終わらない永遠なんて、あっていいはずがないんです。



無限回廊の終着点




「っ……ぅ、」
 起き上がる時、くらりと目眩を感じてリンクは額を押さえた。鈍い痛みがずきりとはしる。幻から現実に還ってきているのは明白だった。
 幻の中で感じたのは錯覚するぐらいに強かったとはいえ、心の痛みだ。けれど今の痛みは紛れもなく生理的なものである。
 夢で生理的な痛みは感じない。
「……リンク」
 ナビィが心配そうにこちらを覗き込んでくる。小さな妖精を優しく手にとってリンクは笑った。
「大丈夫、僕はなんともないよ。それよりナビィ、僕が倒れたあと何があったか教えてくれる?」
「う、うん。わかったヨ」
 頷くと、彼女はつっかえながらも語り出した。


 ナビィが語ったことのあらましはこうだ。
 トライフォースの欠片にリンクが手を伸ばすと突然欠片が光り出し、あまりの眩しさに一瞬目をつむるとリンクが倒れ込んでいた。うなされているかのような表情で地に臥せるリンクにナビィはどうすることも出来ず、ただおろおろと回りを飛び回り、名前を呼ぶばかりだったのだという。
 幸い倒れていたのは半刻ほどの間らしく、ナビィの呼び掛けに応じて目を覚まし、そして今に至る。極簡潔な話だった。
 要はうんうん唸って倒れていただけだということだ。
「ナビィ、何かうわごととか言ってなかった?」
「うーん……どうかなぁ……必死だったし、あんまり覚えてない。多分言ってないと思うケド……」
「けど?」
「なんだか、辛そうだったヨ」
 小さな妖精は羽根をしばたかせ、か細く洩らす。
「辛くて、でも不思議なモノを見てしまって……哀しんでるみたいな顔だった」
「そっか……」
 着衣の乱れなどを一通り整え直して、リンクは左甲のしるしを凝視した。心なしか、以前よりも濃くなっているように見える。台座に欠片がないということは恐らくこの中にあるということなのだろう。
 気味が悪いくらいにタイミングの良いトライフォースの欠片の出現。そして誰かに視せるためにあつらえられていたかのような光の勇者のものらしき記憶の断片。誰かが仕組んだ出来事であろうという確信は、一年前の旅の時よりも強かった。
 あの時は、六賢者とそれからもう一人――時の賢者と光の勇者が仕組んだことだった。では、今度は?
 今度は、誰が?
「わからない……それに」
 脳裏を過った少女の幻。
 電撃のようにはしり、しかし朧とまた白い花の向こうに消えてしまった少女の面影。
 まったく思い出せないのに、酷く鮮明に知っているような気がした。何か大事なことだった。それは"誰か"にとって忘れてはならないことだったはずだ。
「あれは誰かの記憶だった……」
 でも、誰の。


 耳鳴りが治まらない。



◇◆◇◆◇



 一先ず砂漠を離れることに決めてから、リンクは台座を入念に調べた。壁は一面の砂だ。何かメッセージがあるとしたらここしかない。
「大神殿は? もういいの?」
「うん。ここに誘導されたってことは多分、向こうはきっとまだ大神殿に辿り着いて欲しくないってことなんだと思う。だったらこれから行こうと思っても絶対に辿り着けないよ」
「ずいぶんハッキリ言うのネ……」
「何が何でもトライフォースを集めて欲しいんだろうね。もしかしたら、トライフォースは単なる副産物で"誰かの記憶"を集めさせたいだけなのかもしれないけど」
「へ?」
「ん、こっちの話」
 ぺたぺたと触診するように台座をぐるっと撫で回し、裏側に手を伸ばしてリンクはお、と小さく呟いた。ビンゴだ。この文字列に違いない。
「ナビィー読んでこれ」
「ハイハイ、了解ヨ」
 ぱたぱたと可愛らしく飛んできて、ナビィはリンクの指し示した文字列をじっと見た。それから何事かぶつぶつと思案するように呟き出す。リンクは不思議に思って彼女をつまみ上げた。
「どしたの、ナビィ。未知の言語とかになってたの?」
「そ、そうじゃないケド……えっと……コレ、比喩文なのヨ。ナビィ読むことは読めたケド内容がよくわかんない……」
「比喩?」
「うん……。"灼熱の飛竜、亡骸の頂き。回向する黄泉を麓に携う"だって。もうサッパリ」
「ふうん……」
 つつ、と文字列を人差し指でなぞり、それからリンクはおもむろにザックから地図を引っ張り出した。度々お世話になっている例の古ぼけた地図だ。それをがさがさと捲り、物色するように見ていく。
「あった。多分ここだと思う」
「え? どこヨ」
「ここだよ、ここ」
 お目当ての一点をつんつんと指で指し示し、リンクは絶対じゃないけどね、と言い訳をしてからその場所の名前を口にした。
「デスマウンテン。あそこは活火山だから時々吹き出てるマグマを飛竜とやらに例えてるんだと思う。エコウするなんとやらっていうのはよくわかんないけど黄泉ってことは、多分あのカカリコ村のヘラの塔あたりを示してるんだろうし」
「うわあ、リンクすっごーい!」
「なんかナビィに手放しで誉められると馬鹿にされてる気がする……」
「ちょっと……酷いコト言わないでよネ……」
 ごめんごめん、と適当にナビィをあしらってリンクは地図を畳み、ザックを肩に背負うと元来た道を歩き始めた。地下道に漏れ込む地上の光が、次第に強くなっていく。多分夜が明けたのだ。急がないと、地上に出る頃には灼熱の太陽が砂をちりちりと焼いて少し面倒なことになってしまうだろう。
 熱砂の上を歩くのは、出来れば避けたい。
「誰が仕組んでいるのかはわからないけどさ……」
「? どしたの、リンク」
「あんまり向こうの思惑通りに動くのも、面白味がないよね」
 今のままじゃ誰かの手のひらの上のような気がしてならない、とリンクは盛大に溜め息を吐いた。



◇◆◇◆◇



「腐っても時の勇者サマの魂ってことか……。それとも光の勇者の子孫、というべきか?」
 力は順当に薄まってんのにな、とぼやくとダークは背後に振り返った。視線を向けられて青年は何を今更、とでも言いたげに肩を竦める。
『オリジナルはオリジナルですよ。と言いますか、トライフォースの濃さに関しては論ずるだけ無駄です。三百年そこらの俺とだって圧倒的な差があるんですから。あの人は――時の勇者は"特別"だったんです。文字通りに』
「そんなことはわかってるさ。"だから"あいつでなきゃあいけないんだしな。姫の幸福……三大神のお遊びを終わらせる為にはオリジナルを三人揃えるしかない」
『俺たちはその布石でしかないってことですね。わかりきっていることですけれど』
 くすくすと自嘲するように笑う青年に影はなんだかげんなりとした顔をして、嫌そうに眉をひそめた。それに青年は意外そうな顔をして、どうしましたか、などとのたまう。
「いや……なんと言うかな。七百年前はもっと素直な子供だった気がして……」
『案外、本性が出ただけかもしれませんよ?』
「案外じゃあないだろう。順当にだ。あまり楽しくない話だが」
 勇気のトライフォースの持ち主は純粋すぎて、性根のところで曲がっちまうのかもな、と冷めた分析をして影もまた大仰にわざとらしく肩を竦めて見せた。



 ダークリンクの願いとは即ち、ゼルダ姫の幸福を護ることだ。
 それには彼の本体たる時の勇者――彼女が愛する男の存在が不可欠であり、またそうすることが最善であるとダークは認識している。
 姫が愛しているのは「リンク」で。自分はその「リンク」の従属物であり彼ではない。彼がまだ存命であった頃、そう理解したダークはならばそのために彼を支え護ろうと決意しそれを遂げたのだ。
 最愛のひとを喪った彼は酷く危うかった。今にもがらがらと崩れ落ち、腐敗して、そのまま世界を呪って自らの神性を犯さんとする勢いだった。
 でも、かつて姫君が愛した少年は決してそんなふうではなかったから。
 だからその為にダークは己の全存在をかけた。でも、その先には行けなかったのだ。
 姫君と少年が再会することなんて出来ようもなかったのだ。
 神の定めた理を覆すことなど、出来るはずも――なかった。
 それでも、その先を成し遂げることがダークのプログラムであり全ての意思であることに変わりはなかった。そして死ねない人ならざる存在である彼には時間があった。
 あれから千年が経ち、今ようやくその時が訪れようとしている。
「時の勇者の存在は必要だ。絶対にな。だからその為に――姫の為に、俺はこの存在をもって役目を全うする。所詮は紛い物の命だ。惜しむこともない」
『随分はっきり言い切るんですね』
「それ以外に形容すべき言葉もないだろう? 俺はそもそもが異質だった。この体の核が今もってガノンであることに変わりはない。あいつはかつて自分が世界の異物であると言ったが、だとしたら俺はなんなんだろうな」
『さあ。あなたはあなたですよ。異質が異質であり続ける為に必要だったのかもしれない』
「ま……考えてもせんないことか」
『ええ。本当に』
 青年は半透明な己の体をすうと動かしながら、軽い口調で言ってのける。
『俺たちはただ、出来ることをするだけです。女神の目をこそこそと盗みながらね』



◇◆◇◆◇



 かつて目をきらきらと輝かせて、そう力説する青年がいた。
「終わらない出来事なんて、あるわけがないんです。どんなに楽しくても、苦しくても、等しく同じ。永遠だなんてあっていいはずがない」
 子供みたいな考えを信じきっている青年のその言には多いに苦笑したものだ。ならばあれほどまでに苦労はしなかったのに、と。
 あれほどまでに嘆き、喚いて、絶望し何もかも信じられなくなり悲しむこともなかったのに――。
 そう言うと、青年は憤慨してこう言い返すのだ。
 「そう思うから駄目なんですよ」と。
「神様に逆らえないだなんて誰が決めたんですか? 女神の仔だとか、正直俺の知ったことじゃありません。俺は俺です。変えちゃいけない道理なんてないでしょう。それはあの人のことだって同じはずだ」
 あまりのことに面食らってしまったのだが、また同時に思ったのだ。ならばかけてみてもいいかもしれないと。ただ受け身で待つだけでなく、少しは仕掛けてみても面白いかもしれないと。



 七百年も前の、古っぽい昔話だ。