エピローグ


「あれ、王さま、何してるの。ふうん……『進路希望調査書』……? なにこれ。三年生って、みんなこれ書いてるの」
 スタジオのテーブルに突っ伏していると、後ろから気怠げな声が落ちてくる。レオはゆっくりと振り返り、その声の主にひらひらと手を振って応える。
「おおリッツ、うっちゅ〜。どしたの? 今日は確か、練習は休みだろ?」
「練習ないから、寝に来たんだよ。ここには俺の寝具が一式揃ってるし。なんか、近々、仮眠室を作るとかいう噂もあるけど……今のところは、ここが一番よく眠れるの」
「そうかそうか! やっぱりこのスタジオってなんか落ち着くよな、セナんちと同じ匂いがするし。よおし決めた、今日からここは『セナハウス』だ……☆」
「えっ嘘、セッちゃんちってこんな匂いなの。つまり俺たちは今まで、間接的にセッちゃんちに包まれていたってこと……?」
「ハア? あんたら一体何の話してるわけ?」
 凛月とレオがとんちきな会話を繰り広げていると、今度は怒りに満ちた声が後ろから降ってくる。凛月がさっと身体をそらすの同時に、鈍い音がして、手刀がレオの背中に落ちた。「ぐえっ!?」とか、悲しい声がレオから漏れる。
「せ、セナ〜! 病み上がりなんだから手加減しろって、おまえ!」
 レオは半泣きで上体を起こし、般若の如き相貌をしている相棒へ向き直った。
「してるっての。それよりその、『セナハウス』とかいうのは絶対やめて。ダサいから。だいいち俺の名字使っていいなんて許可出してないんだから、肖像権の侵害」
「ええ? かわいいだろ。それにだ、弓道場で預かってるリトル・ジョンの子供たちにも、セナとかナルとかリッツとか名前ついてるし、今更……」
「えっ何それ初耳。なに、野良猫か何か? ス〜ちゃんと王さまもちゃんといる?」
「いるよ、五匹だから。Knightsはもう、五人だもんな」
 背中をさすりながら、適当に答える。それからレオは、「五人」という数に思うところがあり、スタジオの隅に鎮座している玉座を見遣った。
 長らく用途のなかった件の玉座だが、なんとKnights五人勢揃いのピンナップを作りたいとかで、近いうちに使用する機会が訪れることになっている。それに際して先頃、写真を撮る前にまずは一回様子を見てみようという話になった。何故だか止めたがった泉の手を振り払い、レオが意気揚々と被せられている布を取り払うと、一点の曇りもない玉座と王冠が現れる。一年間未使用だったのに。振り返ると泉はばつの悪そうな顔をしてレオから目を逸らした。
 そんな顔をされては、楽しくなってしまう。
 レオはひとつ思いついたことがあり、玉座にふんぞり返ると、王冠をぽいと自分の頭に載せて、そして泉へ命じた。――じゃあセナ、おれに誓いを立てて? 王さまの帰還だぞ!
 レオとしても、面白半分のことだった。まさか本当にやってほしいとまでは思っていなかったし、それで照れたり反発する泉の姿が見られたらいいなあぐらいの、軽い悪戯だった。しかし泉はそこで本当に傅いて見せたのだ。膝を突き、頭を垂れ、レオの右手の平を取ると恭しくその甲へ口づけをした。
 その時の、周りの反応と言ったら!
 嵐は目を輝かせ、司は目をぐるぐる回してしまって、凛月はぽかんと立ち尽くし、肝心のレオはと言うと、頬を真っ赤にして固まってしまった。
『あれ、言ってなかったっけ。俺の王さまはれおくんだけだよ、昔も今も。だからさあ、出来ればもう俺のこと裏切らないでよね』
 泉がなんでもないふうに言った台詞を、あれからずっと、レオは胸に刻んでいる。
 だからこれからのライブは五人で行うことになったし、練習も出来るだけ参加しているし、あと、LINEはなるべく返信するようにした。めざましい進歩だ。
「で、そんなことより肝心の進路希望調査書は書き終わったの。なずにゃんに泣きつかれてるんだよねえ、こっちは……。はあ、まったく、部活に出たと思ったら『泉ちん、悪いんだけどレオちんにプリント出してくれって頼んでもらえない……?』とか頼まれる方の身にもなれっての……」
「あう、すまんて……。でもほら、ようやく書けそうだし! セナは? セナももう出したの?」
「俺はとっくに天祥院へ提出済みだよ」
「え、でもあれ白紙だったじゃん」
「はあ? 何で知ってるわけ? ……ああ、天祥院がばらしたのか。あんた相手だと口軽いもんね、あの男は。ちゃんと記入して出し直したよ、迷う理由もなくなったし」
 泉が顔を寄せ、レオの手からペンを奪い取る。それから彼は、「こんな内容」と言いながら、レオの調査書にさらさらと文字を書き込んだ。――卒業後、現状のまま芸能界へ。作曲業とアイドル業を兼業。瀬名泉とKnightsの土壌を固める。
「まあ、俺の方はモデル業との兼業って書いてあるんだけど。王さまもこれでいいでしょ……早く出してやりなよ」
「うん。ナズを困らせるのは本意ではない」
 泉にペンを返して貰い、調査書を手に取る。それからレオは流れるように泉の顔を引き寄せ、
「え」
 去り際にちゅっと可愛らしい音を立てて泉の唇を奪った。
「ありがと、セナ! それじゃ行ってくる! またすぐ戻ってくるから!」
「え、いや、ちょっと待って。ちょっと、――れおくん!!」
 不意打ち成功。泉はその整った相貌をかあっと赤く染め、ふるふると生娘のように震えてしまう。レオはそんな泉の様子を見て愛おしげに目を細めると、あっという間にスタジオの外へ駆け出して行った。追いかける暇もなく、すぐに後ろ姿も見えなくなってしまう。
 後に残されたのは、赤くなったまま固まってしまった泉と、微妙な顔の凛月だけだ。
「……あのさ、セッちゃん」
 凛月がやんわりと口を開くと、泉は赤い顔に汗をたくさん伝わせてあわあわと手を動かした。
「ちが、ちがうの、そういうんじゃなくて、前にれおくんのこと好きって言ったけど、今も好きだけど、ちがうの、そうじゃなくって!」
「セッちゃんがもう泣かずに済みそうなのは嬉しいんだけど、ミルクの注ぎ直しは家でやってくれない?」
「――違うの!! ねえ信じてよお、くまくん!!」
 薄笑いを浮かべて布団に入って行こうとする凛月を半泣きで引き留め、泉が懇願する。本当に、今までどんな強敵と対峙した時にも見たことがないぐらいの表情だ。あんまりにも必死な顔をしているので、そのうち凛月もぷっと吹き出してしまって、「そんな顔簡単に見せるもんじゃないよ〜」なんて面白そうに笑ってしまう。
「……喧嘩、うまくいったの?」
 そのあと、ややあって、凛月が小声で訊ねた。泉は顔を赤くしたままこくりと頷く。
「た、たぶん……やっぱり、抜き身の剣でぐさぐさ刺し合うみたいになっちゃったけど……」
「ふうん。でも生きて五体満足で帰って来られたんだから、よかったじゃん。俺もセッちゃんと王さまが仲いいと嬉し〜」
 骨も拾わなくて済んだしね、と冗談めかして凛月が言った。じゃあこれからまたいっぱい素敵な想い出を作ろうね。昔なんかに負けないぐらい、とびっきりで、賑やかで、五人のKnightsだから出来る未来を作っていこうねえ。凛月の言葉は軽やかで、綿菓子みたいに甘くて優しい。
「……そうだね」
 泉はその言葉に確からしく頷いた。少し前まではとても信じられなかったそんな夢物語を、今なら、確かに愛せる気がする。
「うん、いい顔〜。やっぱり、恋するセッちゃんはきれいだよ」
 そんな泉を見て、凛月がはにかんだ。泉もつられて微笑む。どたばたという聞き慣れた足音が、スタジオに近づいて来ている。
 ――プリントを出し終えて、レオが戻ってきたのだ。
 そのことにありふれた幸福を感じ、泉は林檎色の頬をしたままスタジオの戸口へ向かって言った。



/君のこと好きなだけでいいよ