暁の小鳥:07 純白のドレスに身を包んだ花嫁が、幸せそうに笑って白いブーケを手に持っている。ややあってから花嫁はそれを宙に放り投げた。ブーケは、緑色の髪をした女王の元へ―― 「お久しぶりです、二人とも。来てくれると思わなかったので驚きました」 「流石にこういう祝いの場を外すわけにはいかんだろう。まあ鷹王が知らせてくれなければ間に合わなかったわけだが」 「ええ、ヤナフさんとウルキさんにはお礼をしませんと。アイクさんたちのことは、正直諦めていたんです」 「大陸外に出る寸前でしたからね。ゴルドアを立っていたらこちらへは伺えませんでしたよ」 何はともあれおめでとうございます――と言いながらセネリオはミカヤの姿を見た。まだ少女の幼さを残す外見だが、年齢は隣に立つ新郎より余程高い。彼女もセネリオと同じ宿命を持つものなのだ。 つまり、愛するひとを長すぎる生の半ばで喪ってしまう定め。 正直彼女はよく結婚を決意したと、そう思う。 「お二人とも、しばらくデインに滞在されたら如何ですか? 客室を用意しますし、祝儀ですから料理も腕を振るって頂いています」 「まあ、急ぐ用もないしな。甘えさせてもらうとするか。……話もあることだし」 「……お話、ですか」 ミカヤはアイクの語調に違和感を覚えたが、その場で深くは追求しなかった。しない方がいいような気がした。 「ええ、女王。察しの通りあまり楽しいお話ではありませんが、かといって不利益な話かというとそうでもありません。……詳しくは後ほど。四人だけで話しましょう」 耳打ちするようなセネリオの言葉に頷き、ミカヤは幸福の最中にあるはずの花嫁に似つかわぬ神妙な面持ちになる。それに気付くとアイクはすまない、と謝った。けれど今を逃したら打ち明けるタイミングを逸してしまう気がするのだ。 二人が去ったあと、ミカヤはサザにだけ聞こえるように小さく呟いた。 「……見えなかった」 「ミカヤ?」 「アイクさんの心。張り詰めたガラスみたいで全く見えなかった」 「なんだって?」 以前ならそんなことはなかったのに、と呟いてミカヤは記憶をたぐる。確かに一心にものごとを考えている人の心は見えないが、あれはそういう類いのものではなかった。 ああいう張り詰め方は、むしろ―― 「……何か、あったんだわ。何か、大きく変わってしまうような出来事が……」 ミカヤは目を伏せて祈るように手を組んだ。 ◇◆◇◆◇ 「有り体に言うと、だ。どうも俺の体は以前の通りではないらしい。ふつうに年をとらないんだ。丁度あんたやセネリオと同じように」 晩餐の後、アイクとセネリオを私室に招いてミカヤは話をするよう頼んだ。アイクはこういう日にするような話ではないが構わないのか、と聞いてきたがそれにはイエスで答える。 そして彼の口から話されたのは信じがたい事実だった。 「……そんな、おかしなことが……。だってアイクさんは正真正銘普通のベオクでしょう? 現にこれまでは、」 「そうだ。団長はものすごい勢いで成長していた。あの三年で俺より身長が伸びてたぐらいだ。……なあ、団長。思い違いじゃないのか? 単に成長期が終わったとかではなくて?」 「恐らくそうじゃない。しばらくぶりだから解りづらいかもしれないが、俺は殆ど老化していないんだ。まあ年はまだ29だが、それにしたってゆっくりすぎる」 「……傍に居続けた僕には、わかります。異常です……それに、」 「若干心当たりがある」 セネリオが躊躇うように哀しみを含んだ声音で言い淀んだ言葉を、アイクが間髪入れず引き継ぐ。 セネリオはそれに慌てたような顔をしてアイクに振り向き、言わなくたっていいと懇願したが、アイクは首を横に振ると心当たりを口にした。 「八年前、俺はユンヌに"願い"を叶えられた」 「……ッアイク……」 「最後に、俺がいつか望む願いをと。俺は要らんと断ったが、現状を鑑みるとその願いとやらは叶ってしまっているらしい」 アイクがいつか望んだであろう願い。 最愛の人を、置いて亡くなることを忌避すること。 最愛の人と共に、幸福な死を迎えたいという感情。 要らないとは言ったが、確かにそれを考えないと言えば嘘になる。ユンヌはそれをわかっていたのだ。そして女神たる彼女はアイクを気に入り――最後の力を使って彼の寿命を理から外した。 彼にもう一度会いたいという、ユンヌの我が侭もその行為の中には含まれていたのだけど。 「本当……なんですか」 「こんなことで嘘をついたってしょうがないだろう」 「それで、以前のようには見えないのですね……アイクさんの心が。ガラス越しでくぐもってしまう。ソーンバルケさんやセネリオさんの心と同じでした。強い感情や伝えたいと思っていることはわかりますが、細かなことや隠したがっていることはわからないんです」 本来それは女神アスタルテの定めた理から外れてしまった存在の特徴だ。アイクに干渉したのはユンヌだが、けれどユンヌはアスタルテでありアスタルテではない。ベオクという種族の理から外れてしまっていることには相違ないのだ。 「……団長」 ややあってその意味を理解してしまったのか、サザは蒼白な面持ちでアイクに向き直った。まさか。でも。 「それは……それってつまり……団長、あなたは必要以上の離別を受け入れなきゃいけないって、そういうことなんですか」 「……」 「ミカヤや参謀は気を悪くしないで欲しいんだけど、長く――理に逆らって永く生きるっていうのはそれだけ喪う痛みも大きいってことで……そもそも永く生きるように出来てるラグズと違って団長の精神はベオクの寿命に合わせて出来てる」 一度言葉を切り、呼吸を整えてサザは続きの言葉を口にする。誰も口を挟まなかった。いや、挟めなかったのか。 以前までのアイクと同じようにいつか最愛の人を置いて先に逝く運命にあるサザが、けれどアイクを羨むこともなくただまっすぐにその可能性に言及し、彼を案じていたから。 同情なんかではない。憐れみでもない。ただ、純粋な気持ち。 「団長がそんな柔いとは俺だって思っちゃいないけど、でもやっぱり限界はあると……思う。看取らなくていい死を看取りすぎたら精神が摩耗しちまう……。ユンヌはそういうこと考えてないんじゃないかと思うんだけど」 「……相変わらず理解が早いな」 それでも若干顔色を窺うようにそう問いかけてきたサザに、アイクは苦笑でもって返事を返してセネリオの手を握った。昔、船で密航していたのを拾った時からそうだったが、サザという人間は存外頭の回転が早く呑み込みも良いのだ。 デイン復興の時だって、そりゃあミカヤもかなりの切れ者であることは確かだがサザの頭だって相当にまわっていたはずだ。更に言うなら表に立つミカヤのメンタルケアもだ。 「まあ、概ねそういうことだろうな。俺はそれなりに頑丈に出来ているつもりだが、せいぜい百年でくたばるつもりだったから急に寿命を伸ばされてもいまいちぴんとはこんし、多分それに対応するのも難しかっただろう。だがまあ、」 「……アイクには僕がいます。僕がいかなる時でも、お傍にいます。だから大丈夫です。そんなことにはさせない」 握られている手をぎゅうと強く握り返してセネリオが言を継ぐ。彼の顔が陰った。酷く悔いて、己を責めているようだった。 「これは僕が招いた罪だから」 「セネリオ、それは違うわ」 「……ミカヤ?」 ミカヤが初めて呼び捨てで呼んだことに動揺したのか、それとも即座に切り捨てられたことに驚いたのか、セネリオはなんとも間抜けな顔で自分の言を否定した少女を見る。 「なんですか、急に……」 「あなたがあんまりなことを言うから。罪だなんて、そんなことあるわけないわ。ユンヌは善意でやったのだろうし、アイクさんだってそれを拒絶しているわけじゃない」 「……でも、」 「でも、じゃないです。あなたはアイクさんを愛しているのでしょう? アイクさんと一緒に――居たいのでしょう?」 「――当たり前です!!」 思わず叫んでしまった後にちいさく「ぁ、」と呻くとセネリオは俯いた。アイクが覗き込んでみると、顔が真っ赤に染まっている。その様子にミカヤとサザは微笑み、アイクは愛おしげに頭を撫でる。 「……なら、それでいいじゃないですか。大事なのは、今傍に居られること、それだけよ」 「ミカヤ……」 おずおずと顔を上げると、セネリオは困ったようにちいさく笑った。 ◇◆◇◆◇ 「団長」 「……サザか」 現れたサザにアイクはあおっていた酒のグラスをテーブルに置いた。セネリオとミカヤはいない。二人とも大抵はつがいに寄り添っているが、今はサザもアイクも相手を置いてきていた。 なんとなく、こうなることが予想出来ていたから。 「団長は……本当はさ。言い方悪いけど、まだ未練があるんじゃないかな」 「否定はしない」 「なんか、無理をして……肩肘を張っている感じがする。参謀を傷付けない為にさ。団長は誰も恨んじゃいないし、安堵している面もあるけど……びっくりして理解が完璧には追っついてないんじゃないかって気がするんだ」 テラスは風通しが良く、温度も高すぎず低すぎず丁度良い。星が綺麗な夜だった。 けれど綺麗すぎて、息が詰まりそうな節もあった。 「なあ、団長。団長は――背負いすぎてる。いっぱいすぎるよ。だからさ、」 「だからなんだ?」 「俺にも少し背負わせて欲しい」 サザの言にアイクは少し驚いて、意外そうに目を向ける。 「俺はさ、ミカヤよりも先に死んじまう。最後までミカヤを護ってやることは出来ない。自分でも不甲斐ないよ。……でも、それが俺に許された本分なんだと思う。本当はベオクは、長生きしすぎちゃいけないんだ」 「そうだな。戸惑い困惑して、果てには発狂してしまうものもいるだろうから」 「……やっぱ団長は……わかってるんだな」 俺が口を挟むだけ鬱陶しいか、と苦笑いしてサザは目を閉じた。例え話でよくある、永遠の命を手に入れた者が死を望むという話。そういったものと"男だからわかる"直感が、アイクの根底でひっそりと燻っている感情をサザに感じさせている。 アイクはセネリオを愛している。故に短い寿命の為に彼を遺して逝くことをとても案じていた。だからセネリオと同じ時の流れを得て、傍に在り続けられることは確かに喜ばしいことなのだ。 ただ、それに拭いきれない違和感を感じていることも確かで。 「年を取らないってことはこの姿を緩やかに維持し続けるってことだ……。そうすると俺は、長期間に渡ってひとところの面倒を見てやることが難しくなる。今はベオクとして顔が売れているから尚更な。俺はそれが酷くもどかしい」 「……」 「セネリオやミカヤには言えないが、そういった諸々は確かにまだ割り切れていない」 アイクはグラスの中身を飲み干して、困り顔をする。サザはその表情に黙り込んでしまった。 「迷惑かけるな」 「迷惑だなんて……。団長は俺が一番尊敬している人なんだ。そんなことない」 「そうか」 アイクは辛そうなサザの表情に目を伏せる。彼にそんな表情をさせてしまうのがいたたまれないのだ。 だからアイクは、少し淋しい声音で言葉を返す。 「すまない」 星空はやはり、澄みわたって残酷なまでに美しかった。 |