目を醒まさないで。 あなたはまだ 眠っていて。 失楽園 ハイラル城の地下深く、薄暗い部屋の中にある白の祭壇。 その上に戴く、人が閉じ込められた水晶。 何百という年月をこの祭壇の上で、護られてきたそれが。 「さて、今代の姫さん……暇そうにしている勇者サマに伝言を頼む。『勇気のトライフォースを携えて大神殿の扉を開け』ってな。俺はそこで、待ってる」 男の物言いにゼルダは呆然として、しばらく何を言うことも出来なかった。そもそも、何故彼はここにいるのだ? ゼルダは母より「代々の姫だけの秘密」だと言われこの部屋を継いだ。何故彼はここを知っていて出入り出来る? 出で立ちはどことなくゼルダの知っている少年に似ていた。長い耳の傍に一房ずつ髪が垂れている。前髪は真ん中分けだったが、しかし目鼻立ちに似通った点が見られるよう思う。 だが少年と圧倒的な差異を持ち、また男が一際強烈なイメージを放っているのは紅い瞳と全身を統一する漆黒のイメージだった。闇から這い出てきた何かが目を光らせる、そんな印象を受ける。 「何……者……? ここは、王家の姫のみが知る……」 「質問していいなんて言ってないぜ、姫さん。まあ答えてやらない程俺も不親切ではないつもりだが」 くつくつと愚して弄するように笑い、男は面白そうに口を開く。 「俺は、時の賢者と契約を結んだこの祭壇の守護者。姫を護り、微睡み、この千年を過ごした」 「姫」、と口にした瞬間に男の顔からふざけた表情が消えた。真剣な瞳でしかし冷徹に、ゼルダを見据える。 値踏みされている、と瞬時にゼルダは悟った。不躾な視線は、その先を話すに足るかを見ている。 「千年と聞いて悲鳴をあげないのは大変よろしい。見たところ話に追っ付いてないわけでもない。姫さんの家系は、姫さんの家系ってことか」 「……。何故、リンクに伝言を? 貴方は彼にどんな関心を抱いているのです」 「そのへんはノーコメントだな。事情は人それぞれってやつだ……尤も俺はヒトじゃあないが。さて、与太話はここらで切り上げようか。"時間だ"」 男はそう言うとくるりと踵を返し、ゼルダに背を向けた。そして格好をつけるようにぱちんと指を鳴らす。 水晶が、浮かび上がった。 「"彼女"をどうするつもりなのですか?!」 「その顔。本能で解してるんだろう? ならば問い掛けなくてもいいはずだが」 振り向かずにそんな言葉を返して寄越した男にゼルダはぐっと押し黙ってしまう。二の句がつげなかった。そうだ。予測出来ては、いる。 ただ理解出来ないだけで。 「それじゃ、姫は預からせてもらう。さよならだ姫さん」 そう言い放つと男は唐突に消え失せた。まるで影の中に吸い込まれたかのように、滑らかに消滅する。 ゼルダの視界にはもう、慣れ親しんだ巨大な水晶の姿は無かった。 ◇◆◇◆◇ 「勇気のトライフォースを携えて、大神殿へ?」 「……はい。その人物は確かにそう言っていました」 「そりゃあ、僕は構わないけどさ。暇してたのは確かだし……でも両方とも心当たりがないよ」 「両方? 勇気のトライフォースはあなたが左手に宿しておられるでしょう?」 「でもその文脈だと、それも探さなきゃならないみたいじゃない?」 ううむ、と唸りだしたリンクにゼルダはきょとんとした顔をしてぱちぱちと目をしばたかせた。眼前の少年の対応はなんと言うか、意外な程平常通りだ。 「まったく動じないのですね、リンクは」 「動じないっていうか……世界が、平和すぎたっていうか」 「?」 「ううん、なんでも。多分僕が一人でおかしいだけだから」 取り繕うようにリンクはそう言ったが、ゼルダはそれ以上追求をしなかった。なんとなくそれは無駄なことのような気がした。 あの日から一年の間に、彼が自分とはなんとなく違うことをゼルダは理解していたから。 彼はふわふわして曖昧に朧気に、けれどぎりぎりで足を地面に付けている、そんな印象があった。 「……勇気のトライフォースはわかりかねますが、大神殿ならばわたしが知っています。伝承ですがそれなりに信憑性も認めて大丈夫です」 「本当? どこにあるの?」 「王国の西端、普通の地図から消えた地域の一画に。そもそもあの区画が地図に載らなくなったのは大神殿が原因でもありますし」 「……何の為の建物なの、大神殿って」 「勿論、祈るためですよ」 ゼルダは怪訝そうに眉をひそめるリンクに涼しい顔でそんな答えを返す。嘘はついていない。確かに最初はそのための施設であった。 けれどそれは何百年も前までの話だと聞いている。 「表向きには、ですけれどね」 ◇◆◇◆◇ 大神殿。祈り場としてかたち造られ、しかしその有り様を歪められてしまった建物。 今はただ――古ぼけた石を剥き出しにして佇む、懺悔の場。 かつて砂漠の処刑場と呼ばれたこともあるこの建物を現在のかたちに整えたのは光の勇者だった。陰りの鏡を保護し、トワイライトとの境界線を秘匿する。それを言い訳に、彼はこの処置を取った。 優しく、しかし誰よりも非情だった青年は影の提案を受け入れて決断を下したのだ。 果たしてそれが英断だったのか、はたまた愚断だったのか。 それは全てが終わってみないことにはわからない。 「……姫」 物言わぬ水晶に向かって、影は言葉を投げかける。瞳が細められ、申し訳なさそうに伏せるとやにわに輪郭がぼやけた。 青年の体から少年の体へ、そしてまた青年の体へ。落ち着かないその変化は彼の焦燥と懺悔とを表しているかのようだ。 けれど影は、決めている。後悔はしないと。後ろを振り返ることはしないと。本当にこれで良いのかと反芻することを、止めると。 全てを諸手に引き受けるから。だから願いを叶えようと。 あの時青年に約束したから。 「俺の選択を、貴女は許さないかもしれない。あいつもきっと、こんなことは望んじゃいない。それは、わかってる。だが」 影は別に誠実なわけじゃあない。姫に対して以外は、本体に対してでさえ不実なこともある。だけどあの約束は反故に出来るものではないのだ。 あれは厳密には約束などではなく――体よく光の勇者を引き込んだ影自身のエゴにすぎないのだから。 reasondeatle、存在意義という名の自分勝手なエゴイズム。 「俺にはこの道しか選べなかった。貴女を護り損ねた俺には、貴女がかつて願った幸福を形作ることしか出来なかった」 影の存在の根源はゼルダ――時の勇者が最初で最後に愛した、花のような姫君――を護ることにあった。 水の神殿で触れた時の勇者の思いにオーバーライドされた単純で明確で、しかし今となっては叶わぬプログラム。 だがそれでも、影はプログラムされた本能に忠実に従った。彼女の為に時の勇者を支え、今また彼女によかれと思って女神への反逆を企てている。 「自己満足だってことは、わかってる。だから俺は赦さないでくれ。でも、あいつのことは、」 「どうか責めないでやって欲しい」 どこか遠く遠くで鐘の鳴る音が聞こえたような。 そんな、気がした。 ◇◆◇◆◇ 西の砂漠。王家によって地図から消された隠匿地。 だけど何故消されてしまったのかは、今となっては王家の者ですら知らないのだという。 「本当に申し訳ないのですけども、わたしも知らないのです」 「伝わってないんだ?」 「はい。何か理由があったことは確かなんですが……その理由があまり人に知られたくない類いのものだったようですね。記録が一切ない」 力になれずすみません、とすまなそうな顔で言うゼルダに礼を言って、とりあえずリンクは砂漠へと向かうことを決めた。砂漠は迷いやすい場所だが、きちんと装備を整えて行けば生命のアドバンテージはある程度なら確保できる。 ゼルダに見せてもらった大まかな地図によると、以前訪れた魂の神殿よりもハイリア湖に近い場所にあるようだった。それなら多分なんとかなるかな、と根拠のない自信から出発を決めたのである。 「相変わらずその自信は変わってないのネ、リンク。どっからわきでてるワケ? ここまで来ると才能だヨ」 「決意から来てる。決めたら、やり通す。やり通すなら、出来る。僕はそう思っているから」 「……信じることが力になるっていうのは確かに聞いたコト、あるような気がするヨ……」 それにしてもすごいけどネ、と羽根をすくめるような仕草をしてナビィはリンクの肩に泊まった。ハイリア湖付近はまだ気候が穏やかでナビィも過ごしやすい。 これが砂漠に入るとちょっとそういうわけにもいかなくなるのだけど(直射日光を浴び続けると酷い場合リンクより先にくたばる可能性もある)、それはまあおいおい対処すればいいことだ。 今回は砂漠越えを目的にしているから水はしっかり用意してきているし、三年前のようなことにはならないだろう。 三年前のように助けてくれる人も、もういないのだし。 用心をするにこしたことはない。 「あの地図には大神殿って名前はなかった。でも元は祈り場だったらしいってことは、つまりその建物自体はあったはずだってことだと思うんだよね。ただ」 「はいはい、わかってるヨ。それっぽいのがないのよネー」 「……うん。魂の神殿じゃないとしたら、あとは砂漠の処刑場ぐらいしかこの辺りには名前がないもん。でもなあ……」 祈り場で処刑なんかするかなあ、とリンクは腕組みをして不思議そうな顔をする。いっそあの古ぼけた地図にすら載っていない重要機密なのだと考えてしまった方がすっきりしそうだ。 しかし、何かが引っ掛かっているような感触を覚えるのもまた事実で。どうにもリンクは砂漠の処刑場を可能性から除外することが出来ないでいた。 「まあ……とりあえず行ってみるか。あの頃より魔法も使えるようになったし、多分何とかなると思う」 「楽天的ネー。でもま……そのくらいで丁度いいのかもしれないヨ」 「ん?」 「急がないワケにはいかないけど、焦りすぎてもいいコトはないからネ」 どこかのんびりしたふうなナビィの言に、リンクはそうだね、と言って笑った。 |