暁の小鳥:08



「……奥義習得?」
「ああ。天空をな。俺が18の時に会得したやつだ。お前にも出来るだろう」
「やってみなきゃわかんないけど……うん。お願いします」
 奥義天空――それを見たことがある人間がまず最初に言う言葉が「人間業ではない」であるというぐらいに人間離れした技なのだが、カイルにはあまりその意識はなかった。見たことがないのだから当たり前だが……
 剣を天にうち投げ、自身は地を蹴り、空中で剣を手に取りそのまま回転したり斬ったり……要は空中から高速の二連撃を喰らわせるというのがその技の骨子だ。
 これほど言うが易し行うは難しな技も少ないだろう。
「奥義習得……本当にやる気だったんですか……。ライブの杖がいくらあっても足りませんね、これは」
「師匠(せんせい)がそう言うってことは、相当なものなんでしょうね……」
「あれが出ればまず大抵の敵は倒れますよ。女神には無効化されてしまいましたが」
 セイラからすれば冗談とも本気ともつかないことをさらりと言ってのけて、セネリオはライブの杖を構えた。慌ててセイラもそれにならう。
 「蒼炎の勇者」が戦の一時停戦を宣告してからはや15日あまり。彼が定めた「一月」という刻限まで半分を切っていた。既に彼らにはたくさんのことを教えてもらっているし、セイラもカイルもそれをものにしようと絶えず努力している。
 けれど彼らの教えがどうも基礎の叩き上げに終始しているようだということは二人とも感じていたことだった。確かに、戦において基礎より大切なことはない。それはわかっているのだが、一方で物足りない気がするのも確かだ。
 だがどうやらそんなことはお見通しだったらしい。そんなわけで、今カイルは直々に奥義の教えを受ける運びとなっているのだった。
「だから、こう剣を投げてだな……それで適当に取って斬って、ついでに相手の防御を無視してドレインして」
「団長ぉぉぉぉ適当とかついでとか言葉が軽いわりにやってることが神がかってるんだけど?!」
「そうか? 俺が率いていた軍の中にはそれぐらいならこなせるやつらが多かったが……」
「どんだけハイスペックな軍隊だったんだ」
 カイルは既にげっそりとした顔になっていて、早くも己の腕前に軽い絶望を覚えているみたいだった。何もそこまで落ち込むことはないのに、とセイラは思う。
 完全に規格外の存在である蒼炎の勇者その人の指南に、あれだけ食らい付いていっているのだ。まだ18かそこらでそれだけの腕前を持っていることを、誇ってもいいんじゃあないかとも思う。
 少なくともセイラよりは強いのだから。
(わたしは……師匠の技を見切るのもやっとで……。まだまだ修行が足りない)
「わたしも、カイルの背を預かるのに恥じないように強くならないと」
「……」
 少女が思わず漏らした極小さな呟きに、セネリオは知らず息を吐いた。



◇◆◇◆◇



「セイラ」
「せ、師匠」
「溜め息ばかり吐いてどうしたんですか。そんなんじゃあ何も手につかないでしょう」
 ぼうっとしていたところを凛とした声に呼び戻され、セイラははっとして隣に座った人物を見た。憧れの人、セイラがずっと理想に思っている人。
 軍師としての彼は各国が欲しがるくらいに優秀で、その上魔導師としての実力も他の追随を許さないぐらいに圧倒的であったという、静寂の風使い。
 風魔法を始めたのも彼に憧れてだった。蒼炎の勇者の傍らに常に付き従い、戦場ではその背を守り、軍の戦いを勝利に導いた影の功労者。
 彼が女であったならば、まさに勝利の女神といって差し支えなかっただろう。
 でも自分は――まるで駄目だ。彼のようになれるとは思っていない。けれどせめて、カイルを護れるくらい強くありたかった。
 カイルに護られなければいけない足手まといにはなりたくない。
(……でも)
 今のままじゃ、駄目なのだ。
 カイルの隣にいる資格などないのかもしれない。
「……何かあまり楽しくないことを考えているみたいですね。これで顔を拭きなさい。僕が泣かせたみたいです」
「……え、」
「ほら。染みになりますよ」
 セネリオにハンカチを差し出され、それを受け取って初めてセイラは自分が泣いていたことに気が付いた。拭けば拭くほどぽろぽろと滴が溢れてきて、借りたハンカチが涙でずぶ濡れになっていく。
「師匠……すみま、せん……。お手を、煩わせてしまって……」
「弟子のケアも必要な行為のうちです。別に煩わしいという程のことでもありませんし」
「……弟子?」
「違うんですか? 僕を師と呼ぶのなら、セイラは僕の弟子でしょう?」
 何を今更、というふうに至極不思議そうな顔で眺めてくるセネリオにセイラは驚いて目を見開いた。この人は今、もしかして自分のことを弟子だと言ってくれたのだろうか?
「でも師匠、わたしなんかを弟子にしたって……」
「誰が決めたんですか、そんなことを」
 いいですか、一度しか言いませんからね、と前置きしてセネリオは少女の目をまっすぐに見た。ぴくりと震えるのがわかる。何もそんなに縮こまることはないのに。
 少女の能力は高く買っているのだ。
「僕は見込みのない人間に教えてやるほどお人好しじゃありません。言いたいことはわかりますね」
「……は、はい」
「ならいいんです。さて、僕たちもうかうかしていられません。アイクが天空を教えようと躍起になっている間にこれぐらいは使えるようになりましょう」
 セネリオがこれ、と言って取り出した魔導書にセイラは喜びでほのかに赤くしていた顔を一気に青ざめさせる。それは酷く複雑な意匠の紋様を施された緑の魔導書だった。
 セイラとて魔導を扱う者だ。それが何かは一目で知れた。
「か、風の最上位魔法レクスカリバー……」
「ええ。便利ですよ、使えると。しつこい人間を氷漬けにしてしまいたい時など、特に」
 さらりと言ってのけた言葉に更なる寒気を覚え、セイラは言葉を失ってしまった。



◇◆◇◆◇



「一月……随分と悠長な期限を設けたものです。……まあ、目的を考えれば短すぎるぐらいですか」
 育てるには時間がいりますからね、とぼやき男は瞳をゆっくりと閉じた。遥か昔、愛した女性も難儀していたものだ。剣技を伝えるのは中々に難しいと、そう言っていた。
「まあ、彼らの意思も尊重しませんと。面白くないですかね。急ぐこともないですし」
 急いても急かなくとも、いずれにせよ反乱軍は打倒される。どんな手段を用いてもだ。彼らが――かつて英雄になった青年がその気になれば、百万の軍とて目障りな塵程度の存在でしかない。
 女神の祝福だとか、そういう問題ではないのだ。そもそものポテンシャルが違う。
「では、楽しみにさせていただきましょう。どんな風に育ててくるのかを」
 くすくすと笑うと、男はその場を後にした。



◇◆◇◆◇



「ギブ! 団長ギブ!」
「何を甘ったれている。もうそんなに時間がないんだ。休みの一分一秒が惜しい」
「いやだってもう足が動かな……」
「泣き言を言うな。そう思うから動かないんだろう。この技が欲しいのなら喰らい付いてこい」
「っ……!!」
 アイクの挑発にカチンと来たのか、疲労が目立っていたカイルの目の色が変わった。燃えるような蒼の瞳。
 蒼炎の色。
「こん、のっ……!」
 アイクは直立不動のまま、構えもしない。隙だらけの体勢に飛びかかるべく、カイルは勢いよく地を蹴った。
 上空で回転する剣を上手く掴み、そのまま攻撃モーションに入る。まずは空からの一撃。そのまま相手の体を使って宙返りし、反動を利用してもう一閃。
 奥義天空。
「……はっ、はっ、はぁ、っ……」
「……なんだ。出来るじゃないか」
「え……?」
「荒削りだが形にはなってきてる。意識してもっと修練すれば、実戦で通用するところまで持っていけるはずだ。俺の目に狂いは無かったな」
 出来るに決まってたんだ、とさも当たり前であるように言ってアイクはカイルの頭を撫でた。無骨で、大きな手。
 父親の手。
「団長。もう一回やりたい」
「勿論構わん。どこからでも好きなようにかかってこい」
 そう言うと今度は剣を構え、アイクはカイルの前に立ちはだかった。本人は楽に構えているのだが、カイルにはとてもそうは感じられない。
 空気がびりびりと重い。


「……もう時間がない、ですか」
「ええ。一月なぞ――あっという間ですよ。戦をしている時など、感覚が鈍りますから特にね」
 やや離れた位置で二人を見ていたミカヤとセネリオはおいおいそう呟いた。
 あの人はわかっていますよ、と同意を求めるふうに肩を竦めてセネリオはミカヤに問う。
「僕たちが何をすべきか、何までなら出来るのか。それを鑑みた上でこれが最善の結論だったんです。あなたもわかっているのでしょう? ミカヤ」
「ええ、ええ、そうよ。そうなのだけども……」
 何ですか、と目線で問いかけてくる紅い瞳にミカヤは一瞬言葉を濁し、しかしすぐに続きを口にする。
「ただ、ふと淋しくなって」