涙を枯らして叫ぶことが、尊いことだとは限らない。



呼び声の兆し




 冷たい滴がぴちょぴちょと垂れ落ちて来て、リンクの頬をつたう。
 断続的に襲い来る不快な感触に顔をしかめ、リンクは薄く目を開いた。水滴を吸い込んだのだろう、服のあちこちがじわりと染み入るように変色している。
「……えーと……何がどうしたんだっけ……?」
「砂漠の途中でずぼっ、て間抜けな音を立てて砂地獄に吸い込まれたのヨ。腰を打ったみたいだけど大丈夫?」
「ん……多分ね。ナビィは?」
「ナビィは問題ナシ。リンクの帽子の中だったから。まあ、目が覚めたのはついさっきだケド」
 ぱたぱたと羽根をはためかせて小さな妖精はリンクを誘導した。流砂の下にあるらしい空間は砂が多く積もっており、地面もざらざらしている。体に付いた砂を適当に払い、リンクは気の向く方向に足を向けた。
 地下洞窟らしい内部は、どうも意図的に作られたものらしいということがしばらく歩くうちにわかってきた。砂の覆いで解りづらいが、壁の石はそれなりに整えられて配置されている。
「砂漠に入って……歩いているうちに、この場所。ねえナビィ、漠然とだけどさ、僕はここに落ちたことがラッキーな偶然のような気がするよ」
「なんでヨ。痛いし暗いし何処だかわかんないし、ロクなコトなさそうじゃない」
「なんとなくね。大神殿は探し損ねたけど、何かヒントがある――そんな気がするんだ」
「ふうん……。リンクの勘はけっこうよく当たるもんネ。ひょっとしたら本当に何かあるかな」
 だといいけどね、と薄く笑ってリンクは歩を進める。ブーツを舐めるような砂の感覚は、冷たい砂礫の地を延々と踏み締める感触に似ていた。ずぶりずぶりと、一歩一歩が柔らかな砂地に食い込む。
 天井の岩盤にはところどころ等間隔で風穴が空いていて、地上の灼熱の光を地下に洩らしていた。頼りなく細められた陽光は、灼けつく地上の光とはうって変わって穏やかだ。
 似たような道が延々と続き、時間の感覚がだんだんと狂っていく。ただ、少しずつ地上の日が傾いてきていることだけはリンクにも察知出来た。日の光はごくゆっくりと痩せ細り、多少なりとも供給されていた熱量が減っていく。
「夜になると厄介だな……」
「そうだネ。今あるわずかな光も殆どなくなると思うヨ。――っていうかねえリンク、ココから出るアテってあるの?」
「さっぱり。何か見付かったらどうにかなるかなあって思ってる」
「それは流石にまずいヨ」
 楽天的にも限度がある、と羽根でリンクの頬を小突くとナビィはもう、と若干憤慨気味の口調で溜め息を吐いた。



◇◆◇◆◇



「ま……誘導はこんなもんか」
 ぱんぱんと両の手を払い落として影はぐったりと呟いた。予想の範囲内といえば範囲内ではあるが、しかし確率は低かろうと思われていたケースだったのだ。
 まさか何の迷いも躊躇いもなく、一本で砂漠にやって来るだなんて。
「真っ直ぐここを目指してくるあたり、あいつよりも光の勇者の方に似てるよな。鋭いというか、あざといと言うべきか」
 本当、痛いところを突いてくる。冗談にも御しやすいとは言えないタイプだ。こうなると、より一層の慎重さと狡猾さが求められてくる。些か面倒だった。
 だからといって惜しむべき手間ではないのだが。
「光の勇者が残りの生涯を費やして遺した女神フロルの奇跡だ。それをかっ飛ばすのはいただけないね」
 各地に設えられた勇気のトライフォースを戴く祭壇は、大神殿で起こる喜劇――そう、悲劇でもなんでもなく、ただ茶番染みた喜劇なのだ――の下準備として、どうしても必要だった。
 揺さぶり起こすために。
 そこまで思考を巡らせてふと影は言葉を漏らす。誰に向けた言葉でもなかった。
 強いて言うのならば、自分と彼への手向け言葉。


「望まなくとも。願わなくとも。最期には思い知ることになるさ。――自分が何者であるのかを」





◇◆◇◆◇



 どれくらい歩いただろうか。
 日が沈み、光苔やらの発光ぐらいしか明かりがなくなってしまったのを機に、リンクは野宿の準備を始めていた。寝袋で寒さは防げるし、火は魔法でおこせる。こうしてみると女神ディンの奇跡というのは非常に便利なものだった。主に日常生活にだが。
 食料はまだ大分あったし、しばらくはもつだろうと判断してリンクはナビィを抱え、眠りに落ちるべく火の側で目を閉じようとする。
 その時、奇妙なものに気付いた。
「光だ」
「? なあに、何かあったの」
「うん、多分。規則的に光ってるけど、苔以外のものだと……思う。何か意味のある形を作ろうとしてる」
 ぼんやりと発光する光苔の黄色とは違い、薄青く明滅するその光は明らかに何か意味を含んだものだ。
 探し物をしに来て、そういう意味ありげな現象を見逃すことなんて出来ない。
 目印に火は残して、手際よく荷を全て片付けるとリンクはその青い光を辿っていった。壁に規則的に現れるそれらは敵意をもたず、ただ案内をするようにずうっと先まで続いている。
 しかし空間というのは無限に存在するものではない。半刻ほどしてから行き止まりに突き当たった。
「……外れ?」
「外れ? じゃないわヨ。どうするのコレ」
「んー……? あんまりよく考えてない」
 適当に相づちをうち、リンクはカンテラを引っ張り出す。ディンで炎を付け、何かヒントがないかと壁を照らした。
「何か刻まれてる。トライフォースとそれから……なんだろう。丸が七個?」
 お馴染みの聖三角の下に、奇妙な高低差を伴っていくつかの丸い窪みが刻まれていた。見たところ、四段にわかれている。
 しばらくその窪みを指でなぞり配列を確かめ、リンクは目をつむって思考を巡らせた。何らかの規則に従った配列、所々繰り返す並び――
「あ、」
 そうだ。繰り返している。
「オカリナだ」
「へ?」
「この窪みは楽譜なんだ。だから多分この通りに吹くと何かあるんだと思う」
「ま、まあ言われてみれば見えなくもないケド……よく気付いたネ?」
「やたら"繰り返す"配置だったからね」
 今までオカリナで吹いた曲って、繰り返しが多かったから――と言ってリンクはオカリナを手に持った。
 時のオカリナに反応したのだろうか、聖三角と楽譜の間に青い光がはしる。光は文字を形作って明滅し、その存在を主張した。
「たましいの……れくいえむ」
 魂のレクイエム。
 ナビィが読み上げるのと同時にリンクの演奏が終わる。どこか物悲しいメロディを受けて、当たり前のように石壁が動き道が開いた。



◇◆◇◆◇



 石壁の奥にはただっ広い空間があった。しかも広いだけではない。ダンジョンだ。
 恐らくあのメロディは、ダンジョンの入口を開けるための鍵だったのだろう。
「静かな場所」
 ダンジョン、とは言ったがそこはリンクが今まで踏破してきたような場所とは空気がまるで違う。ただ静かで、物憂げで、儚かった。リンクの行く手を遮る敵は出現せず、複雑な回廊が延々と続いている。
 地図も拾えずに分岐の多い場所を歩いているのにも関わらず、リンクは迷うことなく何らかの信念を持っているかのように、ずんずんと歩いていった。導かれていると言われたら、誰もが納得するだろう。そういう印象だ。
「ねえ、リンク? 何処に向かってるの? 道わかんないのに、目印も付けないで……」
「目印は要らない。このダンジョンは初めから一本道に出来てるから。ただその長さが尋常じゃないだけで」
「どういうことヨ?」
「奥まで行くのに問題はないってこと」
 さっぱりわからないといったふうなナビィに答えにならない答えを返しながら、なおもリンクは進み続ける。リンクには根拠のない確信があった。自分が迷うことはないし、目的地には間もなく到達する。
 そしてそこには、何かがあって自分を待っている。


――ルダ姫を、助けな――


――ナ! 駄目だ、止め――


「……声がきこえる」
 薄い自意識の中でそう思っていると、不意に青年の声が向こうから聞こえてきた。聞き覚えのある声だ。あれはどこで聞いたんだったか。


――れには、これしかない――


――悔なんかしない。俺は俺に遺された道を――


「どこかで……僕に語りかけてきた声……」
 答えは喉まで出てきているのに、いつまでもつっかえていた。もやもやとした気持ちのままリンクは機械的に歩き続ける。やがてリンクの体はホールに出た。円形の部屋の中央には淡い光が射しており、台座を照らし出している。


――俺は。みんなを助けたいから。この手に届くものぐらいは――


 リンクは躊躇うことなくその台座に歩み寄って手を伸ばした。きんいろの破片がくるくる回って揺らめいている。勇気のトライフォースの欠片だ、と直感した。都合が良すぎて気持ち悪いぐらいだったがリンクにそれを考えている余裕はない。
 伸ばされた左手が欠片に触れる。



――それでも、いい。俺は行きます。この手でやらなければいけないから――



「……ああ、そっか。思い出した。この声は、」
 触れた瞬間に欠片が目も眩むぐらいの眩しさに発光してリンクとナビィの視界を焼き尽くした。世界がきんいろに染まって、景色を奪っていく。
「リンク! なにコレッ……ねえリンク、聞いてるの?!」
 ナビィの叫びにリンクは答えない。ナビィの声が届いていないみたいだった。代わりに彼は、誰かの声を聴いている。



「光の勇者」



 呟くと、リンクは床に崩れ落ちた。