかな見立てです。問題は、それに法悦可能なクラスの天使が使役されている可能性の方ですかねえ……」
「それは、まあ……なんとも。我輩には、コメントしづらい状況じゃのう」
「あっはっは! ご心配なく、朔間のご当主に天使狩りの要請などしませんよ!」
「なんじゃい、堕天で片付けるわけではないのか」
「なんでもかんでも堕天させていたら、我々は今にあなたがた悪魔に太刀打ち出来なくなってしまいますよ」
 嘘こけ、この呼吸する移動式遊園地が。
 同じ「三奇人」として日々樹渉の実力をよく知る零は苦笑いを含ませ、やれやれと首を横へ振った。天界随一の実力者がこんなところで油を売っているのだから、とっくに仕込みは終わっているのだろうと思ってはいたが……どうやら事態は、思っているより急速に進んでいるらしい。
「つまりもう罠は張り終えていると?」
 零が唇の端を赤い舌でちろりと舐めて問うと、渉も怪しげに微笑む。
「Amazing! 素晴らしい観察眼です、零。ご明察の通り、事は既に動き出しています。ほら、先日『王さま』さんのところに、聖教会のエクソシストがひとり拉致されたでしょう?」
「あー、月永くんのところの。凛月が嬉しそうに話しておったのう、あの子のあんな笑顔は久方ぶりに見た……☆ 確か、朱桜司くんじゃったか? Knights≠フ全員と多重使役契約を押し掛け婚の如く結ばれたとかいう話じゃが」
「そうそう。それで、そこにちょっとした情報と餌を撒いておいたら、どうやらKnightsが総出で殴り込みに来てくださることになったみたいで! よかったですねえ零、オベロンとウリエルのガチンコなど、そう見られるものではありませんよ! 世紀のショーになること請け合いです!」
「ははあ、月永くんと天祥院くんの…………………待て。テメ〜今なんつった。『Knightsが総出で』? 『fineに喧嘩を』? アホか!! 俺の凛月に何かあったらたとえ渉だろうと黙ってねえぞ!?」
「Fantastic、いい顔ですよ零! ですがご安心を! そのために朱桜司は自由にさせているのです。四大天使の勅命で聖教会をコントロールまでしてね。英智の狙いも、そこにあります……♪」
 ――つまり、fineとKnightsを激突させることで、コソコソ隠れている真犯人をおびき出そうという古典的な手口なのですよ、これは。
 渉の唇が、美しい音色を伴って陳腐な台詞を吐き出した。零はチッ、とこれみよがしに舌打ちをする。なるほどそういうことか。今回渉が零を呼び出したのは、「だから余計な手出しはするなよ」という牽制の意。
 どうせあの用意周到な英智のことだ、何重にも予防策は張ってあるのだろう。たとえばそれは、fineが不当に傷付かないための用意だとか。或いは、Knightsの面々が天界から大々的に敵視されずに済むための根回しだとか。はたまた、朱桜司が聖教会で立ち位置を危うくしないための下準備であるとか。
 しかしそのどれもが、「朔間零」という絶対権力者の台頭でご破算になる恐れがある。凛月を巻き込んでしまった以上、それだけは未然に説明をして防いでおかねばならないのだと天祥院英智は考えたのだ。
「クソが。俺を過大評価してくださるのは結構だがな、やり方に筋を通せ。場合によってはうちのUNDEADを差し向けるところだぜ」
「おお、怖い……☆ まあそれについては、私からも英智に言い含めておきましょう。旧友のよしみで零に無茶苦茶なお願いを出来るのも、あと二度だとね」
「勝手に俺を仏にするんじゃねえ。次はもうね〜からな」
「心得ていますよ。けれど零、大丈夫です。本当に。弟君は強い子でしょう? 守るべきものも増えたみたいですしね」
 渉がにこりと笑う。邪気も打算もない、魔術師の最も美しい横顔。そんなものを隣で輝かされては、零とて怒りを静めるしかない。
 零はしばらくの沈黙の後、とうとう渉に根負けし、険しい顔を引っ込めて元の好々爺の面差しへ戻した。まったくこの純血天使は役得だ。零が思うに四大天使ミカエルの本質はそういうずるい気質にある。頭上で輝く栄華の光輪も、背に広がる熾天使の六枚羽根も、それに比べたらおまけでしかない。
「……。司くんか。まあ、あの子にとっても、大事な後輩のようじゃ。眷属契約とまではゆかずとも、使役契約を結ばせてやったぐらいじゃからの。しかし日々樹くん、よいのか。いくら四大天使が手を回したところで……そもそも、妖異に深入りしたエクソシストに幸福な未来など待っているとも思えぬが」
 零がぼそりと呟く。渉はわざとらしく羽根を広げ、きらきらと光の粒子をあたりに降り注がせた。それから己の心臓に手をやり、すうと天へ向かって伸ばす。途端に彼の背後から真白い鳩が現れた。鳩は次々に数を増し、すぐさま十匹ほどの群れになり、空を横断して消えて行く。
「……いや、なんじゃ、今の」
 零が呆気にとられて訊ねると渉は笑った。
「平和の証ですよ零! ――これはね、試練なのです。朱桜家は確かにエクソシストの名門です、なにしろあの天祥院と少なからず交流のある名家です。けれどね、岐路に立たされているのも事実。ですから少なくとも私は、願っていますよ。彼というエクソシストが、天使と妖異の架け橋になれる未来をね……」
「そんな義理、日々樹くんにはないじゃろ?」
「ふふ。そうですね、私が目を掛ける理由も根拠も薄い。けれど世界は面白い方が素晴らしいと相場が決まっていますので! 英智が面白くしようとするのなら、私はそのお手伝いをしますよ!」
 そもそも遙か彼方昔は、私たちは天も地もなく手を取り合って面白おかしく過ごしていたじゃないですか。
 そう微笑むミカエルの双眸は、ともするとよほど悪魔の囁きに近しい色を映し込んでいて。
 零は「やれやれ……」と頭を掻き、すっかり生ぬるくなった葡萄酒の杯に口を戻すのであった。