目を背けたい過去も。 あなたをかたちづくる現実。 光の勇者の物語T -回る歯車の話- 鬱蒼と茂る木々の中、その獣は立っている。僅かに息を切らし、後方で木っ端微塵に消し飛んだ命なき追跡者のことを確認するとそれはまた走り出した。 背中に奇妙なマスコットに似た生き物を乗せてその獣は疾走する。時折また例の敵が現れると、性急な動作でほふった。獣は酷く急いでいるようだった。 何が理由なのかはさっぱりわからないけれど。 突如場面が森の奥、開けた広場に変わる。木漏れ日に柔らかく照らし出されたそこは聖堂の成れの果てだった。けれどだから廃虚なのかと問われたら一概にそうであるとは言い切れない。硝子は割れ、蔦が建物内部まで入り込んで絡み付いていたがその場所は神々しさを失っていなかったのだ。 中央に鎮座する石の塚に刺された、白銀に光る剣。 神の剣マスターソード。 それを守るために今なおこの聖堂は機能しているのだということは、見れば知れた。 「これが……マスターソード」 いつの間にか獣はいなくなり、代わりに一人の青年が塚の前に立っていた。少し離れたところで先のマスコットが何か真っ黒な巻き貝みたいなものを手に持って、青年を見ている。 青年が剣の柄に手をかけた。 また景色が移り変わって、今度は真っ白な空間が現れていた。足元には死屍累々と死骸が積み上げられている。白骨、まだ生臭さの残る臓腑。腐敗した毛皮にこびりついた血糊は乾ききって黒ずんでいた。 それらの中央に二人の青年が立っていた。両者とも綺麗な金髪で耳が長く、緑の衣を纏っている。近付いて見てみると彼らはどうやら非常によく似ているようだった。 (当たり前だ、血が繋がっているのだから) 突如降りてきた言葉にふるふると首を振り目をしばたかせ、リンクはようやくここで自分という存在を自覚した。 (ああ、そうか……僕はあの時意識を失って……じゃあ、これは、) 相対する、"自分ともよく似通った"青年たち。 きんいろと、きんいろ。 (トライフォースが見せている幻) 「この屍は今までにこの剣が屠ってきた"命"の全てだ」 二人の青年のうち片方が、口を開いてもう一人にそう告げる。それは宣告だった。その現実を受け止められるか、そのうえでなおこの剣を望むのか、彼はそう訊いているようだった。 「マスターソードはあくまでも"一つの正義"に過ぎない。絶対正義なんてものは存在しない。個々人に自由意思があるからこその「いきもの」である以上、意見の相違はあってしかるべきだからな。解りやすく言えば……俺たちにとって敵でしかない奴らも見方によれば正義だってことさ。神殿を浸食する親玉がそこに住み着いた雑魚モンスターどもにとって絶対であるように」 青年の一人が語る言葉は酷く難しかった。正義だとか、意思だとか。曖昧な言葉は認識を濁すばかりで煩雑として、判然としない。 謎かけのようなあやかけのような、いまいちはっきりとしない話だった。 「この剣を手に取り、掲げ、振るえばお前もまた一つの正義と成り得る。しかも多数の正義にだ。だがそれは決してお前のいのちが特別だからではなく、種として優れていたからでもなく、ただ民衆に必要とされた結果にすぎない。まあ尤もそこを履き違えるような奴にこの剣は抜けないがな。それでも、驕り溺れることは有り得るから」 (正義……マスターソードが、正義? そんなことあるわけないのに。だったらあれもそうだというの? だらだらと水平に続いていく平穏、それが結果でも?) リンクの疑問には誰も応えてくれない。やはり眼前の光景は幻なのだ。昔話を映し出しているにすぎない。 そも、その疑問に答えなどありはしないのだし――。 (僕が作りたかったものは、なんだっけか) ふと湧き立った疑問を自分にぶつけ、反芻した。けれど出口のない永久迷路の中で、ただばらばらとその疑問は砕けていく。 (僕の願いは、こんなんじゃなかったような気がする) 何やら話し込んでいた目付きの鋭い方の青年が不意に"リンクの方を"振り返って、寂しそうに口端を歪めた。 「悪いな」 誰もいないはずの空間に向かって彼は言葉を紡ぐ。 「俺にお前を助けることは、出来ない」 また唐突に場面が切り替わって、今度は薄暗い地下室に立っていた。光の勇者が何者かと話している。相手は見たところ黒ずくめの青年であるようだった。背格好が先の青年に似ていた。 (さっきの、何だろう。助けられない? 僕はあの人のことを全然知らないのに。……助けるってそもそもどういうこと?) 黒ずくめの影のような常闇のような青年と光の勇者は、何がしかの合意に至ったようで互いに確認するように頷きあう。 二人の傍らには薄桃の巨大な水晶がある。反射して眩しく、その水晶の向こうは覗けなかった。 (誰だ、これ……。なんでだろう、懐かしい? どうして、懐かしい?) 「さて、ま……お前には悪かったと思う。殆ど俺のエゴだからな」 「いいえ、巻き込まれたなんてとんでも。俺がそう願ったんですから。どんな結末を迎えようとも夢物語を叶えるんだと」 「綺麗事で取り繕うなよ。実際はただ利害関係が一致したにすぎないだろ?」 「また、すぐに自分を卑下する……ダークさんの悪いところですよ。あなたが本当は優しい人だって俺は知ってます」 「……馬鹿。俺はヒトじゃない」 夢物語、利害関係、エゴイズム。看過するには辛い言葉がいくつもリンクの耳をかすめていった。彼らは一体何の話をしているのだ? まあ、ろくでもない話であろうことはわかるけれど―― 「女神を欺いて、それに怯える神も騙くらかして。本当にろくなことをしていませんね、俺たちは」 「それで目的は"時の勇者の幸福追求"なんだから笑えるな。何もかもを、当の時の勇者自身をも騙して……くくっ、本当は何がしたいんだろうな?」 自らと共犯らしき光の勇者を憚ることなく嘲笑し、ダークと呼ばれた青年は視線をどこか遠くへ向けた。硝子玉のような紅い瞳は一体何を見ているのだろう? 郷愁のような色を示した後、寂しく淋しく細められ、閉じられる。 「神さんもお気の毒さまだ。この世界では三神の権威が強すぎる。その上生命神フロルはお人好しだしなぁ、俺たちの加護がフロルのもので助かったよ」 ネールは規律に厳しいしディンは基本的に気紛れだ、と呟いてダークは目を開けた。相変わらず瞳は空虚だ。生気がないとでもいうのか。真剣な瞳で微笑んでいる光の勇者とは対称的である。 「俺たちって……ダークさんはフロルの加護なんか受けていないでしょう?」 「いや。あいつの部分は若干。だから姫に触れられなくともお前には触れる。マスターソードは別次元だから触れた瞬間消し飛ぶけどな」 「使いませんよ、あなたにマスターソードなんて」 背の鞘に収められた神の剣を一瞥したダークの冗談めいた言に、光の勇者が苦笑で応える。ダークはわかってる、だなんて嘯いてひらひらと手を振る。妙に馴染んだ動作だった。 「ただまあいつかは……それのお世話にならなきゃいけない日が来るだろうな……。どこまでいっても俺はガノンの副産物だ。この世界にとっては異常で異端で、異質。似たような異物でもあいつとは一線で違う」 「……ダークさん」 「でも、それが俺のプログラムだから。本能に従うまでだ。姫がかつて望んだ願いの為に……」 ダークの中でフラッシュバックした記憶が、リンクの頭に直接響いてくる。誰か、女性が泣いていた。美しい女性だった。 第三者の記憶だからだろうか、不鮮明で穴だらけの映像だったが一部の声だけは不思議と綺麗に聞き取れた。 余程強く印象に残った言葉だったのだろう。 ――あなたを好きになったことを誇りに思うわ。わたくしがただ一人愛した人―― ――わたくしはずっとあなたを愛しています―― ――わたくしを愛してくれてありがとう (また……。また、涙が……) 一人でに理由もわからない涙が零れるのは、これでもう何度目だっただろう。理由もなく涙が止まらない。わけもわからず、ただ悲しくて哀しくて、胸がきゅうと苦しくて、ぽっかりと心を抉られたかのような喪失感がリンクを襲うのだ。 (今までで一番、"痛い") 抉れて出来た風穴はいつまで経っても塞がらず、じくじくと陰湿なまでの痛みが続いていた。痛い。哀しい。苦しい。一体自分が何をしたというのだろう? 何故これ程までに心が痛む? (僕があの時魔王であったからといっておじさんを手にかけてしまったから? 僕の中に迷いがあるから? ううん、きっとそんなんじゃない。そんな"簡単な問題"じゃあ、絶対にない) いつの間にかリンクの視界からダークや光の勇者は消え失せ、その代わりに思考の全てを痛みが占めていた。真っ白にホワイトアウトした思考世界は、まるで気絶した時のようで痛みと相まってむしろ滑稽だ。 (――ッ?!) 頭に一際鋭い痛みが走って、瞬間、少女の姿が脳裏をよぎった。上品に口元に手を添え、控え目に可愛らしく笑うちいさな少女。 (だ、れ……? 知ってる、はずなのに) 花みたいな少女だった。エーデルワイス、ホワイトリリー、そんな可憐な花によく似た大切なひと。 (思い出せない) 記憶を求める本能に、誰かが警鐘を鳴らして邪魔をする。リンクの理性もその意味を理解してはいた。 だってそれは、絶対にリンクの記憶ではないから。 (……でも、だったら) (だったら、誰の、) 視界を無数の花びらが舞い散り、純白の花弁が世界を覆い尽くして何もかもを消し去ってゆく。 「……ク、リンク……!!」 (…………あ、) その最中、消えるどころか声高に叫び存在を主張するものをリンクの耳は捉えた。聞きなれた声だ。いつも隣で口やかましく飛び回っている声。 「――Listenリンク! ねえ起きて、起きてよリィンク!!」 「……ナビ、ィ」 真っ暗にブラックアウトしていく意識の中、小さな蒼い妖精が泣きそうな声で自分を呼ぶ。 リンクはうっすらと緩慢な動作で目を開いた。そこには幻も何もなく、戴いていた欠片を喪った台座が一つ鎮座しているばかりだった。 |