『わたしが消える前に、最後に一つだけあなたの願いを叶えてあげる』
「……ユンヌ? 俺には別にユンヌに頼るような願いは……」
『嘘。あるよ。正しくは――これから生まれる可能性が高い、今は意識してない願いなんだけどね』
「しかし……願いは自力で叶えなきゃ意味がだな」
『わたしかアスタルテじゃなきゃどうにもならない願いなの』
「よくわからんな」
『うん。そうかもしれない。それに、あなたはこの願いを良しとはしないかもしれない。それでも、わたしは叶えるよ。だってわたしは――』





「どうした、ユンヌ」
『……時間だね、アイク。最後にお話出来てよかった』
「……?」


『――"またね"、アイク』





 ベグニオン歴648年。人間を愛する負の女神ユンヌの加護を受け、「蒼炎の勇者アイク」は歪に歪められた正の女神アスタルテを討ち倒した。
 そしてその日を境に、蒼炎の勇者はヒト並みに年をとることをしなくなった。



暁の小鳥:01



「しかし……ライも老けたな。それなりに」
「失敬な、俺はまだまだ現役だぜ? ベオクの年にしたらいいとこ40だ」
「いや……ライの方が早く年をとるようになると昔は思いもしなかったから。改めて意識すると感慨深くてな」
「そりゃあそうだ。俺だってベオクより早く老けていくだなんて思いもしなかったさ。特にアイクより早くしわが増えていくだなんてな」
 参ったよな、だなんて軽い口調で言いながらライは"ベオクの友人"――20代半ばを過ぎたぐらいの外見をしたアイクを見た。
 最後に前線に立って共闘した女神との戦いから既に200年が経過している。並のベオクならばとうに命が尽き果てている年月だ。現にアイクがかつて親しくしていたベオクは軒並み天に召されてしまっていた。
 今も生きているのは、彼に愛と忠誠を誓った風使いとデインの名君として歴史に名を刻んだ暁の巫女、そして皇帝サナキぐらいのものか。
 それとまあ……砂漠の隠者。尤も彼は、もうそろそろ天に召されそうな感じではあった。
「しかし200年前か。俺にとってもそろそろ懐かしい記憶になりつつあるんだが、アイクの感覚はまだベオクのそれなんだよな。だとするとあの頃のことは……」
「ああ、そうだな。感覚的には既に大昔のことだ」
「だよなあ……」
「――感情的には、まだ昨日の出来事、でしょう?」
「セネリオ」
 どこからともなく現れて主とその友人の会話に口を挟んだのは、黒髪の青年であった。
 しかしライやアイクが青年と断定出来るのは彼と長い付き合いを持っているからこそであり、長い黒髪や睫毛、細いシルエットに重なる開きのあるロングケープ(つまりロングスカートに見える服)などを見ていると、女性に見えなくもない。
「頼まれていた仕事を完遂させました。結論ですが……やはり、ある程度の危惧は必要かと。存在が強大すぎますから、あなたが介入するか否かはまた別の問題となってきますが」
「ん……そうか」
「仕事? 何をセネリオに調べさせてたんだアイク」
「ああ、それは……」
「クリミア、デイン、ベグニオンの内部情勢です」
 ライの疑問に、セネリオが簡潔に答える。
「各王族とのパイプでは絶対に知り得ない情報――各国反乱軍が同時に起こすと思われる、三国一斉クーデターの予定ですよ」



◇◆◇◆◇



 女神ユンヌの叶えた願いが一体なんだったのか、それとなく解ってきたのは彼女が消えてから悠に10年以上の年が流れてからだった。
 それまでも妹や仲間たちから、急に老けにくくなったねーだなんて冗談混じりに言われてはいたが(父親を亡くしてから女神を倒すまでの間に異常に成長していた感は否めないので反動だろうと思っていた)、その頃になってやっと「やはりこれは尋常ではない」ということに気付いたのだ。
 知人たちが皆一様に老い、時の流れをその身に刻んでいく中でアイクは成長も老化も殆どしていなかった。
 同じように姿を殆ど変えていないのはセネリオやミカヤ、そしてラグズの友たち。しかし彼らの成長が遅いことには明確な理由がある。けれど自分には、それが全くない。
 そしてアイクは彼なりに考え、一つの結論に辿り着いたのだ。
 ユンヌが叶えた願いとは、つまり寿命のことだったのではないかと。



「何をやってるんですあの鳥は!」
「いやセネリオ、落ち着け落ち着け。ユンヌは鳥じゃない」
「はっ、おつむは鳥みたいなものでしょうよ。そんな――アイクを人の理から外すなんて……」
「女神を信奉している連中に聞かれたら針のむしろにされるぞ、おまえ」
 その旨を話してやると、セネリオはそれはもうものすごく怒った。あなたまでがそんな存在になることはなかったのに、と吐く彼の顔は罪の意識が色濃い。
 けれどセネリオがそんなふうに己を責める必要はこれっぽっちもないのだ。ユンヌは言った。『それはいつかあなたが望む願い』だと。
 その意味は当時はさっぱりわからなかったのだが、今ならば何となく理解できる。
 確かに自分は、セネリオを残して死するのを悔やんだんじゃないかと思うから。
 こんな危なっかしく愛らしい存在を残して死ねるものか。
 なにしろセネリオときたら、アイクが死んだら確実に後追い自殺しそうな勢いなのだ。それはなんというかいけないだろう。
「確かに人の理から外れてしまったことに多少動揺はしたけどな、俺はそれよりもおまえの傍らに在り続けられることが嬉しいよ。やっぱり途中でおまえを置いていってしまうのは忍びない」
「ッ、でも……アイク……」
「自分を責めるな、セネリオ」
「…………ぅ、」
「おまえの傍にいられるのなら悠久の時だって大したことはないさ。俺はそんなことよりも、おまえが今泣いていることが辛い」
 小柄なセネリオの体を腕の中に抱いて、アイクは彼の頬を伝う雫を拭ってやった。震える体は、怯えているのでも何でもなく、喜悦と後悔、罪悪の念、謝罪の意、そういったイメージから来ているのだ。そんなふうに思わせてしまう自分が情けないな、と苦笑してアイクは目をつむった。
 体温を重ね合うと、セネリオは少し落ち着いたようだった。

「アイク……それを知って、あなたはどうするんです?」
「うん、そうだな。この大陸も居心地は悪くないんだがまずはテリウスに戻ろうと思う。ティバーンやスクリミル、クルトナーガに意見を求めておくべきだろう。彼らとは今後も長い付き合いになるだろうから。あとは……傭兵団の砦に行って、言わないと」
「……ですよね。あの人達は聡いですから。隠すのは賢明ではありません」
「隠すなんて出来るわけもない。場合によっては謝罪させられるかも知れんが」
「それは僕が代わりにやります」
 セネリオがそう申し出ると、アイクはまたはにかんで彼を強く抱き締めた。



◇◆◇◆◇



「三国一斉クーデターって……なんでそんな大事なこと」
「僕たちが手出ししても良い案件かを判断する必要があるからです」
 語調が逸るライの言を途中で遮り、セネリオは淡々と述べたてた。
「僕はともかく、サーガに謳われる"救国の英雄"と"稀代の女王"が何の考えも策もなしに出るのはよくありません。本来僕たちのような、大陸を揺るがす大事を乗り切った者たちが出ていい幕ではないのです」
「俺もセネリオに同意見だ。俺なんぞが出なくとも必要ならばまた新たな英雄が生まれ、大陸に安寧をもたらすだろう。――出るのは俺が我慢しきれなくなってからでいい」
「それは一理あるけどさ……」
 不満気に口を尖らせてライは友人らの顔を見た。セネリオは相変わらず澄ました顔をしているし、アイクもまたしれっとした表情でそんなことをのたまっている。
(稀代の女王……ミカヤとも話をつけてあるのか。クルトナーガ王やリュシオンあたりも知っているかもしれないな。ま、スクリミルやティバーンにはまだだろうが……)
 熱血漢かつ正義感が強い彼らが、その事実を知って大人しくしているとは思えない。リュシオンはティバーンに似た性格だが、諌められれば立ち止まって胸の内に収めておけるだけの我慢強さがある。
(しっかしまあ……変わるもんだな、ベオクは)
 ひゅう、と心中で感嘆の息を吐く。
 何よりライを驚かせ、感心させたのはアイクの冷静さだった。かつての――戦で先陣を切っていた、血気盛んだった頃のアイクからは想像も出来ない。彼はスクリミルと似たり寄ったりの喧嘩っ早さだったのだ。
 良くも悪くも、アイクの感覚はベオクのもののままなのだ。
 体の成長はラグズのものでも、心の成長はベオクと同じ。
 200年も生きれば大人にもなろうというものである。
「わかりますか、ライ。僕たちは今デギンハンザー王の立場に立たされているのですよ」
 一人余計な納得をするライに、セネリオが畳み掛けるような言葉をかけて締めた。